中国の戸籍制度から見た「世界の工場」の行方
日立総合計画研究所
ケ 暁丹
ケ 暁丹
先週、仕事で上海から北京に出張した。私の勤務する会社では、出張の費用は本人が先支払し、領収書をもらって後から会社へ請求する仕組みとなっている。ホテルでのチェックアウトの際、私が大量の現金を数えるのを見て、フロントの人がこっそりと笑っていた。
中国でも五ツ星級ホテルの場合は、今やクレジットカードでの支払いが常識である。しかし、上海の戸籍を持たない私の場合、実はクレジットカードを申し込む資格さえないのが現状である。日本では考えられないかもしれないが、中国の戸籍制度には実にさまざまな面で対応の違いがある。ほかにも、例えば海外で中国移動通信(上海)の携帯電話を使う場合、本人が上海戸籍を持つか、あるいは上海戸籍を持つ保証人がいなければ、手続きをしてもらえないこともある。
確かに、ほかの内陸部から上海や広州などの東南沿岸部に出て来た「出稼ぎ者」(中国語で「農民工」)と比べたら、このような不便は小さな悩みにすぎないのかもしれない。賃金の安さ、福利厚生の不備、また子供の就学などの問題は、この戸籍の山を越えなければほとんど解決不可能だ。かつては戸籍のために、地元の人と結婚する例も少なくなかった。
一方、都市の戸籍を持たない農民工は、この20年間の中国経済急成長の原動力にもなっている。農民工の数は年々増えてきて、すでに1994年の4,000万人から今では1億人以上に達している。安くてしかも質のよい農民工たちは中国を「世界の工場」に位置づけるようにも見える。いわゆる労働集約型産業は直接投資の誘致などにつながり、輸出の拡大や貿易黒字拡大に貢献し、中国経済を世界第四位の経済規模にまで押し上げた。
しかし、中国の社会構造を都市と農村部と二元化したこの戸籍制度は結果的に農民工たちを都市の社会保障システムから外してしまった。例えば、最近話題になっている「農民工荒」(農民工不足)という現象は一昨年の珠江デルタが発端となり、すでに長江デルタや内陸部の大都市に蔓延している。その原因はもちろん人口構成の変化や、産業移転など長期的な要因が考えられるが、企業の賃金、福祉厚生などの経済要因と戸籍などの制度要因によるところも大きいとみられる。この問題の深刻化は安価な人件費を武器にする今までの中国成長戦略に大きい打撃を与えるに違いない。しかし問題の解決には、戸籍の取り消しに伴う制度改革が当然必要になるが、政府をはじめ、企業そして個人はいかに平等や公平な社会環境を築いていくかが重要となるだろう。
中国が「世界の工場」となるプロセスの中で生じた問題は、戸籍問題だけでなく環境やエネルギーなどほかにも数多くある。すでに企業戦略の一部として重要視される企業の社会責任(CSR)は、まさに今の中国市場に対応するため、必要かつ不可欠な取り組みとなっている。CSRは中国企業にとってまったく新しい理念になるが、実績を積み重ねてきた多国籍企業は今後労働条件の改善、福祉厚生の充実、取引先企業への監督などの面で、平等や公平の理念を中国で浸透させる責任を期待されるだろう。今後も、今のままの状態で「世界の工場」であり続けることは、中国の利益にも中国へ進出する多国籍企業の利益にもつながらなくなるであろう。



