研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2006年12月22日
本書は、昭和天皇の側近の「倉富勇三郎日記」をはじめ一次資料を駆使して、戦前日本の立憲君主制の崩壊過程を、当時の法的・政治的慣行や天皇・皇室の公的イメージにまで踏み込んで描き切った、実証史学の到達点である。
最初にイギリスの君主制との実態比較を踏まえつつ、明治・大正期日本の立憲君主制の形成と展開を概観し、昭和天皇の政治関与、宮中・元老と内閣・軍部の動向と相互の提携・反目を描き、最後に立憲君主制の崩壊の原因を、昭和天皇が政治関与する際の「一貫性のない揺れの大きい動き」と天皇を支える宮中の補佐機能の未熟さに結論づける。
国家とは、倒産が許されない組織、であり、その国家経営が政治である。こう考えれば、近代立憲体制がコーポレート・ガバナンスであり、このコーポレート・ガバナンス崩壊要因とトップ・マネジメントのリーダーシップ、トップを補佐するコーポレート・スタッフの在り様について、本書は示唆に富む。すなわち、本書がかなり直接的に教えるのは、企業組織上の最高意思決定の仕組みに曖昧さを残したまま運用で凌ぐには、トップは公平な裁決者、スタッフも公平な調停者という、威信を事業部門から勝ち得ることが必要ということである。
最高意思決定の仕組みの曖昧さを払拭するためにトップに必要なのは、積極果敢な決断力以上に、変化する情勢に耐えうるその経営判断の機軸と、それに従ってトップを組織として補佐するスタッフであるということが歴史の教訓である。昭和天皇の政治関与が結果として一貫性を欠いた理由は、急変を遂げる国内外の情勢に対応すべき国家戦略の判断の機軸(判断基準)が、国家戦略の策定プロセスにシステムとして埋め込まれていなかった、という明治憲法体制の構造的欠陥にあると本書は指摘する。この判断基準は、明治維新の白刃をかいくぐり自ら首相を経験した明治の元勲の双璧、伊藤博文と山県有朋が明治天皇を補佐(輔弼)する過程で人格として体現したものでありその操作の技は、今風にいえば、形式知ではなく暗黙知であった。
国家戦略の判断基準を元老と明治天皇の暗黙知でしか伝え切れなかった明治憲法体制は、全体調整機能を組織として継承し得ないという欠陥があった。これは、コーポレート・ガバナンスを敷きつつ米国流トップダウン型経営に憧れを抱く日本企業にも継承されている。明治の元老が担った全体調整機能を経営の言葉で翻訳すれば、個々の事業部門が追求する組織利益の個別最適を超えて全社的観点での全体最適を目指すため、トップ・マネジメントを補佐するコーポレート・スタッフの組織的機能、となる。本書が行間ににじませた明治憲法体制の欠陥、すなわち判断基準の曖昧さと意思決定システムの有名無実化は、現代の企業組織経営においても、今そこにある危機、と感じるのは独り評者のみであるまい。
こうした観点からこの浩瀚な実証史学の専門書を読み解けば、我々一般読者にとって、経営とは何かを考えさせる、上質な教養啓蒙書となろう。