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株式会社日立総合計画研究所

インタビュー

研究活動を通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対論

アジアンリゾートと日本のホスピタリティ〜2020年の東京五輪に向けて日本の進むべき道とは〜

近年、アジアンリゾートと呼ばれるアジアのホテルが世界的に高い評価を受けており、日本にも進出しています。
一方、日本の伝統文化に根差した旅館のおもてなしも、再評価されつつあります。今回は、富士屋ホテル創業家の ご出身であり、旅やホテルをテーマにしたノンフィクション書籍を数多く手掛けられている作家の山口由美氏に お話を伺いました。2020年の東京オリンピック開催に向けて、外国人観光客のさらなる増加が期待される中、 日本がめざすべきホスピタリティの方向性について、さまざまな角度から考えていきます。

山口 由美 氏

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作家
1962年、神奈川県に生まれる。慶応義塾大学法学部法律学科卒業。 大学卒業後、海外旅行とホテルの業界誌・専門紙のフリーランス記者を経て、1994年に『箱根富士屋ホテル物語』を執筆して作家活動に入る。
主な著書として、2000年『帝国ホテル・ライト館の謎−天才建築家と日本人たち』、2004年『世にもマニアな世界旅行』、2006年『赤道直下の宝箱 旅するパプアニューギニア』、2011年『百年の品格 クラシックホテルの歩き方』、2013年『アマン伝説−創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命』、2014年『世界で一番石器時代に近い国パプアニューギニア』。2012年に『R130‐#34 封印された写真─ユージン・スミスの「水俣」』で、小学館ノンフィクション大賞を受賞(受賞作品は、『ユージン・スミス− 水俣に捧げた写真家の1100日』として出版)。日本旅行作家協会会員。日本エコツーリズム協会会員。

幼少時代から旅が好き

白井:山口さんは箱根の富士屋ホテル創業家に生まれ、お母様のいとこに作家の曽野綾子さんがいらっしゃいます。そのような環境に育ち、ホテル関連の執筆をされているのはとても自然なことのようにも思われますが、著作活動を始められた経緯について、あらためてお聞かせください。

山口:私の母は若くして亡くなりましたが、生前、トラベルライターの仕事をしていました。といっても、母の姿を見てそのような仕事をしたいと思い描いていたわけではなく、むしろ子どものころは資格に裏打ちされた堅い仕事に興味があったので、大学は法学部法律学科に進みました。しかし、法律にはあまりなじめませんでした。もともと書くことが好きでしたし、幼いころから母に連れられて海外に行っていたこともあり、旅というものに大変興味がありました。結局、自分の一番好きなところに着地した感じです。海外旅行とホテル関連の業界誌を中心に執筆を続け、1994年に 最初の単行本『箱根富士屋ホテル物語』(トラベルジャーナル)を書き上げました。これが作家としての原点です。もう20年近く前になりますが、自らのルーツを物語にしたいというのが、この本を書 いた動機でした。そういう意味では、ホテルの創業家に生まれなければ、作家の道には進んでいなかったのかもしれませんね。

アジアンリゾートのルーツを探る

白井:私は2009年から2011年までシンガポールに駐在していたのですが、シンガポールにはまるで展示場のようにホテルが林立しています。3棟のタワーの最上部に、巨大な船を載せたような独特のフォルムが目を引くマリーナ・ベイ・サンズのような豪華な都市型ホテルもありますが、その一方で、東南アジア全体に視野を広げれば、アジアならではの個性を放つアジアンリ ゾートホテルもたくさんあります。ラッフルズ(シンガポール)、マンダリンオリエンタル(タイ・バンコク)、イースタン&オリエンタルホテル(マレーシア・ペナン)のようなコロニアルスタイルのホ テルは日本では見られません。山口さんの著書『アマン伝説−創業者エイドリアン・ゼッカとリゾート革命』(文藝春秋)では、なぜアジアンリゾートというテーマを選ばれたのでしょうか。

