(政策経済グループ)
日本経済は、現在深い閉塞感に包まれている。日本経済が現在の危機的状況から脱出するために解決しなければならない最大の課題は、言うまでもなく金融危機の克服である。金融機関が抱え込んだ不良債権はあたかもガン細胞のように経済の機能不全をもたらしており、本来であれば経済の血液となるべき金融機能は麻痺状態が続いたままだ。臨時国会で金融再生を目指した九つの法律が成立したが、今後これらの法律がどのように運用されるか、回復の枠組みは出来たとはいうものの、未だ楽観できる状況にはない。
一方、日本経済にとってもう一つの深刻な問題は、実体経済の悪化である。消費需要が落ち込み、9月中間決算においても企業業績の下方修正が相次いでいる。実体経済の悪化は金融危機が克服されたとしてもすぐに解決するわけではない。一般国民も、産業界も将来の日本について過度に悲観的になっている現状では、実体経済が本来の活力を回復するのはけっして容易ではない。日立総研の試算では、現在日本経済は約30兆円の需給ギャップを抱えている。この金額はかつてのオイルショックの時を上回り戦後最悪の水準である。需給ギャップの解消を図るには、公共投資などによる需要創出だけでなく、供給面に焦点をあてた対策が必要である。具体的には、過剰な設備を抱えた産業の供給力を削減し、企業の生産性を高めるとともに、成長が期待出来る産業が早期に立ち上がるよう政策的に促していく必要がある。こうした政策はその効果が現れるまでに時間を要すること、産業構造の転換を伴うため失業などの「痛み」が避けられないことなどから、現在のように経済が危機的状況にある中では、政策の優先順位が下がり、対応が遅れがちとなる。しかし、企業や国民が未来へ向けた明るい展望を持てるようにするためには、今ほどそうした構造改革が必要な時はない。需要刺激策とあわせて実施するなど短期間で効果を出す工夫も必要となろう。
構造改革を総花的に議論している時間的余裕はない。90年代前半の米国の経験などを踏まえれば、当面短い期間で最も効果が期待出来るのは情報技術(IT)の活用であろう。ここで注意すべきは、情報技術の活用はあくまで手段であるということである。情報化投資は、明確なビジョンと利用環境の整備が伴って、それ自体も活きるものである。短期的な需要創出を目指して、ビジョン無き情報化投資に走れば、それは次の世代に何も残さないであろう。
手段としての情報技術の活用を前提として、何より我々が取り組むべきことは明日の日本の展望を切り拓くことである。その際以下の2つの基本的視座を持つことが重要である。第1に、戦後一貫して進めてきた開発主義型経済システムからの脱皮である。限られた資金や人材を有効利用して成長を目指さなければならなかった時代の規制や必要以上の行政依存、それに伴う保護政策などを捨て、21世紀の日本の国家像を展望する勇気を持たなければならない。国民国家に代表される20世紀型国家を打ち倒しつつある主因がインターネットに代表される情報技術の革新であることを考えれば、新たな社会システムは、多様性を尊重しつつ、企業、個人、自治体など各経済主体の自立と自己責任の原則を求めるものであるべきだ。第2に、グローバル競争を勝ち抜く国際競争力の回復である。情報技術による生産性の上昇は、資本財の投資利益を拡大させ、それが新たな投資メカニズムを形成することにより経済成長を加速させる。米国で起きたようなマクロ経済における情報化投資主導型経済成長はこのメカニズム形成によってはじめて実現できる。米国の経験に立てば、情報化投資が生産性の向上を実現するのは、ビジネス・プロセス・リエンジニアリングに代表されるマネジメントの改善と併せて実施された場合である。このような条件が揃った場合に、初めて産業全般、更には行政においても革新的効率化が実現する。情報化投資が必ずしも生産性の上昇に結びつかない「生産性のパラドックス」の状況は避けなければならない。
上記の2点を基本的視座におき、日立総研では、「情報通信ニューディール計画」という提言を取り纏めた。「ニューディール」という言葉から多くの人が思いうかべるのは、1933年から43年まで、当時の米国ルーズベルト大統領が大恐慌からの経済復興を目指して実施した財政支出による需要創出政策であろう。ただし、「ニューディール」という言葉の本来の意味は、従来の政策と180度異なる革新的政策、もしくは出直し的政策を意味する。そうした観点に立って現代の日本における「情報通信ニューディール計画」を考えるならば、民間企業の主体的動きを促す規制緩和や法整備など供給面に焦点をあてた政策と需要面の政策を併せたポリシーミックス的政策が必要である。
