研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談
米国初の黒人大統領として華々しく登場したバラク・オバマ大統領も就任7年目を迎え、米国では次期大統領選挙の予備選挙に向けた立候補表明が相次いでいます。内政、外交においてさまざまな問題を抱える中で、米国はどこへ向かっているのでしょうか。今回は、米国政治・外交がご専門である慶應義塾大学教授の中山俊宏氏をお招きして、これまでのオバマ政権の実績を検証しながら、変容する米国社会について伺っていきます。
慶應義塾大学 総合政策学部 教授、
日本国際問題研究所 客員研究員
1967年 東京都生まれ
1993年 ワシントン・ポスト紙極東総局記者
1996年 国際連合日本政府代表部(ニューヨーク)専門調査員
1998年 日本国際問題研究所研究員
2004年 日本国際問題研究所主任研究員
2005年 ブルッキングス研究所招聘客員研究員
2006年 津田塾大学学芸学部国際関係学科准教授
2010年 青山学院大学国際政治経済学部教授
2014年 慶應義塾大学総合政策学部教授
著書に『アメリカン・イデオロギー -保守主義運動と政治的分断』(2013年、勁草書房)、
『介入するアメリカ -理念国家の世界観』(2013年、勁草書房)ほか、
編著、共著、論文(日英)多数
白井:2009年1月、米国民の大きな支持を得てバラク・オバマ大統領が誕生しました。黒人初の大統領ということもあり、華々しく行われた就任演説やパレードなど、米国民の熱狂に包まれた姿が非常に印象に残っています。まずは当時、米国民がオバマ大統領に何を期待していたのか、という点からお話を伺いたいと思います。
中山:当選した時点、少なくとも大統領選挙の当日から就任式に至るまでは、もはやオバマ大統領が黒人である点はあまり意識されていなかったような気がします。だからこそ当選できたともいえるでしょう。もちろん、米国初のアフリカ系アメリカ人の大統領が誕生したのは事実ですが、ご存じのようにオバマ大統領自身、多様なルーツを持つ人物です。米国民は、アフリカ系でありながらも人種を越えたイメージを持つ彼を大統領に選んだといえます。米国の政治はよく「保守派とリベラル派の二極分化」と形容されますが、当時、ブッシュ政権におけるイラク戦争の評価やテロ対策などをめぐって国論が二分されており、米国民はその溝を埋めてくれる人物を待望していました。個々の政策の実現を望んだのであれば、経験面からみて、恐らくヒラリー・クリントン候補が勝っていたのではないでしょうか。ブッシュ政権時代に間違った方向に進んでしまった米国政治の刷新。それこそが、当時の米国民がオバマ大統領に期待したものだと思います。
白井:最近、米国の方とお会いする際に、「今から5年後、10年後に、オバマ政権の8年間を評価するとしたら、どのように評価されるだろうか」という質問を投げかけています。まだ7年目で任期も残っていますから、評価するのは時期尚早かもしれませんが、中山さんはオバマ政権の功績についてどのようにお考えになりますか。
中山:一般的には現時点でのオバマ政権の評価は、厳しいと思います。特に外交安全保障では、ブッシュ政権時代の過剰介入をリセットし、もう一度望ましい均衡状態の回復(リバランス政策)をめざしたにもかかわらず、例えば、シリアやイラクで勢力を拡大させる過激派組織「イスラム国」(IS:Islamic State)に対しても、ロシアのウクライナ進攻に対しても、積極的に介入しなかった結果、アメリカを中心とする国際秩序が揺らぐ事態を招きました。