山口:日本のアジアンリゾートブームは、1990年代から2000年代の初めにかけて起こりました。アジア発の小規模なラグジュアリーリゾートとして一世を風靡(ふうび)したアマンリゾーツを大々的に紹介し、一大ブームをつくり出したのが雑誌『クレア・トラベラー』だったのですが、実は2013年に発行した『アマン伝説』の編集者は、当時の編集長なのです。最初にこの本の企画を 提案されたとき、私は戦争をめぐる歴史の中でクラシックホテルを語る本の執筆に取り組んでいました。当時、私よりもアマンリゾーツに思い入れの深いホテルジャーナリストは他にもいたと 思いますが、アマンの世界をビジュアルで見せるのではなく、アジアンリゾートという大きな潮流をアジアの近現代史を背景に振り返るという本の企画に興味を持ち、非常に面白いテーマで あると思いました。アマンリゾーツの登場がホテル業界に一つの変革期をもたらしたということに、編集者からのオファーで気付いた部分もありますね。

白井:アジアの多様な文化と歴史の中で、独特の雰囲気を持ったホテルが私たちを魅了してきました。山口さんからあらためてアジアンリゾートの魅力を紹介していただけますか。

山口:『アマン伝説』の中では「モンスーンアジア」という言い方で、スリランカ、南インド、ミャンマー、マレーシア、シンガポール、インドネシア、タイ、カンボジア、ベトナムを含む熱帯の国や地域を説明しています。いわゆるアジアンリゾートというのは、正確に言うとモンスーンアジアのリゾートのことを指します。今までのリゾートと違う点は、熱帯の風土が背景にあり、より開放的で、その土地の文化が西洋のライフスタイルの中に溶け込んでいる、という特徴があるところです。例えば、泳ぐためのプールではなく、見せるためのプールという発想は、アマンをはじめとした アジアンリゾートで生まれました。本書の表紙にあるアマンプリ(タイ・プーケット)のプールは、いわゆるブラックプールと呼ばれるもので、プール内のタイルを黒にすることで、風景を映し出 す効果があります。次に有名になったのが、アマンダリ(インドネシア・バリ島)のインフィニティプール。先ほどお話に出たシンガポールのマリーナ・ベイ・サンズもそうですが、水面が向こう側に ストンと落ちるようにつくられ、借景とつながるように計算されたプールです。このように視覚的効果を意識したプールやヴィラスタイルの客室、開放的な建築スタイルなど、アジアンリゾートが 起こしたイノベーションは今日の都市ホテルや旅館にも影響を与えています。食事にしても、それまでホテルといえば西洋料理のイメージでしたが、アマン以降のアジアンリゾートではアジア のエスニック料理を食べることができるようになりました。今はもう一般的なスタイルになっていますが、これらは全てアジアンリゾートブームがもたらしたものです。

白井:『アマン伝説』を読みますと、実に多様なバックグラウンドを持つ人々がアジアンリゾートの創成に重要な役割を果たしてきたことが分かります。日立も現在、取締役の半分以上は社外の人ですし、その半分以上を外国人が占めるようになりました。山口さんは、アジアンリゾートという新しい潮流が形成された過程において、ダイバーシティが果たした役割について、どのように 捉えていらっしゃいますか。

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山口:おっしゃる通り、アジアンリゾートをつくり出してきた人々は、さまざまな文化や背景を持っています。ここで重要なポイントは、文化の異なる人々が交わることで多様性が生まれただけではなく、複数の文化を背景に持つ人が多かったということです。その典型がアマンリゾーツの創業者エイドリアン・ゼッカ氏であり、バリ島にある世界初のトロピカルブティックリゾート、タンジュンサリの創業者ウィヤ・ワォルントゥ氏であり、また、建築スタイルに影響を与えた建築家ジェフリー・バワ氏であるわけです。彼らに共通するのは、インドネシア人、あるいはスリランカ人ではあるけれども、それぞれ自身の中にさまざまな文化を持っていた、ということです。例えばエイドリアン・ゼッカ氏は、インドネシア生まれの華僑で、生まれながら東洋と西洋の血を受け継いでいます。そして、生まれ故郷のモンスーンアジアの風土で育ち、欧米で教育を受けました。

