研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談
冷戦終結から約30年、米国は自国中心の政策展開により世界への影響力が低下し、中国のプレゼンスが高まっています。世界の覇権・国際秩序を巡り太平洋を挟んで米中が対峙するなか、企業経営の舵取りはますます難しくなっています。
今回は東京大学政策ビジョン研究センター長の藤原帰一氏をお迎えし、混迷する世界はどこへ向かうのか、日本企業はどう対処するべきかを伺います。
東京大学
政策ビジョン研究センター センター長
法学政治学研究科(国際政治) 教授
東京大学法学部卒業、同大学大学院博士課程単位取得満期退学。フルブライト奨学生としてイェール大学大学院に留学。東京大学社会科学研究所助手を務め、千葉大学法経学部助手、同助教授、東京大学社会科学研究所助教授を経て、1999年から現職。フィリピン大学アジアセンター客員教授、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際研究院客員教授、米国ウッドローウィルソン国際学術センター研究員などを歴任した。著書に『戦争を記憶する』(2001)、『デモクラシーの帝国』(2002年)、『国際政治』(2007年)、『戦争の条件』(2013年)がある。
白井:日立は戦後の自由主義経済、自由貿易のなかでビジネスを拡大してきました。1978年に鄧小平氏の改革開放政策が始まった後、1981年には日本の製造企業で初めて中国にテレビの生産工場を設立しました。
現在、世界第二位の経済大国となった中国と第一位の米国が、世界のGDPの約4割、軍事費の5割弱を占める二大大国(G2)として対峙しています。この状況を歴史的にどのように捉えておられますか。
藤原:冷戦終結後、米国、欧州、日本は自由主義経済、民主主義の国として結束し市場経済の拡大をリードしてきました。旧ソ連と中国も自由主義経済へ徐々に統合され、主導権は米国、欧州、日本にありました。軍事面では、旧ソ連は米国への対抗政策を転換、中国は鄧小平氏の米国訪問を機に対立は収まり、世界は政治的、経済的に安定していくと思われました。現在は中国が経済的・軍事的に台頭する過程にあり、米国、日本との協力路線から自国に有利な政策を強く打ち出すようになっています。経済での台頭とともに独自の対外政策を追求しており、それは一帯一路構想からもみえてきます。世界のパワーバランスは中国が上昇し、相対的に米国、欧州、日本が下降しました。中国は軍事面でも世界有数の海軍力を持つまでに成長し、黄海から外洋へ出てインド洋、東シナ海、南シナ海、尖閣諸島沖合にも活動領域を広げています。
中国の躍進とは対照的に、欧米中心の世界は大きく後退しました。先進国はこれまでの新興経済圏の統合による成長を維持することができなくなっています。
1980年代から1990年代まで雁行型経済発展が続き、日本を先頭にアジア諸国も経済成長していくと思われました。地域的分業で日本がVTRを製造すれば、韓国はカラーテレビ、タイは白黒テレビを生産するというように、技術水準で日本が先頭に立ち、後に続く国を日本企業が支える形です。これに中国も加わると考えられましたが、企業も垂直分業から水平分業へ移行し、結果的に日本が常に先頭をいく状況は揺らいでいます。こうした秩序の変化は先を走っていた側の優位を脅かします。
短期的に地政学的変化が大きいのは中国以上にロシアです。クリミアを併合し、ウクライナの東部地域を事実上制圧、シリアにも大規模な派兵を行っています。
冷戦終結から約30年、世界の勢力図は変わり、政治的、経済的、軍事的な不安定要因が高まっています。
白井:米国ではトランプ政権が「米国ファースト」を掲げ、米中二国間の貿易交渉、北朝鮮の非核化交渉など、オバマ政権の時代に比べ良くもあしくもさまざまな変化が起きています。
