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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第1回:エコシステムとしてのワシントン

 米国ワシントンDCで5年半を過ごして先日帰国した。ワシントンは米国の首都であり世界の政治の中心でありながら、決して大都市ではなく、市内をポトマック川が優雅に流れ近郊に緑も多いこぢんまりとした街である。人口は70万人程度であり、ニューヨークの800万人、ロンドンの900万人、東京の1,400万人と比べてもその小ささが際立つだろう。ホワイトハウス・議事堂・最高裁判所・各省庁・世界銀行などが集積し、スミソニアンだけでも20以上の博物館・美術館が点在しているが、主だった場所には車で15分ほど、大よそのエリアは歩いても行けてしまう。1912年に日米親善の証しとして東京市(当時)が贈った桜を始まりとするワシントンの桜は有名で、この春もタイダルベイスンやワシントンモニュメントの周囲を美しく彩った。米国内および世界中から観光客が訪れる観光の街でもある。四季ごとに美しく着飾る街は、その深奥で展開する政治の闘いとのコントラストを成している。

 この比較的小さなエリアに、米国の最高権力が集中する。米国の三権分立は厳密にデザインされており、大統領の行政府、上院と下院からなる連邦議会の立法府、連邦最高裁を頂点とする司法府は、それぞれにお互いを強く牽制(けんせい)している。米国大統領は最高権力者として映画や小説で描かれることが多いが、実際は、連邦議会の承認なしに実行できる政策は極めて限定的な範囲にとどまる。例年大統領が発表する予算教書ですら、あくまで大統領の希望リストに過ぎず、具体的な予算内容の決定は連邦議会に委ねられている。モンテスキューが唱えた三権分立は米国において最も徹底され、これが権力の専横を許さず、民主主義の発展とサステナブルな経済発展を可能にする礎となったとも言えるであろう。

 しかし、政府の三権がバランスしつつその中で重要な決定がなされているという単純な構図では、ワシントンは把握しきれない。よく知られているように、米国政府内のリーダーたちは、政権が交代するたび、あるいは政権の途中でも、"リボルビングドア”を通って民間との人事交流が盛んである。官庁の日々のオペレーションを回す官僚は多数居るものの、政府の上位層で意思決定をつかさどるリーダー層は政治任用されることとなっている。バイデン大統領が直接政治任用したスタッフは4,000人以上に上り、その内上院の承認を必要とするポジションは約1,200になる。加えて、上院下院の連邦議会で働くスタッフや各議員のスタッフも入れ替わりが激しい。米国政府を動かす人的資本は非常にダイナミックに回転していると言える。若く優秀なメンバーが比較的低賃金で猛烈に働き、成果を挙げてどんどん次のポジションに移っていくというイメージだ。

 政策の意思決定プロセスも、決して三権の中で閉じてはいない。政策の立案、修正、決定のプロセスにおいて、米国政府は可能な限りの情報・分析・アイデアを取り込もうとする。シンクタンク、アカデミア、NGO、弁護士事務所、各国大使館、業界団体、コンサルタント、企業、メディアなどからのインプットを歓迎し、それぞれの組織も自らの影響力を行使しようとする。民間団体からの働きかけはロビイングという形を取ったり、パブリックコメント(以下、パブコメ)募集への対応という形を取ったりする。日立も、この数年、日米貿易全般に関するものから、AIや鉄道技術など特定分野のものまで、毎年数件〜十数件のパブコメを米国政府に提出してきた。提出されたパブコメは基本的に誰もが見ることができ、民間団体のロビイング活動は全て活動記録義務があるため、各社・各団体のロビイング重点項目や費用規模は完全にオープンになっている。米国政府および政府外の無数の組織は、さまざまに重層的なネットワークを形成し、ダイナミックな人事交流を背景に、不断のコミュニケーションが展開されている。ジョンズ・ホプキンス大学のケント・カルダー教授が「権力の半影」と呼んだ政策決定コミュニティである。

ワシントンという街そのものが、政治的知性を集積するエコシステムとして機能していると言える。また、このユニークな政策立案の有機体の中でも、シンクタンクが果たす役割はひときわ重要だ。政権は、政治的スタンスが近いシンクタンクに政策の立案・整備を依頼することが多い。アイデアの宝庫としても、知的労働力の供給元としても、トップ人材のソースとしても、シンクタンクが頼りにされている。カーネギー国際平和基金は国際問題の分析で名高いシンクタンクだが、理事長であったビル・バーンズ氏とは何度か意見交換の機会を得ていたため、バイデン大統領によってバーンズ氏がCIA長官に任命された際には驚いた。しかし実際はワシントンでは驚くべきことではなく、情報と人材の自由な流通こそが、ワシントンを開放系のエコシステム足らしめていると捉えるべきなのであろう。