Voice from the Business Frontier
荻野 剛(おぎの つよし)
General Manager,
Molecular Research & Diagnostics Division,
Hitachi High-Tech America, Inc.
1996年4月 日製産業入社
2007年10月 日立ハイテクアメリカ 駐在
2016年4月 日立ハイテク バイオ分析システム営業本部 バイオシステム一部 部長
2019年4月 日立ハイテク イノベーション推進本部 専門部長
2022年4月 Hitachi High-Tech America, Molecular Research & Diagnostics Division, General Manager
日立ハイテクは、25年以上にわたり米Thermo Fisher Scientific社(旧Life Technologies社)と協業し、キャピラリ電気泳動DNAシーケンサなどの遺伝子解析装置を開発していました。その後、2013年には日立ソリューションズと共同でゲノムマッピング技術を保有する米OpGen社とヒトゲノムデータ解析ソリューションの開発に着手し、2016年には社内にバイオ関連分野での新しい事業創生を目的とするバイオ分析システム営業本部が立ち上がりました。私が所属したバイオシステム一部では、独QIAGEN社と遺伝子検査事業での協業や、米Luminex社が開発した敗血症の迅速診断に用いられる遺伝子検査システム「Verigene」の日本国内への展開などを行っていました。
OpGen社との共同開発が終了した後も、ヒトゲノムデータ解析技術の開発を継続しながら、他の協業先を探索していました。それが米Nabsys社です。Nabsys社は、ヒトゲノムの構造多型*2情報を取得する装置や関連する試薬・消耗品などの開発・製造・販売を手掛けています。日立ハイテクは、2019年から同社へ出資し、業務提携を開始、私も同年4月からイノベーション推進本部へ移り、現地チームの活動をサポートしました。2024年8月、日立ハイテクは同社を連結子会社化しています。さらに2022年には、血液がんに特化した検査サービス事業をグローバルに展開する米Invivoscribe社へ出資し、協業を開始しています。
現在、私のチームは、カリフォルニア大学サンディエゴ校、Center for Novel Therapeutics*3内にあるアクセラレータ施設「HomeLab」に拠点を構え、Nabsys社とInvivoscribe社それぞれとの協業を通じて、製品開発と北米の顧客開拓を行っています。
日立ハイテクの主力事業の一つは、スイスRoche Diagnostics社との提携による体外診断事業ですが、我々が提供する装置事業以外で、検査や診断に携わる現場の人々が抱えている課題に十分なアクセスができていませんでした。この点、Invivoscribe社は自ら臨床検査ラボを運営し、医療機関などに対して直接検査サービスを提供していますし、製薬企業に対して、コンパニオン診断薬*4の開発や臨床試験のサポートを行っています。Invivoscribe社との協業を通じて収集した現場の人々の声を開発部門にフィードバックし、現場の人々が使いたくなるような検査装置を開発できるようにしていきたいと考えています。
また日立ハイテクでは、ハードウェアを開発・製造するだけではなく、顧客への直接的なソリューション提供を検討しており、その一つがヒトゲノムデータ解析ソリューションです。Nabsys社は、ヒトゲノムの解析装置(ハードウェア)に技術的な強みを持つ会社です。しかし、解析には大量のデータを高速で分析する必要があります。一方、日立ハイテクは、OpGen社と連携していたころからゲノムマップデータ*5をクラウドで解析するサービス「Human Chromosome Explorer」の開発を継続しており、Nabsys社のハードウェアと連携した付加価値の向上を模索しています。
Nabsys社、Invivoscribe社との連携を深めていくことが重要な目的の一つです。Nabsys社の本社はロードアイランド州ですが、マーケティングチームの拠点がサンディエゴにもあります。また、Invivoscribe社の本社もサンディエゴにあるため、当地に拠点を設置することになりました。
