研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談
従来の戦術が通用しないグローバル時代において、安定成長への舵取りも難しくなっています。古代ローマは、海外戦略の失敗や国内投資の減少、失業率の増加、少子化問題など、現代に通じる諸問題に直面しながらも発展を遂げていきました。歴史は人間がつくるもの。そこで今回は、深い洞察で歴史上の人物を描くローマ在住の作家、塩野七生氏をお招きし、多様な民族との共生を実現した古代ローマ人の歴史をヒントに、新たな企業戦略を考えていきます。
作家
1937年、東京に生まれる。学習院大学文学部哲学科卒業後、1963年から1968年にかけて、イタリアに留学。1968年に執筆活動を開始し、「ルネサンスの女たち」を「中央公論」誌に発表。『チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷』により1970年度毎日出版文化賞を受賞。この年からイタリアに住む。1982年、『海の都の物語』によりサントリー学芸賞。1983年、菊池寛賞。1992年より、「ローマ人の物語」に取り組み、一年に一作のペースで執筆。1993年、『ローマ人の物語I』により新潮学芸賞。1999年、司馬遼太郎賞。2001年、『塩野七生ルネサンス著作集』全7巻を刊行。2002年、イタリア政府より国家功労勲章を授与される。2006年、「ローマ人の物語」第15巻で完結。2007年、文化功労者に選ばれる。2008から2009年にかけて『ローマ亡き後の地中海世界』(上・下)を刊行。2011年、「十字軍物語」シリーズ全4冊が完結。2013年末、『皇帝フリードリッヒ二世の生涯』(上・下)を刊行。
川村:2013年の12月ごろだと思いますが、日本経済新聞で塩野さんが「日本がエースで勝つようになった。トヨタ自動車とか日立製作所とかが良くなってきた」と語られた記事を読みまして、大変勇気づけられました。
塩野:あのときは久しぶりに日本に帰ってきてそのように感じましたね。やはりエースで勝つのが正道です。エースで勝つということは、日本人を元気づけますから。
川村:日立製作所は、長い間“不沈戦艦”だと言われてきました。2回もオイルショックの打撃を受けましたがビクともしなかったからです。しかし、その後は長く低迷が続いたことで“沈む巨艦”だと言われるようになり、リーマンショックが追い打ちをかけて2009年3月期は創業以来の業績悪化に苦しみました。そこから5年ぐらいかけて今V字回復してきたところです。日立の復活を塩野さんもご覧になっていると知り、本当に嬉しく思いました。
塩野:日立やトヨタが勝つというのは、まず規模が違います。それから、儲
もうけること自体は同じでも、経済にもエースの品位というものがありますから、相手に対するインパクトが違います。人間というのは、品位のあるものを尊敬したいものなのです。日本経済のためにもエースとして日立に頑張ってもらいたいと思っています。
川村:ありがとうございます。
塩野:この対談に入る前に、日立グループの素晴らしい事業をいろいろ拝見しました。私はイタリアにいるとき、日立製作所が英国高速鉄道のプロジェクトを正式受注したというニュースを見まして、大変結構なことだと思いました。鉄道のファーストランナーの地へ乗り込むのですから。
川村:英国の鉄道市場は、現在、ドイツのシーメンスやカナダのボンバルディアといったメジャー企業が占めています。英国進出に挑戦を始めたものの欧州の壁は厚く、日立製の高速鉄道車両が英国の大地を走るまでに10年かかりました。しかし、所要時間が大幅に短縮したことで利用者から喜ばれ、いろいろな形で役立っています。現在は、北東イングランドのダーラム州ニュートン・エイクリフに車両を製造する新工場を建設していまして、欧州鉄道市場への本格的な参入につなげていけると考えています。
塩野:受注の際は、日本の企業に対して現地の鉄道関係者から反発があったのではないでしょうか。
川村:国内雇用が失われるとネガティブキャンペーンをされたこともありましたし、予想外の圧力もあり、大変でした。
塩野:以前、イタリアの企業が英国で下水工事を受注して、現地の関係者から猛反発を受けたことがありました。そのときイタリア企業の社長が、「先祖がつくった下水道を修理に来ただけです。」と言ったのです。英国の上下水道をつくったのは古代ローマ人ですから、そんなセリフが返ってくると思わなかった英国側は、それを聞いて何も言えなくなりました。抗議の封じ方には、こ
ういうやり方もあるんですよ。日本の鉄道を最初につくったのは英国人でしたよね。
川村:約150年前に日本初の鉄道として新橋―横浜間が開通しました。
塩野:予想している範囲の返答ではインパクトが期待できませんから、日本人も「かつて英国人が鉄道の技術を教えてくれました。われわれは今、その恩返しをさせてもらっているのです」と、ニコリとしながら言ったらどうなるでしょう。相手側の見る目は確実に変わりますよ。相手が思わず苦笑して「なかなかやるな」と思ったときから理詰めの交渉はスタートするのです
川村:なるほど。残念ながらそうは言いませんでした。われわれは大真面目に応えましたから。
塩野:ならば、今からでもお使いになったら?こういうことは少し人が悪いほうが得意かもしれませんが、海外戦略には有効ではないでしょうか。中国の戦国時代には、食客を3,000人も抱えている人がいました。もろもろの才能のある人々を屋敷に住まわせて食を施し、必要に応じてその才能を活用し、さまざまな難題を解決させるためであったようです。相手の意表を突くことも才
能の一つですからそれ専門の人を活用したら、海外企業との交渉も有利に導くことも可能なのは?
