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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第12回:EUのウチとソト

 先日アムステルダムの空港でもらったペットボトルは、キャップを外し取ることができなかった。とても水が飲みにくいので、一瞬不良品かと思ったがそうではない。7月から施行されたEU指令によって、3リットル未満のペットボトルはキャップが取り外せないよう設計することを義務付けられたのである。これによって、キャップの回収率を高めて海洋プラスチック汚染を抑えるのが狙いだ。EUの人口は約4億5千万人、GDPは18兆ドルを超え米国に次ぐ規模。EUは、二回の世界大戦を経て何よりも二度と戦争を起こさないための仕組みとして設立されたが、現在は世界に対して政治的・経済的なプレゼンスを示す共同体として機能している。その戦略的自律の要は、新しい分野で世界に先駆けて規制を導入していくことにある。中でも、環境分野では「グリーンディール」としてさまざまな新ルールを提案・採用し、循環型経済の実現に向けて世界をリードしている。EUの歴史は、EUとしてのアイデンティティをいかに高めていくかという内向きの力と、世界に対していかに存在感を高めていくかという外向きの力の相克にあると言える。

 今、欧州は選挙結果に揺れている。6月の欧州議会選挙では、中道右派の欧州人民党グループが最大会派の地位を確保し、親EU派が過半数を維持したものの、EUに懐疑的な右派・極右勢力が議席を大きく伸ばした。特に、フランスでは極右政党である国民連合が圧勝したことから、マクロン大統領は国民議会を解散して7月に総選挙を実施した。第1回投票では国民連合の躍進が予想されたが、決選投票の結果左派連合が最大勢力となり、どの勢力も過半数を確保できず、ハングパーラメント(中ぶらりん議会)となる。今回のEU議会選挙の結果、最も大きく影響を受けるのは気候変動対策とウクライナ支援であろう。右派の多くは環境問題に対する優先順位が低いためにグリーンディールがスローダウンする可能性がある。ウクライナ支援に関しても、自国優先主義を掲げる勢力によって支援規模やスピードが緩むかもしれない。極右にはEUへの反発があり、EUからの遠心力が働いていると言える。

 一方、同時期に行われた英国の総選挙では、事前の予想通りに労働党が圧勝し、14年ぶりの政権交代となった。この結果は、労働党の勝利というよりも保守党の大敗と言うべきであろう。前回選挙に比べて労働党の得票率は1.6(%)ポイントの上昇にとどまったのに対し、保守党は20ポイントも失った。英国が国民投票でEU離脱を決定したのは2016年6月のことである。官僚的コントロールを強めるEUに対して反発した多くの英国民が、「主権を取り戻す」との保守党の主張に賛同したのだった。ブレグジットを実現した保守党はその際に約束した経済成長を実現できず、有権者の信頼を失ってしまった。スターマー新首相が率いる労働党はEUとの関係改善をめざす。英国とEUの間には求心力が高まっていくことになる。

 1952年の欧州石炭鉄鋼共同体設立時の6カ国、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクを原加盟国として、EUは以降拡大を続け、現在では27カ国で形成されている。EUは、域内の人・モノ・サービス・資本の自由な流通を実現し、単一通貨と加盟国に適用する法規制の整備を進めることで巨大な単一市場を形成し、世界への影響力を高めてきた。一方、域内では絶えず国家間の利害調整が課題となっている。経済政策や外交政策におけるドイツとフランスの主導権争い、ハンガリーによる対ロシア政策の逸脱、トルコなどEU加盟希望国に対する判断、移民問題への対応、2010年のユーロ危機で見られたような南北対立など、軋轢(あつれき)の種は尽きない。EUとしての存在感を高めるためにはその単一性を強化するしかなく、そうすればするほど各国の主権は譲歩をせざるを得ない。各国独自の歴史・文化・人種を優先させたい主張が強くなれば、必ず国家間のきしみは大きくなる。ただ、最新の世論調査データによると、EU内で「自分はEU市民である」と感じている人は74%に達し、最近の20年で最も高い。市民間の連帯は強い。

 1967年発行の『ヨーロッパとは何か』で、著者の増田四郎は「画一化をあくまで嫌い、それぞれの地域性や国民性を生かした上での協力体制の確立、個性を生かした百花繚乱たるユニークな文化圏の統合、ヨーロッパはその方途を真剣に探っているのであり、将来もおそらくその努力をつづけるであろう」と言う。この努力が今EUには一層必要であり、その努力が続く限りは欧州の存在感は世界にとって大きくあり続けるであろう。