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株式会社日立総合計画研究所

インタビュー

研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談

第43回 世界経済のメガトレンドと日本
~労働生産性を高める社会システム改革に向けて~

先進国の経済成長率がリーマン・ショック以降低迷を続け、いわゆるセキュラースタグネーション(長期停滞)に陥っていると指摘されるなか、その背景の一つとして労働生産性の伸び悩みがあり、各国共通の課題と認識されています。国際比較の観点から経済政策や労働生産性の分析を行っている経済協力開発機構(OECD*1)東京センター所長の村上由美子氏に、労働生産性向上に向けた日本の課題と今後の対応について伺いました。

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The Organisation for Economic Co-operation and Development

村上 由美子 氏

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経済協力開発機構(OECD)東京センター所長

1965年生まれ。上智大学外国語学部卒、スタンフォード大学大学院修士課程(MA)修了後、国連に勤務。1994年ハーバード大学大学院経営修士課程(MBA)修了。その後、ゴールドマン・サックス証券、クレディ・スイス証券を経て、2013年より現職。OECDの日本およびアジア地域における活動の管理のほか、OECDの調査や研究の公表、経済政策提言などを行っている。著書に、『武器としての人口減社会─国際比較統計でわかる日本の強さ』(光文社、2016年)がある。

世界的な労働生産性の低迷

白井:日本では、昨今、労働生産性や働き方改革について議論が盛んになっています。先進国の経済成長率が低迷するなか、労働生産性の停滞に注目する意見もあります。経済成長と労働生産性をどのように捉えておられますか。

村上:社会経済環境は異なりますが、日本だけでなく先進国の大半が労働生産性の伸び悩みを抱えており、重要テーマとして議論しています。私個人の肌感覚では、IT化が進んだ2000年初期から現在まで、労働生産性はむしろ上昇していると感じます。例えば、ファクスでのやりとりは電子メールに、仕事は「紙」から「デジタル」ベースへ替わり、あらゆるものがネットワーク化しました。業務が効率化されれば労働生産性も当然上がるはずです。一方、OECDのマクロ統計をみると、日本や米国、EUなど、主要先進国は十数年のスパンで労働生産性が右肩下がりです。個人の肌感覚とマクロ経済指標にギャップがあり、それを埋めるためのアクションにこそ、これから世界経済が成長するための大きなカギがあると考えます。低迷の原因について、100%の確証を持ってお答えすることはできませんが、さまざまな研究が進んでおり、OECDではいくつか仮説を立てています。

白井:肌感覚でいえばわれわれも同じです。日本は先進国、とりわけOECD加盟国の中でも特に労働生産性の伸び率が低いといわれていますが、その背景をどのように捉えていらっしゃいますか。

村上:国際比較すると、残念ながら日本は労働生産性も1人当たりGDPもOECD加盟国の平均を下回る水準まで下がっています。近年急激にそれらの指標が下がったのではなく、ここ20年以上続いています。為替相場の影響による多少のブレはありますが、労働生産性は加盟国35カ国の中で20位を下回るレベルです。
労働人口が減少するなかで労働生産性が上がらなければ、全体のアウトプットが右肩下がりになるのは当然です。ただ、もう一つ、日本で起こっている重要なことは1人当たりの労働時間が減少していることです。長時間労働を自制する動きで世論が盛り上がっていますが、実は統計を見ると1人当たりの年間平均労働時間は、OECDの平均とはほぼ変わらない水準にあります。この統計にはカラクリがあり、総労働時間には非正規労働者も含んでおり、近年、非正規労働者の割合が増加していることが平均労働時間の減少につながっているのです。いずれにせよ、労働時間が減少するなかで、労働生産性の低迷が続いているため、最終的には日本人の1人当たりの収入がOECD加盟国の中でも低い状態が続いています。

イノベーション創出に向けた課題

白井:今のお話は労働生産性を算出する際の、分母である労働時間に当たると思うのですが、分子である付加価値の創出が増えれば労働生産性は上がります。付加価値創出の観点で見ると、日本では相対的にイノベーションがなかなか生まれてこない、という現実に突き当たります。例えば、中国におけるキャッシュレス社会の進展など、新興国からも全く新しいサービスが広がり、経済成長を支えています。日本でもイノベーションによって、先ほどの分子に当たる新たな付加価値創出を加速するためには、何が必要でしょうか。

