研究活動などを通じ構築したネットワークを基に、各分野のリーダーや専門家の方々と対談
経済、地政学、安全保障の相互関係が高まる「ジオエコノミクス時代」。米国への一極集中から多極化へ世界経済のパラダイムが移行し始め、構造的な景気低迷、格差の拡大など、さまざまな問題が影響を及ぼしています。今回は、ボストン コンサルティング グループ(BCG)の前日本代表、現在シニア・パートナー&マネージング・ディレクターの御立尚資氏をお招きして、ジオエコノミクスの視点から今後のグローバルな事業環境と経営戦略を考えていきます。
ボストン コンサルティング グループ シニア・パートナー&マネージング・ディレクター
1957年、兵庫県生まれ。79年、京都大学文学部卒業、日本航
空入社。92年、ハーバード大学経営学修士(MBA with High
Distinction)。93年、ボストン コンサルティング グループ入社。
2005年~2015年、同社日本代表を務めた。
経済同友会副代表幹事、同 観光立国委員会委員長、国連世界食糧計画WFP協会理事、京都大学経営管理大学院客員教授を務める。
著書として、『戦略「脳」を鍛える~BCG流戦略発想の技術』(2003年、東洋経済新報社)、『使う力』(2006年、PHPビジネス新書)、『経営思考の「補助線」』(2009年、日本経済新聞出版社)、『変化の時代、変わる力』(2011年、日本経済新聞出版社)、『ジオエコノミクスの世紀~Gゼロ後の日本が生き残る道』(2015年、
日本経済新聞出版社)(共著)ほか、多数。
白井:いま世界は、経済が地政学的リスクや安全保障と密接に関連する「ジオエコノミクス」時代の様相を強めています。御立さんとユーラシア・グループのイアン・ブレマー氏の共著『ジオエコノミクスの世紀~Gゼロ後の日本が生き残る道』(2015年、日本経済新聞出版社)を大変興味深く、共感を持って読ませていただきました。20世紀末から今日までを振り返ると、世界貿易機関(WTO)や欧州連合(EU)のように、世界は個別の国の利益を超えた、理想主義を抱き進んできました。近年はグローバリズムやリージョナリズムの掲げた理想に対して、各国のナショナリズムが前面に出ているように感じます。現在の世界をどのように捉えておられますか。
御立:いわゆるポストモダンと言われた時代、すなわち国民国家(ネーションステート)が覇権を争っていた時代からEUのような地域共同体が構築され、さらにWTOのような世界規模の機関も生まれました。デジタル化が進み、世界は一つという「ワールド・イズ・フラット」が意識されたのが冷戦後です。ソビエト連邦が崩壊し、ロシアが米国にとって大きな脅威ではなくなりました。ソ連崩壊が東欧諸国をEU寄りにしたことも要因の一つです。ソ連崩壊以降の世界は、米国という“スーパーポリスマン”が世界の安全保障を担うことを前提としていました。これは上部構造と下部構造と考えると分かりやすいかもしれません。下部構造、OSのようなものとしての安全保障があると、その上で、いわばアプリケーションのような活動を、より効率よくやっていくことができる。ところが、現在、その下部構造が米国一極集中、「パックス・アメリカーナ」から多極化へ移行しつつあり、その影響も出始めています。これから21世紀後半に向けて、人口も経済も多極化します。米国、中国、インドの三極と、後はEUが一極として残れるかどうか、という世界になるでしょう。米国とEUは政治体制や安全保障の考え方も何とか今のところ整合性が取れていますが、中国とインドは不透明です。一極集中から多極化へパラダイムが移行する途中なので、どのような落ち着き方をするかは見えません。何が起こるか分からない世界で、各国が自国の利益を守ろうと考えます。こうした中で、特に中国の経済的な躍進がさまざまな形で影響を及ぼしています。梅棹忠夫さんが1957年に発表された『文明の生態史観』には「ユーラシアの帝国が築かれては、やがて滅ぼされ混沌とする。