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株式会社日立総合計画研究所

インタビュー

研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対論

第50回 能と古典に学ぶ持続可能性とイノベーティブマインド

企業には、顧客、株主、従業員、社会など、さまざまなステークホルダーの長期的価値を創造し続ける持続可能性と、未知の領域に独創的に挑戦することで革新を起こすイノベーティブマインドの両方が不可欠であり、それは日立創業の精神「和・誠・開拓者精神」にも表されています。今回は、約650年の伝統をもつ「能」のワキ*1方であり、古代思想はもとより先端のデジタル技術にも造詣が深く、多彩な分野でマルチに活躍しておられる安田登氏をお招きしました。能や古典に込められた持続可能性とイノベーティブマインドに関する先人たちの知恵について伺い、組織運営や企業人にとっての新たな「知」へのヒントを探ります。(聞き手は日立総合計画研究所取締役会長の内藤理が担当)

安田(やすだ) (のぼる)

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下掛宝生流能楽師

1956年千葉県銚子市生まれ。高校時代、マージャンとポーカーをきっかけに甲骨文字と中国古代哲学への関心に目覚める。

ワキ方の重鎮、鏑木岑男師の謡に衝撃を受け、27歳で入門。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、『論語』などを学ぶ寺子屋「遊学塾」を、東京を中心に全国各地で開催する。

著書に、『能 650年続いた仕掛けとは』(新潮社)、『あわいの時代の[論語] ―ヒューマン2.0』(春秋社)、『役に立つ古典』(NHK出版)、『すごい論語』、『イナンナの冥界下り』(ともにミシマ社)など多数。

コロナ禍における新たなチャレンジ

内藤:今まさにコロナ禍にありますが、安田さんの活動でコロナ禍の影響は大きいでしょうか。

安田:はい。2020年は3月1日の舞台が中止になって以来、ほとんどの舞台が中止になりました。3月15日にはチューリッヒ(スイス)にあるユング研究所でパフォーマンスとミニレクチャーをする予定で、現地で準備をしていたのですが、前夜に州知事から命令が出て、それも中止になりました。

内藤:それは本当に大変でしたね。一方で、このような状況下でも、時代に即した新しい試みにチャレンジされていると伺いました。

安田:稽古はビデオコミュニケーションアプリを使ってオンラインで行っていますし、cluster(クラスター)というバーチャルリアリティー(VR)環境下で利用できるSNSツールも活用しています。VRを用いた舞台化には興味をもっています。能の舞台にホログラフィーのようなVRを持ち込むのではなく、観客が舞台のVR空間に入って楽しめるような作品をつくりたいと思っているところです。5Gの時代になり、音声認識機能と機械翻訳サービスを使えば、海外への配信もうまくできるのではないかと思います。

内藤:海外となれば、(うたい)(能の声楽部分のこと)の現代語訳が必要ですね。

安田:実は今春から、いとうせいこうさんによる能の現代語訳が雑誌『新潮』に隔月で連載中です。村上春樹作品などの翻訳で知られているジェイ・ルービンさんによる英語翻訳も進行しています。ワキの部分は私が謡を謡って、シテ*1の部分をいとうせいこうさんの現代語訳にして、ジェイさんの翻訳も入れて。それをVR化する試みを考えているところです。

内藤:すばらしいですね。いとうせいこうさんの仕事は私も大好きなので、ぜひ経験してみたいですね。

*1
能の役種。一曲の主役のことをシテ、演ずる者をシテ方(してかた)と呼び、シテの相手役のことをワキ、ワキを演ずる者をワキ方(わきかた)と呼ぶ。

能の持続可能性を実現した「伝統」と「初心」

内藤:ところで、「能」は室町時代から続く舞台芸術です。持続可能性という観点から伺いたいのですが、能がこれだけ長く続いているということは、何か変化に強い仕組みや仕掛けを持っているのでしょうか。

