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第2回:誰にもある「これから」

私のコラムに「これから」と命名したが、その思いをのべたい。私事で恐縮であるが、家内の両親の話をさせてほしい。


88歳の岳父は、大学卒業と同時に平壌の第五海軍燃料補給廠に所属し、終戦と同時にシベリアに捕虜として送られた。2年後に解放され帰国し、三白景気に沸く化学会社に勤務し、65歳まで勤め人生活を送った。82歳の丈母は、地元の女学校を卒業し、捕虜から帰った父と見合い結婚をし、生涯一主婦を貫く良妻賢母の典型である。現在は、岳父の介護に心を砕く日々である。


丈母は、五年前、77歳の時、友人に勧められて短歌をはじめた。全く経験がなかったにもかかわらず、潜在した素養が開花したのであろう、1年もしないうちにNHK短歌や日経歌壇に評価され掲載されることとなり、その数が、去年の秋で50首となった。「これは快挙!」と岳父は喜び、記念歌集を作ることを思い立った。そのタイトルが「これから」である。その歌集の前書きに岳父は「いくつになっても、なにかを始めるのに、遅いことはないようだと、私自身が勇気つけられた」と書いている。


たしかに、「これから」という言葉にはある種の“明るさとわくわくさせる感じ”がある。類似した言葉に「いまから」があるが、「いまから」には固い決意が感じられる。少し切羽詰った感覚とでも言おうか、例えば、「いまからでも遅くはない」とか。

「それから」は、誰でも知っている漱石の「虞美人草」、「坑夫」「三四郎」に続く作品のタイトルである。「それからどうなったの?」というように疑問符が似合う。

「これから」は、これから出る本、これから伸びる企業、これから何がおこるのか等の用例が多いが、これに「は」をつけると「これからはインドだ」といったように、これまでとは、一線を画した変革をイメージすることも多い。今風に言えば、デジタルな変革とでもいうように。


再び話を両親にもどすが、彼らは逗子で二人暮らしである。逗子といえば、我々の世代には、太陽族と石原ファミリーが、10歳年下の世代には逗子マリーナでコンサートを続けてきた松任谷由美が思い出されるだろう。実際、外車にのって出かける若い頃の慎太郎氏や、ピンクの封筒を胸いっぱい抱え、披露山の郵便ポストに投函にいく最近のユーミンを二人は見かけたという。彼ら、彼女らのデビューは、時代を打ち破る新鮮でデジタルな変革であった。そして、いまでは、逗子海岸には「太陽の季節」記念碑が建ち、ユーミンの曲は音楽の教科書に載っている。デジタルに時代を変革する人々、デジタルに時代が変わっていく様子は、二人にも何か明るくわくわくした「これから」を感じさせるのかもしれない。


岳父のあとがきを引用させていただく―「『これからの時代』『これからの人』と使いますが、『これから』と云う言葉は、別に若い者たちの専売特許というわけではない。八十代の超老夫婦も、新しい楽しい『これから』を探し続けていきたいと願っております」―。


(身内の評価と過剰な敬老精神の発露との批判を甘受しつつも)誰にも、平等に、公平に「これから」があることに、私のコラムの気分が合ったのである。「これから」をよろしく。

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