研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談
デジタル化やグローバル競争の中で、日本の大学は大きな変革の時期を迎えています。そこでは学術研究でのグローバルなプレゼンスとともにイノベーションの主体としての期待も高まり、改革の取り組みが広がっています。
今回は、国立大学法人の統合に向け一歩踏み出した名古屋大学総長 松尾清一氏に、大学の果たす役割や将来像について伺います。
名古屋大学 総長
1976年3月名古屋大学医学部医学科卒業。1981年7月同学大学院医学研究科博士課程修了。2002年1月同学大学院医学研究科教授、2007年4月同学医学部附属病院長、2009年4月同学副総長、2012年4月同学産学官連携推進本部長などを歴任し、2015年4月より現職。
専門分野は内科学一般、腎臓内科学。
白井:名古屋大学はこれまでノーベル賞受賞者を6名輩出し、学術研究においては日本のトップ水準にあります。グローバル競争の時代において、現在の日本の大学の研究水準、国際競争力をどのように評価されていますか。
松尾:日本の研究力の現状については、さまざまな調査機関によるデータや国際ランキングなどで客観的に確認できます。私も一般的な評価と同様、日本の大学の研究力は基礎・応用を含めプレゼンスが徐々に低下しているとみており、非常に危機感を抱いています。今は過渡期ですが、このままでは一層後退するでしょう。
白井:大学の役割、機能など強化すべき点は多々あると思いますが、特に重要なことは何でしょうか。
松尾:まずは「ターゲットは世界」という認識を持つことです。現在、国連が採択したSDGs(Sustainable Development Goals:持続可能な開発目標)実現に向けて、世界的な取り組みが進んでいます。日本の国際貢献を考えると、科学技術の力で人類が直面する課題に挑戦し、解決に貢献することが大きな使命の一つです。もう一つは、日本が抱える人口減少、超高齢社会という課題を解決することです。人口減少によりGDPの伸び率が下がることが予想されますが、持続的な発展をしつつ、国民が幸せに暮らせる超高齢社会をどう実現するのか。これは、日本固有の課題ではありません。総務省統計によると、全世界の15歳未満人口は減少傾向にあります。総人口は今後100億人超まで増加しますが、全世界で少子化・超高齢化が進むため、日本は、いわば「課題先進国」です。高等教育を担う大学の学生数減少は、産業界だけでなく、あらゆる領域に深刻な影響をもたらす事態となります。世界への貢献、日本社会の課題解決を表裏一体のものとして捉え、解決に挑む。それには、基礎研究と社会実装する応用研究、産業界や自治体との交流も必要です。大学の構成員一人一人が常に高い意識を持ち、取り組むべきと考えます。
白井:日本の大学がグローバルに競争していく上で、研究や教育水準の向上とともに運営やマネジメント、ガバナンスの重要性も高まると考えられます。どのような取り組みをお考えですか。
松尾:名古屋大学の財政の内訳は、現在、(病院収入を除くと)国からの運営費交付金が約4割、授業料などの自己収入、産学連携などによる共同研究収入、寄付金、国の競争的資金が約6割です。運営費交付金は年々減少傾向にあり、財政基盤が不安定になっていますが、大学全体の歳出は増加しているため、相対的に公的資金への依存度は低下しています。他大学も同じ状況です。そのような中でも国立大学法人としてのミッションを果たしていくために、大きな課題が二つあります。
一つは、教職員の雇用です。現状、運営費交付金での雇用は正規の教職員、競争的資金での雇用は任期付きの特任教員や非常勤職員という厳然たる区別があります。名古屋大学は、全教員中の特任教員の割合が旧七帝国大学の中では比較的低いとはいえ、30%を超えています。運営費交付金で雇用できる正規教員数は国で決められており、人数を増やすことはできません。公的資金頼みの財務構造では正規教員数が減少する一方ですから、このまま特任教員だけが増加した場合に、大学としての機能を十分に果たせるのか不明です。国立大学法人にも企業の正社員登用のような仕組みがある程度必要です。ただ、米国のトップ大学を見ると特任教員が約6割を占めており、正規教員の多い日本も、いずれその割合が逆転する可能性はあります。
