研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2006年12月22日
十五年前のタクシー運転手殺害事件の時効が間もなく成立しようとしていた。逃亡中の容疑者には海外渡航歴があり、一週間だけ時効の成立が延期される。この「第二の時効」に気付いていない容疑者が姿を現した時に身柄を確保する。それがF県警捜査第一課の狙いだった。しかし、そのもくろみは外れ、容疑者は姿を現さない。にもかかわらず、捜査第一課二班の班長、楠見は落ち着き払っていた。彼によれば「第三の時効」があるという。
本作品は人気ミステリー作家、横山秀夫の代表作の一つ。ミステリーに詳しくない方でも、直木賞候補になり、映画化もされた『半落ち』や仲間由紀恵、オダギリジョー主演でテレビドラマ化された『顔 FACE 』などの作品名は聞いたことがあるのではないだろうか。著者は新聞記者をしていた時代に群馬県警を担当していた経験があり、警察官の描写のリアルさには定評がある。本作品は、表題作のほかに「密室の抜け穴」「囚人のジレンマ」など六つのエピソードが収録されている短編集である。高い検挙率を誇り、常勝軍団と呼ばれるF県警捜査第一課が扱うこれらの事件を通して、警察組織内において激しく衝突し合う刑事たちの姿が生々しく描かれている。
F県警捜査第一課は三つの班から構成されていて、それぞれが強烈な個性を持ったリーダーに率いられている。一班の班長、朽木は青鬼と呼ばれ、犯罪者に対する激しい怒りの情念を表に出し、執念深く犯人を追い詰めていくタイプ。前出の二班の班長、楠見は非情な策略家。公安部出身であるが故に捜査課では異端児扱いされているが、冷酷な仕事ぶりは部下からも恐れられている。そして、三班の班長は動物的な捜査の勘を持つ天才肌の刑事、村瀬。F県警捜査第一課はこの三人が激しく覇権を争っており、極度に競争的で殺伐とした組織として描かれている。三つの班は事件解決のために力を合わせるどころか、自分が手柄を上げるために情報を囲い込んだり、他班の足を引っ張ったりするのはもちろんのこと、時には同じ班の刑事ですらけ落とすこともためらわない。この作品の面白みは、ミステリーとしての謎解き以上に、犯罪捜査という一つのプロジェクトが破たんするかしないかのギリギリのラインで、刑事たちが激しくぶつかり合うさまにある。
メンバー間に競争関係や対立がある中で組織を運営しなければならない状況は、現実の世界でも多く見られる。作品中ではその問題に対する明確な処方せんまでは示されないが、三人の上に立つ捜査第一課長、田畑が部下の掌握に腐心する姿が示唆を与えてくれる。特に「囚人のジレンマ」というエピソードでは、彼の部下に対する疑心暗鬼ぶりが描かれていて面白い。このエピソードではF県内で同時に三件の殺人事件が起こり、捜査一課の各班はそれぞれに割り当てられた事件の早期解決に激しくしのぎを削る。田畑はこの三件の殺人事件におけるマスコミ対策において、内部の捜査情報をつかんだ記者からの追究にシラを切り通すか、情報の内容を認めた上で記事の発表を控えるように要請するかの決断を迫られる。捜査員の誰か一人でも既に記者に情報を漏らしていれば、シラを切り通した田畑の立場は危うくなる。普段から部下たちの対立を目の当たりにしている田畑は「囚人のジレンマ*」に陥って悩むが、最終的に部下たちを信じて難を逃れる。
後になって、一見バラバラに見えた捜査一課が、実は明確な目標を共有する組織であり、対立しているかに見えた刑事たちも同じ目標に取り組む同僚たちへの敬意を持ち合わせていたことが分かる。結末が分かってしまうのであまり詳しくは書けないが、刑事たちは激しくぶつかり合うが、F県警捜査第一課という組織は目標を共有していることにより最終まで空中分解を避けることができる。
本作品はそのまま素直に読んでもミステリーとして純粋に楽しめるが、田畑課長の視点に立って「自分がこの三人を束ねる立場だったら」と考えながら読むとよりいっそう緊張感が増すに違いない。普段ミステリーをあまり読まない方にも、組織の中で葛藤(かっとう)する人間を描いた小説としてぜひ読んでもらいたい一冊である。