村上:OECDでは、「イノベーションが生まれやすい環境」を測る調査も行っています。イノベーションが生まれやすい環境には条件があります。例えばお金がなければすばらしいアイデアがあっても事業化、商品化できません。通信を含め社会的なインフラも重要ですし、人材の水準を高めるためには国民の学歴、学力なども関係します。これらの要素を調査し、インデックス化して比較すると、日本は、イノベーションを創出するための制度、社会的な環境に関する評価は比較的高水準です。

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資金面では、現在は金利がほぼゼロで、研究開発などのための潤沢な資金もあります。それらが正しく使われているかは別として、資金面での問題もありません。社会インフラもしっかりしており、OECD加盟国のレベルと比較しても高い評価になっています。人材の面でも、日本人は数的思考力、読解力などが世界でトップクラスです。
一方、日本に足りない要素は、ネットワークです。たとえ高級食材がそろっていても、それらをうまく調理するためには醤油(しょうゆ)や隠し味などの「つなぎ」が必要で、それらが欠けるとおいしい料理はつくれません。つまり社会的な環境があっても、これらをつなぐネットワークが弱いためにイノベーションが生まれにくいのです。
ただ、総合的に比較すると、日本にはとても伸び代があります。イノベーションには資金や教育レベルの高い人材が不可欠ですが、それらを持たない国が条件を満たすには非常に時間がかかります。日本には既に素材があるので、素材を組み合わせてつなげていく社会システムがあれば、大きく化ける可能性があります。

白井:企業と企業、企業と大学、人と資金など、イノベーションを起こすにはさまざまなネットワークが必要だと思いますが、特に重要なポイントがあればお聞かせください。

村上:国、企業、人、資金、それらに横串を通す社会システムなど、現在、日本では多様な観点から点と点をつなげるための議論が交わされており、OECDの政策提言でもそれらを取り上げています。日本にとって一番大きなカギは人的な流動性と考えています。私は米国暮らしが長く、約9年前に日本に戻ってきました。そのころから労働市場の流動性についての議論を続けていますが、現在も大きな変革が見られないのは非常に心配です。労働市場の流動性拡大に、よりスピード感を持って取り組まなければ手遅れになります。世界のビジネス環境はめまぐるしく変化しており、思い切ったやり方が必要でしょう。日立では既にグローバルスタンダードに合わせた新しい人事システムを導入されていますが、そうした日本企業はまだ少数派です。導入した後も雇用の流動性が生まれるまである程度時間がかかるため、早急な刷新が求められます。

白井:労働生産性の高い企業、低い企業はどの国にも存在します。その差を人材の質として考えると、日本は人材が企業内にクローズした状態にある感じがします。例えば、その会社では専門性の高い人材だとしても、オープンな労働市場にはそれ以上の知識や経験を持った労働生産性の高い人材がいるでしょう。しかし企業内にクローズした状態では、外部から高度人材はなかなか入ってきません。
これまでは、善きにつけあしきにつけ多くの人材が一つの会社で定年まで働くのが一般的でした。日本の伝統的な企業文化に根付く終身雇用などの制度が労働生産性に貢献してきたところもあります。

村上:終身雇用そのものが悪いとは思いません。なぜなら日本企業の強みの一つは、人材投資を長期的に行う点にあります。人材育成は、30年、40年働いてくれる大前提があってこその戦略で、それにより社員はさまざまな経験を重ね、プロフェッショナルとして高い労働生産性を身に付けていきます。その道筋やキャリアパスを会社が提供する企業文化は他のどの国にもありません。
しかし、終身雇用に年功序列が組み込まれると、大変悩ましい問題が出てきます。年功序列に結果平等的な要素が入ってしまうと長所である長期的な人材投資が裏目に出てしまい、日本の強みが弱みに変わるパラドックスが起こります。本来は機会平等であるべきで、結果平等は日本企業の競争力を低下させます。
考えられる有効策は、年功序列の結果平等を機会平等へうまく移行することです。人の能力も求められるニーズもそれぞれ異なるので、年功序列で横一列に処遇が決まるような結果平等をとり続けると成長機会を失います。それを防ぐためには、労働市場の流動性を向上させ、同時に欧米流の実力主義、成果主義をうまく活用して機会平等の要素を取り込むことが重要です。終身雇用という長期的人材投資の強みと、欧米の競争原理を生かしたハイブリッド型の人材戦略を機能させることです。バランスは非常に重要となりますが、効果的に実践することで優秀な人材が育ち、企業に大きな貢献をしてくれるでしょう。
私はゴールドマン・サックス証券という米国の典型的な「アップオアアウト(up or out)*2」のまさに生き馬の目を抜くような企業文化の会社で長い間働き、良い面も悪い面も経験してきました。厳しい競争原理をそのまま取り込むのではなく、日本流と欧米流それぞれの良い面を組み合わせた人事制度を実現し、労働生産性の向上につなげてほしいと思います。日本は競争原理が働きにくい土壌があるため、ハイブリッド型人事がうまく機能するかどうかで勝負が決まると言ってよいでしょう。

