研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談
気候変動やパンデミックなど現代社会を取り巻く状況が複雑化する中、持続可能な社会の実現に向けた世界的な取り組みが続いています。2022年7月、日立製作所とインペリアル・カレッジ・ロンドン(以下、インペリアル大)は、脱炭素・自然気候ソリューションを開発する共同研究センターの設立を発表しました。今回は、インペリアル大の学長であり医療・生物医学のエキスパートでもあるヒュー・ブレイディ教授に、地球規模の社会課題の解決およびウェルビーイングの向上に向けた、マルチステークホルダによるエコシステムの形成や人材育成についてお話を伺いました。(聞き手は、日立総合計画研究所取締役会長の鈴木教洋が担当)
インペリアル・カレッジ・ロンドン学長
ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン(UCD)卒業。一般内科学と腎臓学を学び、腎臓生理学の研究で博士号(PhD)、分子医学の研究で医学博士号(MD)を取得。医師兼科学者としてハーバード大学医学部、トロント大学、UCDで勤務。腎炎症と糖尿病関連腎臓病の病因に関する国際的権威。
2015年から2022年までブリストル大学副総長兼学長、2004年から2013年までUCD学長。2022年8月より現職。
Council of the Royal College of Art and the League of European Research Universities(ロイヤル・カレッジ・オブ・アートおよびヨーロッパ研究大学連盟)の評議会メンバー、Ireland’s Public Health Reform Expert Advisory Group(アイルランド公衆衛生改革専門家顧問グループ)の議長のほか、Ireland’s Higher Education Authority(アイルランド高等教育機関)のメンバー、Kerry Group plcおよびICON plcの社外取締役を歴任。
クイーンズ大学ベルファストから名誉科学博士号、Royal College of Anaesthetists(アイルランド王立麻酔医院)から名誉フェローシップ、メルボルン大学からロバート・メンジーズ・メダルを授与されている。
鈴木:本日は、ウェルビーイングおよび持続可能な社会を実現するために取り組むべきグローバルな課題やイノベーションについてお話を伺います。 日本では、サイバーシステムとフィジカルシステムを融合することで経済的豊かさと社会的課題の解決を両立する、人間中心の社会の実現をめざすというコンセプトである「Society 5.0」を政府と企業が一体となって推進しています。日立も、社会イノベーション事業や環境長期目標「日立環境イノベーション2050」を通して、データやテクノロジーで持続可能な社会への貢献をめざしています*1。そしてインペリアル大もまた、「Science for Humanity」というコンセプトを掲げており、「Society 5.0」や日立の「社会イノベーション事業」と共通項があると考えています。 はじめに、人類が直面している大きな課題の一つである気候変動、そして持続可能な社会への転換についてお伺いします。インペリアル大はこれらの分野の研究強化と人材育成を目的とする「Sustainable Imperial」戦略*2を打ち出していますが、持続可能な社会の実現に向けてグローバルな課題に対処していく上で、インペリアル大の役割や将来像についてどのようにお考えでしょうか。
ブレイディ:日本と英国の大学、主要産業、政府が共にサステナビリティの課題に重点を置いているのは素晴らしいことです。そこに共通しているのは、パートナシップへの取り組みとオープンな姿勢です。先ほど、私たちの新戦略である「Science for Humanity(以下、新戦略)」に触れていただきましたが、サステナビリティと持続可能な社会を核とするこの戦略の目的は、気候科学の知識を持つ卒業生、ひいては未来のリーダーをインペリアル大の教育プログラムを通して育むことです。医学、工学、ビジネス、自然科学といったさまざまな学部において、すべての卒業生が気候科学の教養を身に付け、社会や企業の中で気候変動対策の提唱者となることを目標に掲げており、学士課程と修士課程の双方で、気候変動や生物多様性の現状を好転させるための知識と技術を学ぶカリキュラムを提供しています。さらに、Imperial Institute for Extended Learning(インペリアル生涯学習機関)を新たに設立し、主に企業の経営者を含むマネジメント層を対象として、気候科学とクリーンテックを学ぶ短期コースを提供しています。これらのコースはいずれも人類の存続に関わる現代の脅威への対処に主眼を置くものであり、個人のキャリア形成はもちろん、受講者が所属する企業・組織の将来を考える上でも有用です。 新戦略においては、気候変動に対処するための研究・企業活動を重視しています。例えば、2025年にかけて新設される4つの School of Convergence Science(コンバージェンス・サイエンス・スクール)の一つでは、気候、エネルギー、持続可能性、レジリエンスに焦点を当て、多くの研究者がさまざまな側面から気候科学の研究に取り組みます。さらに、Royal Institution(王立研究所)と共同で設立した気候変動イノベーションセンター「Undaunted*3」を通して、クリーンテックの支援・促進をめざしています。新戦略に基づく一連の取り組みにおいては、キャンパスにおける日々の活動や運営、つまり大学で提供する飲食物から出張や投資のポリシー、建設や敷地の管理方法に至るまでのあらゆる面で、いかにサステナビリティを取り入れるかを考慮しています。
鈴木:インペリアル大の新戦略について、よく分かりました。他方で、サステナビリティの実現に向けては、脱炭素化、循環経済、生物多様性といった分野における複雑な課題を解決するイノベーションの促進が不可欠です。アカデミアや民間企業との連携についてはどのようにお考えでしょうか?