川村:確かに今はビジネスをするにも技術の話だけでは済みません。ファイナンス関係も必要ですし、過去のいきさつから地元への貢献に至るまで、幅広い分野のエキスパートたちでチームを組んで挑みます。その中に塩野さんがおっしゃるような人材も加わるといいかもしれません。
塩野:日本の企業は海外進出やグローバル化に力を入れていますが、私は社員の全員にグローバルな人材になるよう求めるのはあまり効率がよくないと思います。かつて日本人は外国人から技能を習得して経済成長しました。スピリットを教えてもらうためではなかった。全員がグローバルな社員になったら、反対にグローバル企業にはならないと思います。
川村:人材の多様性はますます必要になると考えています。日立では先ほどの鉄道事業で英国に会社を設立し、英国人社長が就任しました。もちろん社内では日本人社員と外国人社員が一緒になって仕事をしています。ただ、もう少し日本のバイリンガル、トリリンガルといった教育システムは必要ではないかと感じます。早い時期から語学を身に付け、そういうリーダーたちを輩出する社会になれば今後の日本も相当楽になってくるはずです。
塩野:語学堪能は有利ですけれども、通訳を活用するメリットもあると思います。通訳してもらっている間に考えをまとめることもできますし、使い方次第ではないでしょうか。私の作品が翻訳されている中国や韓国に行って話をするときには、翻訳者に通訳を頼みます。なぜなら私の考え方が分かっている人であることが重要だからです。次に、通訳に要約されるのを防ぐために、決して一度に長く話しません。特に微妙な質問などは要約されると必ず誤解が生ずるので、動詞で止めてでも短くしています。また、以前カルロス・ゴーン氏と対談した際には、お互いの通訳が相
手側の横に付きました。この方法は時間のロスがなくスムーズに対談できます。
川村:われわれも取締役会などで同時通訳を利用します。取締役会のメンバー12人の中に米国人1人、英国人1人、シンガポール人1人と外国人が3人いまして、彼らの言葉は英語です。逐次通訳では会議がダレてしまうので同時通訳にするわけですが、その際、通訳は別の部屋に入り、取締役はイヤホンとマイクを付けて会議をしています。
塩野:それが最も理想的ですね。また、私でもイタリア語でスピーチするときには、必ず事前に原稿をチェックしてもらいます。外国人である私が知らずに使ってしまう幼い表現や、品格のない言葉を避けるためです。要するに、外国語が話せないことは絶望的なデメリットではない。半世紀も外国で暮らしていてつくづくそう思います。ギリシャ語とラテン語を学んでいた息子は、あるとき、「これは死んだ言葉ではない」と言いました。自然科学系の語源は相当数がギリシャ語で、人文科学系では英語の40%はラテン語が語源です。つまり、欧米人の間には語源を通じて一種の共同認識ができている。これはわれわれにはないメリットですね。また、いかに巧みに外国語を操る人でも、その人の母国語の能力以上の内容は話せないし、書けないんですよ。「なぜ西洋の歴史を書いているのか」と尋ねられることがありますが、その理由は、日本人は今なお欧米人のつくった土俵で勝負しなければならないからです。欧米人は彼らの足の長さでピョンと土俵に上がれるけれども、私たちはそうはいかない。ですから、その土俵に上がるための階段を私はつくっているのです。
川村:塩野さんは学習院大学文学部哲学科をご卒業された後、イタリアに留学されました。その後も長年イタリアを拠点にして素晴らしい作品を数多く執筆されています。そもそも塩野さんがイタリアに興味を持たれたきっかけは何でしょうか。
塩野:当時の学習院大の哲学科では、哲学・歴史・宗教などを徹底して習得させられました。大学時代に学んだことはヨーロッパの高等教育と似ていたので、偶然にしろヨーロッパのリベラル・アーツが身に付いたと言えます。卒業論文は15世紀のフィレンツェの美術について書きました。卒業してイタリアへ行こうと決めたのは、本物の芸術作品を見たいという思いがあったからですが、やはり強烈に行きたかったからですね。
川村:そのころから欧州の歴史に関心を持たれていたのですね。
塩野:イタリアの美術館で本物の芸術作品の前に立ち、作品は虚心に受け止めるものであり解説するものではないと実感しました。レオナルド・ダ・ヴィンチやボッティチェリといった芸術家たちの人生を取り上げるよりも、ルネサンスという時代に芸術作品が生まれるのを誰がサポートしたのか、なぜサポートしたのかということの方を知りたかった。当時、こういう視点で書かれた本
