研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2019年6月10日
信頼は、私たちの日常生活において必要不可欠なものである。例えば個人や企業間の取引は、信頼を前提とした契約で成り立っている。そのため、新しく取引を開始する場合、取引相手を信頼できると判断するまでに、時間とコストをかけて調査することが必要となる。取引相手が企業の場合、企業格付けや信用調査、現場確認などが信頼の主な根拠となるが、入手可能な情報が限られている個人や新興企業の場合、信頼できると判断して取引を開始するには、さまざまなハードルを越えなければならない。しかし近年、UberやAirbnbを介した個人間での直接的なデジタルサービス取引では、これまでの常識とは異なる形で信頼に関わる情報が収集・蓄積され、それらの情報を基に、取引が成立する例が多くみられるようになっている。個人・企業間の信頼構築の在り方の変化の方向性とそのインパクトを注視する必要性が高まっている。
本書の著者であるレイチェル・ボッツマンは、前作“What’s Mine Is Yours: The Rise of Collaborative Consumption(邦訳『シェア』)”において、Uber、Airbnbなどがまだ無名の2010年に、シェアリング・エコノミーの到来を予見し、タイムズ紙の世界を変える10のアイデアに選ばれた。2013年にはWEF(World Economic Forum)のヤング・グローバル・リーダーにも選ばれ、現在も幅広く活動している。そんな彼女は、今まさに信頼構築の在り方がデジタル化や技術の進歩によって変わりつつあると指摘する。
著者はまず、「信頼とは結果の予想であり、物事がうまくいく可能性が高いと期待すること」、あるいは「既知のもの(確実なもの)と未知のもの(不確実なもの)のすき間を埋めること」と定義している。
信頼は三段階で進化してきたと本書は指摘する。第一の段階は昔から存在した「ローカルな信頼」である。これは、小さなコミュニティの中で暮らし、全員が顔見知りであるといった、親密な付き合いによって構築される。全てが既知のものであり、未知のものはほとんど存在しない状態において構築される信頼である。第二の段階は、「制度への信頼」である。産業革命が進展し、都市への人口集中が進むにつれて、全ての人と親密な付き合いをすることが物理的に不可能となった。そのため、人々は契約や法律といった仕組み、企業ブランドなどの権威などを媒介し相手の信頼性を判断するようになった。親密な付き合いに比べ人々にとっては見えにくいものだが、このおかげで小さなコミュニティを超えた取引が可能になった。
ところが最近、金融危機を招いた金融機関やそれを防げなかった政府当局・専門家への不信の高まりや、パナマ文書に代表されるような権力を持つ人々の不正が明らかになってきたことで、制度そのものへの信頼が揺らいでいる。著者は、そのような「制度への信頼性のゆらぎ」に対応する形で、第三の信頼の形態が登場しつつあると指摘する。第三の形態とは、多数の個人の経験や評判などの多様な情報を共有し、相互評価することによって、自分にとって未知の相手の信頼性を判断するという「分散された信頼」である。この「分散された信頼」は、インターネットやSNSの普及などによって、情報拡散スピードが格段に高まる中、爆発的に利用が広がりつつある。
「分散された信頼」において最も重要とされるのがレーティング(評価)である。レーティングは単純に点数をつけるものもあれば、「いいね!(LIKE)」の数、コメントなどの形で表現される。例えば、レストランや美容院を選ぶ際、また本や家電などを購入する際、今日多くの人がインターネット上のレーティングを参照するだろう。レーティングの評価が高い、好意的なコメントが多い、「いいね!」の数が多いことは、それだけ社会から信頼を得ていることの傍証となりうる。さらに、最近ではユーザーからサービス提供者への一方的な評価だけではなく、ユーザーの評価を他者が評価したり、サービス提供者がユーザーを評価したりする取り組みも広がっている。Amazonではレビューが参考になったかどうかを評価する仕組みがあり、Uberではドライバーと利用者、Airbnbであればホストとゲストが互いを評価する。こうした双方向の評価は、お互いの責任感を強める。サービスを提供する側はサービスの質の向上に努め、サービスを受ける側も望ましくない行動、例えば車内で横柄な態度をとったり、宿泊場所の洗面所を汚くするようなことを避けたりするなど、他人に対して感じ良く接しようとする動機を生みだす。この評価方法は、マナーが悪い、サービスの質が悪いなどトラブルに遭遇するリスクを軽減させ、会ったことがない他人とのつながりの可能性を広げうる。