現在は、財源にひも付いた雇用を行っていますが、今後は収入の見込み金額から正規教員の割り当てを検討するなど、人材マネジメントを強化しながら大学の経営層、部局(学部)レベルでマインドセットをしなければ、課題解決は厳しいと考えます。
二つ目は、リソースの配分です。例えば、別々の学部を同じ基準で比較し、評価に基づき傾斜配分するといった判断が簡単にできないのが大学経営の難しい点です。理工系と人文社会系で時代に合った領域融合のビジョンをつくり、大学全体の目標を達成していくのが理想です。
歴史的に国立大学法人は、国のリソースを理工系に投入してきた経緯があり、研究機器や設備などが非常に整っています。一方、元々国の支援が十分行き届いていなかった人文社会系は、今後、運営費交付金が減少すれば、ますます弱体化します。そこで、名古屋大学では、人文社会系を含む全部局が10年後のあるべき姿、ゴールを設定し、その達成に向けた改革について、役員と各部局執行部で意見交換をする機会を定例化しました。2018年、名古屋大学は指定国立大学法人となり、さまざまなチャレンジを行いながら新しい大学像を示すことが一つの使命と考えています。
白井:先にゴールを設定するというのは企業も同じです。以前は足元の数字から数年先を予想する形で中期計画、長期計画を立てていました。今は先にありたき姿を明確にし、現状とのギャップをどう埋めていくかを検討する方が主流になっています。大学の国際競争力強化には、研究費などの資金をいかに確保するかという点も重要と思います。米国は大学が大きな基金を運用し、中国は国家が支援するなど国により状況は異なります。日本の大学における資金確保についてはどうお考えですか。
松尾:途上国を含む海外の大学が急速に発展し、日本の大学は絶対値で見れば論文数はあまり増加せず、相対的に後退しています。米国やシンガポールは巨大な基金を持ち、中国は国が巨額投資して大学を運営していますが、日本にはそのどちらもありません。「意志あるところに道は開ける」との先人の言葉にもあるように、わが国独自の資金確保の道を探るだけです。国や社会、産業界にもしっかりアピールしていきます。
白井:イノベーションとその成果に注目が集まり、大学が果たす役割への期待が高まっています。一方で、基礎研究の重要性を改めて指摘する声も聞かれます。どちらを選ぶのかということではなく、基礎研究の延長線上に応用研究が存在し、両者を推進することで実用化、事業化につながっていくとも考えられます。リソースが限られる中、基礎研究から応用研究、実用化、事業化までのプロセスの中で、大学の役割や位置付けをどのようにお考えですか。
松尾:私は、自分の研究に全力を注いでいる人にマネジメント意識を要求してはいけないと思います。研究者は、日々時間を惜しんで研究に取り組んでおり、会議に出席したり予算配分を考えたりする時間はありません。これまで、全部局の構成員が一堂に会して話し合った結果、意見がまとまらず、意思決定がなかなかできないこともありました。従来のやり方を続ける限り、結局は基礎研究にも十分に予算が回りません。
今後は教育や研究を担う人と、マネジメントを担う人を分ける分業制を前提に組織体制の改革を考えています。大学の構成員全員で、大学全体のマネジメントを考えるのが正しいやり方とは思えませんが、マネージャーは、教育や研究についてもよく理解している人が適任であり、非常に責任の重い仕事です。外部から来た人が数字だけで判断してもうまくいかないでしょう。学部・研究科ごとに運営、教授選考などの方法は異なり、お金をシビアに管理する部局もあれば、柔軟に使うところもあります。全体最適の観点からのマネジメントが欠かせません。