はありませんでした。それに私は負けず嫌いなので、「競争相手のいない分野は何か」と考えたためでもあります。
川村:これまでに中世のヴェネツィアと、古代ローマと、通史を2度書かれています。『ローマ人の物語』は全15巻にわたり、1年に1冊のペースで15年間かけて完成されました。これは大変な偉業ですが、なぜ古代ローマの通史に取り組もうと思われたのですか。
塩野:通史とは、人間に例えれば誕生から死までの民族の興亡の物語です。古代ローマの通史を取り上げた理由は実に簡単で、なぜ彼らだけが1000年以上も繁栄できたのかを知りたかったからです。古代ローマについて書く際、一つの疑問がありました。18世紀の英国の歴史家エドワード・ギボンによる『ローマ帝国衰亡史』以来、250年にわたり多くの歴史家たちは衰亡に目を
向け続けてきました。しかし、あれほども衰亡が騒がれるからには、衰亡の前に相当な興隆があったはずです。この疑問から、古代ローマの興隆から取りかかりました。王政に続く共和政の時代が高度成長期で、それを安定成長にしようとしたのがユリウス・カエサルです(1~5巻)。その後、帝政時代に入りますが、その期間は安定成長でした(6~10巻)。その後、衰退期に入っていきます(11~15巻)。それまで書かれていた作品を見ると、衰亡期に着目したギボンや19世紀ドイツの歴史家テオドール・モムゼンによる高度成長期に当たる共和政時代のローマ史がありましたが、安定成長期は誰も取り上げていなかったのです。国家の歴史を見ると分かりますが、長命を保った国家はまず先
に上り坂を上昇して高度成長を遂げ、それから下り坂になり衰亡期を迎えます。高度成長期といっても直線的ではなくて、上昇しては少し下降し、それを繰り返して成長していく。その後に来る安定成長期は富士山の頂上のように平たい感じになる点は、どの国家も似ています。
川村:今のお話の中でわれわれが非常に関心を持つのは、やはり安定成長期です。安定成長期は少し苦労しながらも少しずつ成長を続けていくのが理想形ですが、それが非常に難しい。日立は創業100年という歴史の中で、外からは同じように見えても、中身は相当に変化を遂げてきました。従来のやり方はもう通用しませんから、取捨選択して中身を変えていく必要があります。それには、まず改革派の社長がトップに立ち、取締役会のメンバーも多様化したうえで、社長の働きに対してどんどん意見を出せる環境づくりも考えています。古代ローマも1000年の長きにわたり、さまざまな変化を繰り返してきたと思いますが、なぜあれほどの大国が繁栄を持続できたとお考えですか。
塩野:ローマ帝国で言うと、安定成長期は帝政移行時から五賢帝時代の末期までと言えます。紀元2世紀に入った頃の五賢帝時代は、帝国始まって以来の平和と安定を謳おうか
歌した最盛期で、この五賢帝の1人にトライアヌス帝がいます。初の属州出身(スペイン)の皇帝であり、ダキア(現ルーマニア)戦役に勝利して帝国の領土を最大に広げ、また数多くの公共工事を実施した人物ですが、私は彼が行った政策で大変に感心したものがありました。それは、資産家階級といえる元老院議員に対し、強制的に収益の3分の1を本国イタリアへ投資させる法律を成立させたことです。これは領土が最大となった一方で、本国イタリアが空洞化しつつあるのを阻止するための対策でした。安定した本国イタリアへの投資はローリスク・ローリターンですが、ダキアのように征服したば
かりの属州は情勢が不安定なためハイリスクです。しかし、だからこそハイリターンが期待できるため、マネーは自然に属州へ流れてしまいます。経済学がまだ存在しなかった時代に、経済学者がいたならば反対するであろう政策を決断し実行したのです。当時の基幹産業は農業で、元老院議員の多くは農園のオーナーでした。私はそれを書きながら、「現代の日本ならば政府がトヨタや日立など経団連に加盟している大企業に対し、収益の30%を国内に投資せよと法律で定めたのと同じだ」と思っていましたね。
川村:今、日本企業も同じような問題を突きつけられています。海外進出を積極的に行うことで、以前より国内投資や雇用は減少してきました。それが果たして本当にいいことなのかどうか。企業側には「海外で稼いで日本にリターンバックしている」という言い分もありますが、「では雇用問題にはどう対処すべきか」という課題は避けられません。
塩野:中世のイスラム教徒は十字軍に勝利したにもかかわらず、その後は停滞し、敗れたキリスト教徒側の方が繁栄の道をたどりました。その理由は、イスラム側の方が「職」を保証する社会構造をつくれなかったからだと考えます。当時、金や大理石など