一方で著者は、こうした「分散された信頼」がもつ二つの課題を指摘する。一つは、結果に対する責任と損害に対して補償する主体が曖昧な点である。全くの他人同士が取引しようとする場合、彼らはサービスの提供者とユーザーをマッチングさせる仕組みを利用することが多いだろう。しかし、そうした仕組みを提供する企業は、自分たちはあくまで「場」を提供しているだけであり、そこで提供されるサービスの品質の保証や、そこで生じた損害に対する責任は、提供者が負うべきであると主張する。確かにその通りであるが、提供者が個人の場合、企業に比べて発生した損害を補償する能力が限定され、被害者が十分に救済されないことも考えられる。本書はレーティングの高いUberドライバーによって6人が殺害された「カラマズー事件」*1を例に挙げて、「場」を提供するという仕組みだけでは信頼の確立は不完全であると述べている。
もう一つの課題は、「分散された信頼」を用いたサービスを提供する企業が社会的に影響力を持ちやすいという点である。「分散された信頼」は、多数の個人によるレーティングで支えられているが、そのための「場」を構築できるのは、資金・人的リソースを持つ企業などの組織に限られる。特に、レーティングの質や安全性を担保するという理由のもと、膨大な個人情報を収集する点についての懸念が高まっている。例えばFacebookは、一国の選挙に影響を与えると考えられるほどの巨大なメディア企業となった。投稿されたニュースは、たとえそれがフェイクニュースであっても、多くのユーザーによって「いいね!」されることで、中身がよく確認されないまま「信頼」されてしまう*2。また、Uberでは、同社幹部が自社に批判的なジャーナリストに対して、サービスの質や安全性確保に使用されるべき個人情報や位置情報を、スキャンダルを探す目的で使用すると脅したことが報道され、大きな批判を浴びた。
以上のように本書は、「分散された信頼」が急速に広がる中で、その信頼に基づいて発生する取引に対する責任の曖昧さと、「場」を運営する組織への権力集中という新たな課題が浮き彫りになってきた点を指摘している。著者は、こうした課題に対していまだ明確な解決策はないとしつつも、「場」を提供する企業には、取引の結果発生した問題に対応する責任の明確化や、評価の仕組みの公開が必要であると述べている。
例えば、レーティングが完全なシステムではない以上、「場」を提供する企業は、レーティングの信用性を高めるため点数の水増しを検知・削除するなどの施策を継続するとともに、リスク対策として、サービス提供者に対して損害保険への加入の義務付け、オペレーターによるトラブル対応、緊急事態の把握および関係当局へ速やかに連絡できる体制構築などにより取引責任を果たしていくことが求められるだろう。
また、今後レーティングの重要性が増す以上、その仕組みがブラックボックス化することは、ユーザーに対して情報の非対称性を引き起こし、「場」を提供する企業の影響力をさらに高めてしまうことになりかねない。レーティングの算出根拠、情報管理体制について、「場」を提供する企業が第三者の要請に応じて情報開示を行うといった制度、ルールの整備が重要になると評者は考える。
シェアリング・エコノミーの到来によって、私たちはサービスを利用するだけではなく、サービスの提供者にもなる可能性が高まっている。サービスの提供者と利用者をつなぐ「場」や「分散された信頼」は非常に便利であるが、本書が述べる通り、必ずしも取引の安全を保証するものではない。そのため、今後「場」や「分散された信頼」を利用する人が増えるにつれて、安全の不完全性を補完するような制度や仕組みのニーズが一層拡大すると考えられる。本書は、シェアリング・エコノミーの拡大によって求められる社会制度や新しく生まれる事業機会を考える上で、さまざまな示唆を与えてくれる一冊となっている。ぜひとも一読をお薦めしたい。