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株式会社日立総合計画研究所

研究レポート

日立総研の研究員によるレポート

インドにおける長期的な脱炭素化見通し―エネルギー安保重視、ネットゼロ目標達成は困難―

グローバル情報調査室
主任研究員
山口英果

1.排出大国インドの環境・エネルギー目標

 世界の平均気温は昨年(2023年)観測史上の最高を記録し、産業革命前(1850〜1900年)平均気温からの上昇幅は1.45〜1.48℃と、パリ協定の約束である「1.5℃」が破られる日は目前に迫っている。
 温暖化の主因となる温室効果ガス(GHG)排出を地域別に見ると、パンデミックの影響を受けた急減とその反動増をならしたトレンドは、先進国の削減幅を、中国・インドの増加幅が相殺する構図となっている(図1)。インドは世界第3位のGHG排出国であるだけでなく、世界のGHG排出に占めるシェアをさらに拡大する見込みである。世界全体の温暖化抑制には、排出量の多くを占めかつ排出増加トレンド(図2)が続いているインドの排出削減を進めることが必須となる。


注:EUは27カ国
資料:EDGAR - Emissions Database for Global Atmospheric Researchを基に日立総研作成

図1: 主要国のGHG排出


注:NDCは、Nationally Determined Contribution (「国が決定する貢献」と訳される、パリ協定に基づく各国のGHG排出削減目標)
資料:IEA “Climate Pledges Explorer”

図2: NDCに基づくインドのCO2排出予想

 インドの環境・エネルギー関連のマイルストーン(目標年)は、2030年・2047年・2070年の三つに大別される(表1)。モディ首相は2021年11月、国連気候変動枠組条約第26回締約国会議(COP26)の演説で「2070年までのネットゼロ達成」を宣言した。この国際公約に加えて、COP26に先立つ2021年8月には、モディ首相は独立記念日の演説において、独立100周年を迎える節目の年(2047年)までにインドをエネルギー分野で自立させる「エネルギー自給達成」を宣言した。

表1:インドの環境・エネルギー関連の中長期目標


注:下線は国際公約
資料:“India’s Updated First Nationally Determined Contribution Under Paris Agreement (2021-2030)”、“India’s Long-Term Low-Carbon Development Strategy” (2022)、“National Green Hydrogen Mission” (2023)より日立総研作成

2.インドの根強い石炭依存(エネルギー構成)

 インドでは2010年の国家ソーラーミッション(National Solar Mission)以降、ソーラーパーク、屋根上太陽光などの太陽光発電を推進してきた。太陽光発電は、インドにおいては安価な人件費、日射量が多く広い国土といった要因から導入コストが低い。経済合理性を持つ太陽光発電は急速に普及し、累積設置容量は日本を抜いて、中国・米国に次ぐ世界三位となっている。もっとも、インドにおける再生可能エネルギーの安定供給は、容易ではない。国際エネルギー機関(IEA)は、世界の太陽光発電市場の分析(Snapshot of Global PV Markets 2024)において、インドを野心的な現地製造目標の下、依然として主導的な役割を果たすと評価する一方、「変動が激しい市場である」、「行政手続き・送電網へのアクセス・資金調達などが、着実な成長を阻むハードルになる」と多くの課題を指摘している 。送配電ロス率の改善、消費・発電地域を結ぶ送電インフラ整備への投資などによる、配電の安定化が求められる。
 インドでは再生可能エネルギー導入が進む一方で、石炭への依存が根強い。インドの1次エネルギー構成を見ると、非化石燃料は1割に過ぎず、石炭(56%)・石油(27%)・天然ガス(6%)と、化石燃料が9割を占める(図3)。化石燃料のうち、石油は需要の約8割を輸入しており金額ベースで最大の貿易赤字要因であるほか、天然ガスも輸入に依存している。他方、石炭は需要の約2割は輸入に依存しているものの、インドが世界有数の石炭埋蔵・生産国であることから、約8割は国内調達が可能となっている。
 IEAのエネルギー見通し(World Energy Outlook 2023)は、公表政策シナリオ(現在の最新の政策設定に基づくシナリオ)の下での世界のエネルギー需要増において、今後30年間、インドの寄与率が最大になると予測している。分析によると、インドのエネルギー需要増の要因は、都市人口の増加、1人当たり所得の増加、工業化(鉄鋼・セメント需要増加)、エアコン保有率上昇などである。また、IEAの電力業界見通し(Electricity 2024: Analysis and forecast to 2026)では、2024〜2026年のインドの電力需要の伸びを年平均+6.5%(3年間の追加分は英国の電力需要に相当)と予想、需要増を満たすために、「今後10年間で約80GWの『火力発電能力』の追加が必要」との政府方針に触れている。
 インド政府がネットゼロに向けたGHG排出のピークアウト年限を示さず、G7主導で石炭火力発電所の早期廃止などをめざす「公正なエネルギー移行パートナーシップ(JETPs:Just Energy Transition Partnerships)」にも未参加である背景には、こうした国内の旺盛なエネルギー需要増に伴い、エネルギー安全保障やエネルギーアクセス上の課題を抱えていることがある。


資料:Energy Instituteより日立総研作成
図3: インドの1次エネルギー構成(2023年)

3.インドの脱炭素化/エネルギー見通し(電力部門の脱炭素化は進むが、モビリティ部門が課題)