天然資源の輸出国であった北アフリカは、上層の人間さえ儲けることができれば良く、人々に「職」を与える必要はありませんでした。一方、手工業製品が発達し、製造立国であり交易立国だったイタリアの都市国家では分業化が進んだことで、多くの人々に「職」を分配する仕組みが成立しつつあったのです。
川村:今のアラブの資源大国を見ても中世から変わっていませんね。
塩野:最近はチュニジアから始まったジャスミン革命などいろいろ起こっていますが、それは宗教も何もかも超えて、ただ「職」がないという問題だと思います。トライアヌス帝が本国への投資を強制したのは、人々に「職」を与えるためです。日本においても「職」さえ保障されればあらゆることが良い方向へ向かうでしょう。
川村:おっしゃる通り、雇用はとても重要です。仮にサービス事業だけを日本に残せば雇用の数は守れるかもしれませんが、収益の額は相当に違ってくるため、そこをどうやってクリアしていくかが難しいところです。やはり、ものづくりの核心部分を日本にしっかり残した状態で雇用や収益を生む構造をつくり、安定成長できる方向に持っていかなければならないと考えています。
塩野:また、カエサルの後を継いで初代の皇帝になったアウグストゥスによる「3人の子持ち法」も、現代の少子化対策に通じる政策ですよ。安定成長期に入った紀元前から後にかけてのローマでは、富裕層を中心に少子化が進んでいました。現代と同じで人生の選択肢が増え、独身で通す人も増えたためです。「3人の子持ち法」とは、能力が同等ならば3人の子を持つ人を優先するという政策です。もちろん、子どもに恵まれない優秀な人もいますので、これは差別だと反対の声が上がっても無理のない法律でしたが、そこは特例を認めて上手く調整していました。優秀な人を属州に派遣する場合、本来なら3人の子を持つ人が優先的に登用されるところを、特例によって子がいなくても能力の高い人を派遣していたわけです。こうした帝国の繁栄を支える政策はみな安定成長期につくられました。
川村:以前行った対論でも話題に出たのですが、日本は人口減少が深刻化しています。持続的な経済成長を実現するために、アウグストゥス帝の政策は今でも参考になりそうです。
塩野:これからの社会はシングルマザーも増えるでしょう。苦労する母親の姿を見て育つ子どもは、母親に優しい社会に敏感です。アウグストゥス帝の少子化対策のように、同じ能力ならばシングルマザーを優先するシステムをつくれば、安定成長を可能にする一つの大きな要素になると思います。もし日立がこれを実施すれば、母子ともども日立を愛するようになるでしょうし、日立で働きたいと思う確率も大。しかも重厚長大な日立が実行するからこそ意外性があり、風潮の先端をいく会社だと一目置かれるのではないでしょうか。今の少子化対策では生まれてくる子どもばかりを問題にしているけれども、今いる子どもたちをいかに活用できるかを考えるほうが現実的です。
川村:確かにイタリアやフランスはシングルマザーが多いですし、日本も増えてくるでしょう。日立もいろいろな対策が考えられると思います。
川村:塩野さんは著書の中で、古代ローマ人の「敗者をも同化する」生き方がローマ帝国の原点となったと述べています。征服した国や地域の文化、神々をすべて受け入れ、多様性を認めていました。敗者にも市民権の道を開き、有力者は高位に登用し、組織を拡大・統治していく過程は、現代のグローバル経営にも示唆を与えるものだと思います。
塩野:古代ローマ人の寛容さは、「勝って譲る」という哲学にも生きています。勝ち続けながらも、一方では譲り続ける。ローマ帝国は征服者がすべて搾取するようなことはせず、基本的にその地に住む人々に任せていました。勝者の権利を振りかざさない統治は、敗者にローマ市民権を与えたことからも分かります。属州民でもローマ軍団の補助兵になれば25年の満期除隊時にはローマ市民権を与えました。ローマ帝国の中で仕事をする医師や教師は、民族に関係なく直ちに市民権を得られただけでなく、属州税まで免除されたんですからね。ローマ市民権のない属州民は収入の10%を属州税として納めていましたが、属州民の立場から考えればこれは「安全保障費」です。ローマ軍団が国境を守ってくれるため、安心して農耕に専念できるわけです。ローマ市民には軍役の義務がある代わりに直接税(所得税)は課せられませんでした。また、多種多様な社会は法が意味を持ちます。ローマ市民権の所有者は、ローマ法の下で私有財産と個人の人権が守られ、裁判権や控訴権すらも認められていたんですからね。カエサルから始まった市民権の拡大は、敗者も勝者ローマ人と同等に扱うことの決意表明であり、こうした想いは属州民にも伝わります。属州民は自分たちもまたローマ人だという意識を持っていました。このソフト面でのパワーには驚きます。先ほどのトライアヌス帝も属州出身ですが、彼ぐらいローマ人的であり、ローマ帝国に献身した人物はいません。