オバマ政権は発足以来、アジア太平洋地域を外交の中軸に据えてきました。その判断自体は正しいとしても、当のアジア太平洋地域では、オバマ政権の「本気度」について疑念が持たれています。先ほど、米国民は国を一つにまとめることをオバマ大統領に期待したといいましたが、実はオバマ政権時代に、保守とリベラルの二極分化が進展してしまったという側面もあります。クリントン政権、ブッシュ政権で広がりつつあった亀裂がオバマ政権でさらに広がり、オバマ政権下で純粋型の二極分化政治が完成してしまいました。しかし、冷静にみると、オバマ大統領は成果を挙げているという評価を下すことも可能です。例えば、ISやクリミアでのロシアの軍事行動に仮に米国が介入したとしても、実際に何ができたのかを考えれば、他の選択肢はなかったと思います。衝動に駆られて介入するのではなく、できること、できないことを峻別して賢明に行動したという評価も十分に成り立ちます。2015年6月、連邦最高裁判所は米国全州での同性婚を認める判決を下しました。大統領として初めて同性婚を支持して世論の形成を後押ししたこともあり、この最高裁判決も、将来、オバマ政権下での重要な公民権の進展として評価され、記憶されることでしょう。10年後、20年後には、「戦後の米国大統領の中で一番」とまではいかないとしても、ある程度、高い評価が得られるのではないでしょうか。
白井:いろいろ問題もありますが、オバマ政権を冷静に分析するとそれなりの実績があった、ということですね。米国に限ったことではありませんが、熱狂的に支持されていても、やはりどこかの時点で支持率は低下してしまう。結局、オバマ大統領は国民の期待に対して、何に応え、何に応えられなかったのでしょうか。
中山:当初、オバマ大統領に対するリベラル派の期待は相当大きかったと思います。レーガン政権がスタートした1980年代初頭以降は、基本的に保守派が政治的なアジェンダを打ち出し、リベラル派がそれに反応していくという構図になっていました。「リベラル派」という言葉自体が、日本語でいえば「左翼」のような響きを持つようになり、リベラル派が自分のことをリベラルだと語れないような政治環境が出来上がっていました。そのため、リベラル派は、オバマ大統領がもう一度、本来のリベラルの観点から米国の統治哲学をつくり直してくれることを期待していたのです。ところが、オバマ大統領はそういう人物ではありませんでした。オバマ大統領は基本的にバランス感覚の人です。右にも左にもぶれない。大統領自身もその中間地点から二極分化した人々の橋渡しができると考えていたのだと思います。そのため、リベ ラル派にしてみれば、オバマ大統領は自分たちが思い描いていた典型的なリベラルではなかったのです。オバマ大統領としては、選挙の際に、自分の言葉と当時の米国民の意識が非常に共鳴し、大きな力学が生まれたので、「自分は、共和党の穏健派なども取り込みながら重要な課題を一つずつ解決していくことができる」と考えていたのでしょう。しかし、実際には、共和党からは予想以上の反発を受けたのです。一言でいえば、オバマ大統領は中間地点で独りぼっちの状況になってしまったわけです。そういう意味では、オバマ大統領自身もやりたかったことができなかったのではないでしょうか。いくつか大きな政策を実行してはいますが、彼自身の最大の野望は、米国の政治文化を修復することだったと思います。それが実際には、先ほど申し上げたように、オバマ政権で保守派とリベラル派の分断がさらに深まってしまい、両派の橋渡しをするという最大の野望が頓挫してしまった、といえるのではないでしょうか。
白井:政権発足直前にリーマン・ショックが起こったため、オバマ政権が最初に取り組んだのは経済危機からの立て直しでした。2010年には、銀行に対して高リスクの業務を禁じ、消費者を保護する金融規制改革法(ドッド・フランク法)が成立しました。しかし、2015年1月には議会の多数派である共和党が、下院で規制を一部緩和させる法案を可決させています。米国の政界、経済界は当時、金融危機をどのように捉えていたのでしょうか。また今後どのように対応すべき、と考えているのでしょうか。