安田:「能」が長く続いた理由を表すキーワードが二つあります。一つは「伝統」で、もう一つは「初心」です。「伝統」とは、1人の天才に依存しないシステムをさします。 例えば、能で用いられる(つづみ)には、大きさや演奏方法が異なる大鼓(おおつづみ)小鼓(こつづみ)があり、この両者をうまく組み合わせることで、鼓の天才でなくとも、優れた表現ができる仕掛けになっています。このように「能」は、楽器や道具、あるいは物語の構造などの中に、誰もが受け継いでいけるシステムをつくっているのです。ただ、そのシステムの踏襲だけではマニュアル化して凡庸になりがちなので、そうさせないための仕掛けもあります。それを一言で言うと「呼吸」です。能の鼓は掛け声の前に息を吸い、「ン、イヨーッ、ポン」と入ります。この「ン」が大事です。今は分かるように「ン」と言いましたが、本当は舞台では聞こえません。全く無音なのです。大鼓奏者が「イヨッ、ン、ハッ」と打つと、この「ン」をもらって、小鼓奏者が「ン、イヨーッ」と打つわけです。このような奏者同士の掛け合いのパターンを「()」といって、掛け声と打音の組み合わせで、200以上のさまざまなバリエーションがありますが、全部その呼吸を感じながら打ちます。意外に思われるかもしれませんが、奏者同士は一緒に稽古をしないので、それぞれが呼吸を感じる力を身に付けなければいけません。それにより、単なるマニュアル化に堕さないようになっているのです。

内藤:なるほど。ともに稽古をして合わせるのではなくて、自分の中でひたすら一生懸命にやる。そこに至るまで「一日にしてならず」は当然だと思うのですが、いつの間にか通じてしまうのは、すごいことですね。

安田:国立劇場に研修生として入ってから舞台に出られるまでに、歌舞伎の場合は4~5年ですが、能の場合は楽屋でのお手伝いも含めて約10年かかります。10年分の稽古が必要なのです。例えば、サッカーを始めてから10年間試合に出られないとすると大変ですが、能の場合はそれが普通のことなのです。この呼吸を体得するために最も大事なことは、実は「お茶を入れること」にあります。師匠がお茶を飲みたいタイミングでお茶を出す、しかも師匠が今飲みたい温度で出すことが重要です。

内藤:それはまた難しいですね。

安田:舞台前のお茶と舞台後のお茶、食前のお茶と食後のお茶は違いますでしょう。

内藤:なるほど。察する力の会得ですね。

安田:ええ、舞台ではそれが必要不可欠なのです。能は、万が一演者が舞台の上で亡くなっても舞台そのものは終わりません。演者が死んだときの作法があって舞台は続きます。ところが、そのような作法がある一方、舞台の上に雨が降るとすぐ終わるのです。600年以上伝承されている「(おもて)」がぬれてはいけないのでそのようになっています。ただ、急に終わると、それも変なので、お客さまが変に思わないような終わり方をするために、キリというフィナーレの部分に飛びます。ですが、それを言葉で伝えることはしません。鼓や太鼓の掛け声、あるいはシテからの無音の信号によって「ここからそこに飛ぶ」ということが、全員が分かるのです。それを察する力が必要です。

内藤:そこに至るまでに、普通の人間は10年かかるのですね。

安田:かかりますね。ただ、先ほどお話ししたように、楽器や物語の構造により、下手な人でも割とうまくいくようにつくられているのですね。それはやっぱり「能」のすごさだと思います。

「初心」を生かした能楽師・梅若実氏の功績

内藤:そのようなシステムがあっても、「能」には存続の危機が何度かあったように思います。興行の後ろ盾となるスポンサーやパトロン、時代の権力者が代わったとき、先人たちはどのように対処してきたのでしょうか。