川村:ローマ市民権を積極的に与えて属州と本国の一体化を図り、そうした政策により後に属州の子孫からもローマ皇帝が登場したところにも帝国のすごさを感じます。日立もこの先、いろいろな国の人を社長に登用するのもいいかもしれません。
塩野:かつてホンダ創業者の本田宗一郎さんが「いずれ米国人がホンダの社長になってもいい。ただし、ホンダのスピリットだけは継いでほしい」と話していました。トップはどの国の人でも構わない。では、そのスピリットとは何か。これは非常に単純明快なことで、創業時さえ思い出せばよい。すべてのことは単純化できます。そうでなければ本質を突いていないということです。幅広い事業を展開する中で会社が何を求めているのか、理解できなければ今の若い社員も動かないでしょう。どこに一番重要なことがあるのかを見極めて、それをピタリと与えてやることで反応が起こってくるのではないでしょうか。
川村:「所得倍増」とか、「政権交代」とか、こういったフレーズは、ひと言で分かります。池田勇人元首相が「所得倍増」を掲げたのは国民全体が貧しい時代でしたから非常にインパクトがありました。
塩野:「所得倍増」は、戦後の一大傑作だと思います。マキアヴェッリは、知的階級とそうでない階級の違いは、抽象的な議論ができるかどうかにあると言っています。民衆には具体的な言葉で訴える方が効果的なのです。また、経済は数字だけで動くものではないと考えています。数字なら1+1=2と決まっていますが、実際は1+1が3になったり、0.5になったりするわけです。なぜそういうことが起こるのか。それは人間が介在しているからではないでしょうか。
川村:そう思います。われわれもプロジェクトを実行する際、まず分析し、戦略を立て、その次に議論するわけですが、そこで人を巻き込んで実行に移していく。そうすることで、より高い効果が狙えるからです。
川村:日立の海外事業においては、この先、大きな転換期が来ると考えています。今は東京から海外に指令を出していますが、いずれ海外側で意思決定できなければ満足できなくなってくるはずです。現在の途上国も発展してきていますから、日本に残しておくべき「ものづくりの核心の部分」も、やがて公開しなければならない時期が来ると思います。安定成長期を経てローマ帝国は衰退へ向かっていきました。環境の変化に対する反射神経の鈍化や政局不安定化などが組織の衰えにつながったようですが、大きな原因として何が考えられるのでしょうか。
塩野:五賢帝時代の最後の皇帝マルクス・アウレリスの死を境に、ローマ帝国は衰退の坂を下り始めました。その原因は二つあると考えています。まず一つ目は、紀元212年のカラカラ帝が発令した「アントニヌス勅令」です。これにより、ローマ帝国のすべての自由民に市民権が与えられました。市民権については、古代ギリシャ・アテネの市民権と古代ローマの市民権を比較するとわかりやすいと思います。まずアテネ市民権は、アテネ領内で両親ともアテネ人の子だけに与えられる権利で、ソクラテスとアリストテレスの例を見ればどういうものかが理解できます。両親がアテネ生まれのソクラテスは生まれながらに市民権を所有し、マケドニア生まれのアリストテレスは、学校創設などでアテネ文化の向上にどれほど尽くしても市民権を与えられませんでした。後にソクラテスは裁判で死刑を宣告され、悪法であろうとアテネの法に従うと毒杯をあおります。一方、アリストテレスはさっさと逃げてしまいました。アリストテレスは市民ではないため、法に殉ずる義務がないからです。これに対し、ローマ市民権は征服されたガリア(現フランス)やブリタニア(現在の英国)などの属州民でも帝国に貢献した人に与えていました。
川村:カラカラ帝は、ただそこにいるだけで市民権を与えるようにしてしまったことによって人々の気力が衰え、覇気が失われてしまったということでしょうか。
