研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談
宇宙は何でできているのか、宇宙はどのようにして始まったのか、そしていつ終わるのか―宇宙の謎は尽きることがありません。近年、観測・計測技術の進展やシミュレーション技術の進歩により、ヒッグス粒子に代表されるような、宇宙に関する新たな発見が相次いでいます。科学が宇宙の謎に本格的に切り込みつつあると言っていいでしょう。
今回は、東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構・機構長である村山斉氏を迎え、宇宙の謎に関する研究内容や日本の競争力維持のための基礎研究の重要性などについてお話を伺いました。
1964年、東京生まれ。米国カリフォルニア大学バークレー校物理教室教授。2007年より東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構・機構長を兼務。米国芸術科学アカデミー会員、日本学術会議連携会員。
略歴
1991年、東京大学大学院理学系研究科物理学専攻博士課程修了。理学博士。専門は素粒子物理学。東北大学大学院理学研究科物理学科助手、ローレンス・バークレー国立研究所研究員、カリフォルニア大学バークレー校物理学科助教、准教授を経て、同大学物理学科MacAdams冠教授。米国プリンストン高等研究所メンバー(2003~2004年)。2002年に西宮湯川記念賞受賞。2007年、文部科学省の世界トップレベル研究拠点プログラムにより発足した東京大学数物連携宇宙研究機構の初代機構長に就任、現在に至る。
研究テーマ
主な研究テーマは超対称性理論、ニュートリノ、初期宇宙、加速器実験の現象論など。素粒子理論における若きリーダーとして先進的な研究を進める傍らで、一般向け講演など、アウトリーチ活動も盛んに行っている。
著書
著書に、『宇宙は何でできているのか―素粒子物理学で解く宇宙の謎』(幻冬舎新書)、『宇宙は本当にひとつなのか―最新宇宙論入門』『宇宙になぜ我々が存在するのか―最新素粒子論入門』(講談社ブルーバックス)など多数。
右の写真は、一辺が2億光年の宇宙空間の構造を模型で示した、同機構作成のペーパーウェイト。
川村:村山さんのお父様は、かつて日立の中央研究所の主管研究員を務めていらして、村山さんも日立の社宅で育たれたそうですね。お父様は、日立が始めた量子力学の学会「The International Symposium on Foundations of QuantumMechanics in the Light of New Technology(ISQM)」の第1回シンポジウムをまとめた方でもあり、村山さんもそのお手伝いをされたことがあると伺いました。中央研究所にはどんな印象をお持ちですか?
村山:小学校に上がる前は八王子に、その後は小平市の社宅、公団などに移り住み、ずっと中央研究所のそばで育ちましたのでなじみがあります。思い出深いのは、中央研究所で毎年開催されていた夏祭りですね。父に何度か連れて行ってもらったことがありましたが、たくさんの夜店が並び、盆踊りや花火大会も催されて、とてもにぎやかでした。父の職場でありながら、公園のようにときどき遊びに行ける場所だと思っていたほどです。
川村:中央研究所は年に何度か一般公開もしていますし、緑が多いので地域住民の憩いの場にもなっています。お父様のお仕事については、どう感じていらしたのですか?
