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モザイク化した世界における国・地域×産業の成長シナリオ

    2025年7月29日

    現在、消費者・産業ニーズの多様化や環境対応に関する国家間の足並みの乱れ、保護主義的な産業政策「新ワシントンコンセンサス」に代表される地政学情勢の変化により世界経済が裁断される「モザイク化」が進展している。日立総研では、モザイク化した世界において企業のグローバル/地域戦略立案のための指針を見いだすことを目的に、国・地域の分析を進めている。

    1. モザイク化の進展と成長フェーズ・ガバナンスの多様化

    世界経済は、技術・産業、環境、ウェルビーイング、地政学といった要因により分断されつつある。技術・産業分野では、各国・地域で産業ニーズが細分化する中、生成AIなどの技術革新でそれらニーズに即応できるようになることで、市場の細分化がさらに加速している。環境面では、国・地域ごとの気候変動対策に対する取り組み方針の違いが顕在化していくとともに、ウェルビーイングの観点では、経済発展のさまざまな段階で社会的需要の格差が見られる。なかでも特に分断への影響が大きいのは地政学であり、従前の自由主義に基づくグローバル国際分業体制から、補助金などによる産業保護や貿易・投資規制を通じたデリスキングなど、保護主義的な色彩を強めた新ワシントンコンセンサスの世界的な台頭により、世界経済のモザイク化が進展している(図1)。


    資料:各種資料より日立総研作成

    図1:世界経済のモザイク化

    こうしたなか企業がグローバルでの事業戦略を考える上で、グローバル市場を単一のものとして捉えるのではなく、国・地域ごとの特徴やパターンを見極めていく視点が、これまで以上に重要になっている。そこで日立総研は、国・地域を「成長フェーズ」と「成長ガバナンス」それぞれの軸で三つに分類し、最終的に3×3のマトリックスでの類型化を通した分析を試みた。

    この分析フレームワークを説明すると、まず「成長フェーズ」の軸では、国・地域を、1人当たりGDPの水準やGDPに占める製造業・サービス業の比率を基に「新興」「成長」「成熟・変革」のいずれかに分類した。また「成長ガバナンス」の軸でも三つに分類した。一つ目は、民間部門の経済活動が自己管理により行われ政府は極力介入しない「民間主導」、二つ目は、政府は民間部門が自律的に成長を追求できるよう法律で包括的な規範のみを規定したり、補助金提供を通じて支援したりする「規制・補助金主導」、そして最後の三つ目は、政府は規制により民間部門の活動を厳しく統制する「政府管理主導」である。この成長フェーズ・成長ガバナンスを掛け合わせた3×3のマトリックスで国・地域をプロットし、その特徴や傾向の分析を行った(図2)。

    この分析から、米国や英国、カナダ、スイス、シンガポール、オーストラリアなど「民間主導」の成長ガバナンスを志向する国・地域は、「成熟・変革」の成長フェーズに集中していることが分かった。また、「政府管理主導」の国については、「新興」あるいは「成長」に分布していることが見えてきた。具体的にはエジプト、ベトナム、チリなどは「新興」に、中国などは「成長」に位置付けられる。他方、「規制・補助金主導」の成長ガバナンスを志向する国は成長フェーズの各段階に広く分布している。例えば「成長」段階にある国では、政府が新インフラ開発やハイテク産業振興を目的とした政策イニシアチブを拡大、こうした施策を受けて民間企業がイニシアチブへの参画を拡大している。インドやインドネシア、サウジアラビアといった国がここに該当する。


    資料:各種資料より日立総研作成

    図2:成長フェーズ・成長ガバナンスを掛け合わせた3×3のモザイクパターン

    2. 各国・地域の成長をけん引する中核産業の多様化

    1章で考察した国・地域ごとの成長フェーズ・ガバナンスの特徴を踏まえた上で、次にそれぞれの類型における成長をけん引する中核産業の傾向についての分析を行った。各国・地域における業種別の付加価値額やCAPEX・OPEX*1の規模を分析したところ、国・地域によってその額が最も大きい業種、いわば成長市場セグメントに多様性が見られた。

    *1
    CAPEX:Capital Expenditure(資本的支出)、 OPEX:Operating Expenditure(事業運営費)

    例えば、米州地域において、民間主導の米国は、最先端インフラの整備や産業創生を志向する民間活動で拡大してきたITサービスが成長市場セグメントであるのに対し、政府管理主導のチリは基礎インフラの整備を目的とした政府主導の経済活動によって育成されてきた鉱業が同国経済をけん引している。また、APAC地域では、インドの場合、新しいインフラとハイテク産業の振興を目的とした政府の政策イニシアチブと補助金を呼び水に民間参画の拡大が促されてきたことで、デジタルペイメントなどのITサービスと製造業が成長セグメントとして台頭してきた。一方、シンガポールでは先端インフラと産業創生を志向した民間を中心とした取り組みにより、金融サービスと製造業が成長をけん引してきた。このように同じ地域の中でも成長市場セグメントの多様化が見受けられる(図3)。


