研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2010年3月31日
米国の債権運用会社ピムコのCEOモハメド・エラリアンは、金融危機後の世界は危機以前とは様変わりした様相になる、として、「ニュー・ノーマル」と表現した。アングロサクソン式の市場主導の時代から、新興国が台頭し、政府が需要創出に大きく関与する時代への移行だ。本書では、これまでの、好況と不況を緩やかに繰り返す「ノーマル」経済と異なり、常に景気が乱高下する状況を「ニュー・ノーマル」時代の経済と表している。グローバリゼーションとIT技術の発達により、各国政府の思惑と経済が密接にかかわり合い、情報が瞬時に駆け巡る。コストダウンや経済活動のスピードアップといった良い効果が期待できる一方で、脆さも共有せざるを得なくなった。乱気流が突然発生するのが経済の基本状態となったからである。従来の、「ノーマル」経済下の経営手法といえば、こうだ。正確な前提数値に基づく計画を立てて遂行する一方、想定しなかった事態が発生すると直感やひらめきで決定を行う。しかし、毎日想定外の出来事が発生する「ニュー・ノーマル」時代においては、このやり方は使えない。この「波乱の時代」における経営を、「カオティクス」と呼んで提案するのが本書である。
著者の一人のフィリップ・コトラーは、マーケティング研究の第一人者であるが、本書ではマーケティングのみならず企業マネジメントの今後の方向性に言及をしている。共著者のジョン・A・キャスリオーネは、グローバル経済の専門家であり、M&Aのコンサルティング会社の代表である。二人は、「ニュー・ノーマル」経済下の経営環境変化の原因とその特性を分析・整理し、カオティクス時代の企業マネジメントの手法(以降、カオティクス・マネジメント)を述べていく。
各国政府の思惑とグローバル市場の連携性が絡み合った脆さを持つようになった経済では、企業は、経営に多大な影響を及ぼすリスクに数多く直面する。多種多様なリスクが頻発する世界にあって、カオティクス・マネジメントでは、以下の三つの手順を重視するとしている。1.早期にアラームが上がる仕組みを作る。2.キー・シナリオを作る。そして、3.シナリオの優先順位付けを行い、状況に即して選択をする。キー・シナリオの作成では、リスクのレベルやステークホルダーの特定など、シナリオ・プランニング(柔軟な長期計画を作るときに用いられる、立案の一手法)策定におけるポイントを紹介している。3.のシナリオの選択に関しては、著者は、企業のリスクの許容度と選択することで獲得できる事業機会を比較検討し、決定することを提案している。重要なのは、こうした手順を含めた検討プロセスの中で、企業の経営参画者の誰もが納得できる戦略にたどり着くこと、また、関係者の情報共有が進み、変化が起こった場合により適切な戦略にスムーズにシフトできるようになること、そして、脆さと同時に機会を発見する土壌が企業内に形成されることである。
著者は、カオティクスの手順を、米国自動車会社ビッグ・スリーに適用して検討している。企業の早期警報システム開発の第一人者であるジョージ・S・デイとポール・J・H・シューメーカーにより策定された八つの質問からなるチェックリストに基づき、救済要請の5年前にさかのぼったと仮定して、ビッグ・スリーに成り代わり、リスクを分析する。それによれば、環境問題への意識の高まり、日系メーカーによるハイブリッド車の開発、ガソリン価格の高騰の兆しなどアラームを上げるべきリスクが顕在化していたことが分かる。なぜ、彼らはこれらのアラームを「無視」したのか?当時の彼らは、自社の周囲の環境の変化について次のように考えていたのではないかと著者は分析する。すなわち、「米国内の顧客の好みは変化しつつある。しかし、米国内でデザインされた車は好まれ続けるだろう。さらに、他社は、ハイブリッド車や代替燃料車の投入を拡大させる可能性が高い。だが、自社を脅かすには至らないだろう。」当時のビッグ・スリーがカオティクス・マネジメントの手法に基づいて分析をしていたならば、この考えは自社をごまかしている以外の何ものでもないことに気が付いたのではないか、と著者は述べている。
著者は、多くの企業で、このようなカオティクスの準備が行われていないと指摘している。自分たちの周囲のリスクについて、挙げてみる。それがカオティクス・マネジメントの第一歩となると評者は考える。例えば、自社の製品の概念を覆すようなサービスの登場、重要顧客の大きな変化、とても比較にならない価格競争力をもった新興国企業の登場など、リスク要因は多様に存在するはずである。また、環境の変化は、主流になるか分からない技術や一見怪しげに見えるベンチャーのように、評価が難しい形で現れることも多い。「慎重な顧客は自社の安定的な技術を採用し続けるはずだ」、と考えている間に、ある日状況が変わってしまうようなことがないだろうか。そのような自問自答が重要である。また、リスクによって発生し得る損失と、対処のために必要となる費用を見定めなくてはならないが、多様なリスクを定量化するのは困難を伴う。目を背けたくなるような事態発生の可能性もあるだろう。「明らかな兆し」があっても、見過ごされ、社内でもみつぶされることは多い。シナリオ策定においては、問題を直視し、立案者を責めない制度設計が必要であると、評者は考える。
経営戦略関連の書籍では、部門ごとのやるべきことについてまでは言及されていないことが多い。また、経営戦略というと、経営者や企画部門の問題だととらえる読者も多いと考える。本書では、カオティクス・マネジメントの手順の中で、財務部門、IT部門、製造・オペレーション部門、購買・調達部門、人事部門、そしてマーケティングおよび販売部門それぞれの部門ごとの実務上の提言がなされている。当然、個別の戦略や、リスクの要素は企業、そして所属する部門によって異なり、読者自らが考えなくてはならない。ここで述べられているのはフレームワークであり、読みながら、自分および自部門の行動と照らし合わせて検討することが可能である。本書は平易な文で書かれており、社内で危機感を共有し、戦略の策定と実行の取り組みのために活用していくにも有効であろう。本書の通底には、柔軟にリスクに対処していく企業の繁栄に対する、明るい信頼がある。
あなたは、「経済危機」や「不況」を、目標の未達や失敗の言い訳に使ってはいないだろうか。
本書の宣伝ホームページは非常に充実した内容となっており、ツィッターとの連動や「カオティクス・コンサルティング」事業の紹介も見ることができる。