中山:「野放しの資本主義」が世界的な金融危機を引き起こして、人々の生活に大きな打撃を与えました。そのため、景気刺激対策や金融規制改革法案、公的資金の投入による企業救済などに積極的に取り組んできたのですが、オバマ政権は政府の役割を見直すという問題意識を十分に施策に反映できなかったということになるでしょう。一方でオバマ政権による経済運営は、それなりに評価されている、と思います。保守派が1980年代から「大きな政府」に対する不信感を積み上げてきたのに対し、オバマ政権は「スマート(賢明)な政府」を掲げ、発足当初から7,870億ドルの景気対策を行ってきました。その結果、今の米国経済は悪くはないですし、失業率も着実に低下しています。ただ、大恐慌の再来が回避できたことで、「リーマン・ショックのような大打撃をどのように受け止め、今後の方針を導き出してきたか」という点においては、先程のドッド・フランク法案を骨抜きにしようとする動きもあり、現在の共和党主導の議会がリーマン・ショックをどこまで教訓とすることができたか、私自身も疑問に感じるところはあります。
白井:格差の問題も表面化しました。有効な施策を打ち出せない政府に対する不満から起こった社会運動が、2011年9月から始まった「ウォール街占拠運動(Occupy Wall Street)」でした。職に就けない若者たちが経済格差の解消と富裕層への課税強化を訴え、「われわれは、1%の富裕層の犠牲となっている99%」というメッセージが全世界に広まりました。資本主義のひずみを象徴するような出来事でしたが、結局このような抗議運動には米国社会のどのような側面が反映されていたのでしょうか。
中山:米国はもともと、ある程度の格差を是認する社会でしたので、格差自体が重要な議題として取り上げられることは、これまで少なかったのです。それは、「今の世代の格差は問題ではあるけれども、自分の次の世代には格差を乗り越えて、向こう側に行ける」と常に語られてきたからです。この「向こう側に行ける」という希望や夢が米国経済・社会を突き動かす一つのダイナミズムになっていました。ですから「格差は動かない」となると、これ まで米国を突き動かしてきたエネルギーを自ら否定することになってしまうのです。格差自体が政治的に注目された背景には、経済的地位の流動性の限界が認識されたこと、つまり「自分たちの子どもや孫の世代が、今よりも厳しい状況に置かれるかもしれない」という不安が広まったことで、ウォール街占拠運動が起こりました。ただ、一部の活動家がインターネットを利用してこの抗議運動の影響力を実態よりも拡大させたことは事実であり、必ずしも持続的な政治的影響力を持ったということではないと思います。どこまでインパクトを持った運動であったかは、冷静に判断しなければならないでしょう。2016年大統領選挙の予備選挙に向けて立候補表明が相次いでいますが、民主党ではヒラリー・クリントン前国務長官が圧倒的な勢いを持つ一方で、民主的社会主義者を自称するバーニー・サンダース上院議員もニューハンプシャー州などで支持されています。クリントン氏は、ウォール・ストリートと近い、つまり「勝ち組」の立場にいる候補として、一部のリベラル派からの支持獲得に苦戦しています。だからといってサンダース上院議員が最後まで勝ち残るかは分かりませんが、ウォール街占拠運動を支持したような空気が、ある種の批判票としてエネルギーを持っており、何らかのダイナミズムを生み出す可能性が高まっているような気がします。実は、格差とは別の次元でより深刻といえるのは、中産階級の経済的基盤が非常に弱くなっていることです。クリントン氏の大統領選挙に向けたキャンペーンやビデオなどを見ていると、「中産階級をもっと強くしていかなければいけない」というメッセージを押し出していることがはっきり伝わってきます。今の米国では、中産階級が自信を失い、明日への希望を持てなくなっているのではないでしょうか。
白井:一方で、共和党保守派による草の根運動「ティーパーティー」も一大旋風を巻き起こしました。連邦政府の介入を批判して増税なき「小さな政府」を掲げ、リーマン・ショック直後の景気刺激策や公的資金投入による大企業の救済、オバマケアなどの施策に反対しています。このティーパーティー運動についてはどのように捉えていらっしゃいますか。