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一定期間に昇進(アップ)できなければ会社を去る(アウト)必要があるという考え方

リスキリングが超高齢社会に新たな道筋を

白井:日本は既に総人口、労働力人口ともに減少に向かっていますが、政府が女性や高齢者の労働参加に力を入れてきた結果、労働力はいまだ減少していません。いわゆるM字カーブ*3は解消されつつあります。2020年以降は、これ以上の労働参加率の上昇は見込めなくなり、いよいよ労働力も減少します。日本は他の先進国が経験していない高齢化への対応を先行して迫られているわけですが、他の主要国においても、高齢化は進みます。10年、20年を経て、日本の相対的位置付けはどのように変化するでしょうか。国際統計ではどう予測されますか。

村上:OECDの人口予測は比較的精度の高い分野です。われわれは2050年の人口動態に関し、明確なシナリオを描いています。日本の人口が1億人を切るのは、前後2、3年のブレはありますが2050年ごろと予測しています。
人口予想については悲観的な意見が多いのですが、私は日本にとって人口減少は逆にチャンスであると考えます。いちばんの理由は、日本が少子高齢化とテクノロジー革命を同時に迎えていることです。労働者不足の日本は自動化などのテクノロジーを導入する必要性と条件がそろっているのです。そして人口減少は日本特有の現象ではなく世界の人口動態も同様に推移するからです。高齢化を調査する際、生産年齢人口(15歳から64歳)に対する65歳以上の人口の比率(老年人口指数)が一般的な指標として使われます。日本は46%、47%のレベルに到達し、ここまで数値の高い国はほかにありません。現段階でも、日本は世界で最も高齢化が進んだ「超高齢社会」、英語でいうとスーパーエイジングです。2050年もスーパーエイジングは変わらず、65歳以上の対生産年齢人口比は70%を超えます。
2050年には、日本と同様に高齢化の進んだ国が次々と現れます。日本だけでなく韓国も70%を超えるでしょう。今はまだ少子高齢化が社会的に大きな問題として表面化していませんが、2050年には日本と変わらない状況になります。中国も同様でどちらの国も今後日本を上回るスピードで高齢化が進みます。ASEAN諸国は比較的出生率が高いイメージがあるかもしれませんが、タイでは今後20年から30年の間に急速に少子高齢化が進みます。米国は移民が多く出生率は高いのですが、ベビーブーム世代が大量に引退するため高齢化は一層深刻化するでしょう。
こうしてみると、少子高齢化はグローバルなメガトレンドであり、日本は他国より一足早くそれを経験しているだけです。課題解決の先進国として有効な政策を打ち出し、世界を先導していけるはずです。他国が人の仕事を奪うテクノロジーの導入をためらっているのに対し、日本はスピード感を持ってテクノロジー改革を進め、近い将来高齢化を迎える国々にとっても参考になるような社会をつくれると思います。

白井:国内では既にさまざまな議論がなされており、人生100年時代を想定した制度改革の声も出ています。高齢化で世界のトップを走る日本が取り組むべきことは何でしょうか。

村上:高齢化社会の議論は悲観的になりがちですが、人々が元気に長く生きるのは喜ばしいことです。ただ今は人の寿命が長くなったのに対して、人生100年時代を支える社会・経済システムが追いついていません。日本は世界に先駆けて超高齢社会を迎えており、システムのアップデートを早急に行わなければなりません。健康寿命も延びますから、現在の終身雇用制も人生100年のもとではうまく機能しなくなるでしょう。終身雇用制は悪ではありませんが、やはり雇用システムは機会平等であるべきで、それが結果平等になる年功序列は崩していかなければなりません。

