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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第8回:デジタルとサイクル

1ナノメートルは10億分の1メートルである。1メートルを地球の直径とすると、1ナノメートルはビー玉の大きさに相当する。一般にはほとんど聞くことの無い長さの単位だが、電子デバイスの世界では半導体の微細加工技術の程度を表す言葉として使われる。半導体はシリコンの板にレーザーで溝を切って回路を形成するわけであるが、その回路の線幅の長さを測る物差しとしてナノメートルが使われる。

過去、半導体技術の物差しの単位は、ICの時代から長い間マイクロメートルだった。それが、2000年代中ごろ、パソコンのCPUに加工線幅90ナノメートル(0.09マイクロメートル)の設計ルールが採用されると、以降ナノメートルが使われるようになる。当時、この時期を前後して、広範な先進微細加工技術を指して、「ナノテク」という言葉がはやっていたことを思い出す。その後、技術は進化を継続し、2020年現在、開発段階にある先端半導体の最小加工線幅は5〜7ナノメートルになっている。

半導体はムーアの法則に従い、1年半から2年で回路実装の集積率を2倍にさせながら進化してきた。そして、この継続的な技術進化には、けん引役となる有望な応用分野が存在した。70年代の小型電子計算機、80年代のメインフレーム・民生用機器、そして90年代から2000年代にかけてのサーバ・パソコン、2000年代後半からのクラウド、スマートフォン・デバイスなどが該当する。半導体はムーアの法則という短期のテクノロジー・ノード(世代)サイクルに加えて、応用分野の変遷という長期のアプリケーションサイクルを経ながら革新を継続してきたと言えるだろう。

その半導体技術を巡り、米中対立が先鋭化している。米国商務省は今年の5月、米国製半導体設計ソフトウエアと製造装置の輸出規制を強化した。具体的には、米国製の半導体製造装置を使用して外国で生産した半導体に関して、Huaweiとその半導体関連会社向け輸出を禁止した。続いて8月には、これら技術、製品の迂回(うかい)輸出を禁止するため、輸出禁止先のエンティティリストにHuawei海外関連会社38社を追加すると発表した。

半導体を巡る国家間の対立は、80年代の日米半導体摩擦以来である。当時の主要製品はDRAM、家電向け民生用半導体であった。この時の摩擦は、日本の輸出自主規制とも言える日米半導体協定を1986年に締結し、日本の半導体産業が急速に市場競争力を失うことによって終焉(しゅうえん)を迎える。その後、半導体を巡る国家間摩擦は、米中間対立が顕在化するまで、数十年の間、存在しなかった。

それはなぜなのだろうか、と考えることがある。日本の半導体メーカーは自主規制によって、市場シェアを縮小した。確かに米国にとって、状況は改善した。しかし、その後、先端半導体技術は、米国だけが独占したかというとそうではない。メモリの分野で、韓国メーカーが積極的な投資を行い、先端半導体技術を確保し、市場シェアを大きく拡大していたからである。しかし、日米間のような苛烈(かれつ)な摩擦は発生したかというとそうではない。

先端半導体を巡る摩擦は、産業・市場構造の問題もあるが、その時代の応用分野で誰が覇権を握っているのか、にも関係していると思う。80年代の応用分野は、メインフレーム、テレビ、ビデオであった。これは、日米間で技術開発でしのぎを削っていた分野である。以降、米国は、パソコン・サーバ、クラウド・スマートデバイスと、二つの連続するアプリケーションサイクルの中で長い間、高い競争力を維持してきた。一人勝ちといってもいいだろう。これが、数十年の間、半導体を巡る摩擦が発生しなかった一つの理由ではないかと思う。

一方で、現在の先端半導体の有力応用分野は、AI、第5世代移動通信(5G)である。今後はAI、電子デバイス、ネットワークの処理能力が高まり、データの分散化、リアルタイム化が加速する。デジタル社会基盤の基本構造がクラウドからエッジへと転換し、次のアプリケーションサイクルを私たちが迎える中で、米国がいかに中国の技術を評価し、脅威を感じているか、ということだろう。

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