研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2006年10月3日
長谷川滋利選手は、1991年から1996年までの6年間オリックス・ブルーウェーブでプレーした後、米国に渡り、1997年から2005年までの9年間メジャーリーグでプレーしたプロ野球選手である。同時期にメジャーリーグで活躍した日本人選手は、野茂選手のフォークボール、伊良部選手の剛速球に代表されるように、いずれも超一流の才能を持っていた。一方で、長谷川選手には、そういったフィジカル面での目立った才能はなかった。そんな長谷川選手が何故、9年間、世界最高峰と呼ばれるメジャーリーグで活躍できたのか、その理由を本人が自身の言葉で語ったのが本書である。
長谷川選手は、超一流の才能に恵まれているわけではなかったにもかかわらず成功した秘訣は「アジャストメント」(環境への適応)にあったと、本書の中で語っている。オリックス・ブルーウェーブ時代に外国人をはじめとした大型の左打者を抑えることに苦労したときには、シンカーをマスターした。また、メジャーリーグでの3年目あたりから、シンカーでは左打者を抑えられなくなると、ツーシーム(シュートに近い変化球で、スピードがあり、横に曲がるというより沈んでいくボール)をマスターした。大学野球から日本のプロ野球、そしてメジャーリーグへ、新たな環境にステップアップする度に、自分自身のおかれている状況・課題を冷静に分析し、新たな変化球をものにすることで「アジャストメント」していったわけである。
長谷川選手は「アジャストメント」の秘訣として、計画性、情報の分析力、自分の力を正しく把握することを挙げている。常に自分の力を客観的に把握し、自分が優れている部分、自分に足りない部分を正確に分析できたことが、長谷川選手の成功の秘訣である。長谷川選手が希代の「頭脳派投手」と呼ばれる所以が、この「アジャストメント」に垣間見られる。長谷川選手は、本書の中で、冷静な自己分析の元、高いレベルのプレーに適応していくことで、自分の力が引き上げられていくのを感じたと述べている。
では、長谷川選手の適応能力に監督やコーチはどのようにかかわっていったのであろうか。イチロー選手ですらオリックス・ブルーウェーブ時代に監督に打撃フォームをいじられた時期があったように、野球では監督やコーチが自分自身の理論に基づいて選手のフォームをいじることが多々ある。しかし、長谷川選手の場合、日本でプレーしていた時代、メジャーリーグに渡ってから共に、「アジャストメント」のプロセスは長谷川選手自身に任されていて、コーチにいじられるということが少なかった。特に米国では、成功している監督は、あまり細かいことに口を出さないタイプが多い。コーチも、選手の状態を十分に把握した上でシンプルな助言を出す。ポイントを絞りきった簡潔な助言を適切に出してくれるコーチに恵まれたことは、長谷川選手の「アジャストメント」能力とうまく組み合わさって、成功を導き出したのであろう。
人材育成において本人の主体性をどこまで尊重するのかは、野球に限らず全ての組織における大きな課題である。確かに長谷川選手は自己の置かれている状況を客観的に分析する能力に長けた選手であり、全ての人が同様の方法で成功するわけではない。しかし、人材育成において本人の主体性を尊重すべき人材の種類はどのようなタイプなのかを考える上で、長谷川選手の例は参考になるのではないかと思う。自分自身の成功へのプロセスを考えてみる上でも、部下を如何に成功に導くのかを考える上でも、ヒントの多い一冊ではないかと思う。