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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第2回:震える欧州

 6月にチューリヒ、ブリュッセル、ロンドンを訪問し、多くの識者と議論をする機会を得た。欧州は震撼(しんかん)している。言うまでもなくロシア・ウクライナ戦争によってである。しかし、欧州に近年衝撃を与えたのはこの戦争だけではなく、ブレクジット、米国のトランプ政権、パンデミックもあり、欧州はこの数年震え続けている。現在ユーロ圏のインフレは高止まりの状態で、ECBは利上げを継続せざるを得ず、経済の回復はインフレが落ち着く2024年以降になると見込まれる。ブリュッセルでもロンドンでもレストランでの食事は高額で、うっかり円換算すると息が止まりそうになる。高インフレが消費者の購買力を押し下げる結果、景気浮揚が遅延してしまう。かろうじて、環境関連投資と防衛費の拡大が経済回復のドライバーとして期待される。

EUは、現在“Strategic Autonomy”を掲げて独自の国際路線をめざす。その具体的に意味するところは必ずしもEU内で完全なコンセンサスがあるわけではないが、米国と全ての運命を共にはできないという含意であるのは間違いないであろう。米国がインフラ抑制法(IRA)や半導体産業政策(CHIPS法)によって自国優先主義を推し進める経済政策に呼応して、EUも同様に自国優先の政策を導入せざるを得ない。“Autonomy”であることに追い込まれてしまった状況を“Strategic”と称せざるを得ないとも言える。経済面では米国の政策に反感を抱きつつも、ロシアに対抗しウクライナへの支援を継続するためには米国の存在は欠かせない。米国の来年の大統領選の結果次第では欧州と米国の関係も再度激震に見舞われる可能性がある。そのリスクへの耐性を保つためにも自立性を確保しておく必要を見ているのであろう。

 チューリヒでは30年来の古い友人に会った。ニューヨーク駐在時代に同じ職場に居た人で、彼は日本にも1年ほど滞在経験がある。日本では相撲部屋の朝稽古見物に行き、米国ではマンハッタン8番街のバーをはしごした仲である。この数年は、スイスの製薬会社数社向けに、対メディアや対顧客など幅広くコミュニケーションのサービス・教育を提供している会社を運営している。新型コロナの蔓延(まんえん)によってロックダウンが進んだ際にはビジネスの大幅な縮小を予期したとのことであった。しかし、実際は、オンラインベースでのサービス提供を希望するクライアント企業が増加し、ビジネスはむしろ拡大したという。しかも、顧客企業は大西洋を越えて広がり、今ではアメリカ西海岸のIT大手やスタートアップが優良顧客となっている。欧州に居ることは世界のどこにもアクセスが容易であるようだ。

 欧州は新技術の標準化や人類が取り組むべき大きなテーマの枠組みづくりが得意だ。世界のどこにもつながりやすい一方で、多様な文化・歴史背景を持つ国々の集合体であることから、新しいルールをつくっていくことがごく自然なプロセスとなっているのであろう。気候変動対応のカーボン・ニュートラルについても欧州が先導しているが、現在はサーキュラーエコノミー政策も加速しつつある。特に、重要原材料においては、EU加盟国が実現すべき目標として、域内採掘は域内消費の10%、域内加工は域内消費の40%、域内リサイクルは域内消費の15%を掲げている。脱炭素社会実現のための再生可能エネルギーの拡大などは、希少金属の採掘増大などを通じて時に自然への負荷を高めてしまう。サーキュラーエコノミーの拡張、徹底こそが最も理想に近い解決策だと言える。

 エネルギー問題は欧州が直面している大きな困難の一つだ。ウクライナ戦争の影響で燃料価格が高騰し、これに応じるため欧州各国政府は補助金を増大。5,000億ユーロが消費者向けに拠出された。ロシア産ガスを調達先から外すシフトが急速に起きると同時に、天然ガス需要全体は20%近く減少した。一方、再生可能エネルギーの単価は継続的に低下しているが、一般消費者が支払う価格には反映されてはおらず、エネルギー転換の恩恵を人々が感じる段階には至っていない。戦争の影響によって世界のエネルギー調達・地域分配バランスが崩れ、先進国によるグローバルサウスへの支援も進まず、地球温暖化ガス削減目標の達成は厳しさを増している。各国・各企業は、目標値は提示しつつも、その実現プロセスは必ずしも明確ではない場合が多い。パリ協定の1.5度目標はもはや達成困難というのが大勢の見方になりつつあるが、2.5度目標すら、このままでは難しい。震える欧州が再度強いリーダーシップを発揮することを期待したい。