以前、私が産学官連携推進本部の本部長を務めていた頃、イノベーションとインベンションの違いをよく話題にしました。発明したらイノベーションになるのではありません。発明は単なる発明にすぎないのです。社会実装され、世の中に広まって初めて「イノベーション」になります。それには、基礎研究から社会実装までシームレスにつなぎ、俯瞰できる組織づくりが必要です。名古屋大学では、2014年、既存の基礎研究、産学連携、知財・技術移転、 URA*室の4組織を集約し、一つの大きな建物にまとめたところ、各組織の風通しが良くなりました。例えば、基礎研究における単純な発見が、産学連携の視点では大きなイノベーションの可能性と捉えられれば、最初から特許を確保するという流れができます。各分野の力をより生かせるようになり、しっかり結果を出しています。名古屋大学は産業基盤のしっかりした地域にありながら、旧七帝国大学の中では、産学協同研究や特許申請・取得件数が非常に少ない状況にありました。現在はこうした改革の成果が大きな評価を得ています。大学だけでイノベーションは起こせません。スタートアップ、大企業を巻き込んで初めて研究成果が社会に広まります。ノーベル賞を受賞した天野浩教授の「未来エレクトロニクス創成加速DII協働大学院プログラム」、山口茂弘教授の「トランスフォーマティブ化学生命融合研究大学院プログラム」が、文部科学省の平成30年度卓越大学院プログラムに採択されました。これは5年間の博士課程学位プログラムで、世界のトップ大学や民間企業などと組織的な連携を図り、世界最高水準の教育・研究力を結集してDeployer(ビジネス起業家)、Innovator(プロダクト開発者)、Investigator(シーズ創成者)といった、課題発見・解決から社会実装までのスキルを備えた人材を育成する取り組みです。これらは社会の要請でもあり、日本でもようやくこのような取り組みが広まりつつあります。基礎研究と応用研究の研究者が組めばイノベーションの可能性はぐっと大きくなり、目利きの投資家や技術を買う大企業も参加して一体的に動くことで新しい産業の創出が可能になると考えます。
日本の持続的発展の大きな推進力として、優れた人材を育成し、最新の研究により、世界屈指の知的成果を生み出す大学の役割は極めて重要と考えます。
白井:優秀な研究人材を国内外問わず確保することは大学の国際競争力強化につながります。日本の研究開発系の企業には優秀な人材獲得に励んだ結果、社員の約6割がインド人になったという企業もあります。高度人材の確保にはお金がかかり、制度や仕組みの見直しも必要でしょう。世界から優秀な人材を獲得するために、今後どのような施策が必要とお考えですか。
松尾:優秀な人材を獲得するには、三つの条件があります。一つ目は、高度な人材から求められる大学となることです。優秀な人が名古屋大学を選ぶとしたらどのような理由かを考えてみましょう。私が外国人で日本の大学からオファーされた場合、一番心が動くのは研究水準の高さです。すばらしい研究ができる大学には高度な人材が集まり、結果として優れた人材を育成できます。
二つ目は、卒業後の進路です。世界の超一流大学の大学院に進学できる、あるいは、日本に残りたい留学生に対して就職先が多数あるなどの多様なキャリアプランの整備です。大学は大企業だけでなく、数多くある優良な中小企業も含めてパイプを作る必要があります。特に、中小企業は留学生を採用する条件として日本語でのコミュニケーション能力や、日本の文化を理解し周囲とうまく付き合うことのできる人を求める傾向があります。そのため、インターンシップの機会を増やし、しっかりした日本語教育を提供するなどの環境整備が必要です。大学だけでは財源の問題がありますが、企業も利益を受けるので、一緒に取り組むことができればと思います。
三つ目が研究者の能力に見合った報酬です。世界的には研究者の給与は高額です。日本では、海外から常勤の教員を呼ぶのはなかなか厳しいのが現状ですが、例えば、いくつかの大学が資金を出し合い、報酬を支払うなどの工夫はできるかもしれません。こうしてコネクションをつくり、共同研究に発展させていく。実際に、中国はこの方法で高度な人材を大勢呼び込んでいます。