Nabsys社、Invivoscribe社との連携にあたっては、オフィスだけではなくラボも必要となります。サンディエゴにはライフサイエンス関連企業が集積し、貸しラボも多数ありますが、カリフォルニア大学サンディエゴ校「HomeLab」は、リーズナブルな価格に加えて、産官学連携に強く、さまざまな研究機関とのチャネルを持っていることが魅力でした。現地のコミュニティへの参加は大きな課題の一つですが、「HomeLab」が強力にサポートしてくれています。かつて私は、シリコンバレーでベンチャーキャピタルも同居するアクセラレータ施設「Plug & Play」に入居していたこともありますが、「HomeLab」の方がコミュニティへの参加に対する支援が手厚いと感じています。「HomeLab」の助けもあって、入居後半年もたたずに、カリフォルニア大学サンディエゴ校のさまざまな研究部門や研究施設だけでなく、周囲の研究機関、例えば、Scripps Research InstituteやSalk Instituteのような著名な最先端の研究機関とのつながりを築くことができました。
研究の最先端におけるバイオ技術のトレンドは、遺伝子・ゲノム解析からタンパク質や細胞レベルの解析までを含めたマルチオミクス解析へと移行し始めています。遺伝子・ゲノム解析の研究・知見はすでに多数の論文で発表されていますが、やはり遺伝子・ゲノムだけでは説明できない現象があり、マルチオミクス解析に注目が集まるのは自然なトレンドだと思います。
しかし、検査の現場では、真偽を明確にして確定的な診断に役立てられなければ意味がありません。その意味では、遺伝子・ゲノム解析の分野には役に立てることがまだ多くあります。そこで日立ハイテクは、診断・治療に役立つバイオ関連技術として、全ゲノム解析技術、例えばゲノムマップ技術の臨床応用をめざしています。次世代シーケンサ(NGS:Next Generation Sequencing)は、塩基配列の小さな変異を検出することは得意ですが、遺伝性疾患に影響を与えていると考えられる大きな変異や繰り返し(ゲノム構造多型)を検出することは難しく、NGSを補完する技術が求められています。また、マルチオミクス解析で扱われるタンパク質などの他生体サンプルは不安定な物質が多く、取り扱いが難しいのですが、遺伝子・ゲノムを構成する塩基は安定しています。検査で求められる標準化の実現、すなわち、いつ、どこで、誰が検査を行っても常に同じ結果が得られるようにするためには、測定サンプルの安定性は重要な要素の一つです。そのため、日立ハイテクは遺伝子・ゲノム解析技術の開発に力を入れています。
市場という観点では、個別化医療の市場は、検査や薬が高価で受診患者はまだ多くはありませんが、徐々に大きくなっている感触があります。一般的に、がん治療にはガイドラインが定められており、ガイドラインに沿った治療では治らない場合の選択肢として個別化医療が検討されます。まだ非常に高価であるため誰しもが受けられる治療ではありませんが、家族を何とか助けたいと思う人は多く、必要としている人は確実にいると思います。
今後、個別化医療の市場成長のためには、治療だけでなく検査についても、患者が負担できる適切な価格提供が必須です。検査のコスト低減については、日立ハイテクが得意とする自動化技術が貢献できると考えています。しかし現時点では検査数そのものが少なく、検査ワークフローの自動化だけで十分なコスト削減を達成することは困難な状況にあり、この状況を打破していくのが先端バイオ技術の大きな課題の一つとなっています。
現在、日立ハイテクが関わるBXの領域は診断・治療分野のみですが、利用している生体サンプルの分析技術などは、エネルギーや食品など診断・治療以外の産業分野に流用することができます。そのため、今後の日立ハイテクの事業変化は、このような分野への取り組みから始まるかもしれないと考えています。個人的には、バイオ技術が持つポテンシャルは非常に大きいと感じています。スマートフォンが一気に社会に普及して世の中が大きく変わったように、バイオ技術の世界でも同じようなことが起きることを期待しています。
一方で、BXが進むためには、技術以外に、乗り越えるべきさまざまな課題があるのも事実です。例えば、バイオの実験・検査は小さなラボで簡単に始められますが、それぞれのラボで小さく最適化されてしまい、相互互換性を持つことが非常に難しくなっています。そのため、産業応用時に求められる標準化や拡張性に対応し難いという弱点があります。また、ヒトの細胞を扱うことの倫理観や理解度も国・地域で異なります。遺伝子組み換えや、微生物、ウイルスなど目に見えにくいものへの不安もあります。バイオ技術への理解が深まらないと、社会に浸透していくことは難しいでしょう。
これらの課題に対応することは、BXがもたらす社会の将来像を考える上では外せない観点です。BXの初期段階にある現時点では、今後生み出されるメリットを考慮したとしても、現時点で開発コストを負担する意思のある人を特定するのは難しく、ビジネスとして成長させることは簡単ではありませんが、日立に対する期待としては、BXビジネスを成立させるための環境整備なども含まれていると感じています。
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