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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第4回:踊るインド

 インドのデリーとベンガルールを訪問した。渡航前には映画「RRR」と「ザ・ホワイトタイガー」でインド気分を盛り上げた。インド映画は年間1,900本以上も制作され、中国の800本台、米国の600本台を大きくしのぐ、まさにインドの世界における上り調子を象徴している。「RRR」の驚きのエンターテインメント性と「ザ・ホワイトタイガー」の高い社会課題意識。扱うテーマの幅広さもインドの多様性を表現している。日本の映画館で「RRR」を観ながら踊って歓声を上げる観客を見ると、国境を越えて広がるインドのパワーを実感する。

 インド経済は好調だ。2023年1-3月期の実質GDP成長率は前年同期比6.1%増、4-6月期も7.8%と順調で、年間の成長率も6%以上が期待されている。中国を上回る世界最大の人口を抱えるインドは人口ボーナスを享受する。2023年の中位年齢(人口を年齢順に並べ、その中央で全人口を2等分する境界点にある年齢)は、日本49歳、米国38歳、中国39歳に対してインドは28歳。2030年時点では日本52歳、米国40歳、中国43歳、インドは31歳で、急速に高齢化していく日本や中国と異なり、若い労働者層が厚い状態を維持する。インドの経済規模は既に英国を超えて世界第5位だが、2027年には日本、ドイツを上回り世界第3位になることが見込まれている。2050年には米国に並ぶ可能性もある。

 2014年に成立したモディ政権は「デジタル・インディア」を重要政策として掲げ、全ての国民へのデジタルインフラの提供、行政サービスのデジタル化、市民のデジタルエンパワメントを進めてきた。結果、インターネットユーザ1人当たりのソーシャルメディア使用数やデジタル支払い回数は世界一になっている。インドのITエンジニアは世界中のITシステム開発・運営に欠かせない存在であり、大手からスタートアップまで米国IT企業CEOの多くがインド系であることにはもう誰も驚かない。しかし、もう一つの重要政策である「メイク・イン・インディア」はうまくいっていない。インドのGDPに占める製造業の比率を2022年までに25%までに高め、1億人の雇用を創出する計画だったが、製造業の比率は17%程度にとどまったままだ。この状況を打開すべく、モディ政権は2020年に生産連動型インセンティブ(PLI: Production Linked Incentive)を導入し、製造業成長の起爆剤としようとしている。

 30年以上前の学生時代に人生最初に訪れた外国がインドであった。パスポートを初めて取得し、バックパッカーとしてインドをさまよった。当時デリーの道は全く舗装されておらず、牛の排せつ物を一度も踏まずに1日を終えるのは難しいほどだった。ヴァラナーシーのガンジス川の朝日は特別に清浄に見え、コルカタ(旧カルカッタ)で出会った少年は、使用済みの日本製タオルを大喜びでもらってくれた。今ではデリーは世界有数の大都市となり、野良牛を見かけることはほぼなく、空気質指数(AQI)は150を超えて危険数値を示す(冬には数百にまで悪化するという)。ベンガルールには世界を代表するIT企業のオフィスや高級ブランド店が立ち並ぶ。しかしインドのカオスのパワーは全く変わらない。舗装道路にはしっかりと車線が引かれているが、車線を気にして走行している車は絶無。日本では見られない光景。国際会議で静かなインド人は騒がしい日本人同様に珍しい。

 インドは政治の世界でも世界の中心となっている。RCEPからは最終段階で離脱し、TPPにも非加盟で、基本的に多国間貿易協定にはくみしない。QUADで米国などと連携しながらも、ウクライナ侵攻を巡る国連でのロシア非難決議は棄権する。中国とは国境問題を抱えながらも、BRICSでは連携し、AIIBにも創設メンバーとして参加している。G20の議長国であり、グローバルサウスの代表を自認する。世界のパワーバランスの中心に位置し、地政学的変動のキャスチングボートを握っている。ただしこの巨大国家の安定は容易ではない。政権党であるBJPはヒンドゥー至上主義を掲げ、人口の約8割を占めるヒンドゥー教徒の支持を集めるものの、他宗教徒とのあつれきが絶えない。中国のインド洋への進出に伴って安全保障面での緊張感が高まる可能性がある。保護主義的な貿易政策、複雑な労働法・土地収用法、財政赤字などは製造業の成長の足かせとなり得る。外交も経済も課題は多いが解決に向けた熱意も大きい。インドが幾重もの混沌(こんとん)の中からエネルギーを抽出し続け、インド映画のようにみんながハッピーに踊るフィナーレをめざしてほしい。