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株式会社日立総合計画研究所

書評

研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介

スモールワールド・ネットワーク :評者:日立総合計画研究所 池田裕一

2006年2月11日

堅牢な産業組織を解く鍵は、「複雑ネットワーク」にある

コンピュータウイルス、金融バブルの形成と崩壊、コレラなどの伝染病、文化における流行、ホタルの発光の同期・・・。皆さんは、これらの共通点について思い当たるものはありますか?本書によれば、それは「複雑ネットワーク」というものです。本書は、複雑ネットワーク研究におけるパイオニアの一人で、現在は米国コロンビア大学社会学部准教授のポストにある物理学者であるダンカン・ワッツにより書かれた複雑ネットワーク研究についての物語です。この分野の研究で今までに明らかになったこと、現実の世界にある複雑ネットワークの実例が、活気にあふれた物語のようなスタイルで説明されています。では、本書の内容から、産業組織に関する部分をご紹介しましょう。

1997年2月1日、アイシン刈谷第一工場が焼失しました。アイシンは、トヨタ全車種のブレーキに使われているPバルブの唯一のサプライヤーで、刈谷第一工場に集約して1日に3万個以上のPバルブを生産していました。トヨタは一日に1万5000台の自動車を生産していましたが、Pバルブ自社在庫は二日分だけでした。まさに、たった一つの部品がないために、全ての自動車の生産が止まってしまったのでした。この火事により、Pバルブの供給が完全に停止しただけでなく、極めて特化した生産設備を失ってしまい、当初、復旧には数ヶ月が必要と考えられていました。しかし、200以上の企業による協調的な対応により、アイシンやトヨタの支援をほとんど受けることなしに、2月4日にPバルブの生産が再開しました。そして、2月10日、トヨタの生産台数は1万4000台近くに回復しました。このような劇的な回復を遂げたトヨタグループの産業組織の堅牢性を可能にしたものは何であったのでしょうか?本書によれば、堅牢な産業組織を解く鍵は、「複雑ネットワーク」にあります。

この風変わりな響きをもつ「複雑ネットワーク」という言葉は、何を意味するのでしょうか?複雑ネットワークの代表例として、以下の事例でよく知られるスモールワールド・ネットワークが挙げられます。1967年、米国の社会心理学者スタンレー・ミルグラムは、大変興味深い実験を行いました。ネブラスカ州に住む数百人の人々を任意に選び、この手紙をマサチューセッツ州に住むある人物に送ってほしいという手紙を書きました。ただし、もしその人物を知らなければ、その人物に手紙を送るよう依頼した手紙をごく親しい友人に限って送ってよいとしました。当時は、東部と中西部はとてつもなく遠いと考えられており、多くの人は数百人の手を経なければ手紙は目的の人物に届かないと予想しました。しかし、驚くべきことに、わずか6人を経てその手紙は届けられたのでした。この実験結果は、誰もがほんのわずかの人を経て誰とでもコミュニケートできることを意味します。今日、このような結合の形態はスモールワールド・ネットワークと呼ばれ、多くの人々と繋がる人がごく少数でも存在することがスモールワールド性の原因であると解明されています。複雑ネットワークの正確な意味については、本書をごらん頂きたいと思います。

近年、事業環境の不確実性が大きい産業においては、事業プロセスを階層的に分割して各階層において分業を行う垂直統合型の企業に比べて、汎用的ではあるが専門的な強みをもつ複数の企業がネットワークを構成する水平分業型の産業組織の優位性が明らかになっています。本書によれば、水平分業型の産業組織は、中心となる企業からの要求に従って他の企業が行動するのではなく、各企業は自社が求められていることの見当をつけて行動し始め、ネットワークを構成する他の企業との相互作用によってその見当を修正していくような「曖昧さ」を持ちます。この「曖昧さ」の効果に着目すると、水平分業型の産業組織を情報処理者の階層的ネットワークとして捉えることができます。情報処理の負荷が何処かのノードに集中して処理速度が低下した場合、負荷の大きいノード間にバイパスリンクを追加することにより、ネットワーク全体について高い再配分効率で負荷を均一化できることが著者らの研究により明らかになりました。このようなバイパスリンクの追加により生み出されるネットワークを、マルチスケールネットワークと呼びます。マルチスケールネットワークは、一つの企業の障害(火災による生産停止)によりネットワーク全体が停止するような事態は生じないという意味において堅牢性を持ちます。従って、大惨事から回復するための行動は、企業の通常の活動において「曖昧さ」に対処することと同等であることが明らかになりました。この事実から、複雑な問題を解決できる産業組織をつくるための方法は、中央集権的に設計された問題解決ツールやデータベースの構築を各企業に強制するのではなく、むしろ企業間のネットワークを自ら探索させることによって、曖昧さに対応するように意思決定を行うことであるとの示唆が得られました。

本書を読むと、これまでの研究から、複雑ネットワークに関する多くの注目すべき基本的理解が進んだことがわかります。しかし、堅牢な産業組織を説明するマルチスケールネットワークの概念は、ビジネスの実務に今すぐに役立つほどには十分に解明できていません。それを解明する仕事は、知的開拓者精神をもつ全ての人に開かれた問題として残されていると、評者には思われます。

「これは終わりではない。終わりの始まりでもない。これは、始まりの終わりなのである。」

(ウインストン・チャーチル 1942)

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