白井:つまり、一個人の中で、すでにダイバーシティが形成されており、そういう人々が交わったことによって、さらなるダイバーシティが形成され、アジアンリゾートという、従来と全く異なるホテルがつくられていったわけですね。

山口:アジアならではの土着の文化がホテルという欧米のライフスタイルとクロスオーバーしたことで、アジアンリゾートは誕生しました。そして、それを可能にしたのは彼ら自身が多様な文化的背景を持っていたからだと思います。日本においては、なかなか生まれ得なかったコンセプトといえるでしょう。しかし、だからといって、モノカルチャー(単一的な文化)の日本ではダイバーシ ティ的な素養を持つ人間が登場しない、ということではありません。例えば、日本で生まれて海外で教育を受ける、あるいはいろいろな国の人たちと関わりを持つことによって、アジアンリゾー トをつくり出した人たちのようなダイバーシティを持つ人材が出てくる可能性はあると思いますし、そうあってほしいですね。

白井:アジアンリゾート形成の過程に日本人が関わっていたのも大変興味深いです。以前、日立の本社は御茶ノ水にあったのですが、近くの名倉医院(現名倉クリニック)の娘として生まれた名倉延子氏がアマンの創業者エイドリアン・ゼッカ氏の次兄アレン・ゼッカ氏の妻だったことにも驚きました。本書の中には、鹿島建設の元社長の鹿島昭一氏や、東急グループの元総師、五島昇氏なども登場しています。五島氏はリージェントホテルをつくり、日本のホテルの海外進出の先駆けとして重要な役割を果たしたということで、そういう姿には大変勇気づけられました。

山口:先ほど日本でアジアンリゾートブームが起こったのは1990年代から2000年代にかけてとお話ししましたが、アジアンリゾート自体は80年代に登場しました。当時、日本は非常に強い経済力があったので鹿島氏や五島氏も、海外に目が向いたのでしょう。そういう時代に、日本では生まれ得ないようなアジアンリゾートが姿を見せ始め、彼らのようなアンテナの高い人たちが強 く触発されたのだと思います。特に興味深いのは、五島氏がリージェントホテルを世界展開する際、運営する会社を香港に設立し、日本人ではなく外国人に経営のトップを任せたことです。これは五島さんの時代で考えると斬新なやり方でした。日本の東急の名前でホテル展開しても成功しないと判断されたのでしょう。非常に先見の明があったと思います。

白井:ホテル産業において、日本人も世界に挑戦できると。

山口:ええ、日本をモノカルチャーでひとくくりにしてしまってはいけないのでしょうね。

白井:2015年3月には、アジアンリゾートの代表的存在であるアマンが初の都市型ホテルを東京にグランドオープンしました。日本とは全く違うカルチャーで形成されてきたアマンが東京の真ん中に進出したわけですが、これはアマンの新たな挑戦なのか、時代が求めているのか、その辺りはどうお考えですか。

山口:アマンの東京進出は、私にとって長い間、謎でした。これは結果論かもしzませんが、現実に開業したのを見てあらためて考えてみると、アマンは東京進出によって次なるステージに移行しようとしているのかもしれません。アジアンリゾートは、リゾートのスタイルを変えてきました。この大きなイノベーションが今度は都市型ホテルに起こる可能性も考えられます。真相は分かりませんが、そういう予感はありますね。