村山:随分好き勝手に、楽しそうにやっている印象でした。家にいるときも、ヘッドフォンで何か音楽を聴きながら計算をしていたり、書き物をしていたり。だから父の職場は、友達のお父さんたちが勤めているような普通の会社とは違うのだろう、と子どもながらに感じていました。一方で、日立はテレビや電球など、電気製品をつくっている会社だと思っていました。2014年3月に開催された日本物理学会第69回年次大会 市民科学講演会物理学会で川村さんとご一緒させていただいた際に、「日立は社会インフラの会社である」とおっしゃったのを聞いて、大変驚きました。
川村:家電のイメージを持たれている方も多いとは思いますが、日立は創業以来、社会インフラを手掛けてきた会社です。B to B(Business to Business)の事業モデルが多いのですが、残念ながら一般の方にはそのようなイメージが湧きにくいかもしれません。ところで素粒子物理学を専攻されたのは、お父様の影響も大きかったのでしょうか。
村山:はい。子どもは、親にいろいろと素朴な質問をすると思います。例えば、「空はどうして青いの?」などです。私がそれを父に尋ねると、「太陽から地球に注ぐ光のうち、より波長の短い青い光だけが空気に散らされるからだ」といった具合に、その都度、ちゃんと答えてくれました。ときには、「自分で調べろ」と言って、本を買ってくれたこともあります。不思議だなと思ったときにきちんと理由を説明してもらえる環境に育ったので、自然科学に対する好奇心が膨らんでいったのだと思います。自分の身の回りにあるものをどんどん細かく分けていったら、原子になり、原子核になり、素粒子になる。さらに突き詰めていくとどうなるのか、その究極の姿が知りたい―今も、そうした素朴な疑問を持ち続けています。もっとも、大学時代は物理学科に在籍していたものの、授業もあまり出ないで、オーケストラ部でコントラバスばかり弾いていたのですが。
川村:村山さんは国内外の職を歴任された後、2007年からは東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構の初代機構長を務められ、米国カリフォルニア大学バークレー校教授と兼任されています。元々は素粒子物理学を研究されていたと思いますが、宇宙物理学の世界に入られたきっかけを教えてください。
村山:大学に入る際に、物質を構成する究極のものである素粒子は何かを解明したいという思いで素粒子物理学を専攻したのですが、大学院を卒業した翌年にCOBE(Cosmic BackgroundExplorer)という観測用の人工衛星(宇宙背景放射探査機)が捉えた銀河のデータを見て衝撃を受けたのがきっかけです。そのデータとは、宇宙の中の量子論的ゆらぎ*1の瞬間写真です。これが銀河などの宇宙の構造の元になったのです。この量子論的ゆらぎは、宇宙はミクロな世界からビッグバンを経て急激に膨張していったことを証明しています。現在、137億光年の宇宙が、元は原子1個よりも小さかったというのだから本当に驚きました。そしてこのとき、大きい宇宙と小さい原子がつながっているのなら、両方を一緒に考えていく必要があるだろうと思ったのです。
川村:カブリ数物連携宇宙研究機構では、どのような研究をされているのですか?
村山:機構を立ち上げる際に文部科学省に次の五つの疑問を提示しました。「宇宙は何でできているのか?」、「宇宙はどのようにして始まったのか?」、「宇宙はどのような運命を迎えるのか?」、「宇宙を支配する法則は何か?」、そして「私たちはなぜこの宇宙に存在するのか?」です。これらは、ある意味、人類始まって以来、何千年も人々が抱いてきた素朴な疑問です。その謎の解明に、ようやく科学の手が届くところまで来ています。具体的には、宇宙は均一ではなく、よく見ると網の目のようなフィラメント構造をしています。らせん状に並んでいるところがあったり、ポコっと穴があいて密度が薄いところがあったりしています。そうした宇宙の大規模構造を観測し、コンピュータで再現することにより、宇宙の起源を探っているのです。あるいは、宇宙空間に広がる暗黒物質が重力レンズといって光を曲げる性質があることを利用して、その分布を測るといった研究も
手掛けています。
川村:機構は非常に質の高い研究を実施されていることで注目を集めていますが、競争的資金*2を獲得するだけでなく、予算の一部にスポンサーシップを活用されていますね。
村山:予算は年間約13億円で、現状はまだ競争的資金がほとんどですが、補助金に頼っていては恒久的に研究をしていくことが難しくなります。ですから、スポンサーを探すのは機構長である私の大切な仕事の一つでもあります。スポンサーの一つが米国のカブリ財団です。ここからいただいた寄付金は直接予算に組み入れるのではなく、運用してその運用益を使っています。現在は少しずつ、スポンサーを増やしているところで、先日も光関連の電子部品や機器を製造している浜松ホトニクスから寄付講座のお申し出をいただきました。
川村:競争的資金に頼る以上は、期限内に目覚ましい成果を上げないといけませんね。
村山:言ってみれば、年間10数億円の予算でやりくりする中小企業の社長みたいなものです。予算のほとんどが国からのお金ですから貯金はゼロ。成果が上がらなければ、いずれ国の支はなくなるでしょう。まさに背水の陣です。もっとも、十分な成果が上がれば、継続的に研究を続けることができるでしょう。実際に今、いろいろな成果が出始めているところです。
川村:村山さんは、国際リニアコライダー計画にも関わっていらっしゃいますね。リニアコライダーは素粒子物理学の実験手段として非常に有用なものだと思いますが、その目的を教えていただけますか?