塩野:私はそう思います。二つ目は、キリスト教の普及による影響です。ローマ軍団兵は帝国に侵攻する蛮族*1と戦って国境を守っていました。ところがキリスト教がローマ帝国内部に広まるにつれて、同じ神を信じる蛮族との間で敵と味方の区別がぼやけてきたのです。それまで古代ローマ人は多神教の民で、蛮族にはキリスト教が浸透していました。ローマの神々は、自分で考えて努力する人をサポートする守護神。一方、キリスト教の神は、人間にどう生きるかを指示する唯一無二の最高神です。ローマ帝国全体にキリストの教えが広まるまで、イエスの死から300年もの歳月を要しています。それは、自信にあふれていた時代のローマ人にはキリスト教が必要ではなかったから。ローマ帝国が上手く機能しなくなったとき、自信を失ったローマ人は強力な存在にすがりたい、信じることで救われたいと、キリスト教を信じるようになったのです。
川村:会社に置き換えるとどういうことが言えるでしょうか。
塩野:ローマ軍団は敵味方が曖昧になり力が弱まっていきました。人を動かすには、具体的でハッキリとした目的や理由が必要です。例えば、「わが社は世界のためにがんばろう」と呼び掛けても、日立は国連ではないんですからインパクトが弱い。日本人はもう少し「自分のために」と正直になることです。「自分のためにする。それが会社のためになり、日本のためになり、結果的に世界のために役立つのだ」と言った方が、単純明快で理解しやすいと思います。特に日本人が海外に進出する場合、こうアピールした方が海外の人たちも納得すると思う。
川村:日本人の仕事はきちんとしていて、世界から尊敬されている部分もあります。例えば、毎日仕事を終えたら工事現場を掃除し、きれいに片付けてから帰宅する。他の外国人なら、掃除の途中で終業ベルが鳴ったら、雑巾を放ったまま帰ると。こういう日本人気質が海外の人たちに良い印象を与える。日本人が備えている良い部分、工程を守る、納期を守る、金額を守るといったビジネスマナーからも勝負していけると考えています。先にお話しした鉄道事業では、納期遅延が常態化していた英国で予定より半年早く営業運転を実現させ、関係者を驚かせました。
塩野:納期を守ることはビジネスの成功に大きく影響します。大航海時代にバスコ・ダ・ガマが喜望峰を回る新航路で欧州と産地とを直結させたとき、地中海の香辛料貿易を独占していたヴェネツィア共和国が打って出た対抗策は納期でした。新航路は遠洋を延々と回っていくのに対し、ヴェネツィアは地中海を渡ったパレスチナ近辺で香辛料貿易を仲介するアラブ民族から品を受け取り、買い手であるヨーロッパ人には期日通りに納品し続けたことで高い信用を勝ち取りました。
川村:日本企業が海外に攻め込むときは、主力製品の品質や性能はもちろんアフターケアもしっかり行い、なおかつ納期、金額もきちんと守っていく。日立が英国で鉄道車両を製造する場合もそうですが、日本の精神が海を越えて現地にしっかり息づいた環境をつくっていかなければなりません。
塩野:今のイタリア経済界は草木もなびくという感じで中国にばかり目が行っています。私は「日本とビジネスをした方がよほど得で長続きしますよ」と言っていますが。日本人がきれいに仕事をするというお話が出ましたが、そういったもの、例えば最近注目されている日本の「おもてなし」は世界のスタンダードになり得ても、所詮は付加価値に過ぎません。重要なのは、真の価値プラス付加価値の合計が継続されることだと思います。
川村:日本は失われた20年のデフレ時代を経験し、安倍政権の下、成長戦略を実現しようとしています。経済界では、これだけ決意を固めて日本を引っ張っていこうという首相はしばらくいなかったという感じを受けていますが、成果が出てくるまでは分かりません。塩野さんは第二次安倍内閣についてはどのようにお考えでしょうか。
塩野:以前、安倍総理について、日本経済新聞の取材で「2度も政権を率いるチャンスをもらったのは初めての例。これで何もしなかったら、政治家でないだけでなく男でもない」と言ってしまいました。
ですから、私は「一生懸命励んでください」と思っています。日本はバブル経済から不況に陥り、20年もかけて何をやるべきかをさんざん考えてきたはずです。それが分かっているのになぜ実行しないのか。今の日本のトップに必要なのは知識などではなく、腹を据えて取り組む勇気があるかどうか、それだけです。安倍さんも今はその気でいるみたいですから、経済界は欠点や危ういところには目をつぶってしばらく任せてみてはどうでしょう。
川村:安倍政権は成長戦略を第一に掲げていますので、われわれも持続的に成長できるまでしっかり頑張ってもらいたいと思っています。ただ、経済成長は政治だけでは実現できませんので、経済界としてもさまざまな面からサポートしていく必要があります。