安田:そこに関係してくるのが、もう一つのキーワードである「初心」です。「初心忘るべからず」は、能を大成した世阿弥が著した能楽書『花鏡』にある有名な言葉です。そもそも「初」という漢字は、「衣偏」と「刀」からできており、もとの意味は「衣を刀で裁つ」、つまり、まっさらな生地に初めて(はさみ)を入れることを示しています。世阿弥は「初心忘るべからず」を、折あるごとに古い自己を裁(断)ち切り、新たな自己として生まれ変わらなければならない、そのことを忘れるな、という意味で用いました。 世阿弥はこの精神を「能」の中に仕掛けたのです。彼は、「初心」の技をそれぞれの能楽師の習い性にすることで、「能」を取り巻く環境の劇的な変化を受け入れる心根を身に付けさせました。例えば、「能」は歴史上、何度か存続の危機に直面していますが、このうち明治の危機を乗り越えることができたのは、能楽師・梅若実(うめわかみのる)(初代)のおかげです。 江戸時代、「能」「平曲(へいきょく)平家(へいけ)琵琶)」「幸若舞(こうわかまい)」の三つは、儀式に用いられる芸能、すなわち「式楽」として、幕府によって保護されていました。しかし、江戸時代の終わりとともに、幕府の保護を失い、存続の危機に直面します。演者は武士階級で、今でいうところの国家公務員のような身分でしたから、江戸時代が終わると職にあぶれてしまいます。能楽師たちは三つの選択肢がありました。一つは徳川家に付いて駿河に行く人。一つは地方に帰る人。もう一つは朝廷側に付く人です。観世の家元は駿河に行ったのですが、梅若実は徳川家にとっては敵となる朝廷側に付いたのです。 もともと彼は商家の出で、御家人株を購入して武士になった人だといわれています。当時は能の稽古をしてもらえないなど、いじめに遭っていたようですね。養父の梅若家はもう何百年も武士の家柄でしたから、明治の世になってからは放蕩(ほうとう)ざんまいでした。ところが彼は、そのような中でも橋のたもとで謡を謡ったとまでいわれています。明治の初めの頃は、謡うだけで石を投げつけられたりしましたので、これはおそらく、商家の出だからできたことですね。もともと武士だったとしたら、体面を重んじてそのような恥ずかしいことはできなかったと思います。

内藤:能という定まったシステムの中で、違うフィールドの出身者が生かされているのは、多様性という視点からも興味深いですね。システムだけが機能しているのではなくて、その精神を引き継ぎながらも、時代時代に新しい人が出てきているのですね。

安田:梅若家はもともとツレ*2でしたから、主人公のシテには絶対になれない家だったのです。しかも彼は商家の出。二重三重の障害があったはずです。一方、駿河に行った観世の家元はプロモーターにだまされて面装束をほとんど売ってしまっていました。もし梅若実がいなかったら、「平家琵琶」や「幸若舞」と同様に「能」も消えていた可能性が高いですね。それでも梅若実が能を続けてきたのは、能が好きだったからだと思います。もう、好きで、好きでたまらなかった。だから残すことができたのでしょう。

*2
能の役種。シテやワキに連れ立つ役のこと。それぞれシテツレ、ワキツレともいう。梅若家は江戸時代、シテを務める観世家のツレ家の立場であった。

内藤:『論語』に「知るは好むにしかず、好むは楽しむにしかず(知之者不如好之者、好之者不如楽之者)」とあるように、きっと楽しんでもおられたのでしょうね。

イノベーションを生む「直観力」と「温故而知新」

内藤:安田さんが先日出演されたトークライブ「能で読む~漱石と八雲~」を拝見し、『吾輩は猫である』の一節を、大変楽しませていただきました*3

安田:日立製作所が創業した1910年ごろは、夏目漱石が活躍した時期に重なりますね。アインシュタインが相対性理論を発表したり(1905年)、フロイトが『夢判断』を著したり(1900年)した頃ですね。

内藤:かつて、小泉八雲も勤務していた熊本大学の前身である熊本第五高等学校で、漱石が英語を教えていた、その生徒に寺田寅彦がいました。彼は漱石から俳句を教わって仲間と漱石を主宰とした俳句結社をつくり、東京帝国大学へ進学。その後、物理学者として名をはせますし、漱石とは長く、師弟関係になります。寅彦は『吾輩は猫である』では、理学士水島寒月先生になって登場していますね。 漱石はある講演で「科学者と芸術家には共通点がある」と言ったそうですが、寅彦も「科学者と芸術家」というエッセーの中で、「科学者の天地と芸術家の世界は相いれないものではない」と言っています。「科学者と芸術家の生命とするところは創作」であり、「科学者は未知の物を発見し、芸術家は新しいものを求める」と。どちらも観察力と同時に想像力が求められるとも述べています。 さらに、「科学は論理の解析だけをしているように思われているけれども、それだけではない大事なものがある。それが『直観』だ」と。「古来一流の科学者が大きな発見をし、優れた理論を立てているのは、多くは最初直観的にその結果を見透した後に、それに達する論理的の経路を組み立てたものである」、「もっともこの直観的の傑作は、科学者にとっては容易に期してできるものではない。それを得るまでは、不断の忠実な努力が必要である。永い間考えていて、どうしても解釈のつかなかった問題が、偶然の機会にほとんど電光のように一時にくまなくその究極を示顕する」という記述があるのですね。 このような科学者の直観を芸術家の視点に置き換えたとき、寅彦はそれを「神来の感興」だと言っています。芸術家がこの「神来の感興」を表すために使用する色彩や筆の触り、和声、旋律などが、科学者にとっての論理や解析なのだというのです。

