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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第11回:インドネシアは渋滞を抜けられるか

 約10年ぶりにジャカルタを訪問した。インドネシアの人口は2億7,000万人を超え世界第4位、平均年齢も30歳未満と若く、人口ボーナスを謳歌(おうか)している。名目GDPは現在世界16位だが、2050年には中国、インド、米国に次ぐ世界第4位になるとの予測もある。おおむね年率5%程度の経済成長を実現し、国民に人気の高いジョコ大統領は、2期10年の任期を全うして、路線継承を宣言しているプラボウォ氏にこの10月にバトンタッチする。

 1万3,000以上の島を有しさまざまな自然が広がるインドネシアは、300もの民族を抱え、文化、宗教、言語、歴史に至るまで極めて多様だ。国章ガルーダ=パンチャシラは、インドの神話に登場する伝説上の鳥で、ヴィシュヌ神の乗り物。両脚でつかんでいるリボンに書いてあるのは、14世紀マジャパヒト王国時代のジャワの詩にある言葉で「多様性の中の統一」を意味している。まさに多様性こそがインドネシアの国の成り立ちそのものと言える。

 ジャカルタの交通渋滞の状況は10年前とほとんど変わっていないようであった。ホテルからオフィスまで歩いて10分程の距離だったが、迎えの車が手配されていたので乗車したところ、なんと到着までに50分かかった。都市のサイズに比較して道路面積が極めて小さいジャカルタでは渋滞解消の方策が見いだし得ない。道路面積の合計よりも、車の床面積合計の方が広いのではないかとの説さえある。17世紀前半にオランダ東インド会社がバタヴィアとして建設した古い街は、土地の権利関係が錯綜(さくそう)して再開発もままならない。2019年には、円借款プロジェクトで日本技術による地下鉄が開業しているが、南北路線のみの16キロメートルほどのサービスであり、渋滞解消には焼け石に水だ。交通渋滞でこの10年間に失われた時間と経済損失を思うとくらくらと目まいがする。

 インドネシアは、ニッケル、スズ、ボーキサイト、パーム油といった天然資源が豊富で、政府はこれを活用した経済成長戦略を取る。天然資源の輸出を制限することで、国内での精製や加工産業といった川下の製造業を育成していく“ダウンストリーム”戦略である。EV電池に必要なニッケルでは、未加工鉱石を禁輸し、海外からの国内投資の誘致に成功した。新ワシントンコンセンサスと称して欧米も実行する自国優先主義の産業政策と言えよう。渋滞や大気汚染のマイナスが大きいジャカルタの状況を改善するため、カリマンタン島のヌサンタラに首都は移転する計画だ。

 インドネシアの経済面での中国への依存度は高い。2023年のインドネシアに直接投資する国・地域のランキングは、1位シンガポール、2位中国、3位香港、4位日本となったが、シンガポールからの投資のマジョリティーは中国資本が経由していると推察され、実質的に3位までの合計で6割近くが中国からということになる。2023年に米国とインドネシアは両国関係を「包括的戦略パートナーシップ」に格上げしたが、両国間の関係が有意義に深化しているとは言えない。国民の9割近くがイスラム教徒であるインドネシアでは、パレスチナへの共感度が高く、ガザ地区への侵攻を止めないイスラエルとその支援をしている米国への反感が強い。米国が声高に訴える民主主義のダブルスタンダードに批判的だ。インドネシアも中国と南シナ海で領有権の問題を抱えるものの、フィリピンなどに比べて深刻さは低い。中国との地政学的競争において米国はインドネシアを失ってしまうリスクを考えるべきだろう。

 プラボウォ新政権の副大統領はジョコ大統領の息子のギブラン氏である。憲法規定上副大統領候補は40歳以上と制限されているが、憲法裁判所が地方首長経験者は例外と判断した。憲法裁判所長官はジョコ大統領の義弟が務めており、36歳のソロ(スラカルタ)市市長ギブラン氏を立候補させるための政治的意図が働いている。30年以上の独裁政権を維持したスハルト体制から脱し、民主主義国家として歩んでいるインドネシアだが、ネポティズム(縁故主義)によるガバナンス後退のリスクを抱えている。新政権も産業育成のためのダウンストリーム戦略を継続する見込みだが、過度に保護主義的な経済政策は、競争排除的な市場慣行と相まって経済成長の妨げになる可能性がある。経済成長と社会の安定は保障されてはいない。生産性の継続的改善と技術革新、中間層を育てる内需喚起を図る政策への転換が求められる。

 インドネシアを植民地支配したオランダはこの国を「赤道にかけられたエメラルドの首飾り」と呼んだ。国外の地政学情勢や国内の不安定要因がさまざまに障害となるであろう将来において、インドネシアが真に自立した民主的経済大国になる道筋は決して平たんではない。この渋滞を抜け出て、翠玉(すいぎょく)色の列島が快走する姿を目撃することができるだろうか。