日本のホスピタリティはハイレベル

白井:山口さんは『百年の品格 クラシックホテルの歩き方』(新潮社)などの著作を通じて、歴史や伝統のある日本のホテルの魅力も紹介されています。2020年の東京オリンピック開催が決定し、日本の「おもてなし」を取り上げるメディアも増えました。老舗ホテルの創業家に育ち、ホスピタリティに身近に接してこられた山口さんは、日本のホスピタリティの原点についてどのよう な考えをお持ちですか。

山口:アジアンリゾートと日本の旅館とのホスピタリティの違いについて、星野リゾートの星野佳路社長は、日本のおもてなしの原点は主客対等、もてなす側とお客様の関係性が対等であるのに対し、アジアンリゾートは背景に植民地時代の対等ではない関係がある、と指摘しており、私もそう思います。ラッフルズやマンダリンオリエンタルなど、アジアの有名なクラシックホテルは植民地時代に建てられたもので、アジアのホスピタリティはそこから始まっているわけです。サーバントやバトラーが主人にお仕えする形が基本にあり、両者の関係性は日本と違います。そうしたコロ ニアルホテルがアジアのクラシックホテルの主流ですが、日本のクラシックホテル、例えば富士屋ホテル、日光金谷ホテル、万平ホテルなどは、いずれも欧米人がつくったわけではありません。もち ろん、明治の初めごろは居留地に外国人が経営するホテルもありましたが、時代を超えて今に至るホテルの創業者は、ことごとく日本人です。そこがアジアンリゾートとは背景が異なるところです。

白井:では、欧州や米国のホテルのホスピタリティにはどのような特徴があるのでしょうか。

山口:今はグローバリズムの下でホスピタリティも均一化されてきていますが、欧州のホテル文化を考える際、直接的な背景にあるのは王侯貴族の宮廷文化です。ホテルにおけるもてなしの原点は宮廷にありました。一番分かりやすい例が料理です。フランス料理とは、宮廷文化の中で育まれたものでした。ところが、フランス革命が起きたことで、料理人がベルサイユ宮殿を出て町に向かい、レストランというものが生まれたのです。社交の場も同じように、市民革命によるブルジョワジーの台頭で、宮殿やお城からホテルへと移っていきました。その後、欧州のホテル文化の流れは米国に向かいます。米国に宮廷はありませんから、欧州のように限定された人というより、成功してお金を得た人なら誰でも行ける、お金のある人に等しくラグジュアリーを与える、というのが米国のスタイルです。話が脱線するかもしれませんが、チェーンホテルやファストフードの発祥地である米国に関しては面白い話があります。西部開拓の時代は、未知の土地を旅する環境は当然劣悪で、いつどこで安全な食べ物にありつけるか分からない。そういう背景から生まれたのがファストフードであるという話です。どこに行っても同じものが食べられる、同じサービスが受けられるという安心感が米国ではとても必要なのです。かつてほろ馬車の時代に、明日をも知れない運命の中を旅した人たちのDNAが生んだものだと思いますね。

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白井:大変分かりやすいお話ですね。話を日本に戻しますが、最近は海外からたくさんの人々が訪れるようになりました。昔は注目されなかった地方の旅館や温泉に足を運ぶ外国人旅行者も増え、東京には世界のトップブランドのホテルが進出しています。こうした状況下で、日本の旅館やホテルは昔と比べて変化してきているのか、またホスピタリティのレベルは上がっているのか下がっているのか、その辺りはどのようにみていらっしゃいますか。

山口:日本のホスピタリティは海外と比べて非常にレベルが高いですし、決して下がっているとは思いません。どこまで上がっているかは微妙だと思いますが、例えば昔でしたら、地方の旅館は外国人というだけでおびえてしまっていたところがありました。その時代から比べると、幅広いお客様を受け入れることへのアレルギーは減っているように思います。外国人の旅行者が爆発 的に増えてきた状況の中で、ようやく第一歩を踏み出したところではないでしょうか。

白井:そう考えると、年々増加する外国人観光客を受け入れていく延長線上で、2020年の東京オリンピックも十分に対応できるようにも思えてきます。それでも、やはり日本のホスピタリティの方向性をもっと考え直していくべきなのでしょうか。