安田:なるほど、面白いですね。直観力の話は、まさに「温故而知新」*4といえそうですね。

*4
「温故」は既存の知識をグツグツ煮込む、「知新」は矢が落下してくるように新しい視点が出現することを意味し、「而」は時間の経過を表すが、一説には巫女(みこ)が髪を振り乱して祈っている様を表しており、安田氏はこれを「魔術的な時間」と呼ぶ(『すごい論語』p.47、p.166~167)。

内藤:この言葉はイノベーションを起こすプロセスとして捉えることができますね。『論語』の原文には「温故」と「知新」の間に「(しこうして)」という時間の経過を表す文字が入っていますが、安田さんが著作や講演の中で、これは「ただの時間ではなく、奥深くで見えないうちに何かが変化する魔術的時間、じっくり温める時間、あるいは発酵を待つ時間だ」とおっしゃっていました。 卑近な例ですが、「夜中に書いたラブレターをすぐ出すな」といいますよね。これは、日々会社で書いている企画書や提案書にも当てはまると思います。1日たってから見直すと必ず気付くことがある。長考の末に、突然ぱっとひらめくこともあります。やはりこの魔法の時間がなければ、新しい知恵は出ないだろうという実感がありますね。 このような「而」、つまり何かが起こるために必要な時間、これは削れないと思うのですが、「温故」の部分、すなわち既存の知識を温めて吸収するための時間は少し短くすることができるかもしれない。われわれは、知識を効率的に吸収する方法を考えるべきだと思います。先人の知恵を学ぶこともそうですし、もし自分の知恵が足りないならば外部の力を借りるという方法も、イノベーションを起こすための一つのやり方だと考えられそうですね。

「身体化すべき知恵」の重要性

安田:「温故而知新」が可能になったのは、私たちが文字によって、得られた知識を外在化し、脳に余裕ができたからだといえるでしょう。AIやウィキペディアなどによってさらに知識の外在化が進んでいますが、「外在化してよい知識」と「外在化してはいけない知恵」を明確に分ける必要があります。「外在化してはいけない知恵」によって、初めて温故而知新が起こり得るわけで、単なる「知識」だけでは温故而知新は起こりません。

内藤:変わるものと、変わらないもの。変えてもいいものと、変えてはいけないもの。その区別をきちんとしていくことが重要なのですね。

安田:私は、この外在化してはいけない知恵を「身体化すべき知恵」と言っています。シュメール神話「イナンナの冥界下り」は、文字が発生した時代の物語であり、現存する最古の神話といわれています。私はこれを現代語訳したり、舞台化したりしたのですが、このときにギリシャ語やシュメール語を勉強しました。このような言語は翻訳機などでの自動翻訳は避けて、身体化したほうがよいのです。それによってアイデアが浮かんできます。いろいろなギリシャ語がぱっと頭に浮かばなければいけない、それは身体化すべき知恵なのです。企業の歴史も同様ではないでしょうか。それは自分の成育歴と同じで、おそらく身体化すべき知恵なのですね。そこから生まれてくる何かが大事だと思います。

内藤:2019年より、「日立オリジンパーク(仮称)」を、創業の地である茨城県日立市に造る計画*5が進行しています。企業理念や創業の精神の紹介だけでなく、日立市の観光にも資するような施設にできればと、計画に当たっては海外の企業も含め、さまざまな資料館を調査したのですが、優れた企業は自分の会社の歴史をきちんと伝えていることが分かりました。

安田:やはりそうですか。

内藤:これはもうほぼ例外なく、企業の社会的な価値を考えれば、SDGsのような世の中に貢献する在り方が求められます。そのためには、自分たちは何者なのかを共通の言葉で語れなければいけないという議論があり、その中でスタートしたプロジェクトなのです。2021年度中にオープンの予定ですが、歴史的遺産として実物が展示されているだけではなく、例えばオリジンパークと各地をバーチャルでつなぎ、その場にいなくてもウオークスルーで見られるような試みも考えられるのではないかと思います。

安田:3DやVRを使って表現される資料館は面白いですね。先ほど、稽古でVRを活用している話をしましたが、今後はバーチャルの世界とリアルの世界は、両方大事になってくると思います。バーチャルの世界は、実は既に相当リアルなのではないかと感じています。