松尾:日本の大学には言語対応の問題もあります。名古屋大学には常勤の外国人研究者も多くいるのですが、彼らが大学の管理運営に関わろうとしても事務組織が日本語対応しかできないのが現状です。また、授業は、単位を取れるコースが約1万ありますが、そのうち完全に英語で行うコースは約1,800にとどまっています。授業以外の環境も外国人にとって快適とはいえないでしょう。現在、国が実施している「世界トップレベル研究拠点プログラム(WPI:The World Premier International Research Center Initiative)」は国内に11カ所あります。そのうちの一つは名古屋大学にあり、そこでは言語対応の要素を満たしています。ここに所属する研究者の約3分の1が外国人教員で、普段の会話も全て英語で行っています。昨年の中間評価では、最高クラスのS評価を受けました。この研究拠点は優れた業績を出し、『Nature』『Science』にも、ほぼ毎月、論文が掲載されています。先進的な研究ができる環境が整備されているか否かは、大学の評価においてウエートが大きいですが、残念ながら日本は遅れています。WPIのような環境には優秀な研究者が集まり、そこでノーベル賞につながる研究が出てくれば、得られる刺激も大きいと思います。そのため、新たな研究拠点の整備にも積極的に取り組んでいきます。
現在、名古屋大学は学生数1万6,000人のうち学部生1万人、大学院生6,000人ですが、定員規制が非常に厳しく、留学生も定員の枠内に含まれるため、留学生を大勢入れると相対的に日本人学生が減ります。秋に英語コースで海外から名古屋大学に入学する学部学生は毎年100人程度で、彼らはシンガポール、香港などの大学を併願しています。歩留まり率50%で、世界的に見れば高い方です。彼らの卒業後の進路は、海外の大学院、日本の大学院、就職とほぼ3分の1ずつで、その進学先は、米国のマサチューセッツ工科大学(MIT)、シカゴ大学、英国のオックスフォード大学、ケンブリッジ大学をはじめ、スイス連邦工科大学チューリヒ校(ETH)、カナダのトロント大学など、いずれも世界でトップレベルの大学院です。この実績が評価を上げ、現在の倍率は6~7倍、600~700人が受験し合格者約100人、そのうち8割は自費で留学しています。
どの大学も優秀な人を集めようと頭を悩ませています。何がブレークスルーになるかは分かりませんが、問題を一つ一つ解決する、あるいは、インパクトのある一点突破の展開をめざす。そして、国や産業界からも積極的に支援していただく。成功事例を積み重ね、さらに伸ばしていく取り組みが有効と考えます。
白井:人材育成において気になるのは、日本の若者の海外留学への関心が低い点です。
松尾:3年前、ドイツのフラウンホーファー研究所の教授が、「最近のドイツの若者はやる気がない。留学もしない。こんなことでは他国に負けてしまう」と嘆いていました。ドイツの大学は学費無償で、優良企業が数多くあるため、卒業後の就職にも困りません。しかも、かなりの高給で採用されるそうです。今の学生は現状に満足しており、苦労してでも海外に出る気概が失われたのではないかと懸念していました。私は日本も全く同じだと答えました。若者には危機感が少し足りないかもしれません。
海外に行くことの意味に疑問を持つ人もいます。特に、若い研究者は日本に戻るとポジションがなく、外に出ない方が有利と考える人も多いようです。私は、むしろ、海外で勉強する意欲のある人をエンカレッジし、伸ばしてあげるべきだと考えます。良い仕事をして帰国したら良いポジションに就く道を用意する、それは、後に続く人のロールモデルにもなります。意識が高く、やる気のある人を積極的に伸ばす方が効果的であり、既にそれを実践している大学もあります。
白井:岐阜大学との「東海国立大学機構」の構想が注目を集めています。機構設立についてご紹介いただけますか。
