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株式会社日立総合計画研究所

書評

研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介

日本人の足を速くする :評者:日立総合計画研究所 村本忠

2007年9月12日

世界を相手に、侍ハードラーの挑戦

人よりも速く走りたい‐学生生活を離れ、社会人となった今では、そんなことを考えることも無くなった。しかし、評者が思うに、子供のころは、「頭が良い」、「容姿が良い」といったことと同等かそれ以上に、ただ「足が速い」ということが周囲からの尊敬を集めていた。子供のころの評者も、そんな足が速い人へのあこがれもあって「人よりも速く走りたい」という願望を持っていた一人である。

著者の為末選手は、その「人よりも速く走りたい」という思いを追い続け、プロの400mハードル選手となった。2001年のカナダ・エドモントン世界選手権における日本男子トラック競技初のメダル(銅メダル)獲得、2005年のフィンランド・ヘルシンキ世界選手権における2度目の銅メダル獲得という輝かしい実績を持つ日本ハードル界の第一人者である。スポーツ好きの評者は、いずれのレースもテレビ観戦しており、最後の最後に逆転して倒れこむようにゴールする姿に興奮し、感動したことを鮮明に覚えている。海外の屈強な大男たちの中で、身長170cmと小柄な日本人が前半からトップスピードでかっ飛ばす姿は実に爽快であり、そんな姿から付いた「侍ハードラー」の異名とともに、陸上が好きな人のみならず世間一般にもその名は広く知られていることだろう。

陸上競技、とりわけトラック競技は、身体能力に長けた外国人選手の独壇場であり、日本人が勝つことはおろか決勝に残るだけでも快挙、というのが一般的な認識ではないだろうか。そんな日本人である為末選手が、なぜ世界選手権という大舞台で2度もメダルを獲得できたのか。恐らく、人並み以上の努力があったのだろうが、本書では「トラックを何千本、何万本走った」などの量的な部分にはあまり触れられていない。本書で書かれているのは、為末選手の努力の質の部分である。評者が思うに、為末選手は努力の質が高いから世界と戦えるのである。

では、質の高い努力とは何か。本書には、それを端的に表したエピソードが書かれている。前述した通り、2005年の世界選手権で為末選手は銅メダルを獲得した。しかし、「その後の2006年末までの500日近くにわたり、ハードルをただの1台も跳ばなかった」という。ハードル選手がハードルを1年以上も全く跳ばないのは前代未聞である。なぜ跳ばなかったのか、その理由を次のように書いている。「世界一を現実のものとするためには、ハードルを越える技術でのさらなる上積みを望むよりも、フラットレース(ハードルなどの障害物がない平坦なコースを走るレース)でのスピードを強化した方が効率が良いと判断した」。このエピソードから、評者は三つの点から為末選手の努力の質が高いと考える。それは、(1)常識にとらわれない創造力、(2)真に世界一を目指す高いモチベーション、(3)自分の強み・弱みを理解する自己分析力、である。このような質の高い努力を積み重ねているからこそ、為末選手は世界と戦えるのだと評者は考える。

こうして為末選手は日本を代表するアスリートとなった訳だが、評者が思うに、陸上選手はたとえ為末選手のようなトッププロであっても、世間から本当に注目を浴びるのは世界規模の大会くらいだろうし、野球やサッカーといったメジャースポーツの選手と比べると、経済的にも恵まれない。個人競技故の孤独や苦しさもあるだろう。しかし、本書はそのようなネガティブな部分には触れず、ポジティブで説得力のある言葉が溢れている。「微妙な違いに拘りながら技を高めていく、典型的な職人気質の日本人流。こんな楽しいやり方を知ってしまったらポテンシャル頼みの競技人生に満足できるはずがない」という言葉からは、為末選手が、走った結果だけでなく、そこに至る過程から楽しんでいる様子が伝わってくる。一流のアスリートの技術やメンタリティを学びたい人はもちろんだが、スポーツをしない人にも一読して頂きたいと思う。何かに悩んでいる人であれば、「考えすぎずに、まず動いて、ある意味、流れに身をまかせてみる」という一文から、踏み出せなかった一歩を踏み出すきっかけをもらえるのではないか。本書には自分を改めて見詰め直すきっかけとヒントがある。

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