内藤:今、リアルな世界ではコロナ禍により、ソーシャルディスタンスを取らなければならなくなっていますが、人々はバーチャルな世界で密なコミュニケーションを築こうとしています。バーチャルが重なるとそれが新たなリアルになる。実際にいろいろな可能性が見えてきており、ひょっとしたらコミュニケーションの方法が変わってくるかもしれません。

安田:僕がホログラフィーだったりすると、もう分からないですからね。

内藤:分からないですね。世の中変わりつつあるので、分からないこと、知らないことがあるのは当然で、「いや、そんなことが起きるはずがない」と思わないほうがよさそうです。

安田:先日、東京大学の稲見昌彦教授に招かれて、同大学院で「身体感覚の拡張」の講義をしました。私たちは「身体は皮膚の中にある」と思っていますが、実際はその周囲の空間も使って思考しており、そこの感覚も持っているわけです。フランスの哲学者メルロー・ポンティの言葉ですが、杖が身近な道具となってしまうと、その人にとって杖は知覚する道具。つまり、身体的総合の延長となると。身体は拡張しませんが、身体感覚は拡張するのです。 紀元前2000年ごろ、人が家畜を手に入れて馬を乗りこなすようになったときは、馬が自分の身体感覚になりました。同様に、ビデオコミュニケーションアプリでもホログラフィーでも、あるいはVRでも、それらが身体感覚として拡張されたとき、まるでペンで字を書くようなリアルさがそこに生じると思います。馬に乗るには習熟が必要であるように、VRを使いこなすにも習熟が必要です。いろいろなところで「身体感覚」という言葉が一人歩きしているように感じますが、もっと身体にコネクトしている感覚として捉えることが重要だと思います。

古典から読み解く「和」と「誠」

内藤:日立製作所の創業者である小平浪平は、「和」「誠」「開拓者精神」の三つを企業理念として掲げました。現在も、日立グループが大切にしていく価値と位置付けています。 まず「和」は、他人の意見をよく聞いて尊重し、偏らないオープンな議論をした上で、いったん決断に至れば、共通の目標に向かって全員一致協力すること。単に仲良くすることではないと強調しています。

安田:「和」と「誠」のもともとの意味を見てみると、大変興味深いですね。 「和」は、『論語』に「子曰く、君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず(子曰、君子和而不同、小人同而不和)」とあります。和するのが君子*6で、同するのが小人(しょうじん)*6だという意味ですね。聖徳太子の「和を以て貴しと為す(以和為貴)」という言葉は有名ですが、これは実は『論語』の「有子曰く、礼の用は和を貴しと為す(礼之用和為貴)」のパロディーといわれています。文字にすると似ていますが、意味が全く違うのです。

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『論語』には「君子」と「小人」を対比した表現がよく見られる。徳の高い理想的な人物である君子に対して、小人は器の小さな徳のない者として描かれ、改善すべき点をもつ。

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「和」という漢字は、もともと「龢」と表されていました。左下の「冊」のような形は何本もの笛をひもで縛っている様子を表しています。左上にはこれらを吹くための三つの口が表されており、全く違う笛の音を鳴らしながら、つまりそれぞれが全く違う意見を言いながらも、全体として調和がとれている状態が「和」なのです。それに対して、全員が同じ意見を言うのが「同」になります。 『論語』では、「和は大事だが、これを良い音にするには『礼』が必要だ」と言っているのに対し、聖徳太子は「『和』が大事だ」と言ったのです。「礼」は今でいうオーダー、つまり秩序によって初めて「和が貴し」となるのが中国の考え方です。古代中国では、みんなでわいわい言い合うような「和」では収拾がつかなかったのではないでしょうか。 私は聖徳太子の意味に沿った「和」の議論が重要だと考えています。例えば10人で会議をするとき、最初にすべきことは、自分の説を捨てることです。「三人寄れば文殊の知恵」といいますが、自分の意見を捨てることによって初めてオープンな議論ができる。そうすると、誰も考えつかなかったような議論がぱっと出てくる。それが「和」です。 ディベートがはやったおかげで、今は「誰の意見が正しいか」が重要視されていますが、私は、誰が正しいかの議論は本質的ではないと思っています。(しん)に大切なのは、個人ではなく、そのグループにとっての正しいこと、すなわち「共(共同)」ではないでしょうか。議論の結果の責任や手柄を個人に負わせてはいけない。それが和の議論です。