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健康寿命が延びれば、人が社会経済活動に費やす年数が増えるので、それを支える雇用システムを変えなければならないでしょう。OECD加盟国の成人技能調査によれば、日本は55歳以上の学力が大変高い水準にあります。日本人の数的思考力、読解力は世界でもトップレベルで、年代別では55歳以上が突出しています。人生100年を迎える上でこれほど勇気をもらえる統計はないと思います。
人生100年時代には、80歳まで現役で働く人が大勢いるでしょう。テクノロジーやビジネス環境はどんどん変化し、新しい職種も誕生します。新しいテクノロジーに対応しながら働き続けるには、新たなスキルの習得が求められます。「リスキリング」という言葉は、新しくスキルを得る、自分が持つスキルを上塗りするという意味ですが、基礎学力を持たない人はリスキリングのハードルが高くなります。その点、日本の中高年は他の国に比べて学力の高い人材がそろっており、職務内容や技能の調整がされるなかで大きな可能性を秘めています。年齢が高くなれば新たに学ぶ力が落ち、リスキリングは難しくなるイメージがありますが、リスキリングの条件をいちばん備えているのが日本です。例えば、韓国の成人技能調査をみると、55歳以上では、読む、書く、計算するといった基礎学力が低い人が多数存在します。一方、教育レベルは上がっているので10代、20代の学力は高水準です。韓国も今後、高齢化社会を迎えるため、リスキリングはどの年代も必要ですが、今の55歳以上には難しいでしょう。かつての日本の教育システムがテクノロジーの進化や人生100年を見越したものだったのかは分かりませんが、結果として今の中高年は必要なスキルを高度なレベルで身に付けています。中高年層の潜在能力を競争優位として有効活用し、人生100年時代に長く活躍できる社会をつくるのはすばらしいことです。それを考えると日本の高齢社会はバラ色になります。

白井:日本の中高年層の基礎学力が高いのはなぜでしょうか。厳しい受験戦争にもまれた団塊の層が厚いということも影響しているのでしょうか。

村上:日本の高度な基礎教育システムは、落ちこぼれを出さない、分かりやすく言うと粒がそろっています。米国は天才を数多く輩出しますが、落ちこぼれもたくさんいます。日本は落ちこぼれが非常に少なく、天才もそれほどいません。これは強みと思いますが、中には弱みとみる人もいます。総合的に日本の教育レベルは高い、と言えるでしょう。 もう一つは、従業員の30年、40年勤続を前提に、多くの企業が仕事を通してしっかり人材育成してきたとも考えられます。長期的な人材投資の優位性が55歳以上のスキルの高さに表れています。

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女性の年齢階級別労働力率グラフが示すM字型の曲線のこと。出産・育児で下降、子育てが落ち着くと上昇する

イノベーションを社会に浸透させるには

白井:今後の人口減少や労働力不足に対しては新たな技術によって1人当たりの労働生産性を向上させることが重要となりますが、現状マクロで見ると労働生産性はあまり改善していません。一つの仮説としては、世界はIT革命により大きく前進したが、AI、IoTがもたらす産業革命はこれから本番を迎えるため、労働生産性向上が形になるまでもう少し時間がかかるといえるでしょう。
村上さんはマクロ的に労働生産性が伸びていないのは、どこがネックになっていると考えておられますか。

村上:OECDでも労働生産性は重要なテーマと捉え、チームをつくり議論しています。多くの学者や研究機関がリポートを出していますが、われわれも「現在は過渡期であり、いずれさまざまな形で果実を実らせる」との見方を有力と捉えています。 OECDが有力と考える仮説はもう一つあります。労働生産性は世界中で鈍化し、マクロ的には右肩下がりです。ただし、中身を見ると全ての企業ということではなく、少数の企業が圧倒的に労働生産性を伸ばし、成長率が非常に高いことが分かります。トップの労働生産性を維持する企業をフロンティアファームと呼び、この上位100社だけを拾った調査があります。とりわけサービス業では上位企業の労働生産性の伸びが顕著であり、 2001年以降、年率5%の上昇を続けています。しかしながらサービス業全体の伸び率を見ると、平均値は年率0.3%と極めて低く、この十数年伸びていません。
少し乱暴な言い方になりますが、労働生産性=イノベーションとすると、「イノベーションを生んでいる企業の数は限定的であり、そのイノベーションが経済のさまざまな分野にまで拡散していないのではないか。つまり、拡散のメカニズムが機能していないために労働生産性が低迷している」、これを有力な仮説と考えています。マクロ統計ではイノベーションが生まれていないように見えても、実は少数の企業に集中して生まれている、そこに解決のヒントがあるのではないでしょうか。イノベーションが拡散する社会・経済システムを構築することで大きな可能性が生まれます。当然、果実が実るまでの時間など、タイミングの問題もありますが、イノベーションを拡散させる環境づくりが最も大きな課題と捉えています。