ブレイディ:気候変動の脅威、サステナビリティの課題、生物多様性の喪失の問題に対処するためには、かつてないほど迅速な行動と、従来のやり方とは異なる革新的なアプローチが求められます。これには、共同研究などで多様なパートナとの連携が非常に重要です。連携により大きなスケールで研究・開発が進められるのはもちろんのこと、大学のアカデミックな視点、民間企業の商業的な視点など相補的かつ異なるレンズを通して問題に向き合うことができます。インペリアル大と日立の連携は、私たちが気候変動の緩和に向け、優れた技術を保有する世界の企業とどのように連携・協力するべきかを示す好例です。私たちは日立との連携をきっかけに、東京大学や日本および英国の政府機関との連携も深めています。
鈴木:脱炭素に向けて、アカデミアと企業が異なる知見を持ち寄ることは非常に重要ですね。ただし、現状を鑑みると、温室効果ガス排出量の削減による1.5°C目標*4の達成はますます困難になることが見込まれます。脱炭素化の取り組みの継続については世界的に合意に達している一方、欧州諸国と、中東各国やインドといった国々の間では、その道筋や対策に関する意見の相違もあり、脱炭素化と経済成長のバランスをとりながら1.5°C目標を達成することが焦点となっています。持続可能なエネルギー転換を実現するためには、水素技術、二酸化炭素の回収・有効利用・貯留(CCUS)、小型モジュール炉(SMR)といった飛躍的な技術革新を含め、複数アプローチの検討と産学官の連携がより重要になると思いますが、この点に関してはいかがでしょうか?
ブレイディ:それこそがまさに、私たちのような大学組織が貢献できる部分です。といいますのも、大学は学術界や政府・規制当局、産業界、そして国の垣根を越えた多様な当事者をつなぎ、複雑な問題について話し合うための安全な場を提供できるからです。また、教職員の多くが政策の策定や提唱、市民参画において重要な役割を果たしています。例えば、インペリアル大のジム・スキー名誉教授は、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の議長に就任しています。このように大学がフェアな立場で、キャンパス内だけでなく関連組織をまとめ上げる役割を果たしているのです。社会課題やその対策は、白か黒かで論じられることが多いのですが、大部分は微妙で複雑な灰色であることが実情です。従って、異なる組織をまとめ上げる大学の役割は今後ますます重要になると予想しています。
鈴木:おっしゃるとおり、学術界と産業界の連携の重要性がさらに高まっていく中で、インペリアル大と日立、東京大学のような連携体制が、ネットゼロの実現に欠かせない大きな役割を果たすことを期待しています。
鈴木:人工知能(AI)、データ分析、ロボット工学といったテクノロジーによって生体医科学が飛躍的な進歩を遂げ、さまざまなイノベーションが実現し、人々のQoLが向上するなど、医療業界は大きな影響を受けました。その代表例が、2023年10月に横浜で開催された生体医科学の展示会で先生も言及されたメッセンジャーRNA(mRNA)と遺伝子治療です。生体医科学のエキスパートとして、医療分野で現在注目しているテクノロジーや、それらが業界に及ぼす影響についてご意見をお聞かせください。
ブレイディ:まず、テクノロジーによって、医学のあらゆる側面がこれほどの短期間で一変したことには驚くばかりです。例えばヒトゲノム計画*5では、ゲノム解読の進展と大幅なコスト低減により、病気のなりやすさやその原因を解明する突破口が開き、多大な恩恵がもたらされました。このように、ゲノミクス(gene + omics)などのさまざまな「オミックス(omics)」の進歩は医療の発展に貢献しています。そして、AIによって診断のスピードと精度は急速に向上し、病理学、組織学、放射線学などの分野で変革が起きています。また、創薬においてもAIは非常に重要で、mRNA技術は新型コロナワクチンをはじめとする新しい治療薬を生み出しました。