山口:私は海外へ行く度に日本のホスピタリティのレベルの高さを感じていますので、特に何かを変える必要はなく、今までのようにお迎えしていけばいいのではないかと思います。ただ、スキルの件でいえば、言葉の問題でしょうか。中国語も韓国語もマスターするのは難しいでしょうが、グローバルなコミュニケーションツールとしてのベーシックな英会話は必要でしょう。大切なの は何といっても相手と通じたいという気持ちです。気持ちの面での全体的なレベルアップは、大きな課題と言えそうです。

白井:『アマン伝説』では、アマンリゾーツのルーツが日本の旅館にあったのではないかという話にも触れておられます。日本の旅館、ホテル産業の現状についてはどのように捉えておられますか。

山口:それは以前から、ある種の都市伝説のように語られていますが、本書の中でも「旅館の影響があったのではないか」という問い掛けをしています。しかし、明らかにそうであるということではないのです。確かに創業者のエイドリアン・ゼッカ氏は日本に暮らしていたことがありますので、当然旅館についても、知っていたでしょう。しかし、かつて彼の右腕であった人は、旅館とアマンについて「面白いパラレル(相似)だ」と言っています。似ているけれども、まねたのではなく、偶然そうなったと。これは強がりではなく、本当のことを言っていると私は思います。先ほど植民地の話をしましたが、エイドリアン・ゼッカ氏は、アジアに住むインドネシア系華僑の大金持ちで、使用人をたくさん抱えたライフスタイルを持っていましたので、アマンはその中から生まれたサービスなのだと思います。そういう意味でも、やはり日本のホスピタリティとは原点が違うのです。私は、むしろ日本人がこの都市伝説にすがろうとしているような気がしてなりません。本当はホスピタリティのレベルが高いのにどこか自信が持てない、それが日本のホテル産業の現状ではないかと思います。

64年開催時とは立ち位置が違う

白井:白井:2020年の東京オリンピック開催に向けて、東京の街づくりの面でも新たなビルの建設やホテルの建て替えなど、さまざまなインフラプロジェクトが計画されています。東京はどのような街づくりをめざしていくべきとお考えですか。

山口:1964年の東京オリンピック開催時と同じことをしようとする動きがありますが、日本はもう成熟した国ですから、64年と今では国の立ち位置が違うと思います。一つ参考になる例は、前回のロンドンオリンピックです。開催地のウエスト・エンドは再開発地区だったこともあり、その周辺でオリンピックに向けて新規開業したホテルは数軒だけでした。日本でいうビジネスホテルを何軒か建てただけで、ラグジュアリーホテルの新規開業はほとんどなかったのです。私はオリンピック開催の時期にロンドンに行きまして、これが成熟都市のオリンピックの迎え方なのかと非常に印象に残りました。そこまでとはいいませんが、2020年に向けての東京を考えるにあたって、参考になる話ではないでしょうか。64年の東京オリンピックのころに建てられたモダニズム建築がどんどん壊され、新しい建物が建っていくことには非常に危惧を感じます。残念なのは、ホテルオークラの建て替えです。日本人はこの時代の建物をあまり重要に思わないのかもしれませんが、ホテルオークラは東京のモダニズム建築として海外で大変評価が高いのです。東京が一番元気だった時代にもっと目を向け、これまでの東京を肯定して遺産を生かしてほしいと思います。江戸時代や明治や昭和初期だけが歴史ではなく、高度経済成長を遂げ、東京オリンピックから50年かけて積み重ねてきたものも歴史なのです。もちろん取捨選択は必要ですが、歴史を語るモニュメント、建築物を生かした形での街づくりこそ、これからの東京のあるべき姿、原型にするべきではないでしょうか。