「情報通信ニューディール計画」は、(1)規制緩和や関連法規の整備など利用環境も含めたインフラ整備を基盤に、(2)産業の革新的効率化による国際競争力向上、(3)それを支える行政の効率化とサービス向上を実現するとともに、(4)情報化時代を生き抜く人材育成を進めることが柱となる。これら4分野にまたがる政策を併せて実行することによって、日本経済のもう一つの大きな問題である実体経済の低迷を打破する起爆剤とすることができる。
まず、利用環境を含めたインフラ整備に関しては、何より、特命大臣を任命し、情報通信振興法を整備することにより、政府の決意と今後5年程度で何を行い、何を目指すかというビジョンを提示することが重要である。その上で、先行的に情報通信分野における規制緩和を進める「情報通信特別区の設置」、情報通信分野における研究開発や利用実験におけるアジア各国との協力・連携を進める「アジア・デジタルコリドー構想」を推進する。
行政改革に関しては、米国のGPRA法(Government Performance Result Act)が多くの示唆を与えてくれる。この法律は、連邦財政赤字の削減と一般国民の中から高まっていた行政サービス低下への不満に対応するため、2000 年までの猶予期間の後、連邦政府の全ての省庁に対し、あらゆる政策と予算について具体的目標設定と指標を使っての結果説明を義務づけたものである。この法律によって、行政サービスの向上に関しては、インターネットの活用が急速に進み、ホワイトハウスのホームページなどを通じて利用者に便利な様々なサービスの提供が広がっている。行政の効率化に関しても、従来の予算重視から、結果に関する評価を導入し、それを次年度以降の計画や職員の給与に反映することが連邦政府だけでなく各州政府でも進められている。こうした一連の改革には、手段としての情報技術の活用が不可欠であるため、必然的に情報化投資が進む。日本でも、日本版GPRA法を制定することにより、中央官庁や自治体に効率化とサービス向上を両立させた真の行政改革を促すことが期待される。
産業の国際競争力回復に関しては、電子商取引の果たす役割が極めて大きなものとなる。とりわけ企業間電子商取引は、ネットワークを使って、各企業が個別企業の壁、産業間の壁を越えて業務プロセスを共有し、それによって企業間に存在する潜在的ロスを減少させ、国民経済全体の生産性を高めることを可能にする。個々の企業が自らのコアコンピタンスを確保したうえで、共有化した方が効果的な業務フローは極力共有することによって、企業の枠を超えて有機的な業務フローを形成し、個別企業内の効率化では困難な革新的な効率化を実現するのである。従って、企業間電子商取引を促す税制優遇策、セキュリティ技術の開発などを促進する必要がある。また現在の危機的経済状況の中で停滞しているベンチャー企業に対する法人税率軽減や起業家の個人所得税率の軽減、産学連携研究開発の支援も緊急課題である。
教育に関しては、ふたつの側面から考える必要がある。ひとつは、積極的な人材育成の面であり、例えば、21世紀を担う子供たちに、「現代の読み書き・そろばん」として情報化教育を行うため、小学校から高校まで必修化し、一貫教育を行ってはどうか。また、ネットワークを活用し、意欲ある人材に対して高度教育の機会を提供するサイバー大学の設立を世界に先駆けて進めることも検討に値する。もう一つは、摩擦の最小化である。産業や行政の効率化が進めば、少なくとも短期的には雇用問題が避けられない。従って、産業間の労働移動をより摩擦の少ない方法で進めるために、情報リテラシーの向上を目指した再教育プログラムや奨学金制度の導入が不可欠である。
これらインフラ、産業、行政、教育に関連した一連の政策に要する公共部門の支出は、あくまで民間の情報化投資を促す触媒としての役割を果たせばよい。日立総研の試算では、今後3年間で8兆円程度の投資で十分である。本来であれば、はるかに小額ですむはずだが、現在のように民間の投資マインドが冷え切った状況の中で、民間部門の情報化投資を誘発し、さらに既に米国との間で大きく開いてしまった情報化投資のギャップを埋めるためにはこの程度の投資は必要となろう。しかし、政府・行政にとって重要なことはあくまで供給側の改革を中心に、最低限必要となる投資を短期間に集中的に行うことである。



