ページの本文へ

Hitachi

メニュー

株式会社日立総合計画研究所

所長コラム

所長 嶋田惠一のコラム

[バックナンバー]白井社長コラム 第20回:マイ・ラスト・ソング

 1970年11月、三島由紀夫が自衛隊の市ヶ谷駐屯地で自決する前日に訪れたのは今も東京の飯倉に現存するキャンティというイタリアン・レストランでした。その夜、三島はキャンティの看板メニューのスパゲティバジリコを食したと言われています。彼にとっていわば「最後の晩餐(ばんさん)」でした。
 1960年に開店し、日本のイタリアン・レストランの草分け的存在だったキャンティには、芸術家、音楽家、小説家、詩人などさまざまな文化人が集い、三島は最も頻繁に通う常連客の一人でした。戦前パリで長く生活した創業者の川添浩史氏は、1930年代には既に多くの芸術家が集っていたモンパルナスのカフェ・ソサイアティをキャンティの原型としてイメージしたと言います。イタリア本国と同じ食材をそろえるのが難しかった時代、キャンティではバジルの葉を自家栽培するとともに、パセリや大葉も混ぜたスパゲティバジリコを看板メニューとし、三島も含め多くの文化人を魅了しました。

 あなたは人生の最後に口にするとしたら何を選びますか。さまざまな場で日常的に話題になりますが、現実には多くの人が病気か予期せぬ事故で最期を迎えることを考えれば「最後の晩餐」のメニューを自らの意思で選択できる人はまれです。
 一方で、あなたの末期の刻がすぐそこまできていて、既に意識が朦朧(もうろう)となっていたとしても、誰かが枕元に音楽プレーヤーを持ってきて、最後に何かリクエストすれば、これまでの人生で耳にしたどんな曲でも聴かせてあげる、と言ってくれたとしたらどうでしょう。デジタル化が進み、インターネット経由で膨大な数の曲にアクセスできる今日では、こちらは十分現実感があります。子どもの頃から、アップルのiTunesで音楽を聴いていたとすれば、どの曲を何回聴いたかを集計して、人生のベスト10を選ぶことくらいは容易にできるはずです。もしかしたら近い将来には、何もしなくてもAIが、最後に聴くべき「マイ・ラスト・ソング」はこれだ、と勝手に選んでくれるようになるかもしれない、と想像が広がります。
 かつて「寺内貫太郎一家」、「時間ですよ」などの人気番組を手掛けた辣腕(らつわん)テレビプロデューサー久世光彦氏は、1992年4月から亡くなる直前の2006年3月まで、雑誌「諸君!」に「マイ・ラスト・ソング −あなたは最後に何を聞きたいか−」というエッセイを連載していました。長い連載の中で、歌謡曲、フォークソング、ワルツから米国の国歌まで多岐にわたる119曲が取り上げられています。一つ一つのエッセイを読んでいくと、「マイ・ラスト・ソング」を選ぶことは、出会った歌とともに自らの人生を振り返る作業であることがわかります。そして、その中で順位をつけ、まして一曲を選ぶことがいかに難しいことかも教えてくれます。久世氏自身も、119曲の中でどれが「マイ・ラスト・ソング」だったのか、最後まで明確にはしていません。
 果たしてAIが「マイ・ラスト・ソング」を選んでくれる時代は到来するのか、久世氏のエッセイとともに考えてみました。なぜその歌が心に残るのか、感傷と入り交じって自分でも説明できないこともあります。最後の時に理由もなく突然会いたい人が頭に浮かぶかもしれません。「最後の刻に戻ってほしいと願うのは、自分から背いた人、心ならずも裏切ってしまった人、去られてみてはじめて大切だと思い知った人―そんな悔いの残る人たちばかりに違いない。そんな人たちに帰ってきてほしいとは、虫のよすぎる話である。悔いの数だけ、行ってしまった人たちの顔が暗くなりかけた脳裏に浮かび、やがてそれさえ霞んで消え、最後に私たちが見るのは多分自分の顔である」(「何日君再来」)。
 同じ歌、同じ出来事であっても人によって感じ方、記憶への残り方も異なります。「歌、中でも<流行歌>とは不思議なものだ。いつ、どこで、どんな気持ちで聞いたか、あるいは歌ったか―それによって、本来明るく幸福な歌が、どん底のように思われたり、反対に、恋をなくした絶望を歌った歌に心弾んだりする」(「東京ドドンパ娘」)。
 デジタルの時代とはいえ、ニーズが限られていればデータとして残されない歌もあるでしょう。「売れなかった歌というのは、眠っているというよりは、死んでいるということだ。考えてみれば、売れなかったというだけの理由で、いい歌がいくつも死んでいるのかもしれない」(「さくらの唄」)。

 デジタル化の急速な進展が、これからも経済や産業の効率性を高め、社会の安全、快適、便利を向上させていくことは間違いありません。そして、音楽に限らず人生の思い出の選び方も今後は大きく変わることでしょう。しかし、結局のところ自らの人生において、その生きざま、生きた証しについて評価を下せるのは自分だけです。「マイ・ラスト・ソング」を選ぶ作業もそのひとつだとすれば、インターネットやAIはそのサポートをしてくれるものということでしょう。

(参考文献)
久世光彦「ベスト・オブ・マイ・ラスト・ソング」文春文庫、2009年
野地秩嘉「キャンティ物語」幻冬舎文庫、 1997年