英国では、UK Dementia Research Institute(UK DRI)*6での認知症研究が進んでおり、疾患の解明・診断・治療に対する学際的なアプローチの重要性を示す好例となっています。インペリアル大は英国の大学で唯一、UK DRIを構成する二つの取り組みを進めています。一つは主に生命科学をベースとして疾患の病因・診断・治療に重点を置くものであり、もう一つは先進的なデータや計算科学・工学的アプローチを活用して病気と共存しながら、自立した生活の実現をめざすものです。両者の重点は異なりますが、どちらの取り組みでも医師、科学者、エンジニアが緊密に連携を取り、科学用語や研究手法を学び合っています。
先ほどロボット工学についても言及していただきましたが、インペリアル大は手術ロボットの開発を含む先進的なメドテックの中心地でもあります。手術ロボットによって外科的介入の有効性が高まり、罹患(りかん)率や死亡率が低下したことは驚くべき成果です。このようなテクノロジーによって、患者が恩恵を受けられるだけでなく、インペリアル大の外科医が世界中の遠隔手術に関わることも可能になります。
また、気候科学と医療という二大テーマは密接に関連しています。気候変動に伴い酷暑や酷寒、予測不能な異常気象が発生することで、世界各国で見られる疾病パターンに変化が生じるなど、人々の健康に直接的な影響を及ぼしています。気候変動の影響として、病原体が直接的に、あるいは媒介物やキャリアを介して間接的に国境を越えて広がり、生き延びやすくなっていることも懸念されます。この点において、学際的なアプローチ、コンバージェンス・サイエンス*7、セクター間での連携の重要性は高まっており、気候変動に伴う健康リスクを把握し、対策を打ち出すには、気候科学や行動科学、生命科学、健康科学など、さまざまな分野の研究者がかつてない規模で連携しなければなりません。そこでは研究分野の垣根を越えた協力だけでなく、互いの分野の言葉や調査モデルを学び、共同で新たなモデルを開発することが求められます。こうした姿勢が、インペリアル大の新戦略の柱であるコンバージェンス・サイエンスの核心です。大学が産業界、政府・規制当局、市民、患者団体と連携して取り組むことで、グローバルな課題に効果的に対処できるほか、糖尿病や認知症などの慢性疾患についても社会の期待に応えていけるでしょう。
鈴木:日立はお客さまとの協創を通して、医療分野のオペレーション・テクノロジーとソリューションを開発しています。このソリューションは、生化学免疫自動分析装置、陽子線治療、iPS細胞用の自動細胞培養装置など、診断、治療、再生医療に関する先進的な製品を土台にしています。次のステップは、ITを活用してバリューチェーン全体を網羅するトータルシームレスソリューション(プロダクト、OT、ITおよびデジタル技術を活用し、現場と経営、サプライチェーン、異業種の間で発生する「際(きわ)」の課題を解決するソリューション)を開発し、患者さまのQoL向上と医療費削減を実現することです。そのためには、イノベーション・エコシステムの形成が欠かせません。インペリアル大は、「Imperial West Tech Corridor(インペリアル・ウェストテック・コリドー)」*8のような、大学を中心とするエコシステムの確立と拡大に取り組んでいますが、こうした取り組みは従来の産学官の連携とどのように異なるのでしょうか?
