第4回:草原の風
ビジネスの世界に身をおかねばわからないことは多くあるが、同時に、ビジネスの世界に気をとられるうちに見逃していることも多くある。
3月初旬に、秋田県鹿角郡小坂町を仕事で訪れた。小坂町は十和田湖の西に位置し、かつては小坂鉱山として栄えた町である。明治時代の鉱山王久原房之助翁の、若き日の修行の場でもあり、やがては日立鉱山に始まる日産コンツェルンの総帥として活躍するエネルギーを蓄積した場所ともいえる。久原房之助翁の小坂町における最大の事業は、埋蔵量が豊富であるにもかかわらず、適切な精錬の方法がないために捨てられていた、銅を含む黒鉱の利用法を開発したことにある。久原翁は黒鉱の製錬技術を開発するために、当時の日本の鉱山技術にかかわる、鉱山技術者、現場の気鋭の若手、そしてエネルギー技術者を産業界のみならず、学会からも集めた。つまり、当時の日本の「ベスト & ブライテスト」を小坂町に集めたのであるが、そのひとりが、小平浪平さんその人であった。小平さんは久原翁の下で、小坂鉱山の銅精錬に必要な莫大(ばくだい)なエネルギー源を確保すべく、水力発電所の開発に努力し、この人脈と技術の蓄積を持って日立製作所を創業する。小坂鉱山から、日立鉱山を経て日立製作所にいたる、久原翁と小平さんがともにした苦労と発想、そして友情には、語り尽くせぬ挿話があり、多くの日立人の知るところである。いずれにせよ、歴史の街でもある小坂町は日立グループにとって因縁の深い土地である。
小坂町の銅山事業は同和鉱業によって、営々と続けられてきた。現在、事業の主体は鉱山の跡地を活用したリサイクル事業であり、同社の売上・営業利益の約20%を占めている。小坂町は昔鉱山、いまは「環境都市」へと変貌(へんぼう)を遂げているのである。その出張の際、かつての同和鉱業小坂鉱業所の従業員用福利厚生施設であった芝居小屋が、現在、小坂町に移管され、いまでも、芝居が定期的に掛かる現役の小屋として活躍し、年に一度は、東京の歌舞伎座から役者が巡業にくると伺った。昨年は、中村勘三郎の襲名披露もここでなされたと伺い、この夏にもう一度来てみようと思ったのである。
そして、この7月、芝居小屋「康楽館」に掛かる歌舞伎を見に再び、プライベートで小坂町を訪れた。早めに着いたので、芝居小屋の裏にまわって台所を覗(のぞ)くと、割ぽう着の女性陣がうまそうなそばをつくっている。本来は観客用とのことなのだが、お願いしてかき揚げそばを分けてもらう。歌舞伎座ではこうはいかない。小屋の傍(そば)には浅く清い川が流れ、川べりでそばを味わいながら読書をしつつ、小屋が開くのを待っていると、午前の部の芝居は大団円となり、外まで太鼓が響きツケも聞こえてくる。人懐こいセキレイにもそれが聞こえるのか、川面を渡る風にのって、近寄ってくる。遥(はる)か川の向こうを見渡せば、十和田湖に続く小坂の山々が見える。その山々も、明治時代には、銀や銅の製錬の煙で枯れたのであるが、同和鉱業と小坂町は緑を取り戻すべく、煙害につよいニセアカシアを植林し緑を取り戻した。その緑深き山々を背景に、当時の技術と芸術の粋をきわめた旧小坂鉱山事務所が建つ。明治の初めに、当時の先端技術を身につけたエリート技術集団を確保するために久原翁が工夫したことのひとつがこの事務所であり、ここの景色は、西洋的なところがあって、レトロな感じが美しい。
康楽館歌舞伎大芝居は、昭和62年に同館創建77年の喜寿を記念して始まり、平成19年は第21回を迎えることができた、との地元の方のメッセージにより開演した。まずは、「歌舞伎のみかた」が組まれており、歌舞伎の約束事を楽しく解説する30分がある。もちろんプロの歌舞伎役者による解説。続いて、演目は「俊寛」、そして「お祭り」と3時間。劇場は2階からなっており、500人の観客。しかも、花道と同じ高さの客席からは、手を伸ばせば役者にふれることができる。そして、市川右近ら若い市川一門の役者たちの熱心さ、美しさと観客席の素直な反応が一体となって、素晴らしい演劇空間がつくりだされる。そんな場所で見る歌舞伎は実に楽しい。なぜだろうか、それはたぶん、「何かに参加し、影響しあう楽しさ」なのだろうか?役者は客を喜ばす、客もそれにうまく応えて役者を喜ばす、お互いの役割の「のりしろ」をこえて影響しあう、貢献しあう楽しさというと大げさであろうか?演劇に限らず、集団が個の力の累積以上に力を発揮する時には、「のりしろ」が大事なのかもしれない。充実感を得た3時間であった。
翌日は、八幡平高原を抜け、十和田大湯の環状列石の草原、小岩井牧場を抜けて、帰路に就いた。一枚一枚の葉裏が見えるような草原、そして草原を渡る風に体の芯(しん)からもみほぐされて、細胞が再生され、エネルギーが満ちてくるのを感じた。そして、40年前に学んだワーズワースの詩を思い出した。
Though nothing can bring back the hour
Of splendor in the grass, of glory in the flower;
We will grieve not, rather find
Strength in what remains behind;
草原の輝き 花の栄光
再び還らずとも、なげくなかれ
その奥に秘められたる力を見出すべし
William Wordsworth(1770-1850) 高瀬鎮夫訳
この詩を知ったのは大学へ入学した直後であった。その場所が、教養課程で学んだ英文学の教室であったのか、学生街に一軒だけあった名画座であったのか、いまとなってははっきりしない。新鮮な詩ではあったが、当時はその意味するところのすべてはわからず、いずれその意味がわかる時が来るだろうと思いメモしたのであるが、もちろん手元にはメモはない。私なりの理解では、意味するところは下記ではないかと思う。
人の一生の中で最も輝いている時間――例えば青春(もはや死語かもしれない)――は、緑の草原のように太陽の下で輝きを放ち、花の生涯においても華やかさを競って咲き誇る頂点の時間であろう。しかし、絶頂の時間は意外に短く、やがて終わり、二度と再びもどることはない。しかし、輝ける時間、咲き誇る時間が既に過ぎたからといって、いたずらに嘆くことはない。なんとなれば、その代わりに、より奥深いもの、より真実を見極めることのできる「力」がついているのだから。
歳月は巡っても、止めることなく輝きを繰り返す草原には、私たちにエネルギーを感じさせる何かがあるにちがいない。八幡平、大湯、小岩井牧場の輝ける草原は私の記憶も呼び戻してくれた。しかしワーズワースの詩を私に思い出させたのは北東北の草原だけではなかった。銅の精錬に成功した輝きの時代、鉱山の従業員が最新の芝居小屋での演技に共感した80年前の栄光の時代、これらが、そのままの形で小坂鉱山や康楽館に取り戻されることはないだろうが、いまは鉱山、康楽館ともにそれに替わる新しい「力」が生まれており、また、多くの人々がそれに共感し感動するのを目にしたからではないかと思う。
さて、あなたは、夏休みをとりましたか?夏休みをとって、草原の風に吹かれてはいかがですか。仕事に忙殺されて、見逃していたことを発見できるかも知れません。筋肉は、時には弛緩(しかん)させてみることで、新しい力がはいります。