    資料:各種資料より日立総研作成

    図3:モザイクパターンと成長市場セグメント(中核産業)の多様な組み合わせ

    3. 類型にみる国・地域の成長シナリオ

    企業がグローバル/地域戦略の検討において前提とすべき各国・地域の経済成長に向けたシナリオは、これまで述べてきた成長フェーズ・ガバナンスの在り方によって特色が出てくることが想定される。本章では、変革・成熟国かつ民間主導の米国と、新興国かつ政府管理主導のチリを取り上げ、成長シナリオの特色を考察する。

    3.1 米国:変革・成熟国かつ民間主導の国にみられるイノベーションをレバレッジにした成長シナリオ

    米国では、データセンターをはじめとするITサービス業がAIによるイノベーションを見据えた大規模投資を進めており、民間主導のイノベーションが成長の源泉になっている。しかし、コロナ禍で顕在化した経済構造の脆弱(ぜいじゃく)さを改めるべく、米国では経済安全保障の観点から以下二つの限定的な政策介入もみられる。

    一つは、デジタル技術開発やイノベーションの強化である。大規模補助金により数千億〜数兆円規模の半導体ファブや次世代エネルギー開発への民間投資を促している。もう一つは、政策介入による経済安全保障の強化である。例えば、重要技術のバイオにおいても、技術流出の防止や国内・有志国完結型のバリューチェーンを構築すべく、国家安全保障上の懸念国の指定企業を政府調達案件から排除しようとするバイオセキュア法の審議も進められている(図4)。


    資料:各種資料より日立総研作成

    図4:米国における民間主導のイノベーションと経済安全保障をレバレッジとする成長シナリオ

    こうした一連の政策も踏まえ、今後米国において想定されるのは、データセンターをはじめとするデジタルを中核とした成長シナリオである。AI活用の爆発的増加は電力需要を急増させるため、そこで重要な役割を果たすのがデジタルとイノベーションの取り組みである。例えば、省エネ型の半導体チップやSMR(Small Modular Reactor)をはじめとする次世代エネルギー開発などのイノベーションを支援することで新市場を創出していくとともに、電池開発などで重要な役割を果たすマテリアルインフォマティクスやバイオでの創薬開発支援に向けたAI・データサービス拡大を下支えし、波及効果をもたらし得る。

    このように変革・成熟国かつ民間主導の国では、政策影響も見据えつつ、米国におけるデータセンターなど成長の中核となる産業と、デジタル・イノベーションの周辺産業への波及効果を踏まえた事業戦略が重要になる。

    3.2 チリ:新興国かつ政府管理主導の国にみられる天然資源をレバレッジとする成長シナリオ

    チリは、EV普及に不可欠なリチウムの埋蔵量が世界1位で、太陽光・風力など再生可能エネルギー資源にも恵まれている。同国は、天然資源を政府が自ら管理下に置き、資源輸出で得た資金をインフラ高度化や高付加価値製造の強化に充て次の成長を志向する取り組みを進めている(図5)。


    資料:各種資料より日立総研作成

    図5:チリにおける資源管理強化と再エネインフラ拡充をレバレッジとする成長シナリオ

    チリ政府はまず、豊富な天然資源の輸出で新たな成長産業への投資原資を確保すべく国営会社の資源管理を強化している。加えて、同政府は国策として再生可能エネルギーの導入を進めており、太陽光や風力発電の増強、今後高圧直流送電や水素プラントの拡充に向けたプロジェクトも計画している。こうした資源管理の強化やエネルギーインフラの拡充は、鉱業・製造業の強化を支える基盤となり、これまではリチウムなどの原料供給にとどまっていたが、リチウムイオン電池の正極材など、資源加工による高付加価値品の輸出強化に向けて外資誘致を積極的に進めている。

    このように資源国をはじめとする新興国かつ政府管理主導の国では、再エネ導入・製造業強化に向けて政府の産業政策が強い影響力を持っており、政策と一体となった事業戦略が求められる。

    4. むすび

    本稿では、成長フェーズ・成長ガバナンスを掛け合わせた3×3のマトリックスを使って、各国・地域の経済成長に向けた戦略や成長シナリオの類型を考察してきた。地政学、環境、社会、技術といった要因が入れ子構造で複雑化していくとともに、米中対立を契機に自国優先主義が世界に広がりつつある中、各国・地域の戦略や成長シナリオも大きく変容していく可能性がある。

    日立総研では、今後も市場環境のダイナミズムを捉えたモザイクパターンの分析を進めつつ、予測困難な時代における企業経営の在り方についての研究を進めていく。

    執筆者紹介

    安田 大輔(やすだ だいすけ)

    日立総合計画研究所 研究第二部 グローバル事業戦略グループ 兼 地域マーケティンググループ 主任研究員

    デジタル政策・産業動向の調査・事業戦略の策定支援に従事。産業技術総合研究所、経済産業省、フラウンホーファー研究機構を経て現職。最近の研究テーマはAI、データを巡るルール形成の動向や企業動向。

    Ajay Kumar Airan

    General Manager, Hitachi Research Institute Office, Hitachi India Pvt. Ltd.

    マクロ経済・産業動向の調査研究、地域戦略の策定支援に22年間にわたり従事。デリー大学ビジネスエコノミクス修士課程修了。

    執筆者紹介

    安田 大輔(やすだ だいすけ)

    研究第二部
    グローバル事業戦略グループ
    主任研究員

    Ajay Kumar Airan

    General Manager,
    Hitachi Research Institute Office,
    Hitachi India Pvt. Ltd.

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