松尾:東海国立大学機構(以下、東海機構)がめざすのは、一言で言うと地域創生と国際競争力強化を同時に達成することです。東海地域は世界有数のモノづくり産業で知られ、20世紀中ごろから現在に至るまで経済的に世界で最も成功した地域の一つであり、日本のGDPの約2割を支えています。名古屋港の総取扱貨物量は日本一、貿易黒字額は6兆円規模です。トヨタ、デンソーなどの自動車産業から、食品、農業、サービス業まで、東海地域に拠点を置く企業の多くがグローバルに事業を展開しています。東海地域全体において、「Society 5.0」をいち早く実現するにはどうすれば良いか考える上で、米国各地の都市再生が参考になります。ニューヨークでは、スタートアップ、ベンチャー企業を市と国が支援することで、新しい産業が生まれています。世界銀行(World Bank)のリポートによると、ニューヨークは今、世界有数のマニュファクチャリング分野での「Tech Innovation Smart Society」といわれています。シリコンバレーは都市部から離れていますが、ニューヨークはまさに街の中心で都市再生が進んでいます。マンハッタンの対岸にある倉庫街にも先進企業が集まり、街の雰囲気がガラリと変化して雇用も増加しました。ピッツバーグ、シアトルなど、地域創生に力を入れる都市は他にもあります。有力大学が核となり、スタートアップ、ベンチャー企業を育て、産学連携で誘致するパターンが一般的です。自動運転研究の中心地であるアリゾナ州は、アリゾナ州立大学(Arizona State University)の大改革により、今に至っています。このような米国の状況を踏まえますと、東海地域の持続的発展のためには、大学の果たす役割を一層拡大していかなければなりません。
東海地域において名古屋大学は数ある大学の一つでしかありません。愛知県内には、国立大学法人が4校、私立大学を含めると50以上の大学があり、中部経済連合会も名古屋大学だけに投資することはできません。今の立ち位置で一生懸命努力しても、地域創生という理想にはほど遠い。こうした背景から生まれたのが東海機構の発想です。これは、広域行政圏の感覚に近く、一つの経済圏としてつながっている東海地域で、世界を先導するイノベーションを持続的に創出し、発展させようというものです。これまでも大学間連携はありましたが、もう一歩踏み込んだ形で、より戦略的、かつ、効率的に研究・教育活動を推進する必要があります。これまで以上に大学の機能を強化するとともに、自治体、産業界と連携し、全体で一つの構想を共有しながら大学の役割を果たしていきます。これに賛同していただいたのが岐阜大学です。岐阜大学の学生数に占める愛知県出身者の割合は52%にもなります。岐阜県と愛知県は地理的に近く、経済圏も同じなので、リソースを共有することで支援も受けやすくなります。岐阜大学の「専門分野の特性に配慮しつつ地域のニーズに応える人材育成研究を推進」、名古屋大学の「世界トップ大学と伍して卓越した教育研究を推進」というミッションを踏まえつつ運営費交付金を配分し、東海機構全体として地域創生、国際競争力向上を進めます。今国会での国立大学法人法改正案に対応する形で、名古屋大学と岐阜大学は一つの国立大学法人となる予定です。教育、産学連携、財務、人事など、解決すべき課題は山積していますが、スタートに向けて着々と準備を進めています。
その中で最も重要なのは教育です。入試は現行方式で行いますが、入学後の教育については互いのリソースの共有化や共通化を図ります。英語を中心とした語学に加え、日本人の苦手意識が高い数理データサイエンスのリテラシー向上、広い視野を持ち、多角的に物事を捉えるためのリベラルアーツなど、現代社会から求められる分野を共通教育プログラムに盛り込むべく検討中です。両大学で学ぶ学生にとって有益であるよう協議を進めています。
白井:大変なチャレンジですね。
松尾:共通教育を実施しなければ法人統合の意義が薄れてしまうため、この点もしっかり整備したいと考えています。
国からの要請もあり、今はどの大学も改革の時期にあります。個々の大学で解決するにはリソースが限られており、他と同じことをしても効果はありません。われわれは、時代に合った新しい大学のあり方を模索し、新たな方向性として東海機構を設立して一歩を踏み出しました。われわれは「ファーストペンギン」となり、まず海に飛び込んでみよう、その姿を見て他のペンギンたちも次々に飛び込んでほしい、そういう思いです。
