ページの本文へ

Hitachi

メニュー

株式会社日立総合計画研究所

先端文献ウォッチ

最新の海外書籍・論文を研究員独自の目線で紹介

スティーブン・ローチ著「Accidental Conflict: America, China, and the Clash of False Narratives」
〜米中関係ウオッチャーとして知られる著名エコノミストによる米中対立緩和に向けた提言

SI-PI推進室
シニアストラテジースタッフ
坂本 尚史

先鋭化する米国と中国の対立を緩和させる手だてはあるのだろうか。2022年11月に刊行された本書は、現在の国際情勢に重くのしかかるこの問いに対して正面から向き合い、具体的な解決策を提案している点で評価できる。
著者のスティーブン・ローチ氏は、米国モルガン・スタンレーで約30年間、チーフ・エコノミストを務め、モルガン・スタンレー・アジア会長として香港で勤務した経験をもつ。2010年からは米国エール大学で教鞭(きょうべん)をとり、「The Next China(次の中国)」講座を開設したほか、論文・著作、議会証言などにより、特に米中関係のあり方に関して積極的に情報発信をしてきた。現在は、同大学法科大学院ポール・ツァイ中国センターのシニアフェローを務めている。
本書は、エコノミストのバックグラウンドをもつローチ氏が、二つの大国の経済構造の分析を踏まえつつ、国際関係論、覇権国理論、政治学、歴史学などの多様な知見を結集して、米中対立が「偶発的衝突(accidental conflict)」にエスカレートすることを防ぐ方策について論じている。

1.深刻化する対立:国家間の「共依存」

米国と中国は、それぞれ経済的な脆弱(ぜいじゃく)性を抱えている。米国経済は、90年代に比べてかなり弱体化しており、国内貯蓄の不足によって、投資と成長の機会が限定されるリスクがある。逆に中国は国内貯蓄過剰であり、本格的な消費経済への移行ができていない。本来、両国はこの「国内貯蓄問題」に正面から対処しなければならない。米国では、国内貯蓄不足のため貿易赤字(経常収支赤字)が慢性化し、それを海外からの資本流入によってファイナンスする構図が長らく続いてきた。米国は2021年時点で100カ国以上に対して貿易赤字を計上しているが、トランプ政権はこの貿易赤字全体の責任が中国にあるかのように非難して、追加関税を課してしまった。ローチ氏は、トランプ政権が使ったこのような論法を「誤った物語(false narrative)」と呼んで、注意喚起をしている。「誤った物語」は、直感的に分かりやすく、非難すべき対象を明確に示している場合が多く、国民に受け入れやすいため、政策立案の場にも入り込んでいく。
「誤った物語」に縛られた米中関係は、国家間の「共依存(codependency)」と呼ぶべき状態に陥ってしまった。「共依存」は精神医療分野の用語であり、「自分と特定の相手がその関係性に過剰に依存し、とらわれている状態」を指す。米国は、貿易と技術のデカップリング(本稿執筆時点ではデリスキングという呼称が一般的になりつつある)を推し進め、中国はこれを「封じ込め」だと捉えて対抗措置を取る。さらに、覇権国家を巡る競争が状況を悪化させ、軍事的衝突の可能性まで語られるようになる。米国と中国は、貿易と投資によって高いレベルの経済的な相互依存性を持っていたにもかかわれず、病的ともいえる国家間の「共依存」に陥ってしまい、政治的・経済的にお互いに依存しつつも、相手を非難しながら対立している。

2.不信から信頼への移行:「低い枝にある果物」の摘み取り

ローチ氏の主張はこの分析だけにとどまらない。
国家間の対立を緩和に向かわせるためには、相互の不信を信頼へと転換することが必須である。米中のような二大大国の場合には、両国がリーダーシップを発揮することができるようなグローバル課題を選定して、その解決に連携して取り組むことなどを通じて、短期的な成果を上げることが第一歩になり得る。そのような「低い枝にある果物(low-hanging fruit:容易に達成できる成果)」として、気候変動、感染症対策、サイバーセキュリティの3分野が例示されている。
気候変動の分野は、全面的とは言えないまでも、米中協力が目に見える形で進展している。2021年4月には、米国主催の気候変動に関する会合で、数十カ国の首脳とともに、習近平国家主席とバイデン大統領が気候変動対策へのコミットを確認した。同年11月に開催されたCOP26(国連気候変動枠組条約第26回締約国会議)でも、両国のコミットが再確認されている。
感染症対策の分野でもこのような協力関係が築けないわけではない。アイデアとして挙げられるのは、新型コロナウイルスに対するワクチンと治療方法の共同開発、感染者に関する人口統計学データの共有、感染者との接触情報の追跡に関するベストプラクティスの共有、などである。サイバーセキュリティ分野では、2014年に停止されるまで、両国軍間の交流が行われており、情報共有や課題解決の建設的な議論が実施されていた。このような活動が将来の協力のベースとなるかもしれない。
一方で、短期的な成果をめざすこの道のりも平たんなものではない。この点で両国のリーダーに必要になるのが、「コンパートメント化(compartmentalization)」の能力である。これは、ローチ氏の説明によると、協力関係を築こうとする分野以外で何らかの問題(対立)が生じた場合に、国内の感情的な反発を抑えて、課題を切り分け(コンパートメント化し)、特定分野での協力関係を継続する能力を指している。バイデン大統領はこの点に関して、習近平国家主席より難しい国内政治情勢に直面している。