塩野:先ほども少し触れましたが、経済を向上させるにはまず「職」です。私は『ローマ人の物語』の第3巻の執筆で、ローマ市民の失業問題と向き合いました。私はそれまで、失業というのは生活の糧を断ち切られることだと思い込んでいました。しかし、人間は仕事をすることで自尊心を育んでいくものだということが分かり、歴史上のリーダーたちの政策の意味するところを心から納得したのです。失業者が増えたイタリアでは、ここ数年、失業中の夫と妻や親と子の間に起こる家庭内の殺傷事件が多発しています。昔からイタリア人はファミリーを何よりも大切にする人々。職を失って気後れしているために、相手のちょっとした言葉で深く傷ついてしまう。かつては恋愛沙汰で起こっていた殺傷事件が、今は貧しさと将来への不安と怒りで起こるようになってしまったんです。
川村:日本の雇用率を上げるにあたり、安倍政権には次の二つをお願いしたいと思っています。一つは、法人税の引き下げです。法人税が20%ぐらいまで下がれば、国内投資を増やせますし、海外からの投資を日本に呼び込むことも可能です。企業側は事業自体も増やせるようになるので、税率を下げてもトータルで国に納める税額はあまり変わらないで済むと予想しています。また、海外の企業にしてみれば日本に工場を設立しやすくなりますので、その点でも雇用率増加を期待できます。海外企業の進出は日本の企業をつぶすという見方もありますが、相当数の雇用を生むはずです。世界で比較すると、法人税が一番高い米国と日本の法人税は下げた方がいいと考えています。もう一つは、繰り返しになりますが、日本でしかつくれないものを生み出すことです。電子部品だけで勝負するのは難しい時代ですから、積み上げ方式のさまざまな技術と融合させたり、ソフトウェアと組み合わせたりしながら、日本の中で仕事を回していく。それには土地代などのコストをもう少し抑えられればうまく機能すると思います。とはいえ、やはり企業としては自分たちの力で日本中の雇用を増やすべく努力するのが第一です。政府に頼るのはその次ですから。
塩野:日本は民間が苦労しながらも懸命に努力しているように見えます。人間社会を生産性から大別すると、第一層はチャンスを与えると能力を発揮する人が20%を占め、第二層は安定を保障すれば能力を発揮する人が70%、第三層は福祉を保障しなければならない人が10%。戦後の日本が成功できたのは、この70%の中間層を活用したからではないでしょうか。
川村:海外の人たちは、この70%の人たちのことを「ディシプリンド・ピープル(disciplined people)」だと評価しています。大震災に遭っても大騒ぎせずに、自分のやるべきことを粛々と行う姿が印象にあるのかもしれません。会社の組織も社会と同様にリーダーが20%、ミドルが70%います。そして、残り10%ぐらいは、適切な表現ではないかもしれませんが、ローパフォーマーです。「ミドルの人たちに仕事を安定して与えるべきである」というお考えには全く同感です。
塩野:今回、日本へ帰ってきて、立て続けに二つの台風に見舞われました。そのニュースを見ていて、日本人は想定内のことには素晴らしい能力を発揮すると痛感しました。だからこそ、大震災のような想定外が起こるとお手上げになるのでしょう。日本は想定外要員が必要ですね。
川村:本来なら、想定外が起きたときに対処できる人がリーダー層から出てこなければいけません。現在のリーダー教育は、そういうリーダーに必須の能力育成までしっかり行うことをめざすようになりました。
川村:最後に、ご趣味についてお聞かせください。
塩野:私は仕事が趣味になってしまった感じです。他には、趣味と言えるかどうか分かりませんが、その人が得になることを一生懸命考えることです。この間、連載コラム(『文藝春秋(2014年10月号)』に掲載)で褒めた本(『「ニッポン社会」入門』(コリン・ジョイス著/NHK出版))がすごく売れてしまいました。自分のことになると全くダメですけれども、他人の本を売るのは上手なのかしら。その人の一番いいところは何だろうと考えて、そこからいろいろなことに発展させていくのが面白いですね。人と会話をしていて、いつも相手が予想しないことを言うようにしていますが、それも同じことかもしれません。
川村:お話を伺っていると、宗教の教祖みたいですが。
塩野:宗教の教祖と絶対的に違うところは、宗教の教祖はお金が儲かるけれど、私は全く儲かりません。
川村:これから書きたいことは決まっているのでしょうか。やはり企業秘密ですか。