中山:明らかに反オバマ運動的な色合いがあり、一方でブッシュ政権への批判も内包していると思います。2001年に誕生したブッシュ政権は、保守主義を完成させる政権としてホワイトハウスに乗り込んだわけですが、その8年間を振り返ってみると、対 テロ戦争、対テロの監視強化と、いろいろな理由で政府が大きくなっていきました。米国の保守主義の核心にあるのは「小さな政府」です。「政府は小さければ小さいほどいい」「連邦政府よりも州政府に任せた方がいい」という発想があるので、保守派にとってはブッシュ政権に裏切られた印象が強かったのです。政府が大きくなり過ぎて、保守派の中で「ブッシュ大統領は、実は保守派ではなかった」という機運があったところにオバマ政権が誕生しました。先ほど紹介した景気対策や公的資金の投入による企業救済、オバマケアなどは、保守派にとってはレーガン政権以降、積み上げてきた保守派の伝統を一気に崩す脅威として映るわけです。ティーパーティーの動きは、共和党を本来の保守主義に戻そうという、反オバマでもありますが、反ブッシュともいえる運動として、共和党自身の改革運動として勢いを増してきました。これまでは政治的な回路に組み込まれていなかった草の根運動が、ソーシャルメディアなどを通じてエネルギーを増幅させ、過剰に右傾化していってしまったのです。右傾化の行き過ぎは、共和党に対してもダメージをもたらします。2012年の大統領選挙では、保守中道派のミット・ロムニー氏を候補として選出しましたが、本選挙では共和党自身の右傾化を軌道修正できず、オバマ大統領の再選を許してしまいました。現在、ティーパーティーは共和党の中で微妙な存在になっています。共和党は、ティーパーティーのエネルギーを吸収していく一方で、それに振り回されてはいけない、という教訓も得たように見受けられます。
白井:現在、米国は格差拡大やオバマケア、移民政策、人種差別など、さまざま課題を抱えています。これから2016年大統領選挙が本格化していきますが、何が注目され、何が争点となるのでしょうか。
中山:今回の大統領選挙は、前回とは少し構図が違うと思います。今までの共和党には筆頭候補がいて、その周りに他の候補者たちが群がり、共和党内部で徹底的に争いながらも、最終的には筆頭候補が勝ち残るというパターンでした。一方の民主党は、過去のカーター大統領もクリントン大統領も、今のオバマ大統領もそうですが、彗星のごとく現れて勝つパターンが多かったのです。ところが今回は構図が逆になり、今のところ民主党には筆頭候補のヒラリー・クリントン氏がいるのに対し、共和党は情勢が読めない状態です。ブッシュ前大統領の弟のジェブ・ブッシュ氏が勢いを見せましたが、筆頭候補と呼ぶには支持基盤が脆弱です。争点について考えると、経済はマクロで見れば、財政赤字が問題視されることもありますが、相当いい数字が出ています。オバマ政権2期目で失業率も改善しました。大統領選挙で必ず話題になる中絶問題や同姓婚の合法化などを見ても、共和党の中で宗教右派といわれる勢力の影響力が落ちていることもあり、どれもホットな論点になる気がしません。オバマケアに関しても、最高裁が合憲の判決を出したので、争うことは難しそうです。移民問題は依然としてホットな争点ですが、共和党内のポジション取り合戦の様相を呈している。このように争点が非常に見えにくい状況ですが、争点となるとすれば外交政策でしょう。少なくとも共和党側はオバマ外交の弱腰ぶりを徹底的に批判してくると思います。ただ、現在名乗りを上げている候補者の中に、外交安全保障について十分な経験を持っている人はいません。声を上げることはできても、具体的な政策を立案して論争できる人材がいないのです。外交安全保障の面では、国務長官の経験を持つクリントン氏が、はるかに知見を有しています。ただ、オバマ政権の国務長官を務めたということで、オバマ外交と切り離すことはできません。彼女がどういう立ち位置をとっていくのかはまだ分かりませんが、今のところオバマ大統領よりはタカ派的な姿勢をとっているように見えます。今回の大統領選挙は、政策の選択ではなく、「どのような人に大統領を任せたいのか」という人物中心の色合いが強くなるのではないでしょうか。