ブレイディ:以前は、大学や産業界はもちろん、地方自治体も含め、各研究機関の活動は縦割りの傾向がありましたが、次第にダイナミックで開かれたパートナシップモデルが進展してきました。そうしたパートナシップにおいて重要になるのが、組織が顧客や患者、住民の信頼を獲得する必要があるという点です。2012年に新設されたインペリアル大のWhite City Deep Tech Campus(以下、ホワイトシティ・キャンパス)は、学際的なコンバージェンス・サイエンスの青写真であるとともに、信頼の構築と研究プロジェクトの協創に向けて住民や地域社会と組織の関わりを深めるためのモデルでもあります。地域社会との共同研究においては、特に環境変化・汚染、市民の健康という相互に関連し合う分野で成果を挙げました。
インペリアル大は卒業生のネットワークや、ホワイトシティ・キャンパスの研究活動を通して、スタートアップの起業と成長を支援しながら、産業界に対して研究・イノベーションのパートナとなるべく、新たなイノベーション・エコシステムの形成に力を入れてきました。この点においても、自治体や地域社会の支援が大きな成功要因となりました。
このホワイトシティ・キャンパスの成功をきっかけに進められたのが、ロンドン西部において、インペリアル大が持つイノベーションのアセットをつなぐ「Imperial West Tech Corridor」の構想です。その中で、私たちは複数のステークホルダと連携することで、各ステークホルダが個別に取り組む以上の成果をもたらす、新しいイノベーション・エコシステム形成の方策を探ってきました。私たちの目標は、世界各地の素晴らしいイノベーション・エコシステムと共に高め合いながら、最終的にはそれらのエコシステムとパートナになることです。シリコンバレーのような既存の優れたエコシステムに学びながらも、ここロンドンで単にそれを模倣するのではなく、そこから学んだことを独自のアイデアと組み合わせることで、インペリアル大ならではの新たなエコシステムの創造をめざしています。これに対し、住民や地域社会、自治体、そして産業界からは非常に好意的な反応を頂いています。私たちは包括的な経済成長、雇用創出、富の創造に向けた原動力を生み出したいという共通の志でつながっているのです。
鈴木:おっしゃるとおり、地域社会と共にエコシステムを作り上げていくことが重要ですね。ところで、私はデジタル信号処理を専門としており、デジタル技術が医療に及ぼす影響に興味があります。インペリアル大は2021年3月、AIとデータサイエンスを利用して社会課題の解決をめざす「I-Xイニシアチブ」*9を立ち上げました。2023年はChatGPTをはじめとする生成AI技術の急速な進化が見られましたが、こうしたAIやデータは医療の課題解決にどのように役立つとお考えでしょうか?
ブレイディ:医療に限らず、AIはさまざまな分野の課題解決において中心的な役割を果たすでしょう。AI研究はインペリアル大の大きな強みであり、その可能性を最大限に引き出すべく立ち上げられたのが、AIに重点を置くイニシアチブ「I-X」です。このイニシアチブは、若手研究者に一定のポストを提供するとともに、バーチャルな連携を通して研究者のコミュニティをまとめ上げ、医療など優先分野に集中的に取り組むものです。「I-X」の成功を受け、私たちは現在、人間とAIに特化した新しいコンバージェンス・サイエンス・スクールで、さらなる研究規模の拡大を図ろうとしています。同スクールの設立には、多くのメリットがあります。インペリアル大の知見を広く周知する場にもなりますし、学術界や産業界、政府・規制当局、投資家といったステークホルダを集め、AIをはじめとした研究分野の課題や機会について議論することもできます。さまざまな分野の研究者が連携して有意義な研究やイノベーションに取り組むだけでなく、産業界やその他の有識者とも協力できます。これにより、博士課程の学生たちは学際的な経験を積むことができ、また学術界、産業界、政府は、分野横断的なコミュニティを通して、今後必要とするスキルやリーダーシップを持つ人材を見つけやすくなります。
鈴木:次の質問に移る前に、日立総合計画研究所(日立総研)について紹介させてください。日立総研は、今から約50年前の1973年に、当時の日立製作所会長であった駒井健一郎によって設立されました。当時は、オイルショックや経済恐慌によって「地球が有限であるもの」という認識が生まれた頃で、先行きが見えない混乱の時代でした。そうした背景の下、日立総研は日立グループのシンクタンクとして、経済、社会、環境、産業など、社会科学や関連分野の研究に乗り出しました。日立総研の使命の一つに「日立グループの人的結束を固め、横断的トータルシステムとして物事を考える人材の育成」があります。そこで伺いたいのですが、気候変動や地政学的状況の複雑化といったグローバルな課題に効果的に対処するため、経営者や中間管理職、研究リーダーにはどのような考え方や資質が必要とお考えでしょうか?