白井:それは新しい配車システムのUber は登場したものの、既存のタクシー会社にはイノベーションが起こっていない。あるいは、eコマースの新しい会社が増加している一方、百貨店などは相変わらず苦戦している、というようなイメージでしょうか。

村上:そうですね。セクターはいろいろあると思いますが、社会全体にイノベーションをどのように拡散させていくのかを考える価値はあるでしょう。

新興大国の新たなイノベーションモデル

白井:テクノロジーのイノベーションでは、シリコンバレーモデルが注目を集めてきましたが、最近は、中国、インドなど新興大国で従来と異なる形のイノベーションが起きています。技術開発は米国、日本など先進国であっても、その技術を自国に持ち込み、事業化を短期間で行うモデルです。中国市場は非常に大きく、ビジネスになれば一気に広がり世界を変えます。中国では米国に留学した若者の帰国が増えています。米国よりも中国に、さらに大きなビジネスチャンスがあり、非常に短い期間で成功できると考えています。新興国がスピード感を備えた新たなモデルでイニシアチブを取るなか、日本が独自性を出すための課題は何でしょうか。

村上:私がハーバードビジネススクールに通っていた時代は、留学生たちは米国に残り、シリコンバレーやウォール街で頑張るパターンが大半でした。近年は中国に戻り一獲千金を狙う若者が圧倒的に増えています。イノベーションの形は大きく変化し、留学生たちがその後働く場所を見ても新しい流れがあることは明らかです。
中国のビジネス文化には、日本と違って敗者復活戦があり、それが優位性となっています。失敗から有益な教訓を得て、2回目、3回目の挑戦を可能にしていく、いわゆるアントレプレナーシップが生まれる国です。シリコンバレーと少し似た部分もあります。

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日本では敗者復活戦がなかなかみられず、これが失敗のリスクを取る際の大きなハードルとなっています。
個人保証などの問題もあります。私の母は25年前、48歳で起業しドラッグストアを開店させました。銀行から融資を受けることになりましたが、失敗したらマイホームを失うことになります。リスクが大きく、娘としては反対したい気持ちもありました。幸運なことに母は大成功しましたが、もし失敗していたら、もう一度挑戦することはなかったでしょう。リスクを取りにくい環境は現在も日本に残っています。日本においてイノベーションが起こりにくいのはこれらの環境に原因があると言っても過言ではありません。
日本は中国やインド、米国シリコンバレーのスピード感、たとえ失敗しても次のチャンスが与えられる環境を学ばなければいけません。企業においても、事業の失敗から得た教訓を次につなげていく挑戦の繰り返しから全く新しいビジネスモデルが生まれ、短期間での事業化が可能となります。
1983年以来、日本では事業所廃業率が継続して5%を切っていますが、他の先進国は平均10%程度です。廃業率が平均の半分以下で新規参入も同様に低水準が続いています。そこが大きな課題ではないでしょうか。起業を促進する社会環境に改善することは、労働生産性の大きな向上につながるはずです。

あらゆる人が活躍できる人事システム

白井:日本でも女性の労働参加率は高まっていますが、量だけでなく、本人の意欲・能力とポストとのマッチングを含む「質」の面では、まだ欧米の水準に達しているとは言えません。村上さんは長い間米国で活躍された経験から、どのような取り組みが重要とお考えですか。