内藤:なるほど。「和して同ぜず」の意味がよく分かり、得心しました。小平さんも、合意するまでの議論は徹底してやるとおっしゃっています。 次に「誠」は、顧客の信頼を勝ち得るために正直でいること。もしモーターが故障したら、それは不誠実な仕事であり、その原因を徹底して突き止めなければなりません。

安田:「誠」も非常に面白いです。「誠」は中国の四書の一つである『中庸』に表されている言葉ですが、人によって解釈はさまざまです。幕末には新選組をはじめ、二宮尊徳、吉田松陰など「誠」を掲げて時代を変えようとした人たちがいましたが、彼らの中でも「誠」の意味合いはそれぞれ違いました。 新渡戸稲造は『武士道』の中で、孔子の解釈を紹介しています。これによれば孔子は「誠」に超自然力を付与し、神と同視しました。誠がなければ全てが始まらない。誠の力は、物事を意識的に動かすことがなく、変化を生み出して、無為にして目的を達成すると。このように「誠」は、古代中国においては超自然力と考えられていました。 一方、『中庸』に書かれている「誠」の力を見てみると、一番目は「前知」。未来を予言する力です。二番目は「全ての根源」。誠がないと何も始まらないのです。三番目は「自他を成す天命と天地人」。自分や他人を変化させる力です。 先ほど、企業理念の「誠」について、「モーターが動かないのは『誠』が足りないから」というお話がありましたが、まさにそうなのです。大事なのは(つくり)の「成」です。「誠」を一言で定義すると、あるものを「成るべきようになるように手助けする」ことです。設計図と部品があればモーターは動くはずで、これを手助けするのが「誠」なのです。 例えば、毛虫の「誠」の状態はチョウだと言えます。全てのものには、既に誠が内在されている。それを手助けするのが人なのですが、どうも人は逆をやってしまう。子どもには成るべき姿があるのに、親が口出しして子どもが駄目になってしまう。逆をしてしまうのですね。 先ほどの三つの「誠」でいうと、私は三番目の力がおそらく重要なのだろうと考えています。三番目は、言い換えると「自分の中の誠も、物の誠も、他人の誠も完成させる」力です。「自分の誠」とは天命を探し出す力です。「命」という漢字は、「ひざまずく人の上から何かが(おお)いかぶさっている」ことを表します。本来人には全て天命があります。ところが、それは覆いかぶさっているので見つからない。孔子ですら天命を知ったのは50歳です。そこで、自分の天命をまず探し出し、それから、物の天命を探し出し、人の天命を探し出す。これが誠の力なのです。

内藤:漢字の成り立ちへの理解が、先人の思いを理解することにつながるのだと思いました。 もう一つ、創業者が好んだ言葉に「生年百に満たざるに 常に千年の憂ひを懐く」があります。「古詩十九首」にある詞で、「百年に満たない短い人生ではあるが、千年もかかるような難題や悩みに、人類はいつも挑戦するもの」「目先の成果ばかりを追わず、時間のかかる根源的な研究開発に対処せよ」という意味に捉えています。私の理解では、人生百年といいますが、実際に人間が関わる時間というのは100年ではなく、もっと長いと思っています。自分の孫の世代が経験する100年先の将来も、間接的ですが今とつながっているとなると、未来を考えるのは今の世代の責務で、人生百年ではなく人生二百年かもと思います。

安田:「能」も三代先を考えよといっています。今成すべきことにきちんと取り組むことで千年先が見えるというのは、三つの「誠」の力の一番目、「前知すべし」に通ずるところがありますね。今を見ることによって千年先のことも見通せる、それが「誠」の力だと思います。

