研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2012年3月28日
日本政府は2011年11月に環太平洋パートナーシップ協定(TPP:Trans-Pacific Partnership)交渉参加に向けて関係国との協議に入ることを表明し、2012年1月から既交渉参加国9カ国(i)との事前協議を開始した。3月6日現在、6カ国が日本の交渉参加を支持しており、日本は交渉参加へのプロセスを進めている。 しかし、そもそもTPPとは何か、その理解が広まっているとは言い難い。政府が交渉参加を表明した際の世論調査では、TPP交渉参加問題について関心があると答えた人が7割を占める一方、交渉参加の是非について4割の人が「わからない」と答えており(ii)、また別の調査ではTPPに関する政府の情報提供が不十分だと考える人が8割にのぼる(iii)。 これら調査結果は、?そもそもTPP全体の枠組みが明らかでないこと、?農業や社会保障制度などの個々の分野において具体的にどのようなメリット・デメリットがあるのか見えない状況にあること、が背景にある。 本書は、このような状況下で比較的平易にTPPの枠組みを解説し、TPP加盟によって日本が狙えるもの、守るべきものを具体的に示す好著である。著者は、2005年に日本・メキシコ間で発効した自由貿易協定(FTA:Free Trade Agreement)において、日本政府の首席交渉官を務めるなど、貿易自由化交渉の第一線にいた人物である。著者は、世界貿易機関(WTO:World Trade Organization)における多国間交渉が長年停滞しているなか、貿易自由化を推進する手段としてのFTA、なかでも高い自由化を目指すTPPに日本が参加する意義は大きいと主張している。その主張の論拠として交渉現場の視点でTPPの各分野・論点を整理しており、さらに日本にとってのメリットや交渉における攻守のポイントを示している。 TPPは、関税に限らず、サービスや政府調達など市場アクセスに関わるものから知的財産などのルール作りに関わるものまで広範な分野に網をかけた包括的な経済連携協定であり、さらに加盟国を増やして高度化すべく、24の作業部会に分かれて交渉されている。報道の多い農産品の関税は数ある分野の一つである。著者はこれら各分野について説明を加える一方、法的にまたは慣例上TPPに盛り込まれる可能性のない要素を根拠とともに指摘している。TPP反対論者が恐れる低賃金の単純労働者の流入や混合診療の導入は、TPPに盛り込まれる可能性のない要素だとしている。 著者はまた、日本がTPPに参加するメリットを独自の視点で示している。例えば、TPPを「事実上の日米FTA」と称する声もあるなかで、著者はTPPを、日本がこれまで締結したアジア各国との FTAで十分な自由化が得られなかった「取りこぼし」への再挑戦であると位置付ける。確かに現在参加交渉を行っている9カ国のなかで日本がFTA交渉を行っていないのは米国とニュージーランドのみであるため、「事実上の日米FTA」と呼ぶのは必ずしも誤りではない。しかし一方で、著者が述べるように、過去のFTAの「取りこぼし」を取ることの意義は大きい。それは例えば日本企業が海外進出する際の投資の自由化や投資財産の保護、政府調達の差別的取り扱いの廃止である。特に現在までに締結・発効した日本のFTAのうち政府調達について実質的に合意できたものは13件中5件にとどまるため、日本にとってTPPによる市場拡大の余地は大きい。その他、既に日本が自由化を進めた金融サービス、電気通信サービスは新興国に対し市場開放を要求できる分野であり、またアメリカのバイ・アメリカン条項についても撤廃を求めることができるとする。 他方、著者は日本が守るべき分野として、特に東日本大震災被災地の農業に言及する。被災地の主要農産品を関税撤廃の例外とし、震災復旧の農業補助金をWTO協定における「農業生産や貿易に直接影響を与えない補助金」に該当する旨日本が主張すべきとの提言は極めて重要であろう。FTAの基盤となるWTOのルールにおいては、自然災害補償援助など経済的に中立と考えられる国内助成が認められており、日本がそのように主張できる枠組みが既に存在する。この方策は国内ではあまり知られていないが、専門的かつ重要なポイントである。 本書はTPPへの日本の参加の是非を、FTAの法的枠組みに基づき個別具体的に分析した優れた論考である。現在TPP参加をめぐっては積極的意見と消極的意見が両存しているが、今後はいずれにおいても誤解や憶測などによることなく、議論が展開されることに期待したい。 WTOの交渉停滞を背景に、1990年代末ごろから世界各国はFTAをてこにした二国間および多国間の経済統合を進めてきた。現在TPPだけでなく、日中韓や日・EUのような経済大国間のFTAも交渉開始に向けた進捗が見られ、今後FTAの理解がますます重要性を増すだろう。
i 現加盟4カ国(シンガポール、ニュージーランド、ブルネイ、チリ)および参加に向けて交渉中の5カ国(米国、オーストラリア、ペルー、マレーシア、ベトナム)
ii 毎日新聞11月7日
iii 共同通信11月6日、朝日新聞11月15日