村山:2年前にヒッグス粒子*3が見つかって大変な話題になりました。この粒子は宇宙の至るところに詰まっている素粒子で、電子に質量を与えるという大変重要な役割を果たしています。実はこの粒子がないと電子は質量を失って、光の速さで飛んでいってしまう。つまり、ヒッグス粒子があるお陰で電子の動きが邪魔されてゆるゆる動けるようになり、原子の中を電子は回ることができるのです。ですから、もし、ヒッグス粒子が宇宙から瞬間的にパッと消えてなくなってしまったら、いきなり電子が光速で飛び出して、私たちの身体は10億分の1秒でばらばらになってしまいます。これほど重要な役割を果たしていて、かつどこにでもあるヒッグス粒子ですが、いまだにその正体ははっきりと分かっていません。その正体を突き詰めることがリニアコライダーの大きな役割の一つでもあります。そして、この謎を解き明かすことが次の世界への扉を開くことになると思います。
川村:次の世界への、とはどのようなものでしょうか?
村山:われわれの世界は電子やクォークなど、さまざまな粒子でできていますが、これまで見つかった粒子は全てスピンといってぐるぐる回る性質を持っています。ところが、このヒッグス粒子だけは回っていない。回る粒子は見る向きによって違いが分かる、つまり目鼻立ちがあるのですが、ヒッグス粒子は「つるつるの、のっぺらぼう」で得体が知れません。こうした特徴を持つ粒子がたった1種類しかない、というのは考えにくい。恐らく宇宙にはヒッグス粒子に似た性質の、兄弟・親戚の素粒子がたくさんあるはずです。ですから、ヒッグス粒子を調べることは、素粒子物理学のさらなる突破口を開くことになると考えられます。ところが、ヒッグス粒子はすぐに壊れてしまう粒子で、観測が非常に難しいのです。ヒッグス粒子を見つけたのは、ジュネーブ郊外にある欧州原子核研究機構(CERN)*4のLHC(LargeHadron Collider)と呼ばれる加速器ですが、実物を見つけたわけではなく、その破片をつかまえて、よく調べてみたら確かにヒッグス粒子だったというものです。より詳細に調べるためには、さらに高エネルギーの加速器でヒッグス粒子をたくさんつくり出し、観測する必要があるのです。また、リニアコライダーでは電子と陽電子を加速してぶつけるのですが、この実験を繰り返すことで、宇宙誕生のきっかけとなったビッグバンの1兆分の1秒後の姿を垣間見ることができるようになると思います。どんなに高エネルギーの状態をつくれる加速器でもビッグバン自体を再現することはできませんが、リトルバン程度なら再現できます。それにより、宇宙の始まりに迫ることができると信じています。
川村:宇宙の終わりよりも始まりを知ることの方が難しいのですか?
村山:終わりもまた難しいのです。実は、星や銀河など原子でできている物質は、宇宙全体の5%にも満たないのです。残り約23%は暗黒物質*5、約73%は暗黒エネルギーという訳の分からないものでできていると考えられています。この暗黒エネルギーの正体を探らない限り、宇宙の終わりにも迫れないということです。ちなみに、この暗黒エネルギーは宇宙の膨張を後押しする働きをしていることが分かってきました。今から15年くらい前に、宇宙の膨張が加速していることが判明したのですが、この現象は重力だけでは説明がつきません。そこで、暗黒エネルギーがその役割を果たしていると考えられるようになったのです。このままどんどん加速が進んでいけば、ある時点で宇宙の膨張が無限に速くなって、引き裂かれて終わりを迎えることになるでしょう。つまり、この仮説に立てば、宇宙には終わりがあるということになる。一方で、暗黒エネルギーの後押しが弱ければ、いずれ減速して、宇宙は永遠に続くかもしれません。観測方法をより進化させ、宇宙の将来を予測するのも、われわれの役割の一つです。
川村:宇宙の終わりは分からないけれど、いずれ太陽は膨張して地球はなくなってしまうのですね?
村山:約45~50億年後の話です。太陽は基本的に水素とヘリウムでできていて、その核融合反応により質量をエネルギーに変えながら燃えています。毎秒50億キログラムの質量をエネルギーに変えています。しかし、そのエネルギーがなくなると、中心がぐしゃっとつぶれて最期を迎えます。その反動で一気に大きくなって、地球を飲み込むほどの大きさになってしまうのです。ちなみに、膨張により宇宙が引き裂かれるとしたら、それは1,000億年以上後のことと考えられています。
川村:ところで、ヒッグス粒子は宇宙の内訳のどこに属しているのですか?
