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外部寄稿

バイオトランスフォーメーション時代の遺伝子社会学

    遺伝子*1解析により身体的特性や疾病の可能性などが解明されつつあることが知られている。本稿で紹介する遺伝子社会学とは、遺伝子情報の解読により人の社会的特性を科学的・医学的に解釈しようとする学問である。四半世紀前にはすでに欧米で盛んに議論されていたダーウィン進化論から派生した進化社会学(Sociogenomics)は、日本では議論や認知がなかなか進まなかった。これは、日本の社会学におけるバイオフォビア(Biophobia:生物学嫌い)が起因とされている。しかしながらわれわれは、人の社会的特性に関連するさまざまな事象のバックグラウンドに生物的・遺伝的要因が存在する可能性を認め、社会的要因と同様に重視する試みを行ってきた。バイオ技術の革新により社会や産業に変化をもたらすバイオトランスフォーメーション*2(BX)の時代においては、膨大なバイオデータの蓄積や解析が進み、解明できる事象が増えると期待される。その結果、人の社会的特性に関しても遺伝的要因を認め、そこからどのようにして、さまざまな事象にアプローチするか、ということを検討できるようになるであろう。

    *1
    遺伝子、DNA、塩基配列について:塩基は遺伝情報を示す物質の単位の一つで、A(アデニン)、G(グアニン)、C(シトシン)、T(チミン)などがある。塩基と、糖、リン酸が結合した分子を核酸とよび、核酸が大量に連結してDNA(Deoxyribonucleic Acid)やRNA(Ribonucleic Acid)を構成する。DNAを構成する核酸、さらにそのうちの塩基の配列は、部分ごとにタンパク質を作る機能を持っており、この機能部分を遺伝子という。
    *2
    本特集において、バイオ技術による社会・産業変革をバイオトランスフォーメーション(BX)とする。

    1. バイオ技術とともに進展する遺伝子社会学

    1.1 遺伝子社会学とは

    英語圏でSociogenomics、Biosociology、 Evolutionary Sociologyと呼ばれる学術分野がある。米国ではそのうちのSociogenomicsという名前が主流になってきている。われわれはこれを「遺伝子社会学」と呼び、日本において研究を試みているところである。バイオ関連技術が進展し遺伝子の解析が容易になり、遺伝子情報から人の身体的特性や疾病可能性を解明できることが知られるようになってきた。同様に、遺伝子情報の解読によって人の社会的特性が解釈できることを、科学的・医学的な根拠(evidence)として研究する学問分野が、遺伝子社会学である。
    人の社会的特性について遺伝子の観点で議論しようとすると、生得論つまり「生まれか、育ちか」のうちの「生まれ」で決まるという、遺伝子決定論と誤解されやすいが、実際には、生得的な影響だけでなくその人を取り巻く環境からの後天的な影響もあると解釈することが正確である。ただし、生得的な影響と後天的な影響のどちらがどの程度影響しているかを定量的に評価するためには、計測による調査が必要となる。そのため、両者を測る総合的な社会科学モデルを構築することを筆者は検討している。例えば、親の学歴が子どもに影響を与えることはすでに知られている。しかしながら、この結果から即座に社会格差に関する議論を進める前に、学歴の影響が遺伝子によって与えられるか、あるいは後天的な環境によって与えられるか、さらには、それぞれの影響割合はどれくらいであるか、といった精緻な研究が求められる。すなわち、社会学的なアプローチを行う研究において、人が生物であるという側面も踏まえた考察が必要となる。

    1.2 BXが社会学にもたらすこと

    ここで、バイオ技術の進展とBXがもたらす社会学への影響について考えてみたい。
    昨今は日本においても、複数の学問分野を超えて「学際的(Interdisciplinary)」な研究が行われ、異分野の研究者が切磋琢磨(せっさたくま)し新たな見解を得ることが可能になってきている。現時点では、日本の社会科学においてバイオフォビアなどの要因により遺伝子社会学の研究はまだ少数派であるが、社会学の分野においても学際的研究が取り入れられつつある。われわれは、社会科学が対象とするさまざまな事象の背景に、生物的・遺伝的要因が存在する可能性を認め、それを社会的要因と同様に重視する研究を学際的なアプローチにより試みている。そして、4年間にわたり実施された科学研究費助成事業(挑戦的研究(開拓)17H06193)の成果について、2021年3月に『遺伝子社会学の試み』(桜井芳生・赤川学・尾上正人編著、日本評論社刊)として発表した。
    このような経緯を踏まえ、BXが社会学にもたらすメリットを次のように考える。BXにより研究などで活用できるバイオデータが増加するため、人の社会的特性に関する多くの事象を遺伝子社会学で解明できるようになり、また、遺伝子社会学の研究対象や研究分野を多種多様に拡大できるであろう。さらには、社会学のみならず、社会科学全般において、バイオ分野と連携した学際的研究が加速度的に進展することが期待される。