現在のトランプ現象は今後も続き米国自体が大きく変わるのか、あるいは軌道修正され以前の米国に回帰していくのでしょうか。
藤原:トランプ氏が大統領に就任してから1年半、国際関係は米国に振り回されています。トランプ氏が大統領に当選しても米国の外交政策は大きく変わらないとみられていました。それはこれまでの貿易秩序、国際秩序が米国に極めて有利であり、制度の見直しは長期的に自分の首を絞めることになるからです。米国中心の同盟ネットワークを構成する北大西洋条約機構(NATO)、日米安全保障条約、米韓相互防衛条約などは米国の力の源泉といえます。しかし、トランプ氏の支持者からみるとこれらの制度は見直すべきものでした。彼らは貿易は一部の米国企業を除き、他国が米国経済を食い物にし、同盟は他国の安全のために米軍が使われている、と確信を持っています。彼らの固い支持を得たトランプ大統領は、貿易・同盟体制の見直しに取り組み、最近ではEUに鉄鋼・アルミニウムの追加関税を課すという予想外の動きをみせています。
ここで問題となる点が二つあります。一つは、予測可能性が大きく下がったことです。政策に選択の幅があっても既得権を脅かす道は選ばないと読めば範囲は狭まります。しかし、排他的な国内世論を基礎に政策を進める大統領の登場により、起こる可能性のある変化の幅、予測範囲は極端に広がりました。安全保障においても、例えば北朝鮮対策で歴代の大統領が採択しなかった選択が二つあります。一つは北朝鮮への先制攻撃、もう一つは米朝首脳会談です。二つの政策とも米国にとって不利益と考えられ、オバマ政権の8年間は膠着状態が続きましたが、トランプ大統領は後者については実行済み、前者についても実行しかねない状況です。要するに、国際的な制度の安定性が著しく損なわれる可能性がある、ということです。国際的な制度とは、国連などの国際機構に限らず、自由貿易の仕組みや通貨体制なども含みます。米国がその枠組み全てを見直す立場を取るだけで世界に大きな影響が及びます。二つ目は、米国社会にはトランプ氏を支持する世論(共和党右派)があり、政権を取るだけの力を発揮したことです。トランプ大統領にはロシアゲート疑惑などもあり、政権が長続きするかどうか現時点では分かりません。トランプ支持層は年齢が高く、大多数が白人です。人口構成を見れば次第に白人の比重は下がるため、票に影響を及ぼす強いグループになるとは思いませんが、なくなることはありません。むしろ緩やかに減少すると見込んでいるからこそ声を上げ、強硬な意見を訴えてくるでしょう。
白井:トランプ政権が自国中心の内向き志向に傾斜するなか、中国は中央アジアのインフラ整備、パリ協定の推進など、少なくとも表向きは自国の役割をきちんと果たす姿勢を世界にみせています。しかし、中国が「一帯一路」を掲げる背景に対外権益を拡大する狙いもみえます。ビジネスの中でも例えば、中国は将来を見込んで電気自動車(EV)に使用されるレアメタルの安定供給を確保し、米国を抜いてEV分野の世界シェアトップに躍り出ました。膨大な人口を抱えた中国が成長を続けるために権益や資源を追求するのは当然といえば当然ですが、しっかりと世界への貢献をアピールしています。
マーシャルプラン以来、米国中心に自由と民主主義のビジョンを共有する国と連携してきた西側と、権威主義的な中国、この二つの異なる価値観が共存しています。一帯一路を様子見していた日本も協力する方向へ動き始めましたが、日本は中国の立ち回りにどう対処すればよいとお考えですか。
藤原:これまで日本政府の対中政策は「経済的なチャンス」「軍事的な脅威」の二つで揺れてきましたが、今は経済協力を深めながら軍事的脅威を抑制する方向に向かっています。