ブレイディ:まず、1973年当時の日立のリーダーが、そうした今日にも通じるビジョンを持っていたことは称賛すべきです。インペリアル大は、STEM(科学、テクノロジー、工学、数学)およびビジネスにおける未来のリーダーの育成を重視しており、卒業生には、医学、自然科学、工学、ビジネスなど、それぞれの専門分野のエキスパートになることを求めてきました。しかし現在は、個々の学問分野の知識だけではなく、学際的な知見、さらには異なるセクター間でのコミュニケーション能力と対人スキルを身に付け、専門領域を超えて協力することが求められます。インペリアル大の卒業生は、誰もが国境を越えた連携に取り組めるグローバル市民でなければなりません。今の社会が直面している課題の多くはグローバルで進行しており、国際的な協力なしには解決できないからです。1973年に日立総研が掲げた企業理念は、さまざまな社会課題に対してシステム・アプローチを採ることの重要性を示していました。例えば、サステナビリティを考える際に炭素だけを問題視することで、地球環境に影響を与える炭素以外の物質や生物多様性の喪失を見落としてしまうように、狭い視野で問題の一つの側面だけを注視していると、地球の危機につながる重要な要因に気づけない恐れがあります。そういった面でも、コンバージェンス・サイエンスを中核として、セクターや国境を越えた連携によるシステム・アプローチの重要性が認識されつつあります。
繰り返しになりますが、この新しいパラダイムには住民を含む多様なステークホルダの関与が不可欠です。パンデミックや気候変動をめぐる議論を経て、社会課題の解決には人々からの信頼が極めて重要であることが浮き彫りとなりました。この信頼なくして、私たちは現代の課題に対処するためのリーダーシップを発揮することはできません。インペリアル大の学生たちに対しても、STEMやビジネス分野のリーダーとしてだけでなく、一般市民としても十分な役割を果たせるよう、世界を俯瞰(ふかん)的に捉える広い視野を持つことが大切であると伝えています。
鈴木:日本では多くの大学が、STEM教育あるいはリベラルアーツや芸術を含めたSTEAM教育の重要性を認識しています。2024年3月のPresident‘s Address 2024*10の中で、先生はSTEM + ビジネス(STEMB)というコンセプトを強調されていましたが、STEMBとその重要性を説かれる背景にはどのようなお考えがあるのでしょうか?
ブレイディ:インペリアル大は、自然科学、工学、医学、ビジネスという4学科を有するSTEMB教育機関であり、今後はさらに、STEMBを重点とする4校のコンバージェンス・サイエンス・スクールを展開していきます。世界の多くのビジネススクールがSTEMとの連携をうたいながら、実際には大学内の独立事業として運営されていますが、インペリアル大のビジネススクールにはSTEMの考え方が完全に組み込まれており、科学的ソリューションのインパクトを最大化するためのビジネスユースケースの創出が求められます。そのため、教職員もまた、STEM分野の教員・研究者と連携することで、成果を挙げることができます。この独自性こそが、インペリアル大にさまざまな学生や指導者を引きつけ、国内外の多くの共同研究や、政策に関する取り組みを支えているのです。今後もSTEMとビジネスの連携を通して、この独自性を高めていきたいと考えています。
鈴木:テクノロジーを社会実装する際には、ビジネスだけでなく、倫理や哲学の視点も必要になりますね。持続可能で健康的な世界の実現をめざす個人や組織にとって、倫理的な行動とビジネス慣行は非常に重要です。AIやバイオテクノロジーなどの取り組みをけん引するリーダーや研究者は、こうした技術の導入にはマイナス面や倫理的な問題が伴う可能性があることを考えなければなりません。社会や環境を取り巻く課題に効果的に対処する際、次世代のリーダーにとって必要となる倫理観や哲学はどのようなものでしょうか?
