研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2019年3月18日
気候変動の深刻化や資源ナショナリズムの高まりなどの社会・環境変化を背景に、天然資源の安定的な確保は一層困難になっている。特に人々が生活や経済活動を営むために不可欠な資源である水、エネルギー、食料の安全保障上の重要性が高まっている。こうした中で、どれか一つの資源を安定的に確保しようとすると、他の資源の確保に悪影響が及ぶ事例が顕在化している。例えば、アラル海(中央アジア)の周辺地域において、食料確保のため河川の水を大量に農地へ供給した結果、河川から流入する水量が減少、アラル海の水量が半世紀のうちに約10分の1まで激減し、漁業の衰退や塩害により住民が移住を余儀なくされるなど深刻な影響をもたらした。さらに、夏に農業用水を必要とする下流地域と、冬の電力需要に水力発電で対応するために貯水をしようとする上流地域で利害が対立するなど、水・エネルギー資源をめぐる地域間の対立が深刻化している。相互に密接な関係性を有する水・エネルギー・食料資源を安定的に確保し、持続可能な社会を実現するためには、従来のような各資源個別の効率性に関する検討では不十分である。ネクサスとは、連鎖、結び付きを表す言葉である。本書の主題である水・エネルギー・食料ネクサス(以下、ネクサス)は、それら個々の資源のつながりを一つのシステムとして統合的に捉え、システム全体の持続可能性を実現するための政策・事業検討の枠組みである。
文部科学省系の研究機関である総合地球環境学研究所の研究成果を取りまとめた本書は、資源間のトレードオフとシナジーの観点から、ネクサスに関する問題提起や政策提言を行っている。本書によれば、トレードオフとは一方の資源を獲得するために他の資源を消費するような関係を指す。例としては、火力発電のために冷却水が必要となり、水再生処理のために電力が必要となる関係が挙げられる。他方シナジーとは、複数の資源に対して同時に保全と活用を働きかけることにより、各資源を個別に生産・利用する以上の効果が得られる関係である。例えば、海水淡水化に必要な電力を再生可能エネルギーでまかなうことにより、水アクセス向上に加え、環境負荷軽減など副次的効果が生み出される例が挙げられる。
著者らは、5カ国(日本、米国、カナダ、フィリピン、インドネシア)を対象に選定した計11カ所の地域で、ネクサスの問題や解決方法に関する研究を実施した。本書ではその一例として、日本で有数の温泉地である大分県別府市の事例を取り上げ、温泉や地熱発電といった地域特有の資源利用におけるトレードオフとシナジーについて分析し、政策提言を行っている。
まずトレードオフの観点からは、地熱発電所開発が引き起こす河川の水質・生態系の変化に着目している。2014年頃から、別府市内のホテルや旅館による自家発電を含めた本格的な開発が始まったが、著書らが発電所付近河川の水質をモニタリングした結果、発電所から排出された温泉水によりナトリウムや塩化物イオンなどの水中濃度が10倍以上増加したことが分かった。加えて、水質や水温の変化により、下流では既に繁殖していたナイルティラピア*1など外来生物の繁殖エリアが上流まで拡大するなど、地熱発電所開発が生態系へ深刻な影響を与える可能性が明らかになった。著者は、このような資源間トレードオフを緩和する方法として、自治体による水質モニタリング体制の整備や、発電所開発が水資源に与える影響を検証・最小化するための地熱発電に関する条例制定の必要性を指摘している。また、発電事業者には、熱水の地下還元*2による周辺温泉への影響を考慮した設置場所や温泉水の処理を含めた開発計画が求められると提言している。
一方で、シナジーの観点からは、温泉熱から得られるエネルギーを農業(イチゴのハウス栽培)へ活用した事例を紹介している。ハウスへの暖房供給を温泉熱で代替することにより、ハウス1棟(約15m³)あたり最大約50%の電力使用量を削減することが可能であると試算し、温室効果ガスの排出削減効果もあることが明らかになった。さらに、暖房費用の節約額と、温水用配管などの設備導入およびメンテナンスにかかる費用を比較検討した結果、200万円以上かかる設備費用を上回る節約効果があり、経済性の点でも優れていることを指摘した。温泉熱を発電や食品加工など異なる用途で利用する方法は「カスケード(多段階)利用」と呼ばれる。同じ温泉水を複数回利用するため、1度きりで捨てる場合と比較して水資源の持続可能性向上に寄与すると同時に、災害時には安定的な電力供給源となることが可能であり、地域のレジリエンス向上が期待できる。カスケード利用が一層普及するためには、事業者が温泉水の予熱器や蒸発器など発電設備へ投資するための経済的インセンティブを付与するような政策が必要として、熱の固定価格買取制度*3の導入が有効であると本書は論じている。
本書では別府市の事例を取り上げているが、地域特有の要因を考慮したネクサスの研究が世界各地で広がりつつある。2018年には、国際的な研究助成機関であるベルモント・フォーラム主催の共同研究事業に18カ国が参加し、ネクサス問題の定量的な分析を含む15件の研究が同時進行している。さらに、東南アジアの一部では、ネクサス問題解決に向けた実証レベルの取り組みを行っている地域もある。例えば、シンガポール政府は水再生処理施設の建設プロジェクトにおいて、バイオガス発電技術に強みを持つ民間企業と共同で、再生水を生成する過程で発生する汚泥や食品廃棄物からバイオガスを抽出、発電する方法を開発している。今後、プロジェクトの成果が研究者や実務者の間で蓄積・共有され、ネクサスの考え方や対応ノウハウが行政の現場や事業のレベルで活用されることが期待される。
本書は、各資源間のトレードオフやシナジーの観点から、ネクサスの問題や解決方法について詳細に分析・説明しており、自治体や民間企業が地域の天然資源の保全や社会インフラ開発を検討する上で参考になる一冊である。