これを繰り返している」という内容が書かれており、いま読み直しても面白さを感じます。中国、インド、イランのようにかつて大国であった記憶が残る国は、米国が世界のポリスマンでなくなるなら、自らが再び帝国を築けると考えます。中国はもちろん、インドも本音はそうでしょう。イランやトルコの覇権を意識した動きにもそれは表れています。ロシアも自国だけが取り残されるわけにはいかないと考えるでしょう。こうした動きはどんどん拡大しています。一方で、争いから落ちこぼれた国、リビア、イラク、イエメンのように政府が機能していない破綻国家も出ているのが現状です。今は大きなパラダイムとパラダイムの間の不安定な時期なので、帝国的思想やレガシーが人々のセンチメントに強く現れている気がします。
白井:ジオエコノミクス時代の背景には中国の台頭があります。最近話題の『China2049』*を読むと、中国は中華人民共和国建国100周年に当たる2049年までに世界のリーダーの地位を米国から奪取するために、長期的な国家戦略のもとに経済、軍事の強化に取り組み、プレゼンスを高めてきたことが分かります。一方で、中国の経済成長により欧米や日本の経済が潤ったのも事実です。高速成長を続けてきた中国は「新常態」を掲げ、成長スピードを下げ、長期的に持続可能な成長のための構造改革に取り組んでいます。中国はさまざまな課題を克服しつつ、米国と並ぶ大国として影響力を高めていくことができるでしょうか。
御立:英国の経済学者アンガス・マディソン氏の研究によると、農業革命後のGDPはどの国も1人当たり400ドル程度に収斂したと考えられています。それに対して、産業革命後の工業社会では1人当たり1万ドルを超えます。ケタ違いの差が出るのが工業社会です。中国は大国としての存在感を増していますが、まだ「工業社会化」を十分成し遂げていません。総人口は大きいので、「工業社会化」に成功し、1人当たりGDPが拡大すればさまざまな可能性が見えてきます。ただし、それには多くの課題を乗り越えなければなりません。日本の1950年代から70年代を振り返っても、公害対策など問題が起こるたびにモデル変更を重ねてきました。同じような道を中国も通らざるを得ませんが、ある程度の工業社会をつくり上げることはできるでしょう。紀元1000年、1500年の農業社会の時代も、第1次産業革命後の1820年においても、中国とインドのGDPを合わせると世界の5割を占めていました。圧倒的な大国であったのは確かです。それが植民地支配によって1950年ごろには両国合わせても世界の7%まで下がりました。
欧米に続き日本のGDPが上昇したのに対し、中国は非常に苦しい経済状況が続きました。リバランスに向かう動きは止まらないでしょうが、それが永続的に進むのか、想像以上に早く成熟社会に行き着き停滞するのか、どちらかに分かれます。GDPを支える人口変動を見ると、中国は生産年齢人口がすでに減り始めており、2030年代には人口全体も減り始めます。日本が21世紀に入って苦しんでいる問題に中国は豊かな社会に到達する前に直面します。西欧や日本の高齢化は先進国入りした後ですが、中国は貧富の差がまだ大きい段階で人口減少が始まるのですから、政府は焦りを感じているはずです。
白井:報道では米国主導のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)と中国が主導する一帯一路(海と陸のシルクロード構想)が対立構造として捉えられがちです。一方で、現在交渉中の米中投資保護協定のように、少なくとも経済面ではしっかり手を握り、実利を求めて関係強化を進める動きもあります。両国の主義主張は異なりますが、今後どのような相互関係を構築していくとお考えですか。