白井:そのような選択だとすると、黒人大統領の次は、初の女性大統領が選ばれるかもしれませんね。
中山:クリントン氏は、2008年の大統領選挙では女性であることをあまり前面に出さず、最高司令官として十分な能力があること、上院議員として軍事委員会の委員を務めたというような経験面をアピールしていました。それが今回の選挙戦では、はっきりと初の女性大統領ということを全面的に打ち出しています。スピーチの中でも「私はこの選挙で一番若い候補者ではないけれども、間違いなく米国史上で最年少の女性大統領になります」といっています。女性の権利もリベラル派にとっては最も重要な争点ですから、クリントン陣営としては何としてもこの部分をてこにして、選挙戦に勝利したいのでしょう。
白井:大統領選の争点になり得る外交政策についてですが、対テロ戦争に介入したブッシュ政権の後、オバマ政権はイラクなどから兵力を撤退させました。「兵力撤退で米国のプレゼンスを低下させたため、世界秩序を動揺させ、新たな混乱を招いた」との批判もありますが、米国が世界の秩序を全て担うことも困難です。今後、米国はどのような外交政策を展開していくと考えられるでしょうか。
中山:オバマ政権が「リバランス」「ピボット」という言葉を使って打ち出したアジア・太平洋地域重視の政策は継続される、と思います。2001年の9.11同時多発テロ以降、ブッシュ政権時代には、外交政策を米国の可能性を拡大させる分野ではなく、米国にとっての脅威を除去すべき領域として捉えていました。冷戦が終わり、熊はいなくなったけれども、毒蛇が足元にうごめいているので、脅威となる毒蛇を除去することに注力してきたわけです。一方、オバマ政権は、経済的活力を吸収するためにも、アジア・太平洋地域を重視してきました。今後の米国の可能性を広げるために最適な場所である、といえるでしょう。もちろん、経済成長している欧州や中東、アフリカ地域も将来は重要になってきますが、今は米国を、世界経済をリードしているアジアの一員として位置付けていく。この方針は、民主党、共和党のどちらが政権を獲得しても変わらないと思います。何といってもアジアは、米国の覇権に対して唯一潜在的に挑戦する中国がいる地域でもあるので、きちんと抑えておきたい。米国は機能的にも実質的にもアジア・太平洋の一部ですから、この外交政策を継続させることが一つの軸としてあると思います。他方、中東の秩序が崩壊していく中で、暴力的な過激主義の存在に対しては、どのような政権になってもきちんと目を配っていくはずです。ただ、共和党政権が誕生したからといって、直ちに軍隊を派遣して介入するのは現実的に難しいでしょう。例えば空爆の度合いを強めるとか、介入に対するニュアンスの違いはあるかもしれませんが、これまでのオバマ外交を根本的にリセットすることはないと考えます。今の時代、テロやサイバー攻撃、あるいはパンデミック、宇宙でさえも、米国が介入することで制御・解決できるスペースが、かつてと比べて減少しています。ただし、それは米国の衰退ということではなく、国際政治の問題の質が変わってきた、ということです。仮に共和党が政権をとり、威勢のいいことをいったとしても、国際政治での米国の行動パターンは、これらの現実に合わせて定まってくるのです。日本も、米国のリーダーシップに対して持つイメージを変えていかねばなりません。米国と協力してどういうことができるのか、日本側から逆に提案していく必要があるのではないでしょうか。
白井:お話に出た中国についてですが、2015年3月に中国政府が「一帯一路」構想を発表しました。これは、中国を起点に中央アジアを経由して欧州に至る「陸のシルクロード(一帯)」と、中国沿岸部から東南アジア、インド洋を経て欧州につながる「海のシルクロード(一路)」の双方から大規模なインフラ整備を推進しようとするものです。外交的、経済的に見て、大変よく練られた戦略だと思います。また、海への出口を求める中国は、空母もつくるなど、海洋進出に向けた支出は膨大です。2030年には経済規模で米国を追い抜いて、世界第1位になるという予想もあります。いずれ中国が世界最大の経済大国となり、海洋権益拡大にも積極性を増す中で、米国はどのような経済・外交戦略をとっていくと考えられますか。