村山:どこにも入っていません。だからこそ、世紀の大発見と騒がれています。物理学者たちが何百年もかけて身の回りのものが何でできているかを調べて、ようやく分かったと思った途端、大どんでん返しを食らってしまったわけです。ヒッグス粒子の発見により、宇宙の謎はまだほとんど解明されていなかったことが分かってしまった。いったい今までわれわれは何をやってきたのかと、まさにそんな心境です。
川村:ところで、カブリ数物連携宇宙研究機構に所属されている研究者の6割が外国人ということですが、村山さんのように兼任の方も多いのですか?
村山:ほとんどが専任ですが、兼任の方もいらっしゃいます。東大の教員で海外の機関の職と兼務する人は私が初めてのようですが、最近は増えてきました。
川村:日本の大学もグローバルに人材の流動性が出てきたというのは、非常にいい傾向ですね。海外から優秀な研究者に来てもらうために、機構ではどのような取り組みをされているのでしょうか?
村山:まず、一番大事なことは、研究所の理念を説くことです。天文学と物理学、数学を融合して宇宙の謎に迫るという当機構の独自の考え方を知っていただき、理念に共鳴する人に呼びかけるのが第一歩です。次に、きちんと条件を提示すること。残念ながら日本の大学は米国の大学よりも条件が悪いので、交渉が必要になります。そして三つ目が、生活のサポート体制を整えること。私自身、20年間米国に住んでいて、いざ日本の研究所に籍を置く際にとても苦労しました。まず日本の銀行に口座を開設し、給料の振り込みの手続きをしてクレジットカードをつくろうとしたのですが、クレジットカードの審査で落とされてしまったのです。40歳を過ぎた社会人なのに、日本での収入の記録が一切ないというのが理由でしたが、日本に来て生活を立ち上げることがいかに大変か、身に染みて感じました。外国人ならなおさらでしょう。サポート体制なくして、単に日本に来てくれと言うだけでは、到底優秀な研究者を雇うことなどできません。特に重要なのが健康保険の情報です。米国人にとって健康保険は、給料の次に心配の種です。ですからわれわれの機構のウェブサイトでは、日本の健康保険制度について英語で紹介しています。残念ながら文部科学省の共済組合には日本語のウェブサイトしかありません。例えば、日本で盲腸の手術を受けると40万円ほどかかりますが、米国では200万円にもなる。日本の医療費負担は3割だと言うと、米国人はそんなに負担するのかと驚くのですが、日本では医療費自体が安いし、高額医療費については払い戻しの制度もあります。そうした情報を知ると、皆、安心して来てくれます。また、ビジターで来てもらった際に旅費の支払いを現金で渡すのか、振り込みにするのか、タクシー代は出せるのかなど、細かい所まで事前に説明するようにしています。最初にルールを全て書き出して伝えておくことが肝要です。
川村:そのようなことまでやっていらっしゃるのですか。
村山:はい。そのような細かいところが実は重要なのです。また、日本の研究者の中には優秀な人がたくさんいるにも関わらず、国際的な発信力が弱く、顔が見えにくいのが現状です。ですから、海外の研究者は、「日本に行くと、研究者として埋もれてしまうのではないか」と恐れています。その恐れを拭い去るために、当研究所では、年間11カ月以上日本にいてはならないというポリシーを定めています。つまり、少なくとも年に1~3カ月は国際会議に出席したり、他の研究所で共同研究をしたり、外に出る義務を課しているのです。これは外国人研究者にとっては魅力的なポイントになっているようです。ちなみに私自身は、1年の半分は米国です。飛行機で年間30万マイルは飛んでいる計算になります。
川村:非常に参考になります。産業界でも日本の発信力の弱さが、競争力の低下を招いています。そこで最近では、日立でも事業部の本社を海外に置くことを検討しています。例えば、鉄道システム事業の本社はイギリスに移転する予定です。そうすることで多様な人材を集めたいと考えています。
村山:日立はイギリスで高速鉄道を受注されましたね。
川村:10年がかりで受注したのですが、次のステップとしてはヨーロッパ大陸に市場を拡大していきたいと考えています。そのためには、日本から指令を出していたのでは遅れを取ってしまいます。
村山:研究の世界でも、それぞれの国で予算を獲得する仕組みが違うので、他国の研究者と共同で仕事をしようとすると、手続きの段階でさまざまな食い違いが生じます。そうした中で重要なのは、双方のシステムがどう違うのかを、きちんと説明することですが、その際に、文化や言葉の違いを認識しておくことが不可欠です。例えば、以前、米国と日本を結んだあるテレビ会議の場でこんなやり取りがありました。私は米国側にいたのですが、議論が終盤に差し掛かり、「他に何か意見はないですか?」という当方の質問に対して、日本側から「No opinion」という返事が返ってきたのです。すると突然、米国人たちが怒り出してしまった。日本人の感覚としては、「それでいいよ」という肯定の意味で言ったのでしょうが、米国人側は、「意見を言う価値がない」と受け取ってしまいました。それだけの食い違いでもめるわけですから、グローバルなやり取りというのは、本当に難しいと感じています。
川村:ちょうど英語の話題が出ましたのでお聞きしますが、村山さんはどのようにして英語を身に付けられたのですか?
