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社長 溝口健一郎のコラム

第17回:人類のエネルギーへのLove & Hate

    原始時代のたき火から現代の原子力まで、人類はエネルギーの確保と共に発展し、またエネルギーの確保のために苦しんできた。1905年にアインシュタインが特殊相対性理論の副産物として発見したE=MC2の方程式により、エネルギーは物質の質量の約90兆倍になることが判明した。1グラムの物質から約90兆ジュールのエネルギーを生み出すことができる。これは、100ワットの電球を約30,000年ともし続けられるエネルギーで、石油にすると約2,000トン分に相当するという。しかし理論上膨大なエネルギーが生み出せると判明したところで、人類のエネルギーに関する心配が消失したわけではない。物質からエネルギーを取り出すための労力はその後も人類を振り回し続けている。

    Bain & Companyが2025年3月に公表した調査結果によると、2年前は半数近くの企業幹部層が2050年までに世界の温室効果ガス排出ネットゼロは達成できると考えていたのに対して、現時点でそう考えている企業幹部は3分の1以下に減少した。44%は達成が2070年以降になると考えているという。多くの政府や企業は、緊迫する世界の政治情勢を受けてエネルギー安全保障への対応を優先させ、太陽光や風力だけでなく石油、ガス、原子力などとにかく全てのエネルギー源へのアクセスを確保しようとする“All of the Above”を戦略としつつある。

    国連のSDGsの7番目の目標は「エネルギーをみんなに。そしてクリーンに」だが、世界で電気を使えない状況にある人の数はいまだに約7億人にも上り、生活に十分なエネルギーを得ることができない「エネルギー貧困層」は数十億人に達する。こうした社会課題の解決にはデジタル技術など先端技術の貢献が期待される。しかし、生成AIの導入段階は国ごとに大きな差があり、先進国や中国では導入・開発が加速している一方で、新興国や発展途上国では導入が遅れている。生成AIは国家間の格差を解消せず、むしろ拡大させる可能性が高い。また、生成AIの爆発的普及を背景とするデータセンターの急増によって、エネルギー需要は従前の想定を超えて伸長するだろう。エネルギーの争奪戦は、国家間だけでなくAIと人間の間でも起きているといえる。また、安全保障に対して気候変動対応の優先順位が下がることで環境問題が次世代に先送りされつつあり、エネルギーの争奪戦は世代間でも起きていると捉えられる。

    近代においても、エネルギーは人類の行方と国家間のパワーバランスを左右してきた。20世紀は「石油の世紀」と呼ばれるほど、石油が人類の主要なエネルギー源として大きな役割を果たした時代だった。産業の多くは石油をエネルギー源として発展し、また戦艦・戦車・戦闘機は石油を必要としたため、石油の獲得は国力を左右した。1941年に日本はABCD包囲網によって経済的に逼迫(ひっぱく)しつつあったが、同年8月に実施されたアメリカによる石油の対日全面禁輸が致命的打撃となり、日本が対米開戦に向けて突き進むきっかけとなった。経済面では、ロックフェラーをはじめ石油によって巨万の富を築いた企業家たちは石油メジャーを創立し、世界の経済、政治に多大な影響を与えた。地政学面では、中東が世界最大の産油地域として急速に発展し、1960年にはOPEC(石油輸出国機構)を設立し、世界のエネルギー需給に大きな影響力を発揮し始めた。イスラエルとアラブ諸国とで繰り返される中東戦争やイラン革命など中東の政治情勢によって石油供給は大きく変動し、時に石油危機として世界の経済に大きな影響を与えてきた。

    「シェール革命」と呼ばれるシェールオイル・シェールガスの大量生産によって、2018年にアメリカは世界最大の産油国となった。再生可能エネルギーの発電容量の急拡大も重なり、中東産石油の重要性は薄れてきている。これに伴って欧米の中東に対する関与は低下し、中東の地政学的影響力は縮小しつつある。「中東の盟主」であるサウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマン皇太子は、2016年に石油依存の脱却と経済の多様化を図る「ビジョン2030」を発表した。巨大なスマートシティを構築するNEOMプロジェクトに代表されるインフラへの投資を実行すると共に、AIなど先端テクノロジーへの投資のための1,000億ドル規模の基金を設置し、さまざまな国際イベントの開催によって国際的プレゼンスを高め、国内では女性の社会参加も拡大するなど成熟したシステマチックな取組を進めている。「データは21世紀の石油である」との説を体現する戦略ともいえるが、その実現に向けた時間的猶予はそれほど長くはない。石油の価格があまりに下がってしまうと、変革を実現するために必要な資金が枯渇してしまうからだ。

    エネルギーが死活的に人類にとって重要であるにも関わらず、その供給を十分にできない要因は、エネルギー源の確保の難しさと共に、エネルギーを使う際の効率の悪さにある。石炭・石油・ウランなどはなんらかの工夫でエネルギーを取り出さなければ使えない。取り出したエネルギーはさらに人間が実際に使う用途に応じて変換する必要があり、用途に応じてエネルギーの輸送や貯蔵も必要となる。火力発電では、化学エネルギー→熱エネルギー→力学的エネルギー→電気的エネルギーという変換が生じ、変換効率は約40%に過ぎない。太陽光発電の発電効率は20%以下でさらに効率が下がる。電気エネルギーを光に変換する場合には、LEDで30〜50%、蛍光灯で20%、白熱電球では10%となり、さらにエネルギーが失われる。送電をすると送電ロスが発生し、貯蔵して放電するとやはりロスが出る。E=MC2で理論上得られるはずのエネルギーとの差は目がくらむほどに大きい。われわれはエネルギーを愛すればこそ求め、求めるために争い、苦しんでいる。この愛憎関係はこれからも長く続くことになるであろう。

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