3.相互依存性の再構築:二国間投資協定の締結と「米中事務局」の設置

ローチ氏の分析と提言はさらに続く。
トランプ政権が2018年以降、中国からの輸入品に課してきた追加関税の引き下げや対中貿易赤字の削減をめざした交渉は、2020年に第1段階の経済・貿易協定が締結されたものの、それ以降は停滞している。この交渉の枠組み全体を高レベルの基準を設定する「二国間投資協定(Bilateral Investment Treaty: BIT)」に置き換えることが有効であるとローチ氏は指摘している。米中間の二国間投資協定の交渉は2008年に開始されていたが、トランプ氏が大統領に就任した2017年に停止された。これにより多くの協力機会、ビジネス機会が失われることになった。
米中間の新たな二国間投資協定に含める内容として、例えば、両国の市場において、相手国企業による直接投資に対する所有割合の上限を撤廃する。この条項一つだけで、技術移転要求が課されないこと(米国側が強く主張してきた点)を担保できる。また、政府補助金の透明性の改善と国有企業による民間企業並みの(商業的考慮に基づく)行動を規定する。これは、公平で互恵的な産業政策の適用を担保する。その他にも、環境基準、労働者の権利、規制の透明性などの規定を設けることができる。これらの内容は、2020年に合意されたEU・中国の投資協定(未批准)にも含まれている実現性の高いものであり、二国間の構造的な課題に対処できる可能性がある。
さらにローチ氏は、新たな二国間投資協定の履行メカニズムを提供するなど、米中関係全体を管理するプラットフォームとして、「米中事務局(US-China Secretariat)」の設置を提案している。事務局のトップは、両国から選任された二名の専門家が務め、両国政府へのシニア政策アドバイザーと位置付けられる。過去の米中対話における会合イベント対応型の取り組みとは異なり、米中間の本質的な課題の解決をめざして、専任スタッフが以下の4領域の業務を行う。
①課題設定と政策提言:成長機会の獲得と対立解消に向けた共同調査プログラムを運営し、政策提言を実施する。調査の基礎となる統合データベースを維持・管理する。
②専門家のネットワーキング:両国の学術界、産業界、シンクタンクなどの専門家のネットワークを構築し、必要なプロジェクトに派遣する。
③履行モニタリング:二国間協定などの履行状況を詳細にモニタリングするためのダッシュボードを開発・運用する。
④情報発信:オープンで透明性の高いウェブ上でのコミュニケーションにより、米中関係のデータ、事務局リサーチャーによる調査レポートなどを発信する。

4.大国の衝突という運命論を超えて

本稿筆者の理解では、ローチ氏が指摘する国家間の「共依存」の状況は、米中関係の専門家の間でも共有されている。例えば、米国コーネル大学教授のジェシカ・チェン・ワイス氏は、「(米中)双方で米中関係が危機に直面するのは避けられないとみなす運命論が台頭し、危機が必要だとみなす議論さえある」と指摘している(「フォーリン・アフェアーズ」2022年10月号掲載論文「米対中戦略の落とし穴」)。
ローチ氏は、本書において、米中対立の緩和に向けた具体的施策の全体像を提案している。今後は、この提案の実効性と実現可能性の議論がさらに深まることに期待したい。例えば、「低い枝にある果物」として例示された気候変動問題における米中協力は、COP26以降、停滞しているのが実態である。こうした課題を一つ一つ解決していくことも必要だろう。

ご紹介の文献URLはこちら
Accidental Conflict (yale.edu)

執筆者紹介

坂本 尚史(さかもと なおふみ)
日立総合計画研究所 SI-PI推進室 シニアストラテジースタッフ
グリーン分野の政策動向、産業動向の調査などに従事。
日立製作所 社会イノベーション・プロジェクト本部などを経て、現職。