    2. 遺伝子社会学アプローチによる人の社会的特性の解明

    2.1 遺伝子社会学における実験手法の変遷

    DNAは、塩基のつながり(塩基配列)が2本、ねじれた二重らせん構造を形成している。この二重らせん構造内のDNA塩基配列は、ある個数の塩基のつながりを一単位としてそれぞれの単位が役割を持っており、その役割単位を遺伝子と呼んでいる。遺伝子の中には、一カ所の塩基だけが人によって異なる場合があり、それを一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism:SNP)と言う。多くの塩基が長く連なるDNA二重らせんは、糸くずのようにまとまって染色体を作っており、この染色体は2本が対となっている。染色体の対は、一方が父から、他方が母から受け継がれるため、SNPが持ちうる塩基(ここでは塩基種類をアデニン「A」とグアニン「G」で考える)の組み合わせは、AA、AG、GGの三通りになる。これまで、このようなSNPにおける塩基の組み合わせの違いを用いて、主に人の医学的・身体的特性と遺伝子の関係が研究されてきた。
    従来は、あるSNPである一つの塩基だけをターゲットとして、人の身体的特性を解読しようとする研究が行われていた。例えば、「日本人は酒に弱いか強いか」に関する研究が有名である。この研究が行われた当時、酒に弱いか強いかについては、SNPの一塩基の違いだけで決まると考えられていた。
    最近では、人の塩基すべて(60億個の塩基配列)を解読すべきだという考えが、英語圏で主流になりつつある。実際には60億個の塩基配列ではなく、100万個くらいある代表的なSNPを読むことが多い。例えば、英国では20万人を超える遺伝子データを元に、本人の遺伝的データ(または形質)と、学歴や収入などの社会的特性(あるいは社会的属性や社会経済的地位)との関係について研究が行われている。いくつかの社会経済的不平等に遺伝的影響が寄与しているという論文が発表されており、そのような研究を科学雑誌「ネイチャー」のオンラインオープンアクセスで読むことができる。一つのSNPだけでなく、多くのSNPを複合的に考慮した結果が人の社会的特性に影響を与えるという考えが、次第にコンセンサスになりつつある。
    しかしながら人の社会的特性は、その人を取り巻く環境からの後天的な影響も受ける。したがって、遺伝子が影響して格差が生じうるとしても、教育や政策などを通じて環境に変化を与えることで、格差を是正できる可能性を持つ。このように、人々により良い影響を与えるための環境を提案することが遺伝子社会学の立場である。

    2.2 遺伝子社会学を通じた社会的特性分析の研究

    われわれが行った研究で見いだされた結果の一例を、ここで紹介する。遺伝子と社会学を融合させる実験研究の手始めとして、一つのSNPと一つの社会的特性の関係を分析するところから始めている。具体的には、日本における若年層のスマートフォンゲームで遊戯する時間や頻度(以下、スマホゲーム頻度)に関して、SNPとの関係性を見いだした。
    スマホゲームを含む、いわゆるコンピューターゲームが普及した結果、ゲームはeスポーツとして社会的に認められ、また認知症予防のためのトレーニング手段のように医学的にも認められるようになった。一方で、ゲームは依存症の可能性や、ゲーム内課金による高額な請求など、社会課題も含有している。社会学の観点からスマホゲームを分析するためには、どのような要因がスマホゲーム頻度の多寡に影響しているかという「原因」分析、スマホゲーム頻度の多寡によりどのような効果が生じているかという「結果(アウトカム)」分析、そして、何らかの介入による環境変化があることでスマホゲーム頻度の多寡が影響を受けて効果(結果)が左右されるかという「介入」分析、これらの客観的な調査分析が必要であるとわれわれは考えている。この三種類の分析いずれにおいても、当事者の「遺伝子要因」がどのような影響を与えるかという点に関心がもたれるが、そのような調査はこれまで実施されていない。
    われわれは、これら三種類のうち第一の分析から研究に着手した。すなわち、どのような「原因」がスマホゲーム頻度の多寡に影響しているのかについて調査し、ある一つの遺伝子変数が影響を及ぼしている可能性を見いだした。
    以下、遺伝子とスマホゲーム頻度の関係に関する実験の方法、結果、考察について述べる。