 多くの国際機関・研究機関がインドの脱炭素化/エネルギーに関する見通しを公表している(表2)。このうち、WEF(世界経済フォーラム)の白書は、インドがネットゼロ経済へ移行するためには、五つの部門(①エネルギー、②モビリティ、③産業、④グリーンビルディング、⑤農業)におけるグリーンニューディールが必須と指摘している。特にモビリティ(交通)部門は、インドの石油需要の約半分を占め、石油依存度が高い。道路交通量の増加により、石油需要が過去20年で倍増する中、輸入依存度も上昇を続けている。そのためインド政府は、バイオエタノールのガソリンへの混合率を 20%にする目標(E20)を掲げるなど、燃料を多様化する政策を推進中である。中長期的な政策(EV化、水素利用)の模索と並行して、短期的にはバイオエタノール・CNG(圧縮天然ガス)などの多様な燃料を組み合わせる現実的な政策を採用している形である。
 インドにおいて石炭は経済的に低所得の州において産出することから、脱炭素化を実現するエネルギートランジションのためには、収入に占める石炭産業依存が高い地域住民への雇用機会・再訓練の提供が必要である。さらに、炭鉱の生態系回復など、長期的に公正な移行プロセスを支援する必要があり、石炭の段階的廃止は、単なるエネルギー上の課題のみならず、経済社会全体の構造的課題と言える。
 IMFは2022年の4条協議報告書において、「現在の政策のもとでは、インドは2030年までに総温室効果ガス排出量が40.8%増加すると予想」、「ネットゼロまでの直線的な道筋から遠ざかりつつある」と指摘するとともに、政府による政策(再生可能エネルギーへの補助金、石炭の関税引き上げ、炭素税の組み合わせ)の選択が重要と評価している。

表2:インドの脱炭素化/エネルギー見通し


資料:各社公表情報を基に日立総研作成

 日立総研では、インドの国際公約のうち、「排出原単位(=GDP比排出量)の45%削減」(表1(a))および「累積電力設置容量に対する非化石燃料ベースのエネルギー資源約50%を達成」(表1(b))については、インドの高い経済成長率・積極的な再生可能エネルギー導入策を踏まえると、達成の可能性が高いと見ている。しかし、インドの場合はNDC(排出原単位の2030年目標)を達成したとしても国全体の総排出は増加すること(図2)、一般的にGDP原単位と1人当たりエネルギー消費量にはトレードオフの関係があること(GDP原単位が減少すると1人当たりエネルギー消費量が増加する傾向があること)に、注意が必要である。2060年代まで続くインドの人口増加を踏まえると、エネルギー需給の逼迫(ひっぱく)は当面継続し、ネットゼロよりもむしろ、経済成長を担保する十分なエネルギーの確保が最優先課題となると見込まれる。この観点に加え、各種機関のシナリオ(ブルームバーグNEFの2050年ネットゼロシナリオ、米ローレンスバークレー国立研究所の2047年エネルギー自給シナリオ、マッキンゼーの加速シナリオなど)が前提とする「2035〜2040年の新車販売におけるEV化率100%」は、インド政府の現状の注力政策(バイオエタノール・CNG(圧縮天然ガス)などの多様な燃料の組み合わせ)や四輪車の低いEV普及率を踏まえると達成される確度が低く、2070年までのネットゼロ達成(表1(e))は困難であると考えざるを得ない。

4.ネットゼロ目標達成に向けて

 IPCC(気候変動に関する政府間パネル)報告書で想定されている5種類のSSP(Shared Socio-economic Pathway)シナリオのうち、地域間が対立するSSP3シナリオは、各国が国内問題を重視し、安全保障への懸念が高まり、環境問題の優先順位が低くなるシナリオである。インドが自国のエネルギー自給にまい進する姿勢は、このSSP3に近い。
 インドがネットゼロを達成するには、政策および資金調達が鍵となる。政策面については、PLI(Production Linked Incentives)などを通じた再生可能エネルギーへの補助金、排出量取引制度(ETS)が軸となる。ETSの本格展開は今後の課題であるが、先行き、EUの炭素国境調整メカニズム(CBAM)導入によるインド輸出産業へのデメリットが強く意識されるか(ETS機能拡充の必要性が認識されるか)が、注目される。資金面については、印シンクタンクのCEEW(エネルギー・環境・水評議会)によると、インドのネットゼロ達成には電力(発電・統合・送配電) 、水素生産、車両製造の3分野において2020〜2070年累計で約10.1兆米ドル(約1,570兆円)が必要とされるが、現状そのごく一部の資金しか見込みが立っていない。インド政府による継続的なグリーン国債発行・海外投資家向けIR活動、インド準備銀行(RBI)によるクライメイト・ファイナンス施策強化など、国内での自助努力に加えて、先進国からの投資(「IPEF(インド太平洋経済枠組み)クリーン経済協定」を活用した優先すべきインフラ事業特定・投資加速、国際機関の保証による民間資金の動員など)が実行されて初めて、ネットゼロ化が現実的なものになる。
 インドは2023年10月に国際エネルギー機関(IEA)への正式な加盟申請を行い、2024年2月に交渉を開始した。インドのIEA加盟が実現すれば、国際的なエネルギーガバナンスが転換する可能性がある。グローバルサウスへの影響力を強めるインドは、現時点ではネットゼロ達成への動機付けが弱い。しかしながら、インドはCOP33(2028年)議長国への立候補を宣言しており、IEAへの加盟によって、地球温暖化への取り組みにおける国際公約の優先順位が上昇する余地がある。

執筆者紹介

山口 英果 (やまぐち えいか)
日立総合計画研究所 グローバル情報調査室 主任研究員
地政学リスク、環境・エネルギー分野の政策動向などの調査に従事。東京大学経済学部卒業後、日本銀行を経て現職。最近の研究テーマは、中央銀行デジタル通貨、脱炭素、生物多様性。