白井:東海地域には有力な産業基盤の集積があります。東海地域を支える自動車産業においても自動運転、シェアリングなど、新たなビジネスが続々と出ています。企業側も大学との連携に大きく期待するところです。大学側はこれらの動きをどう捉えているのか、将来的な見通しをお聞かせください。
松尾:東海地域だけでなく、日本全国を視野に入れ、中心となるセクター、アカデミアに加え、産業界、自治体と将来のビジョンを共有することが非常に重要と考えます。全体が共通のビジョンを持ち、それぞれの役割を果たす。最近は、経済界や自治体が連携に積極的な姿勢をみせており、実際にスタートアップ企業が集まるエリアをつくる話も出ています。以前と異なり、スピード感をもって前進する雰囲気が盛り上がっているので、この流れにしっかり乗ることが重要です。本気で取り組む大学、高等専門学校が1割でもあれば状況は必ず変化し、その先は加速度的に変化が進むでしょう。変化を嫌がる人は大勢いますが、止まらずに前進し続けなければなりません。
白井:デジタル技術の革新は、教育や研究の現場に大きな変化をもたらす可能性があり、海外の大学との連携、共同研究も従来より容易になるものと思います。デジタル技術は、教育現場に限らず社会全体を変える力を持ちます。数年前、アフリカ版ダボス会議といわれるイベントに出席するため南アフリカ共和国へ行きました。アフリカ各国から高校生200人ほどが集まる中で、司会者がインターネットで米国の大学の授業を受けている人はいるかと質問をしたところ、7割ぐらいが挙手しました。同じ質問を日本の高校生にしても7割はいないでしょう。
途上国の若者が先進国の教育を受けられるということは、各大学の授業を選り好みできるともいえます。この科目はハーバード大学、これはスタンフォード大学と、授業を選ぶようになれば、大学という枠組みにも影響を及ぼすかもしれません。デジタル技術は活用してこそですが、技術革新がもたらす、大学の新たな可能性についてはどのように捉えておられますか。
松尾:当然、教育を担う大学においてもデジタル技術による可能性は広がるでしょう。東海機構の共通教育を実施するにあたり、授業を受けるのに学生が移動するのか、実習時はどうするのか、これらの課題は技術でカバーできます。キャンパスを持たないインターネット大学も存在し、ネット上で学位の取得も可能です。デジタル技術は教育や研究現場の環境を変えます。ゴーグルを装着すれば臨場感ある3Dでいろいろなものが見られますし、端末さえあれば現場に行く必要もなくなります。学内のデジタル化には財源が欠かせませんが、何より大事なのは想像力・推察力です。技術革新がもたらす新たな環境を見据え、10年後の高等教育の実施方法など、将来に向けたデザインを描かなければなりません。そのデザインの下で要素技術を開発します。世界に数多くある先進例から学び、後追いではなく、いろいろ参考にした上で独自の形をつくります。
日本の大学の強みとして知られるのが学術情報ネットワーク(SINET5)です。これは大学間を高速光通信で結ぶネットワークです。高精細の手術画像を数カ所の大学で同時に見られますし、10カ所に点在する学生たちを結び、全員でディスカッションすることもできます。極端に言えば、全国の大学を東京大学と結べば、そこは東京大学の環境と同じになります。現状ではSINET5が十分に活用されておらず、この点も改善が必要です。
東海機構においても、ネットワークを生かす発想が重要です。名古屋大学は教育改革に力を入れており、このたびの設立を機に全て見直します。その際、ネットワークなど技術的な側面も考慮して行います。近い将来、大教室は不要になるかもしれません。在籍しているのとは別の大学で単位も取れるようになれば、そもそも大学の垣根はなくなるのではないでしょうか。こうして考えると、いち早くプラットフォームを構築した者の勝ちです。既に存在する海外の巨大デジタル企業と戦っていくには、後追いで開発しても規模でかないません。日本は大金をつぎ込んでも、もはやイニシアチブが取れません。それでも前進しなければ差は開く一方なので、果敢にチャレンジする人材をどんどん輩出するのが大学の役目です。それには、学生たちの志向、価値観を思い切り転換しなければなりません。