中国にはさまざまな側面があるため、三つに大別して考えます。一つ目は、「責任ある大国としての中国」です。かつては自国の主張を通し、意に沿わない場合は協力しないという、ゼロサム的な判断をしていた中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、国際機構を担う活動も始めました。現在、国連の平和維持活動は中国の協力なしには成り立ちません。スーダンの内戦を機に大規模な軍事経済協力を展開し、他の国が国連活動に関与しないなかで積極的に関わっています。習近平国家主席の発言を聞くと、自由貿易の担い手は米国から中国に代わった印象さえ受けます。環境分野においても、再生可能エネルギーの開発・拡大は他の国に比べて抜きん出ています。
問題は「責任ある大国」とは正反対の行動が同時に起こっていることです。中国は経済が弱かった過去があり、改革開放政策の時代には米国や欧州のルールを受け入れてきました。将来の発展を見込んで、外資にさまざまな優遇措置を与えては国内に引き寄せてきましたが、今はそのころと同じ優遇措置は期待できません。実は、1960年代から1970年代に日本経済が台頭したときも米国への反発は起こりました。鉄鋼貿易を巡り「日本には競争力がある、それなのになぜ米国の言うことを聞く必要があるのか」と日本の強い立場を訴えました。中国にも同様の動きがみられますが、日本と決定的に違う点は「貿易や経済と軍事のリンク」です。これが二つ目のポイントです。
中国は一帯一路の周辺諸国に投資や援助を申し出る際、途上国が到底返済できない借款を与えています。例えば、スリランカの港の建設に協力し、借款の抵当として港を使う権益を確保しています。中国に日本はどう向かい合えば良いのか。まず中国とのビジネスを断つ選択肢はないと考えます。仮にビジネスを断ったとしても軍事的な対立は打開できませんし、中国の代わりになる市場もありません。インドの急成長が見込まれますが、インフラ整備が不十分で国内市場も限られています。中国経済は世界金融危機以前より成長率は下がりましたが、バブル崩壊のような転落はありません。今でも他の新興経済圏全ての合計を超える規模の成長をしているのです。中国の軍事的脅威は米国以上に警戒しなければいけませんが、今の安倍政権が中国に協力する方向に向いているのは、習近平政権が安定しているからです。
三つ目のポイントは、「政権が安定し、予測可能性が高い中国」です。胡錦濤政権は経済を中心に、国際貿易体制との関係ではむしろ開放経済を志向していました。胡錦濤氏の政策は中国経済の状況に見合った適切なものであったと私は考えますし、また日本にも有利なものだったと思うのですが、胡錦濤政権自体が政治的に弱く、軍を統制することもできなかった。これとは逆に、習近平政権では共産党が軍と政府を統制し、安定しています。人民解放軍が党政治局の判断を仰ぐことなくベトナムの排他的経済水域にプラットフォームをつくりましたが、そのプラットフォームも解体させたのは象徴的な事件でした。党政治局が軍に対する統制を取り戻したわけです。人民解放軍の軍事戦略の基本的な方向性そのものは変わりませんが、新たな勢力圏を確保するより、既に手にした勢力圏を安定的に支配していくことが習近平政権の方向だと思います。例えば台湾問題では妥協しないといったように、目標や方向性がはっきりしており、米国よりも予測可能性が高い。他方で、広域に覇権拡大を追求しています。以前、ハワイまでが米国、それより近い方は中国と発言した軍将校がいましたが、今はそうした主張をする幹部は更迭されます。こうした流れからも、中国は望ましい相手ではなくとも予測可能であり、日本も協力というより相対的な安定化をめざすスタンスを取っています。日中関係より問題なのは米中関係です。米国政府内では、中国の軍事的脅威についての議論が対立を続けています。これはトランプ政権が非常に不安定な体制であることの表れでもあり、例えばポンペオ国務長官の路線が中心となれば、中国を強く牽制すると同時に、安定化を探る伝統的な外交になります。中国は軍事的な地域覇権に向かっており、今は牽制を強めるのが望ましい選択です。マティス国防長官、ボルトン大統領補佐官(国家安全保障問題担当)も同じ側に入ります。