ブレイディ:インペリアル大をはじめ、STEMBに重点を置く世界的な教育機関は、学生たちに対し、単に必要な知識やスキルを身に付けるだけでなく、テクノロジーに付随する幅広い影響を理解し、倫理的な判断を下せるように導かなければなりません。同時に基礎研究や応用研究、商業的な開発においても、新しいテクノロジーのプラス面と潜在的なマイナス面を早い段階で精査し、倫理面や規制面についても、テクノロジーが市場に出てからではなく、導入前に検討し、対処するべきです。そのためには、倫理や法律、社会科学の専門家、政府・規制当局とも協力する必要があります。例えば、現在、Center for the 4th Industrial Revolution(第4次産業革命センター)を運営する世界経済フォーラム(WEF)と、AI主導のイノベーションに取り組む組織をインペリアル大に設立するための議論を進めているところです。インペリアル大として、WEFと基本合意書(MOU)を締結するとともに、英国政府の支援も受けながら、責任あるAIの導入に向けた倫理的枠組みの策定およびイノベーションの加速に取り組んでいます。
鈴木:革新的なテクノロジーを安全に社会実装するためには、マイナス面の可能性について検討することが必要で、そのためにも多様なステークホルダとのパートナシップがますます重要になっていきますね。
鈴木:ここで読者の方々に向けて英国での日立の活動を一部紹介いたします。例えば、日立は鉄道セクターで積極的に事業を展開しており、多くの日立製車両がイースト・コースト本線などの路線で運行しています。また、英国最長の高圧直流送電(HVDC)プロジェクトにおいては、推奨提供元として日立エナジーが選定されました。
ウェルビーイングや持続可能な社会の実現に向けて、日立に期待することや日立が果たすべき役割についてお聞かせいただけますでしょうか?
ブレイディ:まず日立の研究者の方々は、日立が画期的な研究の歴史を持つ、世界有数のテクノロジー企業であることに誇りを持っていただきたいです。現代においては、安全・健康的かつスマートで豊かな社会、そしてサステナビリティの実現に向け、志を同じくする人々が研究分野やセクター、さらには国境をも越えて、これまでにない協力関係を築くことが求められています。こうした中で、インペリアル大と日立の共同研究センターも非常に大きな可能性を秘めています。私たちの志、そして技術的な専門知識が結び付くことで、将来の成功を手繰り寄せることができるでしょう。
日立が自社の開発する技術とその応用についてだけでなく、顧客やパートナ、政府機関といったステークホルダとの協力と信頼関係の醸成についても深く考え、社会的な義務を考慮していることに非常に感銘を受けました。世界有数のテクノロジー企業として、日立は人類と地球が直面する大きな課題に取り組む上で重要な役割を果たすことができるでしょう。インペリアル大を代表して申し上げますが、私たちは日立との連携を非常に重視しています。今後さらにパートナシップを拡大し、よりスマートで安全、かつ豊かで持続可能な世界をめざして共に歩んでいけることを、心から願っています。
鈴木:温かいお言葉をありがとうございます。日立の一員であることに誇りを持ち、ウェルビーイングと持続可能な未来の実現に向けた課題に積極的に取り組んでいこうという思いを強くしました。本日は素晴らしい機会を頂き、ありがとうございました。
複雑に絡み合うグローバルな課題に人類が直面している今、マルチステークホルダによる連携の重要性が高まっています。この連携には、産業界、政府機関、学術界だけでなく、地域社会や住民の存在も欠かせません。さらに、ブレイディ教授が強調されたとおり、学際的研究のリテラシーを持つエキスパートを確保すること、そしてその総合的な知識とスキルを生かして、今必要とされているインパクトと効率性、規模、スピードを最大限に引き出すエコシステムを作ることが重要です。インペリアル大と日立の共同研究センターが共有する目的の一つは、気候変動対策への取り組みを進める能力のある次世代の科学者、エンジニア、ビジネスリーダーの育成にあります。日立総研は今後、パートナと共に開かれた研究に取り組むことで、持続可能な世界の実現をめざす協創活動を推進してまいります。
株式会社日立総合計画研究所 取締役会長 鈴木教洋