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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第9回:言葉を継ぐもの

 18世紀後半に始まったイギリスの産業革命は以降の世界を大きく変えた。農民の数が減少して工場の労働者が増加し、都市への人口流入が加速し都市の規模は急拡大した。科学技術の発達と経済構造の変化によって、製鉄、機械、造船、軍事などの産業が発達した。生産性が飛躍的に改善し、多様な商品が大量生産され広く消費者に届くことになる。モノを広く早く届けるために輸送手段が発達し、自動車、鉄道、海運など物流網の構築が進んだ。投資家の利潤は拡大し、マネーは流動性を高め、さらなる生産性の向上を実現し、資本家と労働者が区分されて資本主義が確立した。技術と産業による国家間の競争は激しさを増し、技術力と経済力が国家の浮沈を決定づけた。経済のみならず政治も社会も、綿織機の技術革新を端緒とする産業革命に影響され、変容したのである。

 現在進行中の生成AI革命も、デジタルインフラの普及と相まって、18世紀の産業革命に匹敵する大きな社会変化をもたらすだろう。知的労働の多くがAIによって代替可能となり、サイバー空間における価値の希薄化が進み、新たな産業が生まれいくつかの産業は衰退することになる。AIは、企業の生産性を左右し、軍事戦略に変革を要請し、自らの周辺に資本の集積を促し、国家間競争のゲームの規則を変え、社会の階層を変貌させる。世界は急速に異なる姿を見せつつある。

 なぜ生成AIはこれほどのインパクトを与える可能性があるのか。それはコトバに基づいた仕組みによって機能しているからではないか。言葉があってのみ人間は思考が可能になり、その思考によって文明を築いてきた。生成AIは価値創造の力の源泉を人間と共有している。 生成AIの基本的仕組みが次に続くコトバを統計的に類推して処理しているだけに過ぎないのであれば、大したことが成し遂げられるとも思えない。実際、その仕組みが故に、生成AIはもっともらしくでたらめを言うし、会話する相手の人間の犯罪行動を励ましたりもする。にもかかわらず、生成AIの有用性が急速に高まっているのは、大規模言語モデルに改善のステップが組み込まれているからである。大規模言語モデルにおいては、パラメータ数が数億程度では解決困難であった課題も、パラメータ数が数千億、数兆、・・・と拡大することで創発的能力が発揮されて突如解決可能になる。われわれが外国語を学んでいて、なかなか上達しなかったものが、ある時点で急にできるようになるかのように、与えられる情報量がある境界点を超えると生成AIは飛躍的成長を遂げる。しかもそれが何度も繰り返されていくのである。

 生成AIは限りなく優秀になっていく。従いそのうちに人間の知能を超えてシンギュラリティを達成する。しかし、根本原理がコトバの統計処理である以上、ハルシネーションは根絶されない。ウィトゲンシュタインは、言語全体との関係においてのみ、語の意味は決まるとした。言語使用の実態は、全体が部分からできているのではなく、部分は全体との関係において意味を持ち、部分と全体が緊密に結びつき、部分と全体の関係は循環しているとした(『言語哲学がはじまる』(野矢茂樹)による)。大規模言語モデルはこのような言語全体の理解を前提としていない。生成AIは強化学習によって間違い程度を縮小していくことができ、どんどん進化していくが、人間のように言語全体との関係では言葉を使わないし、思考しない。別の言い方では、記号接地ができていないということになる。しかし、限りなく人間のように反応するものがあれば、それは限りなく人間のように見え、人間以上に優れているような回答を人間以上のスピードで出してくるのであれば、それは人間以上だと言ってしまっても限りなく真実に近くなる。

 ただし問題は、リスクが限りなく小さくはなるかもしれないが決してゼロにはならないということだろう。AIが優秀になればなるほど万が一のテールリスクもそれに合わせて巨大になる。人類への脅威となる。しかし解決策も見いだされるのではないか。既に、1979年に発表されたジェームズ・P・ホーガンの『未来の二つの顔』はこの危機に対する解決への道筋を示している。コトバと認識による道筋だ。45年も前にAIのリスクと解決方法を見通していたとはさすがハードSFの巨匠である。その方法とは何なのかはネタバレになるので書けないのだけれども。