6月にシンガポールで開催された第17回アジア安全保障会議(シャングリラ・ダイアローグ)の場で、マティス国防長官が中国の軍備拡張に対し極めて厳しい発言をしたのは、米国政府に向けたメッセージでもありました。経済活動でも米国にとって中国は不公正な貿易慣行で一番問題のある国です。米国企業が打撃を受けたとしても、貿易関係見直しを優先する立場を取る可能性があります。米国が経済的・軍事的な牽制を強化した場合、当然中国は対抗策を強めます。今注目されている鉄鋼・アルミニウム関税はその一例です。貿易摩擦が拡大し、結果的に日本が影響を受ける可能性はあります。日本が中国での経済機会を優先しても、米国の政策によっては土台から壊されてしまいます。いずれにしても習近平政権よりトランプ政権が予測困難という不安要素があります。
白井:中国は、一帯一路構想において国際協力の新たなフレームワークを提起しました。これに対抗する形で自由主義を共有する日本、米国、オーストラリア、インドが「インド太平洋戦略」を提起しています。一帯一路に対し、伝統的経済連携のインド太平洋戦略はうまく機能していくとお考えですか。
藤原:これは地域覇権の対抗です。中国が米国に代わる大国をめざしているとは思いません。そもそも中国指導部はそれだけの国力があると考えていないからです。改革開放政策を担ってきた世代がまだ政治権力の中枢におり、彼らは自国の弱さをよく認識しています。石油危機のときの日本経済が大きな打撃を受けても非常に早く立ち直ったのは、自国の弱さをリアルに認識して政府が早急に産業政策を打ち出し、企業の投資活動を誘導したからでした。企業もすぐに労働組合の協力を取り付け、解雇しないことを条件に賃金を減額、同時に生産の再構築に取り組みました。今の中国指導部には石油危機当時の日本のような「弱さの自覚」があり、それが危機に対応する力の源になっています。もっとも中国はこれから先、一人っ子政策の時代に生まれ「中国が偉い」と考える世代が政治を担う時代が来ます。その時はどうなるか分かりません。
一帯一路は、欧米に左右されず、友好国と市場を確保する経済圏構想で、目的が限定された固い政策なので、簡単には妥協しないでしょう。大きなターゲットとされるイラン、パキスタンは、もともと中国との関係が深い国です。特にエネルギー供給拠点としてのイランは、欧米の影響が限られます。つまり中国が信頼を得られる国と協力を強める狙いがあります。
一帯一路を日本にとってのASEAN(東南アジア諸国連合)に例えるとよく分かります。ASEANは巨大市場であり、日本に協力的です。国連で議決する際は、日本と同じ票を投じると期待できます。宮澤元首相の「ASEANは日本の選挙区」という発言を聞いたとき、非常にうまい表現と思いました。中国は一帯一路構想で「選挙区」を広げようとしており、それは外への影響力拡大には有効な政策です。インド太平洋戦略で対抗するのは容易ではないでしょう。中国が展開する政府開発援助(ODA)は、各国に膨大な経済的インセンティブを提供しています。以前、米国は対テロ戦争の協定の一環としてパキスタンに関与し、財団やNGOなどと関係を深めようとしましたが成果は限られました。何よりもインセンティブが弱かったからです。中国の強みはインセンティブの強さ、つまりお金です。軍事的に脅して各国を言いなりにしようとしているわけではありません。巨額の資金を援助し、それが無駄になろうとも権益を追求するスタンスです。その中国に対抗措置を取る国はありません。旧ソ連に属していたアゼルバイジャンは依然としてロシアの影響力が強い国ですが、カザフスタン、モンゴルでは中国が存在感をみせています。繰り返しになりますが中国の影響力拡大を左右する国はイランとパキスタンです。中国が提供するインセンティブに見合ったものを、われわれがどれだけ提供できるかにかかっています。