ホテル産業を支えるマネジメント力

白井:製造業は、「よい製品をいかに安くつくるか」を重視し、どうしても効率性に目を向ける傾向があります。当然ながら製造業とホテル産業ではビジネスモデルも違いますが、効率性を追求すればホテルの魅力を削いでしまうことも考えられます。日本のホテルや旅館のホスピタリティをグローバルに展開していく上で、マネジメントの面ではどのような変革が必要とお考えですか。

山口:難しい課題ですが、やはりホテル産業もある種の効率性を考えなければ大きなビジネスはできません。アジアのホテルにはシャングリラ、ペニンシュラなどのようなインターナショナルブランドがありますが、そういうブランドをつくれていないところが日本のホスピタリティ産業の弱さだと思います。先ほど述べたように、日本のおもてなしそのものは水準が高く、また、一つ一つを見れば大変レベルの高いホテルや旅館があります。けれどもブランディングが非常に弱いと感じます。星野リゾートの星野佳路社長が口癖のようにおっしゃるのは、「海外に行くとトヨタや日産の車が走り、日立のエレベーターが利用され、現地の人みんなが日本ブランドを知っている。それなのに、ホスピタリティ産業で知られる企業はない」ということです。これほど「おもてなしの国」と言われながらもインターナショナルブランドがないというのは、海外に比べてマーケティング力が弱かったからではないでしょうか。

白井:欧米のインターナショナルブランドのホテル経営には、体系的な経営理論が適用されています。コーネル大学ホテル経営学部などは世界的にも有名ですが、そこで学んだ日本人も随分いるのではないでしょうか。

山口:実は私の父が1961年のコーネル大学ホテル経営学部の卒業です。長らく父はコーネルホテルソサエティジャパンの東京チャプタープレジデントを務めていました。現在のホテルオークラ社長の荻田敏宏氏や、星野リゾート社長の星野佳路氏なども同窓生で、留学の際に最初に面接を担当したのが私の父だったそうです。でも、80年代の時点では、ホテルの経営理論を学んだ人たちが必ずしも企業のトップではなかった。欧米に比べると日本は少しタイムラグがあったかもしれません。ただ、業界の中には科学的な経営理論に基づいたやり方に対するアレルギーがあるのも確かです。例えば、星野リゾートに対して「効率ばかり求めている」「本来のおもてなしから外れている」というようなネガティブな声も聞かれます。しかし、効率化や生産性をしっかり考えたホテル経営を展開していかない限り、日本のインターナショナルブランドはつくれないと思います。

白井:大変難しいところですね。10年くらい前になりますが、ITの世界で「ユビキタス」という言葉が流行しました。これは「いつでもどこでも誰でも情報にアクセスできる」ことを表します。今はスマートフォンが普及して、ほぼその世界が実現しつつありますが、そのころはまだ少し先の時代のイメージでした。当時「来るべきユビキタス時代」と題して講演を行ったことがあるのですが、そのときの参加者で、ホテルのコンシェルジュをされている方の発言が今も忘れられません。それは「いつでもどこでも誰でも、という時代が来るのを喜ばしいとは思いません。ホテルのサービスがめざすのは、今だけここだけあなただけ、ですから」。これには、目からうろこが落ちた思いでした。それ以来、この二つが両立しないものだろうか、と考えてきました。メーカーの世界では「いつでもどこでも誰でも」はまさに量産を表す言葉で、ホテルの世界では「今だけここだけあなただけ」は究極のホスピタリティを表す言葉です。マネジメントの観点から考えると、両者はどこで折り合いをつけられるのか、非常に難しいところです。

山口:そうですね。日本はそれを今、試み始めているのではないでしょうか。インターナショナルブランドのホテルでは、すでに折り合いをつけて一つのスタイルを形づくっています。例えば、ホテルチェーンはヒルトンにせよ、ハイアットにせよ、一つのホテルの名前の下にたくさんのホテルを運営していますが、それは製造業における大量生産とは違います。ひとつのパッケージの 中で個々のマーケティングを展開するスタイルです。一つ一つのホテルがやっていることは違うけれども、それらをまとめて統一したブランドのパッケージングをしていく作業なのだと思います。