御立:いろいろなシナリオが考えられますが、短期的には米中両政府のポリシーで緊張関係の度合いは決まります。極端に言えば米国大統領選挙の結果次第です。経済面では、双方にメリットのある関係を築こうとするのは間違いありません。例えば英国・米国・中国主催で科学技術サミットを実施するような協力関係もみられます。要は軍事以外での協力関係です。一時的に関係が冷え込んだとしても、できる限り協力していかなければ米国・中国ともに国力低下を招きます。池の中の鯨とまでは言いませんが、非常に大きな魚が池全体を枯らすわけにはいかないので、お互いに協力できるところは協力するスタンスを崩さないでしょう。米国一極集中から多極化へ移行していくにせよ、米国は自国の安全保障が緩む形は受け入れないはずです。中国は、どこまで踏み込めば米国が本気でスーパーポリスマンに戻るのかを見極めようとしています。南シナ海の問題も、安全保障の瀬踏みをしている状態と捉えています。米国と中国の外交関係に絡んで難しい立ち位置にいるのが日本です。日本は中国との関係だけ
でなく、北朝鮮との問題もあります。欧州では、アジアインフラ投資銀行(AIIB)設立の際に最初に英国が参加を表明し、その後各国が続きました。ドイツも以前から中国との経済協力に積極的です。安全保障に強く関わらない限り現在のEU各国の方向性は変わらないでしょう。
白井:欧州と中国の経済関係は今後さらに深まっていくのでしょうか。欧州と中国との結びつきが強まれば、戦後の世界の安全保障を支えてきた米国と北大西洋条約機構(NATO)との関係に
も影響が及ぶのか、あるいは経済と安全保障のすみ分けをきちんとできるのか、どのようにお考えですか。
御立:経済は経済、安全保障は安全保障と切り分けて考えるインセンティブは、米国、欧州、中国それぞれにあると思います。最終的に重視するのは、自国の経済的な利益を自らの意思で守れるかどうかです。20世紀型経済モデルでは「市場アクセス」と「エネルギーアクセス」の確保が自国の経済的利益を守る上で非常に重要でした。現在重要な「市場アクセス」とは、最先端のデジタルなどの戦略的領域だと思います。「エネルギーアクセス」は、今後の技術革新で化石燃料に依存しない低コスト社会が実現するかどうかで未来が変わります。成功すればエネルギー安全保障に頭を悩ます必要がなくなり、経済の相互関係が良好に進む可能性もあります。
白井:冷戦終結後の欧州は「平和な時代」が続いてきましたが、最近はロシアのクリミア併合に象徴されるような「東からの脅威」、シリア内戦・難民流入に代表される「南からの脅威」に加えてギリシャ経済危機、英国のEU離脱など「内なる脅威」に直面しています。EUの将来をどのように捉えておられますか。
御立:EUはいずれ、7:3の確率で分裂の危機を乗り越え、発足時の理想に戻ると思いますが、落ち着くまでに10年ぐらいはかかるでしょう。そもそもEU発足の背景には三つの要因があります。一つ目は、フランスとドイツが対立し、繰り返し戦争を起こしてきたことに対する反省です。2国を中心に手を結び、欧州を再び戦乱の地にはしないという思いがありました。二つ目は、古代ローマ帝国や中世のハプスブルグ家のような、文化精神が一致していたことです。三つ目は、当時の欧州経済は米国に大きな差をつけられていたので、経済的利益を得られるよう各国が手を組む必要がありました。今のEUは二つの問題を抱えています。一つは、ドイツの1人勝ちとなっていることです。通貨統合をしても財政統合はしないという矛盾によって、結果的にドイツだけが実質的に通貨安と同様の恩恵を受けることになり、強い競争力を持つことになりました。圧倒的な貿易黒字ですから、周りの国々は非常に厳しい状況にあります。最初に申し上げた10年というのは、この議論やリバランスにかかる年数です。もう一つはエイジングの問題です。ドイツは、人口増による経済的メリットが得られるという判断で難民を受け入れています。この政府の姿勢に対し、職を追われた人々が高い失業率の改善を訴え、難民受け入れに反対しています。難民問題の議論は続いていますが、将来は人口が減少しても、ある程度成長が見込めることを考える必要があります。