白井:米国と日本がリードしてきた環太平洋パートナーシップ協定(TPP)は、世界で最も高水準の自由貿易協定(FTA)です。自由貿易の促進が経済発展をもたらす流れは変わらないと思われましたが、米国が離脱したため11カ国(TPP11)でのスタートとなりました。米国の通商政策は多国間協議から二国間協議へシフトしていますが、中長期的にどう変化していくとお考えですか。
藤原:世界の貿易秩序は変動が始まったばかりですが、今後、状況はさらに厳しくなります。その根拠を申しあげる前に、貿易自由化は相当進んでいることを認識しておく必要があります。貿易自由化は、TPP協議が始まる前にほぼ達成されています。逆に言うと、残された領域は知的財産権、豚肉、米など実現が難しい政治的な懸案事項ばかりで貿易拡大によるメリットも限られます。例えば、アフリカ諸国の経済政策が西側との協力を深める方向に変わったとしても、ケニア、ナイジェリア、スーダンなどは国内市場が小さいため市場拡大は期待できません。
貿易自由化に反対するグループは、これまでは基本的に左派の人々でしたが、そこに今変化が生まれています。英国のEU離脱では、保守党の離脱支持者と労働党の左派がともにEUに反対でした。それまで左派のポピュリズムが貿易の自由化にくさびを打つ役割を担っていましたが、現在は左派と右派、両方のポピュリズムが勢いを持っています。ハンガリーとポーランドのように、 EUに加盟したことで明らかに利益を得ている国でも右派のポピュリズムは高まっています。
米国では、貿易自由化についてバーニー・サンダース氏を支持する若いミレニアム世代の支持はまとまっていませんが、トランプ氏支持者のハードな保守層は懸念を抱いています。多くの先進工業国が貿易自由化に反対するグループを抱えているのに対し、それが相対的に少ない国が日本です。日本の反対派は農業関係者が中心のため、TPP協定ではそこまで大きな問題になりませんでした。米国のTPP離脱は、自由貿易に反対したのではなく、米国に不利益な貿易に反対したものです。そもそも自由貿易はどちらかに有利、不利の問題ではないのですが、TPPの合意事項を大幅に変えなければ米国が戻ることはないでしょう。米国に有利な自由貿易とは、全ての貿易協定の見直しです。これを集団的に行うのは不可能であり、米国用のWTOもあり得ないので二国間協定になるのは必然ですが、この状況は貿易体制を不安定にします。甘利明元大臣がTPP推進に尽力されたのも、個別に二国間で合意すること自体が制度の安定性を損なうためです。貿易はどうしても国内の反発があり、総論賛成、各論反対になるからこそWTOが設立されました。二国間協定に頼る動きはトランプ大統領が登場する以前から続いていますが、現在、二国間協定によって貿易体制を骨抜きにすることが起こっています。TPP離脱は間違いなく米国の首を絞めます。日本がTPPの日米交渉で、日本側に厳しい内容でも受け入れたのは、TPPの実現が全体として有利になると考えたからです。現在の流れは、集団的に合意した貿易体制が緩やかに後退していく過程とみています。
さらに問題なのは、短期的にはこれが経済に有利に働く側面があることです。長期的には経済に大きな打撃を与え、政策が後退すると分かっていても、マーケットはネガティブな反応をみせていません。交易条件を自国有利に見直すことができるという期待にポジティブに反応し、米国の株価は高水準を維持しています。短期的に景気を刺激しても、結果的には不利益な悪循環に陥ります。かつての日米貿易紛争で注目された通商法301条が再び出てきたのはWTOが発足して以来初めてです。
短期的に厳しいのは景気後退が進むEUでしょう。この先、EUを離脱する国が出なくても域内の貿易秩序が揺らいでしまうと、成長が停滞し、経済には大きな打撃となります。