村山:英語についてはきちんと勉強したというわけではありませんが、それこそ日立のおかげで、父がドイツに4年間ほど海外駐在をした際にドイツ語を勉強する機会に恵まれました。ドイツ語を習得したことにより、外国語と日本語はそれぞれ違う発想の下で体系化された言語であるということを体得できました。英語を身に付けたのは大学院を出て、米国に渡ってからです。すでに2 9歳になっていて、最初は全く通じませんでした。レストランに行って水を頼もうとして「ウォーター」と言っても通じず、物の本で読んだ記憶を頼りに「ワラ」と発音してみたら水が出てきた、というような感じです。でも海外に飛び込んでしまえば、とにかくしゃべらないわけにはいきません。しかもすぐに気付いたのは、米国では主張しないと何も考えていないと思われてしまうということです。仕方がないのでしゃべるしかありません。そうこうしているうちに、自然と英語が身に付いたという感じです。
川村:日本の仕事もこれだけグローバルになってきますと、やはりバイリンガルの育成は必須です。日立もグローバル化を掲げ、海外への事業の展開を加速していますが、そのような中で語学の習得は大きな課題となっています。もちろん日本語を学び、日本の文化を知ることは不可欠ですが、一方で世界に通用するバイリンガルのリーダーを育てていかないと、今後、事業展開を進めていく上でますます困ることになるでしょう。少なくとも、2020年の東京オリンピックの開催時には、外国人に尋ねられたら誰もが道を教えられるくらいに国民の英語力のレベル全体を引き上げなければならないと思いますし、海外で仕事をするリーダー層には相応の英語教育を施さなければなりません。
村山:おっしゃる通りだと思います。日本の英語教育は、英語を道具として使うための教育になっていません。あれだけ時間を使っているのに、本当にもったいないと思います。
川村:日本にとっては、基礎研究の水準維持、一般の科学リテラシーの向上も重要な課題ですね。冒頭で話題に出た日本物理学会第69回年次大会市民科学講演会では、村山さんから「宇宙の謎を探る加速器は、粒子線がん治療装置として国民の役に立っている」というお話がありました。その後、私が宇宙の謎とガン治療というテーマで講演し、うまくタッグを組むことができたように思います。このように基礎研究がさまざまな産業分野で応用され、私たちの生活水準の向上に大きく貢献していることを一般に広く知らしめていく必要があると感じています。
村山:私も常にそうした意識を持っています。特に米国の場合、研究費を申請する際に、ブローダー・インパクト(broader impact)を説明する必要があります。ブローダー・インパクトとは、この研究が自らの研究目的のためだけでなく、他の分野や一般の人々など、広範にわたりどのようなインパクトを与えるか、を意味します。米国では税金を使う以上、成果を社会に還元していかなければならないという意識が非常に強く、私も研究の世界の外を意識した「アウトリーチ活動」に取り組んできました。もっとも宇宙の研究というのは、すぐに世間の役に立つようなものではありません。しかし、一般の人からも大変関心の高い分野であり、特に子どもの科学への関心を高め、理科離れの解消に役立つと思います。当機構を立ち上げた際にも、そのことを公約にしました。
川村:そうしたこともあって、『宇宙は何でできているのか』(幻冬舎新書)など、宇宙の謎について一般に分かりやすく書かれたベストセラー本を何冊もお書きになっていらっしゃるのですね。
村山:そうですね。それから、当機構は期限付きで始まった研究所でしたが、存続させるためにどうしたらいいのか、機構長としてさまざまな人に相談して回った際に、文部科学省の方から、とことん、目立ちなさい」と言われたことがきっかけの一つになっています。まさかそのようなことを言われるとは思ってもみませんでしたが、本の出版や新聞、テレビに出ることを通じて、広く一般の方に宇宙研究について理解していただくことは、研究を続けていく上で非常に重要なことだと思っています。そうでなければ、「世の中の役に立たない研究など意味がない」と言って、切り捨てられてしまうでしょう。もちろん、面白い映画を見れば、誰かに伝えて共感したいと思うように、面白い研究ができれば、その成果を世の中に広く伝えたいという純粋な気持もありますが、一方で、予算獲得のためという世知辛い理由もあるのです。