この課題に対して、いわゆる第4次産業革命の動きが拡大しIoTが1人当たりGDPを押し上げる時代が10年後に来る、と個人的には確信しています。歴史を振り返ると、電力と大量輸送分野の革新で工業社会化が進み、急激に世界市場のパイが大きくなりました。豊かになり、人口が増え、平均余命が伸びました。残念ながら、ITは今まで、このレベルの生産性上昇は果たしていません。ITによる生産性上昇はゼロという議論も出ているほどです。「1人当たりGDP400ドル」から、工業社会化により「1人当たりGDP1万ドル」に伸びた話をしましたが、例えば現在の日本の1人当たりGDPが4万ドルとして、ITにより6万ドル、10万ドルという時代が訪れたときに、もう一度さきほどのような議論が出てくるのだと思います。そこまでは、まだ少しぎくしゃくするのではないかと思います。
白井:世界経済は先進国の比率が低下し、中国、インドなど新興国の比率が上昇しています。米国は2015年12月にようやくゼロ金利を解除しましたが、デフレ脱却に苦しむ日欧はマイナス金利を続けています。需要不足が続いて投資が増えない現状は、先ほどのIT革命の評価にも関連すると思います。元米国の財務長官で現在ハーバード大学のローレンス・サマーズ教授が指摘した先進国の長期停滞論も広がっており、現在の低金利状態を「ニューノーマル」と主張する人もいます。IoTなどの新たなイノベーションで、長期停滞を克服できるとお考えですか。
御立:正しくはイノベーションを起こさないと、長期停滞の克服は難しいと言えます。21世紀後半から末にかけて、世界中の人口が減少し始めます。新興国の工業化に依存した世界GDPの成長も次第に行き詰まることが目に見えています。こうした状況を本質的に打ち破るためには、IoT、ICTが生産性を上昇させることが不可欠で、個人的には実現できると思います。1990年代から2000年代初めにかけて、BRICsの成長が世界経済をけん引しました。その一方で、日本、米国、欧州が貨幣供給を拡大し続ける金融政策を実施した結果、企業の新陳代謝が低下しました。ある程度豊かな国になると、政治的にも新陳代謝を促すことが難しい環境になります。ただ、米国はある意味暴力的と言えるほどの資本主義の力が残っており、新陳代謝が起こります。ドイツも「シュレーダー改革」で労働移動が可能になり、新陳代謝を促進しています。北欧は福祉に多額の資金を注いでいますが、新陳代謝も行われており、経済には元気があります。ドイツ、北欧以外の西欧諸国と日本が新陳代謝できず低迷している状況です。長期停滞克服にはイノベーションが不可欠ですが、それには資本や人材が柔軟に移動できる新陳代謝のメカニズムが必要です。日本、ドイツを除く西欧諸国、これからの中国も含め、政治、教育、社会的セーフティネットなどの面からイノベーションによる新陳代謝を促すことで、生産性上昇を実現できると考えます。
白井:先進国だけでなく、中国など新興国でも、格差拡大が大きな社会問題となっています。米国では2011年にオキュパイ・ウォール・ストリート運動が起こりました。今年の大統領予備選挙でも、バーニー・サンダース氏が格差是正を訴えて予想以上に支持を伸ばしました。格差問題が深刻度を増しているにもかかわらず、どの国も解決への糸口が見えません。安定した社会はビジネスの重要な前提条件ですが、格差が社会の安定を揺るがしています。今後改善に向かうのか、さらに深刻化するのか、また各国の社会に与える影響についてどのようにお考えですか。