箱根という土地の魅力

白井:最後に、山口さんご自身についてお話を伺いたいと思います。著作活動を機に、再び箱根と向き合うようになり、初めて箱根の魅力に気付いたと話されています。あまり箱根に縁のない人には、箱根駅伝や温泉くらいしか思い浮かばないものですが、箱根に生まれ育った山口さんが感じている魅力とは、どのようなものでしょうか。

山口:まず大きなアドバンテージは、首都圏に近いことだと思います。それから、湯布院や軽井沢などの観光地と大きく違うのは、「面」で発達したのではなく、いくつもの「点」で構成されているところです。「点」とは、山の中に点在する17湯の温泉地です。さらに「点」を結ぶ「線」、つまり交通網が発達しているのが箱根の大きな特徴といえます。温泉が一つ一つ離れているので自然も残っていますし、それぞれに個性があり、交通網によって便利に移動でき周遊も楽しめます。これが箱根という土地の他のところとは違う魅力につながっているのだと思います。

白井:確かに他にそういう観光地はなかなかありませんね。山口さんにホテルのお話をいろいろ伺ってきまして、ご趣味がそのままお仕事になっている面もあるように感じますが、プライベートな時間で楽しまれていることはありますか。また、日々、著作活動に取り組む中で実践されているリフレッシュ方法などがあればお聞かせください。

山口:仕事に絡むこともありますが、スキューバダイビングが好きです。海に潜っている間はその世界だけに浸れるので。といってもダイビングには頻繁には行けませんから、日々の生活の中でのリフレッシュはランニングです。走っていると、いろいろな事柄が頭の中で整理されるので、週に1回は家の近くにある多摩川沿いを走っています。私のもう一つの専門分野がパプアニューギニアなのですが、このエリアはダイビングスポットとしても素晴らしいところです。私の専門はニューギニア島の東側の独立国であるパプアニューギニアですが、西側にあるインドネシア・パプア州のラジャアンパットでダイビングしたときは、隙間が見えないほどの魚の大群が泳いでいて圧倒されました。1回しか行っていませんが、ぜひまた行きたいと思っています。

白井:パプアニューギニアには、年に何回、行かれるのですか。

山口:その年にもよりますが、これまでに10回以上取材に行っています。『世界でいちばん石器時代に近い国パプアニューギニア』(幻冬舎)という本も出しています。

白井:天国ではなくて石器時代に近い国なのですね。

山口:はい。20世紀に入って初めて近代文明と接触した地域もたくさんあります。日本で東京オリンピックが開催されたころに、まだ石器時代だった地域もあるんですよ。これを聞くとビックリされるでしょう。

白井:驚きました。お仕事柄、ホテル事情に限らず諸外国に対しての造詣も深いと思いますが、山口さんが行かれた中でお薦めの国や場所を教えてください。

山口:なかなか一つを選ぶのは難しいですが、とても心を揺さぶられた場所、そういう意味で一つご紹介したいのがアフリカのナミビアです。南アフリカの少し北の、かつて南西アフリカといわれていた大西洋岸に面している国で、世界最古の砂漠として有名なナミブ砂漠があります。夕陽を浴びてアプリコット色に染まる砂丘を見たときは、世界各地を旅してめったなことでは驚かない私も思わず感動の声を上げてしまいました。それ以来、何度か訪れています。砂漠自体の美しさに加えて、もう一つ興味深いのは地図上の空白地帯です。広大な面積を持つナミブ砂漠の南端、南アフリカとの国境に近い辺りに、地図で見ると空白になっている地域があります。これは何かというと、ダイヤモンドが採れるエリアなんです。情報が伝わらないように空白なのですが、そこには、ダイヤモンド鉱山の廃虚があって、事前に許可をとれば訪れることができます。ダイヤモンドを手に入れるという欲望を実現するために砂漠に町を築き、ケープタウンから列車で水を運び、活力がみなぎっていた場所も採掘を終えてしまえば打ち捨てられる。大自然と人間の欲望がせめぎ合っているようで、なんてすごいところだろうと思いました。簡単に行ける場所ではありませんが、心揺さぶられる体験がしたいのでしたら、ぜひお薦めします。