塩野:他の同業者が目を付けないものを書く自信はありますが、内容を人に話すと欲求不満が解消されてしまうのです。読者にこういう人物だということを知ってほしい気持ちから書いていますので、それを話してしまうと格段に筆力が衰えます。あえて口に出さず、自分の中で温めているのです。こういう風に持ち続けることを、イタリア語で「アカレッツァーレ(accarezzare)」、日本語では「愛撫(あいぶ)する」、という言い方をします。なかなか味わい深い表現でしょう。私は何十年も延々と愛撫した末に、パッと書き上げていきます。歴史を書くときに欠点を探して取り上げる人がいますが、そういうのは好きになれません。例えば、ネロは悪帝として有名ですが、この人物の一番いいところは何だったのかを考えます。
皇帝ネロは、経済規模が拡大している時代にアウグストゥス帝以来の貨幣改革を行い、財源を捻出しました。あのころは紙幣がなく金貨・銀貨・銅貨ですから、鉱山から採取できる量には限界があります。経済の拡大にどう対処すればいいのか。そこで彼は通貨供給量を確保するために金属の量を減らしました。私腹を肥やすためとする学者もいますが、これが悪い経済政策ならば、その後の五賢帝時代に皇帝たちはなぜ元に戻さなかったのか。ならば遊興費捻出のためではなく、経済状況に応じた改革であったと考えられる。また、ネロは仮想敵国であったパルティアとの長期にわたる友好関係を樹立し、トップ会談まで開くほどの外交手腕も備えていました。こうして視点を変えるとネロは単なる悪帝ではなくなってくるわけです。既成概念で見ればその面しか見えなくなってしまいますが、白紙になって見るといい面も見えてきます。これが私の生き方です。
川村:五賢帝時代の最後の皇帝マルクス・アウレリウスは、戦地の前線にいながら『自省録』を書く人物でした。そんな状況下でものを書くことは結構大変だと思うのですが、塩野さんはどのように分析されているのでしょうか。
塩野:古代ローマ人は、仕事と余暇を分けるライフスタイルを確立させた民族でもありました。皇帝たちにはそれぞれの余暇の過ごし方があり、カエサルはナイル川に船を浮かべてクレオパトラと過ごし、ハドリアヌスは少年時代からの憧れであったギリシャを旅して文化に触れる。マルクス・アウレリウスは、軍団の総司令官としてウィーンで指揮を執り、軍団の公用語はラテン語ですが、夜にはギリシャ語で『自省録』を書いていました。それが彼の余暇です。『自省録』を書くくらいですから、総司令官としては有能ではなかったと思いますね。というのも、ダキアの征服にトライアヌス帝は2年しかかかっていませんが、彼は10年かかってもできませんでした。哲学者ですから、じっくり考え過ぎるのでしょう。総司令官というのは即決しなければならない場合が多いので。
川村:トップの人間はスピード感が非常に大事だと思っています。極論すれば、早く決断し、間違えるなら早く間違えて、それを早く修正するほうが、じっくり考えて時間を使うより合理的です。
塩野:早く決め、早く間違いを直す。つまり間違いを指摘される前に直してしまうというわけですね。川村さんのやり方は賢明かも。ローマの皇帝にしても、やり方は一人ひとりで違います。その一人ひとりを書いていきたいと思っています。
川村:今後の作品を楽しみにしております。仕事が趣味になっていると伺いましたが、もし座右の銘がありましたらお聞かせください。
塩野:座右の銘なんてありませんね。一つの方針で行くと決めるということは、効果的な場合も多いけれど、同時に危険も持っています。先ほどの「所得倍増」は分かりやすくて確かに効果的でした。しかし、われわれは「所得倍増」した後も、そのことにとらわれ過ぎてしまったのではないでしょうか。イデオロギーのようなものは、それを信じすぎると、人間を縛ることになりかねません。
川村:本日はお忙しい中、大変勉強になるお話をいただき、ありがとうございました。
塩野さんは、イタリアに在住されながら、全15巻に及ぶ「ローマ人物語」をはじめ数々の欧州の歴史に関する著作を執筆されています。また、菊池寛賞や司馬遼太郎賞など数多くの賞を受賞されただけでなく、2002年にはイタリア政府より国家功労勲章を授与されております。今回は、日立をはじめとする日本企業への期待、グローバル時代において企業に求められる人材戦略、安定成長期に必要な政策、雇用の重要性などについて古代ローマ史の観点からご意見を頂きました。古代ローマにおける海外戦略の失敗経験や失業などの問題は、現在の日本企業が直面する課題に通じる面が少なくなく、歴史に学ぶことの重要性を改めて認識しました。また、塩野さんの作家、歴史家としての洞察力の深さだけでなく、経営者的な視点をお持ちである点にも感銘を受けました。