    2.3 スマホゲーム頻度に関する実験と結果

    スマホゲーム頻度に影響を与える原因として、われわれは遺伝子要因の影響を調べる実験を行った。事前に大学の倫理審査委員会の審査を受け、匿名の調査協力者からの遺伝子試料を提供依頼し、同時にアンケート調査を依頼した。遺伝子試料としては、DNA採取キットOragene®を用いて唾液を採集した。アンケート調査ではスマートフォンを用いて107問の質問に対して回答を集め、遺伝子とアンケート回答双方のデータを統計解析した。実験対象は、男性102人、女性59人で、年齢の平均19.2歳、標準偏差1.35であった。(ただし、解読可能なサンプル数は上記人数を下まわった。)
    本実験では、rs4680というSNPに着目した。SNPedia*3によると、rs4680は第22染色体上にあるSNPで、COMT(Catechol-O-Methyltransferase)という酵素を作る遺伝子の中に存在する。COMT酵素は、脳の前頭前皮質でドーパミンを分解する酵素であり、神経心理に影響するものである。このSNPについて、次のことが知られている。

    rs4680(G)= warrior(勇士)

    一般に、ストレスを生じると、ドーパミンが脳内に放出される。warriorの場合はこのドーパミンを分解するCOMTが多いため、ストレスでドーパミンが生じても、短時間で分解できる。このような人は、ストレスによる不安はあまり続かず、比較的ストレスに強いとされている。

    rs4680(A)= worrier(心配性の人)

    worrierの場合は逆になり、COMTが少ない。そのため、ストレスでドーパミンが生じた後、分解するまでに時間がかかり、ストレスによる不安が長く続きやすい。結果として、ストレスに弱いとされている。

    上記で、(G)はSNPの塩基組み合わせのうちGGに当たり、野生型(人々の中で最も多い典型的な塩基配列の型)であり、warriorと言われている。(A)は組み合わせAGまたはAAを意味し、変異型であり、worrierと呼ばれる。
    アンケート調査については、「友達ネットワークと遺伝子社会学調査」と題してスマートフォンで107の質問を実施した。設問の中に、「あなたは、どのぐらいの時間スマホでゲームをしますか」、「あなたはご自身のことを、活発で外向的だと思いますか」、「(将来仕事につく場合に)技能向上や新技術習得のための訓練の機会が多いこと(を重視しますか)」などの問いを含めて、回答を得点化し、複数の回答から「スマホゲーム頻度」、「外向性」、「協調性」、「技能向上志向」の観点で分析を行った。統計解析を行った結果を、図1〜図4に示す。


    資料:桜井ほか(2021)*4
    図1:塩基タイプとスマホゲーム頻度


    資料:桜井ほか(2021)
    図2:塩基タイプと外向性


    資料:桜井ほか(2021)
    図3:塩基タイプと協調性


    資料:桜井ほか(2021)
    図4:塩基タイプと技能向上志向

    以上の結果より、野生型(G)の遺伝子を持つ人は、「スマホゲームを長時間、頻度高く行う」傾向にあり、「外向性が高く(活発)」、「協調性が低く」、「技能向上や新技術習得のための訓練の機会が多いことを重視する」ということが示された。野生型、warriorの人は、ドーパミンがすぐに分解されてしまうため、ドーパミンを得るために多くの刺激を求める。そのため、一度スマホゲームで刺激を受けると、その刺激を継続的に得ようとして長時間ゲームを行う。同様に、多くの刺激を得るために外界に対しても活発になり、また自分を抑えて周囲に合わせる必要がある協調という観点は苦手になる。仕事においても、新技術習得という刺激を求めることが多い。一方で、変異型(A)の遺伝子を持つworrierの人は、刺激に過敏に反応してしまうため刺激が少ないことを好む。スマホゲームのような刺激は疲れを感じることが多く、刺激の多い外向けの活動も苦手である。刺激を恐れて自分を抑えるため、結果として協調性が高くなり、仕事においてはあまり変化を望まない。
    以上のように、遺伝子から導かれる体質の差異と、社会的特性との関係を説明することができる。とは言え、本研究はまだ端緒的なものにとどまるため、結果の解釈を断定することはできない。今後の研究進展に期待したい。