中山:米国にとって中国は、最大の挑戦者であると同時に、最大の可能性でもあり、その点は冷戦時代と決定的に異なります。ご存じの通り、米国と旧ソ連とは経済的な関係がほとんどなく、安全保障上の対立関係だけでした。しかし中国とはそういうわけにはいきません。特に、経済面においては双方にとって不可欠な存在になっています。その一方で、戦後の米国がアジア・太平洋地域につくり上げてきた国際秩序、その中で日本も成長してきたわけですが、「自由で開かれた空間、法に基づいた国際秩序を共に維持し、発展させていくパートナー」として中国を見ることができるか、という点については、米国も日本も疑念を持っています。私は中国の影響力が及ぶ範囲が拡大することは問題だとは思いません。そのやり方が問題なのです。米国の基本姿勢は、これまで自国の成長を実現させてきた国際秩序を今後も維持していくことです。政権によってニュアンスが異なることはあるでしょう。日本にとっては、米国の中国への向き合い方が非常に重要になってくると思います。米国にとって友好国であり同盟国である日本との関係を整えたうえで中国との関係深化を図るのか、それともまず中国との関係深化を図り、日米同盟関係をその次に扱うのか。日本は、米国の中国に対する距離感を正確に見極めると同時に、米国の外交政策に過剰な反応をせず冷静に判断し、うまく立ち回る方法を見いだしていく必要があります。米国にとって日本は不可欠な国であることを、絶えず訴えかけていく努力も必要ではないでしょうか。
白井:最後に中山さんご自身について、いくつかお聞きしたいと思います。中山さんはワシントン・ポスト紙極東総局の記者や、国際連合日本政府代表部の専門調査員などを歴任された後、現在は慶應義塾大学および日本国際問題研究所で活躍されています。国際政治、特に米国政治に関心を持たれた経緯をお聞かせください。
中山:私が学部生のとき、冷戦に代表される戦後社会の構造がきしみ始めており、学んだことが目の前で崩壊していきました。国際政治、国際社会はこれほど一気に変わるものかと、ある種、爽快な気持ちでした。国際政治が人間のつくり上げたものであることを実感し、「人間がつくったものなのだから理解することは可能なはず」と思うようになり、国際政治学の道を選択しました。その中で米国を選んだのは、純粋に学問的な関心というよりは、米国には肌感覚で分かる部分があったからです。70年代に父親がニューヨークに駐在しており、私もニューヨークにある国際連合日本政府代表部での勤務などで、米国で長期間生活していました。高校生のときに交換留学のために1年間、米国で生活した経験も大きかったと思います。80年代のレーガン政権時代に、ホームステイした先は典型的な米国人家庭でした。民主党員でありながら気質的には保守的であり、毎週、ハンティングに連れて行ってもらい、教会にも通うような生活をしていました。そのため、日本では語られることの少ない、生活者としての米国人の姿を見てきました。米国で保守主義が勢いを増していたころ、日本では「米国の保守派」といえばキリスト教原理主義者のことを指しており、一方で、例えば全米ライフル協会は、ともすると米国の反知性主義の代表格のように語られていました。確かにそういう見方もあるとは思いますが、実際は普通に生活している保守派の人たちがいる。そういうところも踏まえたうえで、米国の政治や外交、さらに日米関係を語ることが、自分には一番うまくできる領域だと思いました。
白井:国際政治は大変複雑で、先行きの予測も一筋縄ではいきません。国際政治における変化の核心や本質を捉えるうえで心掛けていることは何でしょうか。
