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書評

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コトラー ソーシャル・マーケティング:貧困に克つ7つの視点と10の戦略的取り組み :評者:日立総合計画研究所 常陰武士

2010年8月5日

コトラーが提案する貧困の解決手法

貧困問題の解決策について記述した書物は数多く存在するが、本書はマーケティングの原理や手法による解決を提示している点に特徴がある。こうした解決手法はソーシャル・マーケティングと呼ばれ、社会にとって有益であり、かつ、社会問題の根本的解決につながる行動を、「マーケティング」の対象者(貧困問題では貧困者が代表例)に選択させることを目的とする。ソーシャル・マーケティングの起源は古く、本書の著者フィリップ・コトラー氏が1971年に執筆した論文にさかのぼる。同氏はマーケティングの世界的権威であり、営利活動以外の領域にまでマーケティング理論の展開を試みている点に特徴がある。本書は、ソーシャル・マーケティングの観点が欠落した貧困解決策の問題点を指摘し、貧困の根本的原因となるHIVや飢餓などの諸問題の解決に成功した事例の検証を通じ、ソーシャル・マーケティングが貧困問題の解決に資すると主張する。その過程では、本書のサブタイトルにもあるように、病気の拡散防止や犯罪の抑止など、貧困に克つための7つの視点を提示した上で、ペルーにおける結核減少に向けた取り組みや、マラウィにおける食糧生産量の増大を図る取り組みなどの10の事例を挙げる。
7つの視点とは、以下に掲げる貧困問題を解決することによる社会的な便益を指す。コトラーは以下のような視点に基づき、貧困問題の解決の必要性を訴える。

表1:貧困に克つ7つの視点
No. 貧困に克つ視点 概要
1 コミュニティ、社会への貢献 貧困者が貧困を脱することで、医者・科学者・専門家など、社会にとって有益な存在になり得る。
2 犯罪 自暴自棄になった貧困者は犯罪行為に走りやすく、貧困の解決は犯罪の抑止につながる。
3 病気と健康問題の拡散 貧困者は病気に罹患しやすいことから、貧困の解決は病気の蔓延を防ぐ手段となる。
4 民衆扇動者に従う可能性 貧困者はコミュニズムやファシズムと結びつきやすいことから、貧困の解決はテロの防止につながる。
5 未開の市場の可能性 貧困層は一日に80億ドルの購買力を有するとされ、貧困の解決と低価格商品の販売による収益獲得は両立可能である。
6 機能不全を起こした国家への資源の供給 貧困層の社会的不満が募ると政治不安を生じさせ、その解決には先進諸国の武力介入を要するほか、自然災害対策が不十分な貧困国は先進諸国の助けを要する。貧困の解決は先進諸国の社会資本の温存となる。
7 先進国への不法移民 途上国の貧困層が先進国へ不法入国することにより、先進国でスラムが形成される可能性があるほか、先進国における中間層の定職を奪う可能性がある。貧困の解決は先進国社会の安定に資する。

そして、以下の10の事例を通じて、ソーシャル・マーケティングの詳細やその効果について解説する。

表2:10の戦略的取り組み
No. 戦略的取り組み 概要
1 HIV対策 ウガンダでは、HIV感染率を1990年代初期から2004年にかけて、15%から6.5%まで低下させることに成功した。
2 ホームレス対策 米国ワシントン州では、2007年までに1,445ユニットの仮設住宅が提供された。仮設住宅から退去した家族の89%は定住可能な住宅に移り住んだ。
3 家族計画・貧困抑制策 パキスタンでは、計画的な家族計画を促進するため、専門のクリニックにおいて避妊手法が伝達され、避妊具が提供された。避妊具の売上高増大、クリニックの来訪者の増加、サービスの質の向上などの効果が得られた。
4 農業の生産性向上 マラウィでは、官民共同の肥料購入に際する補助金支給により、栄養失調の児童が80%減少した。
5 持続的なマラリア予防 アフリカ全土で、2000年から2005年にかけて、殺虫剤処理済みの蚊帳の提供により約1,500万人がマラリア感染を免れた。
6 結核減少 ペルーでは、治療機会の拡大などにより、1990年から2000年にかけて結核の発生を年率7%減少させることに成功した。
7 貧困者の減少 ニューヨーク市では、貧困者数の削減に向けて、語学教育や職業訓練など、41のイニシアティブを導入した。
8 コミュニティの非常事態への対応と災害緩和 ホンジュラスでは、224のコミュニティにおいて、災害準備プログラムが確立された。
9 教育機会の提供 セルビアでは、情報通信技術に関する無償講座が提供され、2005年から2008年にかけて1,200名が受講した。
10 河川盲目症の制圧 西アフリカでは、治療薬の無償提供や、治療体制の整備により60万ケースの感染が防止された。