白井:お薦めのホテルはありますか。

山口:自分でまた行きたいと思うのはタンザニアのセレンゲティにあるサファリ・ロッジです。南アフリカ資本のシンギータが手掛けているラグジュアリー・サファリ・ロッジなのですが、大自然とラグジュアリーが融合した、そこでなければ絶対に味わえない感動があります。アジアンリゾートが束になってもかなわないくらいゴージャスですよ。ロッジを一歩出るとヌーの大群が移動していたりして、『ナショナルジオグラフィック』やBBCのドキュメンタリー映像の中にいるような情景がラグジュアリーリゾートとして味わえるという、究極の体験ができます。

今後の活動について

白井:ホテル関連の著作活動では第一人者になられ、旅行、文化、建築など幅広い分野に取り組んでいらっしゃいます。今後、著作活動をどのように展開していこうとお考えですか。

山口:大きなテーマで言えば、日本人の生き方の指針となるようなものを書いていきたいと考えています。それは例えば、忘れられた先人の評伝かもしれませんし、あるいは地球というもの、世界というものを俯瞰して見る内容のものかもしれません。日本という国のこれからの立ち位置を考えるものかもしれません。世界の中で日本が求められるものも変わってきています。これまで経済大国で来た日本は今、変革期に差し掛かっていると思います。

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私が関わってきた観光産業もそうです。今まで観光産業は、日本ではどちらかというと脇役でしたが、2020年のオリンピック以降 は主役になるかもしれません。日本のことがよく見えていなければできない分野です。これからの日本が進むべき道標となり得るものを書いていければうれしいですね。

白井:今後の作品を楽しみにしております。最後の質問になりますが、ご自身の生き方のロールモデルとされている人はいらっしゃいますか。

山口:この女性のように年を取れたらいいなと思うのは、レニ・リーフェンシュタールです。もともと女優でしたが映画を撮る才能もあり、ヒトラーの寵愛(ちょうあい)を受けてナチスドイツ政権下でベルリンオリンピックの記録映画を撮ったことで知られています。戦後はヒトラーの寵愛を受けていたことから、社会から追放されるのですが、彼女はそこで終わりませんでした。今度は静止画のカメラマンとなり、「ヌバ」というアフリカの民族を撮影した写真でまたセンセーショナルにデビューします。さらに晩年、70代になってからダイビングのライセンスを取り、最後は水中写真の作品を発表しました。いくつになっても、何があっても、好奇心を忘れないで自分がいいと思うもの、新しいものを探し求めていく。そういう姿勢やバイタリティを持って、私もレニ・リーフェンシュタールのごとく、生きたいと思っています。

白井:本日は大変興味深いお話をありがとうございました。

編集後記

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山口さんは、富士屋ホテル創業家ご出身で、旅やホテルをテーマとした著作活動に取り組まれています。今回は、アジアンリゾートの形成に果たしたダイバーシティの役割、日本のホスピタリティと欧米やアジアのホスピタリティのルーツの違い、また、ホテル産業におけるマネジメントのあり方などについてお話しいただきました。アジアンリゾートをつくり出した人々は、「複数の文化を背景に持つ人が多かった」というお話を伺い、イノベーションにおけるダイバーシティの果たす役割の重要性を改めて実感しました。一方で、植民地時代を背景にもつアジアンリゾートとは原点を異にし、主客対等を特徴とする日本の「おもてなし」が世界で通用する可能性があるというお話にも大いに触発されました。

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