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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

取締役社長 白井均のコラム

第2回:リスクに備える

何らかの理由で、あと3日で確実に命が尽きることがわかっていたとしたら。3日という極めて短い期限を突き付けられたことにより、将来の可能性や豊かさのために現在を犠牲にすることは全く意味を失います。3日以内に実現可能なこと、実現したいこと、要は目先の「欲望」の実現に走ることが、多くの人にとって最も合理的となります。最後の晩さんで何を食べたいか、の話題が盛り上がるのはこのためでしょう。

では3カ月先に命が尽きるとしたらどうか。時間の余裕はもう少しあります。会社で昇進をめざすとか、一流大学入学をめざして勉強するといった、遠い将来への投資が意味をなさないのは同じですが、逆にこれまで日常の生活や仕事に追われて行けなかった海外の国へ最後に行ってみるくらいの時間はあります。「日常」は3カ月後に断絶するのがわかっているのですから、「非日常」へ向かうのは合理的な行動でしょう。

人気作家伊坂幸太郎の小説「終末のフール」の世界はもう少し複雑です。物語の舞台は8年後に小惑星が地球に衝突し、人類が確実に滅亡することが予告されてから5年が過ぎたころの社会です。当初は絶望からパニックに陥った人々も、5年が過ぎると、いつしか平穏な小康状態の中で日々を送るようになっています。つまり「非日常」から「日常」へ戻っています。

現実の社会においては、以上のような未来がほぼ確実に見えるという状況はありません。われわれは常に不確実な未来とともに、リスクを抱えて生きています。

現在伝えられているところでは、南海トラフ地震は、今後30年以内に60〜70%、50年以内には90%の確率で発生し、最悪の場合死者が32万人、経済被害は220兆円と推定されています。高い確率で途方もない被害が発生することが予測されていますが、問題は実際に地震が発生するのが、3日後か、3カ月後か、50年後かはわからないということです。想定される被害から考えれば、実際の地震発生時は、まさに地獄絵のような世界のはずです。しかし現在も、多くの人々が「日常」を続けているということは、3日後に地震が起こるとは考えていないということでしょう。残念ながら、あらゆる方策をとって準備したとしても死者をゼロにすることも困難でしょう。結果としては、予測が発表された後も「欲望」にも「非日常」にも人々が走ることはなく、淡々とした「日常」が続いています。しかし、予測が正しいなら、今日地震が発生しなければ、明日地震が発生する可能性は、今日より着実に高くなるはずです。

社会心理学では、正常性バイアス(normalcy bias)と呼ばれる用語があります。これは、多少の異常事態が起こっても、それを正常の範囲ととらえ、心を平静に保とうとするもので、日々の生活の中で生じるさまざまな出来事に、心が過剰に反応し、疲弊しないために必要な働きです。確かに、たとえ大きな被害が予想されていても、いつ発生するか分からない大地震のことばかり心配していたのでは、日々の生活をまともに送ることができません。一方で、「正常性バイアス」の度が過ぎてしまうと、リスクへの備えが十分なされなかったり、本当に危険な事態が発生しても、異常と認識せず、回避などの対応が遅れることになります。

経済活動がグローバル化した今日においては、企業が直面するリスクもまた格段に広がっています。リスクマネジメントが発展した今日においても、リスクそのものの予測可能性とリスクへの対応可能性を考えるならば、企業が取り組むべき課題は多いと言わざるをえません。

大きな経済危機が発生すれば、企業も当然大きな影響を受けます。実際、日本のバブル経済崩壊、アジア経済危機、ITバブル崩壊、リーマンショックなど振り返れば、過去30年の間に世界で9回大きな経済ショックが発生しています。ほぼ3年に1回のペースで発生しているわけですから、もはや経営としては「想定外」とするわけにはいかないのが現実です。しかし、残念ながら経済学をはじめとした現代の計量的手法がこうした経済危機の予測可能性において、十分な役割を果たしているとはとても言えない状況にあります。

一方で経営においては、リスクを前にたじろいでばかりはいられません。「正常性バイアス」に陥ることなく、リスクに向き合い、管理し、前に進まなければなりません。ピーター・バーンスタインの「リスク-神々への反逆-」(Againstthe Gods, 青山護訳)によれば、リスク(risk)という言葉は、イタリア語のrisicareに由来し、この言葉は「勇気を持って試みる」ことを意味するのだそうです。