研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2006年1月18日
最近著者と直接話す機会があったので、その感想も含めて記憶が新しいうちに書評に記しておこうと思う。耳の痛い話ばかりだ・・・と思う。
その時、林先生から「LEARN」、「STUDY」、「RESEARCH」についての講義を直接聴くことができた。最近、とんと無神経になっている自分を、まるで見透かして、見限るかのように、右上段からバッサリやられた。この本によると、自分は既に研究者ではないようだ。本書は、この基本的なコンセプトに関する事項がそこかしこに散らばっている。本書はある意味で読み手を選ぶのかもしれない。なぜ、著者が本書を残そうとされたのか、興味がある方とぜひ議論したいと思う。
さて、今回の書評のテーマは「組織」であるが、この著書は「研究者集団」という組織を構成する人材の資質・適性と、組織における位置付けに言及している。言い換えれば「研究者の生き方」について論じているので、テーマの範疇に属するものとして今回紹介することとした。
まず、著者が取りあげている対語を2つ程紹介しよう。
著者は、研究者を「自身の身体を積極的に動かして、研究という知的な仕事に直接的にぶつかってゆく仕事師」と定義している。そして、これを英語で表現するとResearch Workerとなり、イメージがピッタリと重なる。自分はWorkerなのだと再認識する。言い換えれば、研究者は、職業として各種の研究活動に従事する人となる。詳細と「学者」については、第I部第2章を参照戴きたい。
第II部第1章の冒頭から、著者は「プロ」と「アマ」の違いについて言及している。とても面白い表現があるので紹介しようと思う。「上手になるほどお金を稼ぐことのできる者」が「プロ」で、逆に「上手になればなるほど、出費が嵩む者」が「アマ」と呼んで区別できるのではないか、と示唆している。また、「プロ」は、決してタダで働いてはいけない。そして、「アマ」はアマチュア芸で決してお金を受け取ってはいけないと記している。「アマ」はあくまでも無報酬のボランティアに終始しなければならない。そうでなければ、「プロ」に転向するべきだとしている。「プロ」に転向すると、その発言に「責任」が生じ、信頼を失えば、同時に「職」を失うことになる。「プロ」とは厳しい世界だ。当然のことながら、著者の言う「研究者」は「プロの研究者」を指している。
この部分についてはまったく著者に同感であり、読んでいるうちに「アマ」とは「わがまま」が訛ったのかなどと、善からぬ発想をしてしまう。
本書の中に、特に興味を引く小題がある。例えば、「研究者は管理職に就くことを望むな」、「研究者に定年はない」、「ボンヤリしている人に『閃き』は訪れない」などがある。第III部第6章「研究の過程、成果の発表の内容」では、あたかもゼミで尊敬する教官から伝承されるような事項が記載されており、研究者の姿勢を再認識させられる。
本書には、「コンサルタント」という単語は出てこないが、「プロの研究者」と「プロのコンサルタント」は近いコンセプトだと思う。両者とも「アマ」が容易に存在する点は、全くの共通事項だ。
また、本著の後半に「研究者集団が、外向けに情報を発信する場合、専門外の人たちに、自分の関わっている物事を、判り易く興味深く話すことは極めて大事なことだが、それにはやはりそれなりのコミュニケーション技量と工夫が必要で、誰にでもそれに巧くを期待することはできない。我が国の研究者達には、とりわけそういった努力が欠けていると思う」と書かれている。これは、研究者としてのプロ意識の欠落を指摘しているのであろう。この点も「コンサルタント」の資質に共通する事項である。
最後に著者のメッセージとして、次の一文を伝えたい。
「研究者は、自分で深く知恵を絞って考え、自分で知恵を働かせて研究上の本質的な問題を探すことにもっともっと多くの力を注ぐべきだ。」
本当に共感するメッセージである。第3章は、著者の経験を通じてこの課題に触れている。これが出来なければ、研究者という仕事から離れるべきだと思う。
この本を読むと、「研究者」を職業とすることがとても大変で、「プロの研究者」になるには、素質に加えて自分には適性がないのではないかと考えてしまう。自身の職業を考える良い機会を与えてくれる良書に違いない。