御立:格差は、税を踏まえた分配政策とパイの大きさの問題と考えます。パイがどんどん大きくなっているときは、格差が気になりません。よく邦画の『ALWAYS三丁目の夕日』を例に出すのですが、あのころは昨日よりも今日、今日よりも明日が良い時代でしたから、頑張れば次の世代にはもっと生活が良くなる、子どもたちにきちんと教育を受けさせれば将来豊かになれると親は信じていました。税制も絡みますが、米国も中国も教育格差が世代を超えた貧困の根底にあります。この「世代を超えた」が大きな問題です。日本は、絶対値としての貧困の問題がありますが、私自身は格差が大きいとは捉えていません。なぜなら日本は社会主義的とさえ言える税制になっており、ある程度までの資産なら3代も続けば相続税でなくなる仕組みだからです。つまり格差が「世代を超える」ことがありません。BCGの調査では、上位富裕層が保有する金融資産の割合は先進国で4割、5割あるのに対し、日本だけが2割台です。日本の格差は相対的に小さく、大金持ちでも世代を経れば資産が減少します。日本のような税制は米国にも中国にもありません。多くの国で富裕層は既得権を持っているので、政治的に現在の仕組みを壊せるかが格差問題解決の鍵を握ります。各国とも、残念ながら分配政策やパイの大きさに関わる根本の議論はなされていません。一方で日本の貧困問題は、ソーシャル・セーフティネットや教育システムなどに手を入れ新陳代謝を上げていけば改善できるはずです。
白井:2015年は、リーマンショックの2008年以来、初めて世界の1人当たりGDPが減少しました。ドルベースですからドル高の影響もありますが、それでも久々の減少です。それだけグローバル市場でのビジネスが難しい環境になっています。ジオエコノミクスの時代、日本企業がさまざまなリスクをコントロールしながら成長を続けるには、どのような視座が重要とお考えですか。
御立:ポイントは二つあります。一つは海外での事業展開です。海外事業を考える際、10兆円規模の企業なら世界のGDPとのリンクは避けられませんが、数千億円規模の企業では必ずしもリンクさせる必要はありません。2000年代の前半までは新興国で稼げるかが企業の成長を左右しました。中国事業でしっかりもうけを出した企業と、それができなかった企業との間に大きな差が出ています。これから先は、中国で成功すれば勝ち組というわけではありません。再び先進国でのビジネスも視野に入れるべきでしょう。地域バランスとしては、米国のポートフォリオを高めることをおすすめします。一時はリスク回避のために「チャイナ+1」でASEANが注目されたのですが、グローバルなリスクがこれだけ高まると今までのようにはいきません。経済も強く安全保障のリスクも低い米国で事業を伸ばせるかが鍵となるでしょう。米国市場はオープンで競争は激しいですが、成功すれば業績に大きく貢献します。もう一つのポイントは、イノベーションです。これからの10年はイノベーションの時代です。日本では医療・介護、観光を含むサービス分野で確実に需要が増えるでしょう。問題は生産性、特に労働生産性が低いことで、これを解決できれば、大きなマーケットとなるのは確かです。2025年に向けて団塊の世代が医療好適期に入ってきます。病院や介護施設などのキャパシティ不足は明らかですから、これらの問題をマネジメントするソリューションを提供する必要があります。日本で良いモデルを築いた後は、高齢化が進む中国や欧州などで事業展開が可能です。「課題先進国」という言葉は好きではありませんが、日本ならではのモデルを世界に先駆けて提供できれば大きなチャンスが生まれます。もちろん、各国で医療保険や薬事規制などが異なるので簡単にはいきませんが、そこでモデルをつくれれば、特に省人化、省力化、生産性向上で圧倒的な力を持てます。変化する社会のニーズをつかんでいける企業は伸び代が大きいのではないでしょうか。
白井:中国市場は固有の難しさはあるものの、従来の製品で事業展開できる部分もありました。今後は、イノベーションの代名詞のような米国市場が主戦場となるとすれば、経営者は経済的・地政学的リスクに目配りしつつ、米国市場への新たな挑戦も含めて成果を上げなければならないということですね。これからの企業リーダーは大変難しい役割になると思いますが、求められる資質や能力についてお聞かせください。