白井:米国の最大の貿易赤字国は中国ですが、中国の米国向け輸出の6割は米国企業を中心とする多国籍企業によるもので、両国は極めて強い相互依存関係にあります。米国の制裁対象は、鉄鋼など既存の貿易製品から通信・ハイテク製品まで広がり、中国の投資政策や「中国製造2025」などの産業育成策、先進技術移転要求も批判しています。米中の貿易摩擦が日本にも飛び火し、世界経済にショックを与えるリスクもあります。米中間の通商問題は今後どのように推移し、日本への影響をどう考えるべきでしょうか。
藤原:米国と中国の貿易摩擦は、日本も制裁対象に加えられる可能性があり、短期的にみて一番大きな課題です。ただ実際には、日本の鉄鋼・アルミニウムの輸出規模はそれほど大きくなく、トランプ政権はこれらが米国市場に及ぼす影響に過剰に反応している節があります。誤った認識に基づいて政策を立案する可能性は否定できません。
少し視点を変え、トランプ政権の政策立案者は誰なのか考えてみます。トランプ大統領が自らつくるわけはなく、閣僚やそれぞれのプロフェッショナルから提起された政策に対しダメ出しをする、という構図が徐々にはっきりしてきました。時には、プロフェッショナルが反対する政策も公表してしまいます。鉄鋼・アルミニウム関税については十分に政策検討されたとは思えず、プロフェッショナルであれば慎重に協議し、公式発動前に相手に譲歩を求めるはずです。実際、水面下の交渉が繰り返されている最中に、大統領がTwitter®で発表して流れを変えてしまうのがトランプ政権の大きな特徴であり、かつてのレーガン政権とは決定的に違う点です。レーガン政権では、実務家が立案した政策に沿って大統領がリーダーシップを取る筋書きでした。
米国は中国の不公正な貿易慣行に対する規制を強化しており、貿易摩擦は避けられないでしょう。もっとも、米国政府が強い圧力を加えるのは、日本にとっても望ましい中国市場をつくる一助にもなります。米国の政策を利用しながら、中国により公正な貿易慣行の実現を迫る機会でもあります。
中国側は過大な公共投資について緩やかに見直しているところです。公共投資を拡大したのは世界金融危機の打撃を回避する手段でした。貿易拡大にも協力し、膨大な公共投資を行うイメージからは変化していますが、中国企業の不利益になる合意を受け入れる可能性はむしろかつてなく低くなっています。米国が中国に制裁を加えると、中国は国内市場中心の経済運営に向かうことになり、国際貿易量は激減します。米国の対中貿易と中国の対米貿易の依存度を比較すると、依然として中国の対米依存度が高く、米国は圧力を加えれば中国が妥協する、と期待するかもしれません。ただ、中国の対米依存度は急速に下がっており、制裁を受け入れる必要はないと判断する可能性もあります。舞台裏の交渉が続くなか、現在のところ中国側は米国が求める条件を受け入れないことを表明しています。日本が制裁のターゲットにされる可能性もありますが、一番の問題は貿易が後退して世界経済に悪影響を及ぼすことです。
白井:雁行型経済発展の時代は、先進国が技術革新を生み出してきました。IT時代に入ると「イノベーションの起源は米国」といわれるようになり、シリコンバレーを中心に最先端技術が次々と開発されていました。2012年ごろまでは米国の中国人留学生は帰国するよりシリコンバレーなど米国で起業することの方が成功への道でした。しかし最近は「innovate in the United States、 commercialized in China」という現象が起こっています。中国の若者が米国で学んだ後、帰国して深圳などで起業し大成功する事例も増えており、イノベーションの概念が変わりつつあるように感じます。特にデジタル産業は限界コストが下がるため、莫大な投資をしなくてもアイデア一つでビジネスになることもあります。外国企業に先進技術移転を強く求める中国が、これまでと違う形のイノベーションで世界をリードしていくパターンも増えると思います。ボーダレス時代におけるイノベーション、知的財産保護をどう考えるべきでしょうか。
