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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第7回:メディアの終着点

 デジタル化とネット環境の進化によって社会は大きく変化した。1990年代半ば以降にインターネットが急速に普及し、個人と個人がネットでつながることが当たり前になった。私は1993年から97年にニューヨークに駐在したが、駐在当初は日本とのやりとりはFAXが主で、毎朝出勤するとFAX機から(あふ)れて落ちている東京からのドキュメントを拾い上げて目を通すのがルーティンワークであった。FAXの感熱紙は丸まってしまうので平らにして読むのに始末が悪い、と言っても今の世代には何のことやらわからないだろうが。それが駐在の途中からパソコンが導入され、日本とはメールでやりとりができるようになった。FAXはオフィス間の公式な書類のやりとりとのニュアンスが強かったが、メールでは個々人との連絡が可能になり、1万キロの距離と14時間の時差を超えてパーソナルな連絡ができることに驚いた。ニューヨークに居ながらにして、東京オフィスのゴシップに通ずることができるのである。

 90年代から携帯電話も普及を開始し、2000年代後半からは音声のみの携帯電話はスマホに置き換えられ、ビジネス環境でもスマホが必須のツールとなっていった。世界中どこに居てもいつでも連絡が取れる、ネットで絶えずさまざまな情報にアクセスできるというのがあっという間に当たり前になった。現在スマホのユーザー数は世界で40億人を超えている。1971年発行の筒井康隆の『幻想の未来』では、人類の後継らしき生物が地表をさまよいながら、何か不明な事象に遭遇すると、目に見えないデータベースのような「集合意識」が頭に直接その背景を解説してくれる。80年代に読んだ際にはあくまでも夢想的なシーンだと感じたが、現代では、人々はいつでもどこでもわからないことがあれば手元でスマホを検索し、ネットが回答をくれる。われわれは幻想の未来に近い世界に生きている。

 デジタル世界の遍在によって、多くの社会課題の解決可能性が広がる。ネットでつながるだけでなく、知識や経験の共有、情報の探索や分析、作業の分担や加速などの選択肢を相乗倍にできる。環境問題、少子高齢化、地政学的緊張、食糧危機、エネルギー問題などの社会課題は今や企業の経営課題でもある。日立は、多様な選択肢から個別具体的な解決策を導き出す、バーチャルとリアルによる協創のしくみLumada*を提供している。東京駅に隣接するLumada Innovation Hub Tokyoを先日訪問したが、ここは実際に業界・空間・時間を超えて知恵やアイデアをつなぐ場だ。問題の解決にはデジタルの力が有効だが、その力を花開かせるためには人間の力が必須になる。徹底した双方向のコミュニケーションによって、課題を抱えるチームに共感し、問題を定義してユニークな発想から解決策を導くLumadaのデザインシンキングは、どこまでも人間中心のアプローチだと言える。

 印刷物からラジオへ、ラジオからテレビへ、テレビからデジタル媒体へと、メディアは進化を続け、そのたびに人間は新たなメディアに酔ってしまう。テレビばかり見てるとバカになるよ、と子どものころに言われたが、今の子どもたちは、ゲームばかりやっていてはダメだ、ソーシャルメディアは危険だよ、と警告される。ネットの情報をうのみにしたりコピペしたりするのは知性の後退だ、もっと本を読んで考えることが必要だと言われる。しかし、ソクラテスは、文字を書いたり読んだりしてそれに頼るのは真実の知恵ではないとした。自分で考え対話することこそが知恵の源泉である。したがって、ソクラテスは一切書き物を残さず、彼の思想は弟子のプラトンが書き残したものによるしかない。書籍ですら人間の知性を曇らせるメディアだと見なされていたのである。

 あらゆるメディアは外部記憶装置であり、伝達手段であり、思考の補助器具である。ただし、デジタル・メディアの特殊性は、その遍在性と可塑性によって、プラットフォームともなりうるということであろう。そこにさらに生成AIが加わる。生成AIは単に次にどんなコトバが来るかを予想して並べているだけではあるが、あたかもそれ自身が思考しているかのように見え、結果、思考の補助ではなく思考を代替してくれているかのようである。人間が考えることの全てを外部メディアに委ねてしまうのが未来の姿なのか。もしそうなったらソクラテスは大いに嘆くであろう。だがしかし、生成AIのコトバは可能性のつながりに過ぎず、言葉の意味を理解しているわけではない。言葉によって世界全体を読み解くために必要な、身体性への記号接地はできていない。やはり人間が徹底して関わらないと本当の解決策は導くことはできない。スーパーメディアとしてのAIに酔い過ぎることなく、上手につきあえる方法を探ることが、リアルな未来に向けての大きなテーマになっていく。

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Lumada:お客さまのデータから価値を創出し、デジタルイノベーションを加速するための、日立の先進的なデジタル技術を活用したソリューション・サービス・テクノロジーの総称