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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第2回:デジタルとノイズ

 生物は常に揺らいでいるという。揺らいでいるため、生物は決められた動きを正確に繰り返し続けることが苦手らしい。確かに私は、同じことを繰り返し作業するのが苦手である。子どもの頃、漢字の書き取りが大の苦手だったことを思い出しながら、合点がいった顔をして話を聞いていると、それは飽きやすい性格や、忍耐力、根性の無さといった個人的な話ではなく、生物の体の仕組みに揺らぎが組み込まれているという話であった。

 例えば、ロボットはネジを締めるような単純な作業を均一な品質で、継続的に行うことができる。一方、人間は、同じ作業場所で、同じ箇所の、同じ形のネジを締めるにしても、力の入れ方は一定しない。人間は脳からの命令信号によって筋肉が働き、体が動くが、脳の神経回路であるニューロンは知覚情報に対して時には強く、時には弱く反応し、動作を担う個々の筋肉線維は、脳からの命令信号に対して張力にばらつきがあるという。つまり、脳、筋肉それぞれに入力と出力間に揺らぎという不確実性が存在しているのだという。

 揺らぎは生物のさまざまな動きに関係している。生物の遺伝子には体の働きに関する情報が格納されており、外部環境の変化に対して情報にスイッチが入る。食事による栄養吸収であったり、体づくりであったり、体を動かすための体内でのエネルギー生産であったり、代謝反応はこのような遺伝子に格納されている情報の発現が起点になっている。しかし、遺伝子は外部環境に対して必ず発現するわけではなく、細胞によってはスイッチが入ったり、入らなかったりと、個体レベルではばらつきがあり、ここでも揺らぎが存在している。つまり、生物の働きには遺伝子などのナノレベルから体の動作のミリやメートルのレベルに至るまで揺らぎが介在しているのである。

 このような生物の揺らぎは、言い換えれば入力に対する出力の「ノイズ」のようなものである。しかし、そのような細胞や生物が集まり、システムを構成すると、「ノイズ」が増幅されるのではなく、総体として安定的な動きを示すようになるという。不思議である。農業や医療などはこのような生物の揺らぎ、ノイズ、不思議への挑戦の積み重ねで成り立ってきたと言えるかもしれない。そして、近年、その挑戦が遺伝子編集に効果的な酵素の発見というバイオ技術と、センサの精度向上やAI・ビッグデータ解析といったデジタル技術の進化によって、大きな進展をみせている。バイオとデジタルの融合によって、生物機能を活用した、新機能素材の開発や、環境負荷の低いものづくりへの期待が高まっているというのである。例えば、工業的アプローチによって、農業生産をコントロールする世界や、自然界に存在する希少な有用物質の量産化、高温・高圧を必要とする生産システムを、生物の代謝反応の原理を使用し省エネルギーな生産プロセスに転換するなど、夢は大きく広がっている。

 しかし、デジタルにとってノイズはある意味、敵である。情報通信、電子工学の世界ではノイズをどのように排除し、必要な信号を取り出してやりとりするかが重要であったはずである。そのようなデジタルとバイオを融合させるとはどのようなものだろうか。ノイズを排除してきたデジタルが、生物のノイズを表現するとは、矛盾しているようにみえて不思議に思う。と同時に、「集合すると安定化する」というからには、単なる無造作なノイズと異なり、生物の揺らぎには法則が存在するのではないか、とするとデジタルでできることがあるのではないかとも思う。要するに私の思考が揺らいでしまっているのである。デジタルとバイオの間には、広大な空間が存在しているように感じられるが、だからこそ、これからのイノベーション領域としての可能性が詰まっていると言える。