川村:期限付きで研究をやるというのは、本当に大変なことですが、われわれのプロジェクトもやはり3年くらいの単位でやることが多いですね。内容はもっと身近なテーマではありますが。
村山:それは大変ですね。身近であっても、日立の場合、スケールの大きなプロジェクトが多いと思いますから。もう一つ、「アウトリーチ活動」の際に、自分の専門について興味を持っていただくために、大きな問題の中でその研究がどのような位置付けにあるのかを最初に説明するのですが、そうすることで自分の研究を客観的に見つめ直すことができるという利点があります。
川村:私たちも誰かに仕事を頼むときに、全体の中のこういう部分で、これがないと次に進めないのであなたに頼んでいるのだと理解してもらうようにしています。最初にそうやって意識付けすることは、仕事を円滑に進める上で、非常に重要だと思います。
川村:村山さんご自身がご苦労されていらっしゃるように、基礎研究がどのように社会の役立つのかを定量的に示すことは難しい面がありますが、グローバル競争の中での日本の優位性はまさに基礎研究の差にあると感じています。
村山:この間、初めて知って驚いたのですが、アジアの国の中で、自国の研究機関の研究者がノーベル賞を受賞しているのは日本だけなのですね。中国人やインド人もノーベル賞受賞者はいますが、彼らは、欧米の研究機関での研究で受賞しています。明治維新を経て、一気に西洋文明を取り入れ、それからほどなくして長岡半太郎や仁科芳雄を、そして昭和に入りノーベル賞受賞者である湯川秀樹を輩出した日本という国は、やはりすごいと感じます。日本人の国民性として、物事の本質を深く探究することに喜びを感じるところがあるのでしょうね。
川村:本当にそう思います。今、アジアの中で最も目覚ましい発展を遂げている中国について、本当にこのまま発展を続けることができるかどうか、世界中が注目しています。中国の発展を妨げる要因があるとすれば、一つは基礎研究の力を付けられるかどうか、もう一つは民間の力を引き出せるかどうか、という2点だと思います。翻って日本は、いずれの要素も満たしているわけですから、その強みを生かして、われわれ民間企業が基礎研究を応用につなげていく役割を果たさなければならないと感じています。
村山:素晴らしいことですね。先ほど話題に出た浜松ホトニクスの創業者であり現会長の晝間輝夫氏の語録を読むと、起業のきっかけは研究をやりたかったからだ、と書かれていて驚きました。だから儲けが出たら研究に回すのだと言う。実際に収益の半分以上を研究費に還元していると聞きました。その姿勢が、ニュートリノの観測に貢献したカミオカンデ*6の光電子増倍管の開発にもつながっています。私の父も研究を本当に好きなように続けていましたが、そうした度量の広い日本企業が日本の基礎研究を育ててきたのでしょう。
川村:私自身は立場上、研究所に対して「もう少し出口の見える研究をしなさい」などと言って、嫌がられていますけどね。もっとも中央研究所には、日立の創業者小平浪平の言葉である「人生百年に満たざれど、千年後を憂う」と書かれた書が残されていて、それが一つの指針になっています。
村山:それが日立の文化なのですね。しかも、中央研究所の人は変人でなければならない、と言います。
川村:これも、創業者の一人である馬場粂夫の「高度の発明を為すものは変人以外は期待し難い」という言葉に由来していて、今もその伝統が引き継がれています。ところで基礎研究で言うと、村山さんのお父様は日立の中央研究所で、村山さんご自身は大学の研究機関で研究をされていますが、企業と大学、それぞれの役割と関係性については、どうあるべきだと思われますか?