声なき声に耳を澄ます

内藤:最後に、日立グループのグローバル成長を支える戦略シンクタンクとしての私どもに対して、アドバイスを頂けますでしょうか。

安田:先ほど、「温故而知新」の文脈で「身体化すべき知恵」の話をしました。イノベーティブマインドは身体化することが必要な知恵であり、これをなくしてイノベーションは成立しないのではないかと思います。 身体化に関連してもう一つ、『人物志』という古い中国の本をご紹介したいと思います。日本では長岡京(784年~794年)跡でその題名が記された木牌が発見されていますが、その後に遷都された平安京以降、あまり読まれた形跡がありません。これは宰相学の本なので、藤原北家一族の秘書(秘して人に見せない書物)だったのではないかと私は考えています。世阿弥の『風姿花伝(ふうしかでん)』も秘書であり、明治になるまでは世に出ていませんでした。 『人物志』は、宰相に向けて、どのような人物をどこに配置するべきかを説明しています。例えば、人を陰陽五行*7でタイプ分けしつつ、「聰明なる者は、陰陽の精なり」と書いてあります。「聰明」は、現代では「賢さ」の同義語になっていますが、「聰」は聞く力、「明」は見る力のことです。続いて「陰陽清和すれば、則ち中睿(ふかくあきらか)にして外明なり」とあります。中を睿らかにできる人が「聰」、外を明らかにできる人が「明」なんです。また「微を知り章を知る」ともあります。「微」は小さいこと、「章」は大きいこと、つまりミクロとマクロのことです。ですから、人は、聰(聞く)と明(見る)、微(ミクロ)と章(マクロ)のどれに秀でているかで、4つのタイプに分けられるというのです。 今、私たちの知識は「明」、つまり視覚から得られる情報が主流になっています。マーケティングリサーチも、どちらかというとその方法でデータを集めています。でも私は「聰」、つまり聞こえない声を聴き、声なき声に耳を澄ますこと、しかもその声が果たしてミクロの声なのかマクロの声なのかを考えながら聴くことが非常に大事だと思います。 もっとも、特定タイプの人だけが重要なわけではなくて、どのタイプの人物をどこに配置するかが重要であると『人物志』は教えています。目で見るもの、耳で聴くもの、ミクロの声、マクロの声、全て大事であるということですね。中国には注釈書がありますが、日本には一冊もない、不思議な本です。

*7
陰陽説は、陰と陽の相対する二つの気(潜在的活力)が和合・循環して、万物の生成・消滅などの変化をもたらすと考える。五行説は、万物を形成する木、火、土、金、水の五つの気により、ものの多様性や変化を説明する。中国の戦国時代末期(紀元前2世紀前半)にこの二つの思想が結びつき、陰陽と五行を組み合わせた考え方が体系化された。

内藤:秘書とされただけに深い内容ですが、今日的な意味の解釈が大変興味深いところですね。ぜひとも読んでみたいものです。 本日はいろいろなヒントを頂くことができました。貴重なお話をありがとうございました。



※今回の対談は、フィジカルディスタンスを保って実施しました。

異なる文化と多様性から学ぶ経営の知恵-対談ホストを務めるにあたり-

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2020年が世界の歴史に記録され、人々に記憶される年になることは間違いないでしょう。国と国を結ぶ地盤に、地政学的な大小の地震が起き、亀裂が生じているところへ、このコロナ禍です。
国同士の交流、個人間の交流が大きく物理的に制限される環境下で、経済・社会・生活に起きている変化が人々の文化や価値観の変化にまで及ぼうとしているのではないかと思います。避けられるべき社会的な緊張が新たな対立を引き起こしていますが、交流が成立するためには、まず他者に対して敬意を払い、自分たちとは「異なる文化」を許容すること、いわば寛容の心を持つことが必要になってくるのではないか、と考えています。世界の状況が単純なものではないということも同時に理解しながら、世界を見渡す知恵を探ることを諦めてはいけないとも思います。
経営の世界においても「多様性」が、普通の言葉として受け入れられるようになっています。同質で単一な社会からは、優れた発想やイノベーションは生まれにくく、飛躍的な創造は多様化された社会からこそ生まれるということですが、多様性が成立する前提こそ、寛容ではないかと思います。多様性は、企業が経営の中で自ら取り得る具体的な施策であり、社会的な寛容を生むひとつの役割になりはしないだろうか、というのが私の考えです。企業の多くが経営理念として多様性を掲げ、なかには数値目標まであげるのは、実業の観点からも有意義であることの証左ではないでしょうか。
そこで、私自身も、謙虚に自分のフィールド以外の方から真摯(しんし)に学びたいと考えるようになりました。経営に気づきをもたらしてくれるのは、自分たちとは異なる文化に身を置かれる識者の方々の、多様性あるご意見・ご経験だという思いです。読者の皆さまにその趣旨が伝われば幸いです。

株式会社日立総合計画研究所 取締役会長 内藤理

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