白井:地球規模の課題が深刻化しており、国連で採択されたSDGsに向けて国際協力の取り組みも広がっています。最近は企業のESG(Environment:環境、Social:社会、Governance:企業統治)投資への意識も高まり、SDGsやESGに積極的な企業に投資する動きが市場で拡大しています。投資家はSDGsやESGへの意識だけでなく、企業が具体的にどう貢献しているのかに注目しています。国連のSDGsは、企業と教育機関、一般市民の全体で課題解決に取り組もうという世界目標です。環境や貧困など、地球的課題から地域社会が直面する課題解決まで、大学への期待は大きいと思います。
松尾:名古屋大学は総合大学なので、さまざまな学問分野があります。人類が直面するどのような課題も一つの技術だけで解決できるものではなく、知恵の総和が求められます。総合大学の中でも、特に、規模の大きな国立大学法人では、基礎研究を含めた技術力と人文社会系からのアプローチ、これらの総和が一つのキャンパスで可能なため、非常に大きなメリットといえます。課題を明確に設定し、解決に向けてそれぞれの立ち位置から取り組む場が大学の中に必要です。
そこで学ぶことは、理工系、人文社会系、それぞれの学生にとって非常に良い経験になります。
課題解決においては、さまざまな知恵を出し合うほど良い方向へ向かうものです。全てを名古屋大学で実践するというより、それぞれの大学の得意分野で力を合わせれば、より効果的、効率的に推進できます。少子・超高齢社会は日本にとって深刻な課題です。仕事もお金もなければ、ただ長生きしても長く苦しい人生となります。富の再配分が必要ですし、高齢者の生産性も格段に上げなければならないでしょう。解決すべき問題は文系、理系問わず山積しています。それらを統一して目標を掲げるのは国の責務であると思います。2019年度の政府予算では、イノベーション創出に特化したムーンショット型研究開発制度の予算が成立しました。世界が超高齢化に向かう中で、人類が幸せに暮らせる施策を日本が先駆けて実践することは大きなチャレンジです。この取り組みは人文社会系の研究者抜きでは不可能なので、積極的に参加してもらいます。領域を超えて力を合わせることができるよう環境整備も進めていきます。
歴史を振り返ると、かつて日本では水俣病や四日市ぜんそくが発生し、環境汚染が世界最悪といわれました。これらの課題に国を挙げて取り組み、世界に先駆けて非常に厳しい環境基準を設けた結果、技術開発が進展し、日本製品の信頼度や環境問題における評価は格段に上がりました。
日本は少し遠回りをしてでも、あのころのように国を挙げてチャレンジすれば、結果的に産業競争力の強化につながります。そのための投資は決して無駄ではありません。人類が直面する課題への挑戦として資金を投入するとよいのではないでしょうか。
白井:テクノロジーだけでなく人文社会系の取り組みも含め、さまざまな形でアプローチしていくことが必要ですね。
松尾:そうです。日本が世界一幸せな国になると、若者が集まり優秀な人材も大勢来ます。若者が増えれば社会は活気づきますし、好循環が生まれます。
白井:本日は貴重なお話を聞かせていただきありがとうございました。
松尾:こちらこそありがとうございました。
今回は、名古屋大学総長の松尾清一氏をお迎えし、日本の大学の国際競争力向上、組織マネジメントのあり方、デジタル技術による教育改革など、現代の大学が直面する課題について多面的にお話を伺いました。SDGsに代表されるグローバルな社会課題、人口減少、高齢化など日本が世界に先行して直面する課題への対応において、大学への期待は大きくなっています。優秀な研究人材の確保、科学技術と人文社会系の知見の統合などの環境整備が進むことで新たな大学の可能性が広がりつつあることを感じました。