御立:今の事業環境では、複数の時間軸を持つことが求められます。四半期決算を重視する制度には疑問を感じますが、少なくとも1年単位では結果を出し続けなければ資本市場に相手にされなくなります。ただし、1年の時間軸だけでは中期的な投資はできません。1年先を見据えると同時に、3年後、5年後のビジネスに投資することが必要と思います。裏を返せば、資本市場にまだ実体化していないものにお金を使うことを認めてもらう必要があるわけです。不確実性の高い時代にこれを可能にするのは、「トラックレコード」と「構造改革」です。収益実績のトラックレコードがあり、投資余力があり、バランスシートが健全であること。変化の速い時代になればなるほど、他社より沈まない体力を持たなければ先への投資ができません。100年の計で人口問題がどうなるのか、30年の計で多極化に向けて何が起こるのか、ソーシャルニーズがどのように変わっていくのか。これらに目を配りつつ、3年から5年後に利益を出せる事業に資源配分することも重要です。このように考えると、ビジネスリーダーは常に矛盾する複数の物事を見る能力を持つことが大切です。複数の時間軸を持つために、足元の技術や科学の変化に着目するのと同じくらいの力をかけて、歴史やリベラルアーツを通じて根本的なものの見方を探求していくリーダーが勝ち上がっていくのではないかと思います。
白井:日本企業全体では、金利ゼロにも関わらず預金だけが積み上がり、投資の勢いがありません。企業は、未来を信じることができず、投資してリターンを得るよりキャッシュを持つほうがいいと判断しているようにもみえます。このギャップをどう捉えますか。
御立:ビジネスリーダーに必要なコンセプトは、リスクアドバンテージだと考えます。リスクアドバンテージとは、競争相手より少ないリスクで同じリターン、あるいは同じリスクで高いリターンを得ることです。リスク100でリターン110を市場の平均値とした場合、リスク100でリターン150を得る人もいれば、リスク80でリターン110の人もいます。例えば中東でビジネスをする際、契約ノウハウを持つ会社なら80のリスクで済むのに、契約ノウハウがない会社は150もリスクを取るケースが見られます。金融機関の経営幹部は、資本とリスクがビジネスに密接に結びついているので、みな、同じリスク量でどうビジネスでより高い成果を上げるかを日々考えていますが、一般企業はそのようにリスクをとらえていません。リスクが発生しても金融資産と違って工場の売却は簡単にはできません。リスクゼロを求めるあまり、投資の手が止まってしまいがちです。ビジネスリーダーには、「競争相手よりリスクアドバンテージがあれば、中長期的な勝ち組になれる」と信じる意識が必要と感じます。今はパラダイムシフトの時期で巨額の設備投資をするステージではありません。必要な投資とのバランスを見ながら資本市場に還元することも重要と考えます。単に自社株買いだけでなく、バランスシートをよく吟味した上で慎重な判断が必要です。IoT、AIがこれから10年で世の中を変え始めるとみていますので、そうした分野への研究開発投資や、何が勝ち組になるかわからないなかで、ベンチャーやアントレプレナーのようにビジネスモデルの実験に投資することも有効だと考えています。
白井:例えば、自動車産業と言えば車の製造・販売でしたが、自動運転、自動走行やカーシェアリングが一般的となり、将来は車を個人が保有する必要がなくなるかもしれません。そのような将来の可能性を考えると、ますますどこへ投資するべきか悩むことになりそうです。
