社長 溝口健一郎のコラム
NVIDIAの時価総額が世界の企業の中で初めて4兆ドルを超えた。4兆ドルとは日本のGDPとほぼ同額という驚くべき金額である。国家予算における政府収入と比較すると、中国の収入規模に匹敵し、ドイツや日本の倍以上に値する。NVIDIAを売却すれば、中国一国か、ドイツと日本両国を一年間養える。東証の全企業時価総額合計が約6兆ドルなので、NVIDIAの1.5社分が日本の上場企業全ての価値と等しいということになる。一企業にこれ程の価値があると正当化できるのであろうか。NVIDIAのPERは30倍程度で、S&P500の平均値である約20倍に比べると割高ではあるものの、NVIDIAの将来に向けた成長性を考えると、30倍はむしろ割安との評価もある。また、世界に新たな産業革新をもたらしつつある生成AIの進化を支えているNVIDIAは、AIスーパーサイクルの主役であるというナラティブにも支えられており、株価は更なる上昇の可能性もあるとの見立ても少なくない。
企業の価値を測る際には、純資産で見ることもできるし、将来生み出すであろう収益の現在価値として計算するディスカウントキャッシュフロー法などによることもできるが、上場企業であれば、市場による評価である時価総額で見るのがシンプルで比較も容易だ。株主のみが企業に関与する利害関係者ではないという考え方は、米国において、2001年のエンロン事件や2008年の金融危機を経て認識が進み、2019年のビジネスラウンドテーブルによる「ステークホルダー資本主義宣言」へとつながった。この宣言では、株主に対するリターンと並んで、従業員に対する働きがいの提供、顧客満足度の向上、地域社会への貢献、環境負荷の低減なども企業の目的とすべきとした。日本では近江商人の「三方良し」の考え方が古くからあり、米国企業もそうしたバランスの取れた考え方にようやく気が付いたとの感想を漏らす日本の経営者もいたが、これは美しい誤解である。日本ではそもそも株主にしかるべきリターンを提供できていない企業が多数で、米国企業に対しては周回遅れなのである。さまざまなステークホルダーと株主との間に利益相反があるわけではない。短期的な強欲と長期的な価値創造とのせめぎ合いがあるのみである。
先日、桂吉弥の上方落語「千両みかん」を観た。江戸時代真夏の頃、呉服屋の若旦那が病に伏せってしまい、明日をも知れぬ命となる。ようやく病の原因が判明する。みかんが食べたくて食べたくて気の病になってしまったというのである。番頭は、なんとしてもみかんを見つけてこいと大旦那に言われて大阪中を走り回り、ようやく奇跡的にみかんを一つだけ見つける。真夏のみかんは千両の値段がつけられるが、若旦那の命には代えられないと大旦那は千両を支払う。十房あるみかんの七房を食べた若旦那は病から回復し、涙ながらにお礼とともに、三房を番頭に渡す。「おとっつぁんとおっかさんとお前で食べておくれ」と。三房を押し頂いた番頭は、「この三房で三百両だ」と目がくらみ、みかん三房を持って逐電してしまうというオチである。知っているストーリーであっても吉弥の腕前で大いに魅せられた。
社会にとって革新的な価値を提供し、その価値に見合うキャッシュを得て、さまざまなステークホルダー間でそのリターンをシェアし、さらに次の成長に投資をする。この持続的ならせん状の価値創造マシーンとなることが企業の役割である。将来キャッシュフローで見た数値上も、未来に向けたナラティブ上も、投資家がその企業の役割を確信すると株価が上昇し、時価総額が増大する。NVIDIAがその最高の事例だ。継続的に時価総額を高めていくには、生み出す価値が人類社会に広く認められなければならない。さまざまなステークホルダーの存在を無視して継続的に価値を提供することも、株価を上昇させることも、不可能なのである。しかし、企業が価値創造サイクルを維持するのは決して容易ではない。現在、そして将来の社会が求めるモノを察知し、それをユニークな方法でもって具現化し、それに合わせて自己変革をするダイナミックケイパビリティが求められることになる。経営リソースを最適配分することで、成し遂げた自己変革がさらに次のユニークな価値創造へのトリガーとなる必要がある。みかん三房を持って逃げても、誰も三百両を払ってくれない。誰かひとりにとっての価値が、社会の、そして市場で付けられる価値でもあるとは限らない。短期の強欲は長期の価値創造とは全く別物なのである。
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