村山:大学の立場から言うと、企業は、実際に何かをやろうとした時に、それを実現する技術と力を提供してくれる、とても頼りになる存在です。例えばすばる望遠鏡計画*7では、キヤノンや浜松ホトニクス、京セラ、三菱電機などと共同で研究を行ってきました。最初、われわれのアイディアをお話すると、企業の方は大抵、「そんな無茶なことはできませんよ」と、おっしゃいます。ところが議論を進めるうちに、「なんとかできるかもしれない」と言って話がどんどん進んでいく。その実行力には本当に頭が下がります。企業にとっても、不可能を可能にし、それを事業に応用できるなら有益でしょう。実際に、すばる望遠鏡のカメラの開発で培われた技術が、キヤノンの場合は半導体の露光装置に応用されたと聞きました。10億画素のデジカメをつくったのですが、軽量化しても3tにもなるので、筐体に金属ではなく京セラのセラミックを使うことにしました。セラミックは熱膨張率が非常に低く、軽く、頑丈なのです。これも今後の事業に生かされることになるでしょう。三菱電機も、すばる望遠鏡での経験を生かして、昨年、チリのアタカマ砂漠に新しく完成した電波望遠鏡アルマの建設を手掛けられました。このように産学連携というのは、お互い有益な関係を築くことができる有効な手段と言えます。
川村:日立も現在、欧州原子核研究機構(CERN)や高エネルギー加速器研究所への納入により実績を積み上げてきた加速器技術を応用し、粒子線によるガン治療装置など、医療機器の開発を手掛けています。
村山:重粒子*8を使うのですか?
川村:重粒子もありますし、陽子もあります。重粒子の場合、効果的ですが、一方で破壊力が大きいので、小さいガンの場合は陽子を使います。その他にも共同研究で培ってきた先端技術を、MRI用超伝導電磁石や産業用X線CT装置などの医療機器に応用しています。今後はますます、宇宙の観測のために開発した技術が実際の社会で役立つようになるでしょう。非常に面白いですね。
村山:そうした事例がたくさん出てくると、私たちとしても嬉しいですね。競争的資金の獲得のためにも重要なことです。
川村:核融合技術の応用なども、非常に重要と考えています。現在のエネルギー体系において原子力が外せないエネルギー源だと考えると、ウランが枯渇した後のことを想定して、核融合
の技術を確立しておく必要がある。日立では今後も、基礎と応用をつなぎ、社会に役立つ事業に取り組んでいきたいと考えています。
川村:ところで、研究の新しいアイディアを考える際の発想法として、何か工夫されていることはありますか?
村山:発想法は人によってスタイルが違うので一概には言えませんが、私の場合は、できるだけ薄く広く物事を知るように心がけています。研究をやっていると、どうしてもある時点で行き詰まってしまうことがあります。そのようなときは、いったん潔く諦めて、しばらく別のことに目を向けるようにします。そちらもしばらくすると、また行き詰まる。そこで改めて前の問題に戻ってみると、別のところで積んだ経験によって壁を打ち破ることができた、ということが今までにも何度かありました。一つのことだけを追究するというのが研究者の王道かもしれませんが、私の場合は、潔く諦めて別のことをやった方が、より生産的だった経験があるので、いつでも役に立ちそうなネタを温めておいて、こっちがダメならあっちに行ってみよう、別のところからアイディアを持ってこよう、といった柔軟性を持つようにしています。
川村:なるほど。そうなると、他の専門の方の知見を借りるのも手ですね。
村山:そうです。ですから研究所におけるダイバーシティが重要になるわけです。同じ問題に対して、違う専門や文化、手法を持った人から見ると、まったく違って見えたりする。そのようなアプローチの方法があったのかと、大変刺激を受けます。
川村:日立でも、よりダイバーシティが進んだ環境をつくりたいと考えています。研究所で海外の方を雇うだけでなく、取締役についても、現在、12名中3名が外国人です。彼らは本当にざっくばらんに発言するので、非常に刺激になります。「どうしてこんなに優秀な人間をいっぱい集めているのに儲からないのか?」と言われたりすることもあります。
村山:多様な人が集まるというのはとても有益ですが、一方で、言葉が通じないところから始まるので、やはり苦労は多いですね。
