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株式会社日立総合計画研究所

社長コラム

社長 溝口健一郎のコラム

第4回:デジタルとフリクション

 北米向け家電製品の輸出営業として社会人生活を始め、ようやく職場の雰囲気に慣れてきたある日、上司に折り入って頼みがある、と声をかけられた。上司の机の前の椅子に座って、顔色をうかがうと困惑したような表情を浮かべている。「申し訳ないが、これからアメリカのテレビの仕事を手伝ってくれないか。ほんの少しの時間だ。地下の倉庫から船積み書類のファイルを出して、必要なだけコピーをとって米国側に送る作業をしてほしい。対象期間はこれから指示する。」家電輸出の花形であるテレビは私の担当外であった。そういえば、テレビ・ビデオを担当している隣のグループが数日前から慌ただしく仕事をしているが、なぜだろう。理由を探る時間もなく、新入社員の私は言われるまま地下の倉庫に向かった。そして、それから約一週間、私は地下の倉庫に張り付けになることになる。

 日本と米国との貿易摩擦は1950年代の繊維摩擦にさかのぼり、その後鉄鋼、カラーテレビ、自動車、半導体と対象が変わっていった。カラーテレビは米国電子工業会(EIA)によるアンチダンピング提訴(1968)が起点になっている。その後、米国によるダンピング認定、日本による輸出自主規制(1977)、各メーカーの米国現地生産拡大(1980年代)を経て、状況は落ち着いていたはずであった。しかし、そうではなかった。今回の相手は米国内国歳入庁(IRS)であった。IRSの主張点は「移転価格」であった。日本、アジアなどの工場の製品・部品出荷価格をつり上げ、取引先である米国販売会社、製造会社の利益を過少にすることで、米国で上げるべき収益を本国に移転し、米国当局からの課税逃れをしている、というのであった。

 つまり、私は、その対応活動の末端として、東京のオフィスの地下倉庫に張り付けになっていたわけであった。地下作業が終わって、後になって上司から状況を知らされた私は頭の整理がつかず、思わず質問をした。「おかしいのではないですか。ダンピングは原価割れの安い製品価格で不当に市場を占有するといい、一方で移転価格は、原価をつり上げ、不当に現地会社のマージンを削っているという。日本やアジアの工場を起点に考えれば、片や原価割れ、片や原価つり上げ。対象が同じ製品でありながら両者の論理はまったく逆です。なぜこのようなことが許されるのですか?」上司は薄く笑いながら言った。「商務省は商務省、IRSはIRSだと言う。それがアメリカなのだよ。」上司が困惑した表情を浮かべていた理由が分かったような気がした。

 時は現代に変わり、貿易摩擦の主役は中国と米国になった。しかも、貿易「摩擦」ではなく貿易「戦争」だと言う。確かに、摩擦ではなく、戦争と言った方が良いかもしれない。2018年3月に米国は国家安全保障上の問題を理由に、鉄鋼とアルミニウムの中国製品に対してそれぞれ25%、10%の追加関税を賦課した。これに対して中国は4月に米国の果物等の1次産品や、豚肉、鉄鋼、アルミニウムの輸入製品の追加関税に踏み切った。その後、米国は7月から9月にかけて、過去日本に使用した通商法301条を中国製品に次々適用し、中国は都度米国輸入製品に対して報復関税を実施してきている。中国から米国への輸出額約5,000億ドルに対して、追加関税の対象はその半分、中国の場合は、米国からの国内輸入額約1,500億ドルの3分の2が追加関税の対象になる。金額をみると、報復の応酬でも、分は中国の方が悪い。

 米国にとって、中国のような国の登場はかって経験をしたことがない事態なのかもしれない。これまで、経済・通商摩擦の相手は日本、EUであった。安全保障ではソ連・ロシアが相手であった。中国は今や、経済・通商、安全保障の両面で米国の脅威になりつつある。最近のFIRRMA(2018年外国投資リスク審査近代化法)によるCFIUS(対米外国投資委員会)権限強化は、その懸念の表れのひとつだろう。企業投資先に関する同委員会の安全保障リスク審査の対象分野を、防衛技術のみならず、中国政府・企業が関心を持つ重要デジタル技術、インフラ・個人データに拡大した。当時新入社員であった私が「地下作業」で感じたのは、米国は本気になると徹底的にやる、論理の整合性など関係無しに、である。そう考えると、米中間の政治・経済・社会保障といった、地政学上の摩擦をめぐる緊張関係はこれからも続くと考えられる。

 米中対立を核とした、各国・地域間の摩擦は、通商のみならず、デジタル技術、データに拡大している。現時点で解決の糸口はみえず、摩擦は長引くであろうが、個人的には悪いことばかりではないと思っている。過去、日米貿易摩擦は、個人的には米国に一方的に攻められた印象があり(単なる末端のスタッフであったが)、今思い出しても苦々しく感じるが、その一方で、旧NAFTA(北米自由貿易協定)を想定した北米生産拠点の拡大や、アジア成長市場への進出など、日本企業のサプライチェーンのグローバル化が加速したのも事実である。データローカライゼーション政策を始めとして、各国、地域間の利害の対立が先鋭化する可能性があるが、その中で、グローバルなデータのサプライチェーン構築を模索する動きもでてくるはずである。摩擦を機会ととらえて、これからのグローバルデジタルビジネスのあり方をポジティブに考えるスタンスが企業に強く求められる時代が到来したと考えるべきである。