中山:私自身、核心に迫ることができているのか不安に思いながら、物を書いたり発言したりしています。情報が多くて処理し切れないような時代の中で、日々の出来事をフォローして予測していくとき、当たっても外れても気にしないことにしています。情報に翻弄されることなく歴史的な観点で大きな動きを捉え、長期的なトレンドを見いだしていくことが私の基本姿勢です。米国は、ある種の理念国家です。イデオロギー国家と呼んでもいいかもしれません。国そのものが思想体であり、多民族、人種が国を共有する国家ゆえに、人々の希望や考え方など、将来に投射された抽象的な理念の下に国がけん引されていくようなイメージがあります。日本ならばそういう意識を持たなくとも、国として、共同体として成立するでしょう。米国では、進むべき方向性のような思想や理念がいつもどこか
で語られています。非常に抽象的な作業ですが、常にそういった言説に反応し、そして吸収しながら、米国は今どこに向かっているのかを感覚的に把握していく感じですね。
白井:プライベートな時間に楽しまれている趣味や、日々の諸活動の中で実践されているリフレッシュ方法があればお聞かせください。
中山:もともと小説や映画が大好きで、今も時間があるときに楽しんでいます。高校生、大学生のときには、一晩で映画を4本も見たこともあるくらいでした。今の政治学は計量化・数値化が進んでいますが、私が政治現象を捉えるときは、小説や映画で蓄積した人間観のようなものが根本にあり、何らかの形で作用していると考えています。それが私の米国理解の特色になっているのかもしれません。
白井:政治学も選挙予測も、人間理解が基礎にあるのですね。
中山:実は私の選挙予測には、科学的な根拠がほとんどありません。いろいろな人たちの言葉や文章から今の米国社会の空気をつかんでいくので、明確な方法論があるわけではなく、好きな小説や映画から人間理解の術を身に付けるようになったとしか、説明できないのです。私の師匠にあたる先生も、厳密な意味での方法論を持たないタイプの人でした。ゼミで最初に先生が言及された文章が、坂口安吾の『堕落論』でした。私はそのエッセーが好きで、以前から読んでいましたので、得意になって感想文を出したのですが、先生とは読み方が違っていたために全く評価されませんでした。なんというか非常に感覚的に本質に迫るような思考の人で、どうしたら近づけるか悩み続けた大学院時代でした。
白井:『堕落論』が政治学に通じるとは、すごい世界ですね。中山さんは米国の政治外交や政治思想の第一人者であり、大学で教鞭も執っておられるなど、多方面で活躍されていらっしゃいますが、今後実現したい夢やめざしていることは何でしょうか。
中山:若いころに書いた米国共産党研究についての博士論文に加筆し、書籍化したいと考えています。なぜ米国には共産党がないのか。これは米国社会の本質を理解するためにも、非常に重要な問い掛けだと思っています。「米国に共産党がない」という主張自体が実は自明ではなく、米国的な理念の中に、他の国なら「共産主義的」と呼ぶべきものが吸収されてしまっている側面もあるのです。今は大統領選挙や外交安全保障、あるいは日米関係に関する日々の事象を追い駆けることが中心となっていますが、最終的に研究者として、もう一度、米国社会の本質に立ち返り、きちんとした形にまとめたい、と思っています。「米国大統領選挙の予測の専門家」としてではなく、「米国の共産党研究者」として記憶されたいですね。
白井:米国における共産党についての研究が、米国社会の本質に迫るための一つの道筋であるということですね。本日はお忙しい中、ありがとうございました。
中山さんは、米国政治の分野において気鋭の研究者です。高校時代のホームステイをはじめ、研究者としても長年にわたって米国に滞在されており、生活者の視点に基づく政治思想の分析には、説得力が感じられました。学問の精緻化が進展した結果、政治学の分野でも理論や数値が独り歩きする場面がありますが、中山さんは、もともと文学部への進学を考えられておられたこともあり、「人間とは何か、人間がつくり出す政治とは何か」という原点に立ち戻った政治学の構築を心掛けられてきたそうです。今後のご活躍に期待したいと思います。