    *3
    ヒトのDNA変異に関する情報共有を目的としたWiki形式のインターネットサイト(https://www.snpedia.com/
    *4
    桜井芳生・赤川学・尾上正人、『遺伝子社会学の試み』、日本評論社、2021。図2〜4も同様。

    2.4 スマホゲーム頻度に関する実験を基にした考察

    本実験結果から、いわゆる「オーダーメード医療(患者の遺伝子タイプに応じた個別医療)」にヒントを得た、社会的特性への遺伝子タイプに応じた環境介入について、思弁を述べたい。
    スマホゲーム頻度が高いことは、前に述べた通り、脳トレーニングの効果としては良いアウトカムを、ゲーム依存になってしまうような場合は望ましくないアウトカムをもたらすことになる。これら、良いアウトカムを促進し、悪いアウトカムを抑制するためには、当事者の遺伝子タイプとその目的に応じて、その人の環境への介入を考慮すべきであろう。例えば、良いアウトカムをもたらす目的のためにスマホゲーム頻度を向上させるには、rs4680が変異型(A)の当事者に対して刺激の少ないゲームを提供するなどの施策が望ましい。悪いアウトカムを抑える目的のためにスマホゲーム頻度を下げるには、野生型(G)の当事者に対し、ゲームとは異なる刺激を与えるような対応を検討することが効果的かもしれない。このように、さまざまな可能性を検討していくことが求められる。
    いずれにしても、今回われわれが見いだした結果は、人の社会的特性をめぐる社会(科)学的アプローチの始まりに過ぎない。今後の知見の蓄積が待たれる。

    3. BX時代に遺伝子社会学が貢献できること

    今回の実験に用いたDNA解析ツールであるジャポニカアレイ®*5など、最近のツールを使うことで、より多くの人々の塩基配列を短時間で解析、解読することが可能になってきた。このような技術の進展により、ようやく多数のSNPの複合的な構造と人の行動や意識、社会的特性との関係を研究することが容易になり、英語圏で先行する研究に追いつけるようになってきた。われわれの試みは、日本でようやく始まった遺伝子社会学の足がかりに過ぎない。繰り返しになるが、遺伝子社会学では、社会的特性に遺伝子が影響しているとしても、何らかの手段で人を取り巻く環境に介入することにより、特性を改変できる余地が少なからずあるだろうと考えている。
    バイオ技術により社会・産業が変革するBXが進展することで、利用可能なバイオデータが飛躍的に増え、遺伝子社会学で解明できる人の社会的特性も多くなる。その結果、人の個性を踏まえた社会分析が可能になり、多様性に対応したより良い社会の実現が可能になると期待される。

    *5
    東北大学・東北メディカル・メガバンク機構が構築し、東北大学Center Of Innovation東北拠点が社会実装した日本人ゲノム・DNA解析ツール。日本人の特徴的なSNPを利用し、高速な解析が可能。東北大学の登録商標。

    執筆者紹介

    桜井 芳生(さくらい よしお)

    鹿児島大学 学術研究院 法文教育学域 法文学系教授

    1989年東京大学大学院社会科学研究科博士課程単位取得退学(社会学修士)。カリフォルニア大学アーヴァイン校 批判理論研究所、ロンドン大学 ロンドンスクールオブエコノミクス 社会学科、スタンフォード大学 科学史科学哲学プロジェクト、ハーバード大学 社会学科において、客員研究員。著書に『遺伝子社会学の試み 社会学的生物学嫌い(バイオフォビア)を超えて』(共著、日本評論社)など。

    機関誌「日立総研」、経済予測などの定期刊行物をはじめ、研究活動に基づくレポート、インタビュー、コラムなどの最新情報をお届けします。

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