村上:安倍首相は女性就業率が上昇したことを盛んにアピールしています。実際、この数年でOECD加盟国の平均と同程度の水準まで改善しました。しかし、まだ課題は残っています。例えば男女の賃金格差です。先進国の中で日本と韓国が最低水準という状況は変わりません。働く女性の数は増加しましたが、幹部や取締役レベルはわずか3%程度と少数であり、管理職も欧米に比べ半分以下です。
役職、働き方などの「質」を高める議論は、女性だけでなく、ダイバーシティの観点から考えることが重要です。それぞれの個性を尊重し、あらゆる人々の能力をうまく生かせる人事システムを考えなければなりません。
例えば、出産や介護のような事情を抱えたとき、状況やタイミング、その人のスキルなどを踏まえ、柔軟に対応できるようにすべきです。出産や育児を終えて復職しても、マミートラックに陥り、昇級・昇格から外れてしまうのはもったいないことです。男女問わず、親の介護をする場合も同じです。起業のため一度会社を辞めると、再就職しても出世コースが絶たれるケースも少なくありません。短時間勤務や在宅勤務を認め、転職しても機会平等でキャリアを伸ばせる、そうした点を改善していくべきです。勤続年数ではなくスキルを生かせる職場環境にするため、柔軟性のある人事システムの導入、雇用の流動性拡大が重要です。多様な人材がそれぞれ違う形で活躍できるようになるにはまだ時間はかかると思います。
私は米国企業に長く勤務した経験から勤続意欲につながるロールモデルの必要性を実感しています。日本は女性のロールモデルが大変少ないため、いくら活躍できる人事システムを整備しても、なかなか浸透しません。私は米国でキャリアを積めたのは幸運でした。ゴールドマン・サックス証券時代の上司は女性で、彼女は1人目の出産時も、2人目の出産時も約3カ月の産休を取った後に復職し、以前と変わらず昇進を重ねました。百聞は一見にしかずで、子育てと仕事を両立させてキャリアを伸ばすロールモデルが上司や同僚にいると、自然と自分もできると思うものです。ロールモデルを活用し、女性だからと肩肘張らずに、出産後も仕事を継続でき、出世もできるというメンタル面のハードルを下げる努力が必要です。ロールモデルをつくる際は、1人より複数の女性をサポートしたほうがより効果的です。例えば、10人をサポートしたとして、そのうち1人が脱落しても、9人の活躍が周囲に浸透するため、女性の上昇志向は自然と強まります。
私はたまたま女性の上司に恵まれましたが、そうでない人も大勢います。製造業など男性社員の多い会社は、他社や異なる業界とも協力して働きやすい環境や、活躍のお膳立てをしてあげるとよいでしょう。私自身も多様な業界、企業で活躍されている女性たちのネットワークに参加していますが、会社の中では女性の幹部、管理職は自分一人という人が多く、活躍の仕方もそれぞれです。自社にロールモデルがいなくても、業界の枠を越えたネットワークをつくることにより、有望な女性たちを積極的に取り込んでいくことができます。頑張る女性たちとつながれば、自信や勇気を持てるようになるはずです。

ダイバーシティの推進

白井:世界では、反移民や反グローバリゼーションといったダイバーシティに逆行する動きも見られます。ダイバーシティは新しい価値を生むベースであると、頭では理解していても、取り組みが進まない企業は多いと思われます。
欧州は国ごとに異なる動きをみせ、米国のトランプ大統領は反移民の姿勢を隠しません。この状況の中で、企業がダイバーシティを考える際の重要な点をお聞かせください。

村上:残念ながら、反グローバル、反ダイバーシティの動きが米国や英国、EUに広がっているのは確かです。ただ、国と国の関係はそうでも、企業レベルは違います。グローバル企業が政府と足並みをそろえるとはみていません。

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国と国が反国際貿易、保守的な保護主義に傾いているところだけを見ると悲観的になりますが、実際の経済を動かす民間企業はしっかりダイバーシティを進めています。
2017年6月、米国トランプ政権がパリ協定の離脱を宣言し、米国のグローバル企業は一時悲観的なムードに包まれましたが、今はトランプ大統領の意向を無視して全く逆の方向へ動いています。これと同じ現象がダイバーシティに関しても起きており、導入を推進する企業は増加しています。企業が投資家から求められて応えるケースも少なくありません。性別や国籍など、多様な人材を有効活用するメリットは非常に大きく、ビジネス界が向かう方向は変わらないでしょう。
政策とビジネスとの議論が合わないことは常にあります。特にグローバル企業は、国レベルの議論と国際ビジネスの現状のギャップをしっかり理解しています。TPP離脱やパリ協定離脱を国レベルで議論しても、グローバル企業は大きなビジネスの機会を手放すことはしないはずです。TPPを離脱した米国とビジネスを断つ、という単純な判断はできません。また、反ダイバーシティに動けば、国際ビジネスにおいて競争力が低下するのは目に見えており、各企業のリーダーはビジネスにおいてはしっかり決断しています。ビジネスとして何をすべきか、企業価値が中長期的に向上するための判断が不可欠と思います。

白井:今日は大変貴重なお話をありがとうございました。

編集後記

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今回は、国際連合やゴールドマン・サックス証券など、多岐にわたって活躍された経験を持つOECD東京センター所長の村上氏に、労働生産性の向上に向けてさまざまな視点からお話を伺いました。米国をはじめ、海外でキャリアを積まれた経験を通して語られる、人材を活かしたイノベーションの重要性のお話には、大変感銘を受けました。イノベーションにおけるダイバーシティの役割を改めて実感し、企業としての取り組みの必要性を再確認しました。

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