藤原:AmazonやGoogle®は米国から発信されていますが、近年、中国ではこうしたプラットフォームビジネスで主導権を握ろうとする動きがあります。米国で成功したプラットフォームをコピーし、中国に合わせたものに換えて国内市場のシェアを拡大していく。このパターンは以前から高速鉄道などでも見られました。この電子版と考えれば分かりやすいでしょう。
しかし、中国はコピービジネスで知的財産権に反する行動をしているだけと捉えるのは間違いです。科学技術の発展も著しく、物理学の分野では論文数も米国を凌駕するまでに至っています。国内の技術力が飛躍的に向上しており、新たなイノベーションを生み出すのもそう遠くないかもしれません。中国発の技術をわれわれが学習する時代が到来する可能性もあります。日本は、未来の技術システムで主導権を取るために、米国、中国両国の研究者と共同で技術開発力の強化に取り組んでいくべきです。中国や米国だけにやらせないことが重要です。日本は、高効率、低コスト製造など、産業技術分野では依然として卓越した存在です。その点では、まだ中国が後追いできる状況にありませ んが、相対的に重要性は下がっています。変化のスピードは非常に速く、日本が主導権を握ってプラットフォームビジネスに関わることができない、極めて厳しい現状に危機感を抱いています。
白井:デジタル化が進むなか、データが価値を生む「データ資本主義」という言葉も出てきました。
デジタルビジネスにおける米中間の競争は激しく、米国は対米外国投資委員会(CFIUS)による規制を強化、中国はインターネット安全法による外資系企業の国内データ持ち出し禁止や先端分野における国内企業優遇政策を進めています。また、EUの一般データ保護規則(GDPR)では、EU域外への個人データ持ち出しが禁止される一方で、産業用機械から得たデータはEU各国間で移転可能です。世界がルールを共通化してきた流れのなかで、データに関しては米国、中国、欧州、日本がとる政策はそれぞれ異なるものです。
これまで異形とされてきた中国型の制度やシステムが、データ資本主義社会に親和性があるように見えます。中国では政府がデータを大胆かつ自由に活用できます。その典型が国内に張り巡らせた監視システムです。全てを映像で撮影し、大勢が集まるなかでも特定人物を見つけだすことができます。西側ではプライバシーの侵害とされることが、中国では治安維持に貢献し、顔認証技術や情報通信技術を応用することでデジタル社会の便益も広げています。データやプライバシー保護に関する政策は、今後のビジネスにどのような影響を与えていくでしょうか。
藤原:中国のデータ規制や個人情報保護は、欧米や日本と全く異なります。中国がこのままデータの管理統制を続けられるとは思いません。その理由は二つあります。一つは、社会の自由化が急速に進み、情報を完全に規制することが難しくなり、いたちごっこの状態になるという点です。
もう一つは、金融関係の取り引き情報です。米国は世界中のドル決済情報を掌握しており、マネーロンダリングを摘発して国内法を適用したケースもあります。
イランに対する経済制裁で大きな影響力を持ったのは、米国の経済制裁というより、イランと取り引きのある外国金融機関に対する規制で、これを「二次制裁」といいます。西側が制裁を加えている北朝鮮、イランと中国との取り引きの情報も米国はつかんでいます。日本はプライバシー保護、個人情報流出に対する規制が強く、世界の動きにどう巻き込まれていくのかは不透明です。ただ、イランとの金融取り引きにおける規制では、米中間の問題とは別に日米間でも争点になると思われます。
白井:米中両国は日本企業にとって重要な市場であり、事業・生産拠点も多数存在します。米国が中国に対して圧倒的優位だった時代は終わり、表面的には対立しても、裏では戦略的に連携するなど、今後もさまざまな状況が考えられます。巨大市場を持つ米中に日本企業はどう対応すべきとお考えですか。