川村:使っている用語からして違いますから。逆に、グローバルに仕事をする上では、多角的な検討を重ねることが非常に重要で、取締役会での長い質疑を経ると、これでグローバルに戦えると思えるところもあります。
村山:大学ではまだ、そこまでの危機感はないでしょうね。皆それぞれが一国一城の主ですから。一方で企業からすると、大学が変わらない限り、グローバルに活躍できる人材が生まれないという危機感をお持ちでしょうね。
川村:大学にはもう少し多様な人材を育ててもらいたいと感じています。博士課程を出て、専門性を持ちながらも、歴史や哲学、経営にも通じているような幅広い教養や知見を持つ人が望ましい。海外の経営者は、そういうタイプの人が多く、財務の専門家から経営者になったのに、日本の歴史や仏教に通じていたりして驚くことがあります。しかも、そういう人はたいていとても優秀なのです。村山さんの、座右の銘を教えていただけますか。
村山:あまり意識はしていないのですが、よく使うのは「宇宙という書物は数学の言葉で書かれている」というガリレオの言葉です。つまり、数学という言語を知らないと、宇宙という書物を読むことはできないというわけです。なぜ宇宙の研究をするプロジェクトなのに数学が入っているのかと不思議がられることがあるのですが、その際に、この言葉を使って説明します。何しろ、宇宙や素粒子の世界では、あまりにも常識外れなことが起こるので、普通の言葉で語ることはできません。先ほどお話したように宇宙の膨張は加速していますし、素粒子の世界ではトンネル効果で電子が越えられない壁を越えて染み出して来るといったことも起こる。そうした不思議な現象の前に、われわれは文字通り言葉を失ってしまいます。人間の持っているボキャブラリーは日常生活から生まれたものであって、宇宙や素粒子の世界では使えないのです。普通の言語が使えないのなら、もっと抽象的な言葉で記述するしかありません。そこで使えるのが数学だということです。これは宇宙の研究に限らず、どんな世界でも同じなのではないでしょうか。新しいことを始めると、今までの言葉では記述できなくなる。そこで新しいコンセプトや方向性を示すための新しい言葉が必要になる。逆に言えば、新しい言葉を見つけられた人が、新しいアイディアやコンセプトを生み出すことができ、次のステップに進むことができるのだと思います。宇宙や素粒子の研究は、まさしくそれを数学という言語でやってきた。それが新しい知を生み出すポイントなのではないかと思うのです。
川村:なるほど。ガリレオという人はまさにそれを示唆したわけですね。村山さんはこれまでも研究者として大きな成功を収めてこられましたが、今後、実現したい夢についてお聞かせください。
村山:「大きな成功」とおっしゃいましたが、自分としては、せいぜい二塁打、三塁打を打った程度だと思っています。まだ満塁ホームランは打っていない。やはり満塁ホームランを打ちたいですね。満塁ホームランというのは、この人がいて、この研究がなかったら世界はその先に進まなかったというようなマイルストーンを打ち立てることです。そういう意味では、まだまだ「ひよっ子」だと思っています。
川村:そのためにも、やはり機構をいろいろな意味で発展させていかなければなりませんね。
村山:はい。自らの研究を進めつつ、機構長として人材や資金を確保し、継続的に研究ができる体制を整える必要があると思っています。
川村:応援しています。本日はお忙しい中、ありがとうございました。
村山さんは、東京大学で博士号を取得されてから、東北大学大学院助手、ローレンスバークレー国立研究所研研究員、カリフォルニア大学バークレー校教授などを歴任されて、現在は東京大学カブリ数物連携宇宙研究機構の機構長として、最先端の素粒子物理学の研究に取り組まれています。今回は、国際リニアコライダーを糸口として、宇宙は何でできているのか、宇宙を支配する法則は何なのか、宇宙はどんな運命を迎えるのかなど非常に興味深い研究内容について解説していただきました。自らも機構長として世界中から優秀な頭脳を集めるためにさまざまな工夫をしておられ、グローバル化をはじめとしたダイバーシティの重要性を改めて認識しました。また、これまで研究者として大きな成功を収めてこられながらも、さらに大きな成果を求めつつ、機構長の仕事やアウトリーチ活動を進められている姿勢にも大きな感銘を受けました。