筆者は上述のソーシャル・マーケティングの事例に先立ち、従来の貧困解決プログラムについて、以下のような問題点を説明する。貧困国への大量の食糧支援が、地元で栽培される食糧の価値を下落させ、飢餓問題を深刻化させた事例である。スーダンでは、無償援助の結果、地元栽培の食糧市場が消滅するとともに、人々が都市部に流入し、近隣の村は廃墟となった。都市部は過剰な財政負担を強いられ、廃墟となった村は近隣種族の略奪の対象となってしまった。筆者は、この種の予期せぬ結果を防ぐためには、だれが「顧客」で、「顧客」にとって何が必要かを明確にするマーケティング手法が有効であると説く。
そのステップは、(1)市場のセグメント化、(2)ターゲット市場の評価と選択、(3)望ましい行動の設定、(4)課題・便益・競争相手の明確化、(5)ポジショニングと戦略的なマーケティング・ミックスの開発に区分される。一見、営利マーケティングと同一であるが、製品やサービスの購入の代わりに「望ましい行動」を促す点、第一義的な目的が金銭的利得でなく社会的便益である点、競争相手は企業でなく望ましい行動を阻害する存在である点が異なる。一方で、顧客志向、4P(Product、Price、Place、Promotion)の重要性などの共通点も有する。
こうしたソーシャル・マーケティングの有効性を示す10の事例の一つとして、ペルーにおける結核の減少が挙げられている(表2のNo.6)。この取り組みでは、1990年から2000年にかけて結核の発生率を7%減少させることに成功した。1991年、ペルーの人口はアメリカ大陸全体の3%程度に過ぎないにもかかわらず、結核患者数は15%を占めていた。本プロジェクトが奏功した要因として、顧客志向に基づきターゲットを明確化した点、4P最適化などが挙げられている。
まず、「顧客」となる人々に適切な治療を広く浸透させるため、「罹患のリスクが高いグループ」、「上記グループに影響力を有する人々(家族、宗教のリーダ、友人など)」、「財源確保に影響力を有する政策形成者、製薬価格に影響力を有する製薬会社の代表」などがターゲットとされた。実際に治療を受けるべき下流の患者のみならず、より上流に位置する製薬会社や政策形成者もターゲットとされており、対象者の意思決定の上流に位置する関係者にもアプローチする上流マーケティング手法が用いられている。
4Pの観点からは、Productとして「心の平安」と「回復」が定められた。次にPriceに関しては、Productの購入を促すための対象となるコミュニティの女性に手工芸品の販売機会などを提供し、治療に要する収入源を確保した。そしてPlaceについては、保健省が結核治療サービスを基礎的な保健医療システムに組み込んだほか、夜間治療、訪問治療などを採用した。Promotionとしては、「一日15分以上、咳が続く場合は診断を受けるべきこと」、「一人の治療が全ての人の予防につながること」など、適切な行動を選択させるために必要となる明確なメッセージを、マスメディアやイベントのほか、保健師や家族などを通じて展開した。こうしたマーケティング手法の活用により、1998年までに7万件ほどの結核感染と感染による死亡を防ぐことができたとされる。

表3:従来型の対策とソーシャル・マーケティングによる対策の違い
貧困の根本的問題 従来型の対策 ソーシャル・マーケティングによる対策
HIV 各コミュニティの保健所でのHIV感染検査(平日日中の実施、結果を聞くため2週間後に再訪が必要) 同性愛者に無料・短時間で検査可能なキットを週末に提供
農業の生産性の向上 小規模農家への所得保障 新たな種の提供、生産性向上のためのワークショップを開催
結核 都市部の特定病院での結核検査、処方の提供 医療機関ネットワークが検査・処方を提供、往診を実施
ホームレス 一時的な避難所、ボランティアによる食事提供 職業訓練と職業紹介を含む自立を支援するプログラムを提供

本書は終章で政府機関、NGO、企業の協働関係につき、紙面を割いている。そこでは三者の機能や見解の相違により、相互に対立する可能性とその予防策など、協働関係の現実的な構築方法についても論じられている。
以上のことから、本書は貧困問題をはじめとした社会問題の解決に取り組む人々にとっても、マーケティング手法の重要性、すなわち、限られた予算・時間を最も効果的に活用する方法論を学ぶテキストとして高い価値があると言える。

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