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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第6回:迷えるASEAN

 シンガポールを訪問した。改装を終えたチャンギ国際空港は美しく整備され、入国手続きはほとんど自動であっという間に終わる。未来都市の様相だ。このシーズンは雨期に当たるため毎晩のようにスコールがあり、雨宿りで足止めになることを想定しないといけないが、おかげで少しの涼しさももたらされる。シンガポールは1965年の建国以来高い経済成長を継続し、現在1人当たり名目GDPは約8万3,000ドルで日本の2倍を優に超える。その成長の軌跡は、特定の競争要因によるものではなく、繰り返されたトランスフォーメーションによるものだと言える。低コストによる製造・輸出基地から、世界の金融ハブへ、そしてイノベーション創出拠点へと、時代ごとに成長ドライバーを自らビルトインしてきた。リー・クアンユー首相とリー・シェンロン首相という2人のCEOが「両利きの経営」として、現在の成長の深化と将来の成長の探索を同時に追求することで実現した企業的国家と言える。CEOは投資配分だけでなく、車の台数、人材、家賃、ガムの禁止までも管理する。シンガポールで働くための就労ビザを得る基準は厳しさを増しており、給与、学歴、職種、スキルなどのポイントの積算で決定される。ポイントが規定数に達しないとビザは下りない。学歴では“優秀な(top-tier)”大学とそれ以外はポイントが異なるし(日本の“優秀な”大学は五つだけ)、スキルではAIやデジタル人材にはポイントが加算されるといった具合だ*。1990年代から2010年代まで1シンガポールドルはおおむね60円〜80円のレンジで推移していたが、この2年ほどで急激に円安となり、現在1シンガポールドルは約110円である。外国人が借りるマンションの家賃は月に60万円以上する。現地で会った大学教授は、翌日から日本の成田近辺でゴルフざんまいの予定とのことで、飛行機代込みでもそんなに高くないとうれしそうだった。

 シンガポールからバンコクに移動した。タイを訪問する観光客はコロナ後回復が遅れているというが、夜のスワンナプーム国際空港は欧米からのツーリストでごった返しており、入国審査に延々と並びターミナルの混雑を経験する。昔ながらのアジアの味わいだ。タイはASEAN(東南アジア諸国連合)ではインドネシアに次ぐ第2位の経済規模(名目GDP)で、1980年代以降の日系企業をはじめとする外資の積極投資で製造業が集積した輸出基地となっているが、近来は経済成熟化が進みサービス業がGDPの約6割を占めている。2014年のクーデターで政権は軍事政権となり経済面では停滞している。今年5月にようやく民主的選挙を実施して貢献党を中心とする政権が成立した。最大の得票数を得たのは急進的な改革を掲げる前進党だったが、首相指名を得るための連立工作に失敗し、タクシン元首相が所属していた貢献党と親軍派の党などが連立し、セター・タビシン首相が就任した。呉越同舟の政権は長くは持たないと言われもするが、参加した政党がそれぞれに利権を得ているが故に損得勘定で結構長持ちするとの説もある。タイはASEANの中でいち早く成長を実現し社会インフラの整備も進んだ一方、平均年齢は40歳に近く、最近の経済成長率も2〜3%とASEANの中では低い。「中進国のわな」から脱することができるかどうかを問われる国だ。タイで自動車産業の存在は大きく、最近はEVの成長が著しい。EV販売台数は新車販売の10%を超えた。グリーン成長は中進国のわなから脱するきっかけになるかもしれない。売られているEVはテスラ以外のほとんどが中国企業のものだ。宿泊したホテルには20以上のゴルフバッグがズラリと並んでいた。日本からのツアー客のものとのことだった。タイには7万人を超える在留邦人が居て日本食も人気である。日本製のEVはないが、日本人は昔のままに楽しんでいる。

 ASEANは1967年にバンコク宣言で設立され、当初5カ国で発足したが、現在は10カ国からなる地域協力機構だ。2003年にはASEAN経済共同体創設を決定し2015年に発足、2018年には加盟国間の関税撤廃を実現した。現在ASEAN内国間の貿易が最大規模を占める。そこまでは良かった。2021年に発生したミャンマーでの軍事クーデター以降民主主義勢力への弾圧が続き、ミャンマーに対して欧米からの制裁が継続しているが、ASEANは解決に力を発揮できていない。現在「チャイナ+1」の選択肢としてASEAN地域は米中摩擦の恩恵を受けてはいるが、今年のASEANサミットはバイデン大統領も習近平主席も欠席した。米国はベトナムと個別にパートナーシップ協定を結ぶなど2国間での関係を優先する。イスラムの大国インドネシアは、人口ボーナスで成長余力も大きいが政治の行方は混沌(こんとん)としている。ラオスとカンボジアは中国の影響下にある一方、フィリピンは中国と南シナ海で領有権問題を抱える。経済の規模や発展段階と地政学的ポジションが極めて多様な国々の集まりであるASEANは、加盟国がまちまちの方向をめざしているかのようだ。デジタルエコノミーが求心力回復のきっかけになるかとも期待されたが、現状各国はデジタル技術の囲い込みに動いてしまっている。EUでは、加盟する各国の経済は低成長であることから地域一体で経済対策を進め、また、ロシア・ウクライナ戦争という危機によって結束を強めている。ASEANは、各国経済が好調であるため地域協力は必須ではなく、地政学情勢には恩恵を受けており、遠心力が働いているという対照的構図だ。実際には、ASEANを取り巻く地政学情勢は非常に不安定で、グリーン化、デジタル化、社会インフラ整備など域内協同で解決すべき課題も数多くある。囲む柵が低いが故に、みんながあちこちにさまよい出てしまいつつあるかのようだ。ストレイシープになってしまって戻れなくならないといいのだが。