藤原:日本は大きな国内市場を持ちますが、経済活動は貿易中心です。貿易立国であることを前提とし、自由貿易制度が重要であるというスタンスを崩してはなりません。日本でも右派・左派のポピュリズムが力を持つ可能性があります。
米国との関係については、市場開放圧力や、米国の関税引き上げなどの規制にも備えなければならない状況です。1960年代、 1970年代の米国は保護貿易に向かう動きを示しながら、市場開放へ圧力をかけてきましたが、ここにきて保護主義的な政策を強めています。米国が国内市場の保護に向かうことは、そもそもWTOの原則に反しますので、日本は単独でなく多国間で対抗すべきです。個別交渉では米国から対価を求められ、対抗政策を続けることが難しくなるでしょう。そうなると米国市場へのアクセスを保つには譲歩するしかないという議論が必ず出ますが、譲歩すれば自由貿易体制は一気に弱まってしまいます。原則論からみてもこれは決して譲ってはならない一線です。他国とのチームプレーで臨むのは、国際協力が個別国の利益より重要という意味でなく、多国間プレーでなければ対抗できないためです。貿易体制は数で動くため、多数派を手にした方が圧倒的に強くなる、つまり貿易政策の圧力はマーケットで大きなシェアを持つ集団の共同行動が重要なのです。
また、必要に応じてWTOに提訴することも重要です。現在の状況が続けば、G8の中ではまず欧州が米国に対抗するでしょう。その際、直接対決ではなく、米国の貿易規制に賛成できないという立場を堅持するのではないでしょうか。中国の自由貿易を維持する政策は日本にとって歓迎すべきことです。中国との関係においても自由貿易の立場を崩さず、中国がルールから大きく外れる時もチームプレーで打開していくべきです。 TPPの推進は、中国に対する牽制という側面もあります。もともとTPPには「中国不在の巨大な市場をつくる」「中国が制度を変えるための圧力」という二つの捉え方があり、それぞれの意図は全く異なります。前者の場合は巨大な市場を失う可能性があるため、望ましい戦略的連携になりません。中国はWTO加盟時に法制度を変えており、その流れでいくとTPPに参加することも考えられます。しかし、中国が知的財産権や直接投資などの問題に真剣に取り組まなければ、安定した貿易を期待することはできません。中国との関係において、安倍政権が協力路線に変わりつつあるのは良い判断です。協力するなかで、日本が受け入れられないことは明確に示していく。日本が単独で対抗できる力は限られており、各国との協力は不可欠です。TPPをベースに考えると、協力すべき国はオーストラリアとカナダです。オーストラリアは資源輸出で中国への依存度が高く、一方で不公正貿易慣行に対する反発も強い国です。カナダも中国との貿易が拡大する一方で、貿易摩擦を経験しています。米国の貿易規制に対抗する際も、EUやオーストラリア、カナダと連携を強め、多数国間で取り組むのが賢明です。可能なら、米国がTPPに復帰したうえで、多国間で中国に対する貿易政策の要求を展開する方向を模索していけるとよいと思います。以前はトランプ政権も共同のスタンスを取り、成果を上げていました。現在の単独制裁から引き戻すことが必要です。
白井:国際関係の現実を捉えつつ、これまでになく複雑な連立方程式を解きながら進んでいくような世界ですね。
藤原:そう思います。難しさが表に出た分だけ、取り組みやすくなったとも言えるでしょう。
白井:本日はお忙しいところありがとうございました。
藤原:こちらこそありがとうございました。
今回は、国際政治をご専門とされる東京大学藤原教授に、国際秩序の変化から通商政策でのパワーバランス、イノベーションまで幅広くお話を伺いました。貿易立国である日本が、貿易自由化を巡る諸外国の動きを背景にどのようなスタンスをとるべきか、というお話は大変示唆に富むものでした。また企業としてもデジタル時代において米中両国と日本の産業技術を生かした共同開発の方向性を考える重要性を改めて実感いたしました。