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株式会社日立総合計画研究所

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社長 嶋田惠一のコラム

[バックナンバー]白井社長コラム 第5回:キッシンジャー、周恩来、田中角栄

人生を振り返ると、なぜか記憶に残っているシーンが誰にでもあると思います。「皆さん、大きくなったら田中先生のような立派な人になってください。」これは小学校の卒業式での校長先生の祝辞の一節なのですが、今でも当時の情景とともに鮮明に記憶に残っています。何人かの同級生に聞いても誰も覚えていないのですが、なぜか私の記憶にだけは残っています。 「田中先生」とは、後に首相まで上り詰め、盟友であった大平正芳外相とともに日中国交正常化を成し遂げる田中角栄のことです。振り返れば、田中の首相就任の数年前、田中の出身地に近い新潟県柏崎市の小学校での出来事でした。 ロッキード事件なども含めて考えれば、政治家田中角栄への歴史的な評価は現在でもさまざまな側面があると思いますが、当時既に地元では、その存在は大変大きなものだったのでしょう。子供心にですが、校長先生の言葉に特に違和感を持った記憶はありません。

1972年7月、田中は首相に就任すると、わずか2カ月後の9月25日の早朝、大平外相、二階堂進官房長官とともに羽田空港をたち、国交正常化交渉のために北京へ向かいます。前年の7月には、それまで20年以上にわたって中国とハイレベルな接触をもたなかった米国のヘンリー・キッシンジャー大統領補佐官が、ニクソン大統領の命を受け密かに訪中して周恩来首相と会談しています。さらに翌72年2月にはニクソン大統領が訪中するという「ニクソン・ショック」が起こります。日本でも、米国が米中関係改善に動き始めたこともあり、日中関係改善への期待が広がりつつありましたが、政権政党である自民党内には、台湾との関係維持を主張する勢力の影響力も強く残っていました。したがって、北京での交渉も決して楽観できるものではなかったことでしょう。北京へ向かう機中で田中は二階堂に「死ぬ覚悟で来ている」、と口にしたといわれています。 中国側の交渉相手となった周恩来の立場も盤石なものではありませんでした。当時の中国では、文化大革命で台頭したいわゆる四人組が影響力を高めていました。老練な政治家、周恩来は毛沢東の威光を巧みに利用することにより、四人組の不満を抑えつつ日本との交渉にあたっていました。何より、周恩来はこのとき既にがんに侵されていて自らの死期を悟っていたといわれています。田中の再三の訪日要請に対しても、「自分は生きては日本を二度と訪問することはないでしょう」と答えたと伝えられています。 4日間にわたる厳しい交渉の末、9月29日に日中共同声明は調印に至ります。当事の日中双方の政治状況を考えれば、周、田中、大平の強い思いとリーダーシップがなければ、この時期の国交正常化は難しかったことでしょう。

多くの先人の苦労と努力の結果実現した日中国交正常化から42年が過ぎましたが、足元の日中関係は残念ながら国交回復後もっとも難しい局面にあります。「井戸を掘った」周、田中、大平など既に多くの関係者が亡くなりました。キッシンジャーが、「桁外れの知性と能力によって他を圧倒する人物」と評した周恩来は、1974年初めには政治の表舞台に姿を見せなくなりますが、亡くなる半年前の1975年6月、北京の病院を訪ねた藤山愛一郎元外相に対して、当事交渉中だった日中平和友好条約について、病を押して熱く語りかけます。「過去の問題は、賠償も損害請求権も、両国の国交回復に当たって私と田中総理が調印した中日共同声明で全て清算し終わっている。これからは、中国と日本がどのように末永く仲良く国交関係を保っていけるか、この点を規定した条約でなければならない」

最近中国出張の際に、ある手土産を持っていくことがあります。1972年の日中国交正常化交渉の際に、晩さん会の乾杯用として田中が持参した「越の誉 もろはく」という柏崎の古酒です。中国の方々にこの酒の背景を説明すると、しばらくは日中双方の「井戸を掘った」人々の話題になります。日中双方にとって国交正常化の原点に思いをはせることが、今ほど重要な時期はないはずです。

(参考文献)
吉田重信 「中国への長い道」 田畑書店、2010年
藤山愛一郎 「政治わが道 藤山愛一郎回想録」 朝日新聞社、1976年
服部龍二 「日中国交正常化」 中央公論新社、2011年
Henry A. Kissinger(2011)、ON CHINA (堀越敏彦、松下文男、横山司、岩瀬彰、中川潔訳 「キッシンジャー回想録 中国(上)(下)」 岩波書店、2012年)

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