御立:自動車産業も研究開発と実験への投資が重要と思います。例えばトヨタにはさまざまな将来像に向けたシナリオがあり、それぞれに関連して小規模の企業に投資しています。超大型の投資は、既存事業での企業買収に使うか設備投資が基本です。グローバルに事業展開する企業は、ある程度、先を見通せる部分ではM&Aを手がけています。一方で、大型の設備投資はあまりやらない時代に入っている気がします。例えばファクトリー・オートメーションにおいて、プロセスのデータを活用した生産システム改革を行うにしても、今は、理想的な姿を高い確度で見通すのは難しい段階です。10年たったときには陳腐化してしまう可能性もあるので慎重に判断していかなければなりません。一方、データアナリストやデザインプランニングを含めたAIの技術者の育成や、AIの普及で職種が変わってしまう従業員の再教育などの教育投資は、金額はそれほど大きくないにしても、圧倒的に不足しているのではないかと思います。先行きが見えない、しかし見えたときにボトルネックになるのは今やお金ではなく「人」です。日本企業は工場よりIoTで多能工化するための人材投資を進めるべきでしょう。先端の技術やノウハウを学ぶには、グローバルな先端地域を活用する必要があります。やはり最先端技術が集まる米国のシリコンバレーにいくのが最適です。中国やインドも技術レベルが向上し、量産しやすい環境になっていますが、最先端となると圧倒的にシリコンバレーだと思います。
白井:最後に御立さんのプライベートについて少し伺いたいと思います。長年にわたりビジネスの最前線で活躍してこられましたが、判断や意思決定の際に大切にされる基軸、信条といったものがあれば教えていただけますか。
御立:私は根っからのコンサルタントですので、常にユニークな着眼点を持ちたいな、と心がけています。先進事例を学んだり、ほかの人の考えをキャッチアップしたりばかりだと、ユニークな着眼点ゼロで分かった気になってしまいます。普通の目線ではなく、ほかとは違う着眼点を提供できるかが勝負と思います。『ジオエコノミクスの世紀』をイアン・ブレマー氏と執筆したときも、彼のポリティカルアナリストとしての見方から、いろいろ勉強をさせてもらいながら、私も経済の主体側はこう動くはずだという見方やアジア的な歴史観からユニークな着眼点を提供できればと思いました。
白井:お仕事柄、出張が多く世界を飛び回っておられると伺っていますが、リフレッシュ法や趣味などをご紹介いただけますか。
御立:グローバルな世界でユニークな着眼点を持ち続けるためには自分の根本がとても大切という思いから、日本の文化や歴史の勉強を趣味にしています。最近は仏教の勉強も始めました。例えば「色即是空、空即是色」という言葉が持つ意味は、「物事の実態は関係性の中にある」という関係論ですし、生命を成り立たせている力を命と呼び、これを仏教では縁起と言います。これらは、どこか最新の生物学や物理学につながる話です。こうして趣味が思いがけず着眼につながることもあります。古いものや考え方には、最新のものの見方につながるものがたくさんあるのです。ある先生から、日本の仏教は「仏教がインドから中国に入り、教義が哲学としても非常に高度になった。その段階のものを空海と最澄が持ち込み、その上につくりあげた側面がある。その後中国で仏教は苦難の時代を迎えることになるので、ある意味日本仏教は最先端を極めている」と教えていただきました。お茶も習い始めまして、ある年齢になってからは仕事と異なる分野、日本的な物事に興味が湧くようになりました。おいしい日本酒を飲むために、日本国内を歩いて回り、蔵まで足を伸ばすこともあります。こういうことがリフレッシュになり、結果的に仕事にも役立っています。
白井:本日はお忙しい中、いろいろなお話をお聞かせいただきありがとうございました。
御立:こちらこそありがとうございました。
※本掲載内容は、2016年6月8日実施のインタビューに基づいたものです。
今回は、世界的なコンサルティング会社であるボストン コンサルティング グループの前日本代表、御立さんから、ジオエコノミクスの視点から見た世界の動きと企業経営について、わかりやすくお話いただきました。世界が米国の一極集中から多極化へパラダイムシフトし、今後の展開が不透明な中で、各国が自国の利益を守る動きを強めていること、また、先進国における長期停滞を克服するためにはイノベーションが不可欠ですが、それには資本や人材が柔軟に移動できる新陳代謝のメカニズムを作らなければいけないというお話は示唆に富むものでした。