研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2009年9月3日
産業の米と呼ばれる半導体は、40年にわたり「ムーアの法則」にけん引されてきた。本書の筆者であり経済学者である池田信夫教授は、この「ムーアの法則」を、産業構造や経済システムに変化をもたらす「史上もっとも破壊的な経済法則」と位置付け、今後のエレクトロニクス産業のあり方について議論している。
「ムーアの法則」とは、半導体集積回路(LSI)のトランジスタ集積度が、18〜24カ月ごとに2倍になるという経験則で、インテルの設立者の一人であるゴードン・ムーアが、1965年に『エレクトロニクス・マガジン』誌に発表したものである。このムーアが提唱した経験則は40年の長期間にわたり半導体産業をけん引しつづけ、「法則」という言葉が付されて呼ばれるようになった。トランジスタ集積度が18〜24カ月で2倍になることは、15〜20年で千倍の集積化が進むことを意味する。実際、1971年に出荷された史上初のマイクロプロセッサ(MPU)である「インテル4004」のトランジスタ数は2,300個であったが、これが22年後の1993年には310万個(1,350倍)、36年後の2007年には17億2,000万個(75万倍)と、ほぼ24カ月で2倍の速さで増加した。一方で、この間にMPUの価格は10倍程度にしかなっていないため、トランジスタ一つ当たりの価格は36年間に8万分の1になり、驚異的なコストパフォーマンスの向上が進んだ。
「ムーアの法則」が40年の長期間にわたり半導体産業をけん引してきたのは、LSI開発への継続的な投資に経済的メリットがあったからである。本書ではこのような経済的メリットが継続した理由として、以下の4点を挙げている。
ハーバード・ビジネススクール教授のクレイトン・クリステンセンは『イノベーションのジレンマ』(1997年)の中で、あらゆる市場は、既存市場の拡大を継続する「持続的イノベーション」と、新市場を生み出す「破壊的イノベーション」により成長すると説明した。この中では、ミニコンや大型計算機の市場を奪ったPCは、代表的な「破壊的イノベーション」と位置付けられている。
世界初のMPUが開発されてから4年後の1975年に、史上初のPCであるMITS(Micro Instrumentation and Telemetry Systems)社製の「アルテア8800」が発売された。当初PCは、実務に使われていたミニコンや大型計算機と比較して、「おもちゃ」のように考えられていた。しかし、「ムーアの法則」によりMPUの高性能化と計算能力の低コスト化が急速に進んだ結果、PCは実務に耐えるものとなり、まずはミニコンの市場を、続いて大型計算機の市場を奪っていった。すなわち、「ムーアの法則」はPCを「破壊的イノベーション」たらしめた源泉なのである。本書で、「ムーアの法則」を「もっとも破壊的な経済法則」とする理由がここにある。
本書では、経済学は「稀少な資源をいかに効率的に配分するかを考える学問」とし、稀少な資源は高価値となり節約され、過剰な資源は低価格となり浪費されると説明している。かつてのミニコンや大型計算機の時代、計算能力は稀少な資源であったが、「ムーアの法則」は計算能力を過剰な資源へと転換していった。本書が出版された2007年時点でのPCは10万円以上するものが主流であったが、2009年現在、注目を集めているのは、5万円前後のネットブックを呼ばれる低価格モバイルPCである。「ムーアの法則」にけん引された指数関数的な低コスト化は、現在もなお継続している。
計算能力の過剰は、結果として、ハードウェアとソフトウェアの低価格化につながった。筆者は、これに替わって稀少な資源となるのは、サービスやコンテンツであると述べている。1994年に創業したAmazon、1998年に創業したGoogleが、インターネットを活用したサービスで急成長しているのは、この流れの一環と評者は考える。日本のアニメ、マンガ、ゲームといった、いわゆるサブカルチャーには、グローバルに評価されているコンテンツが数多くある。エレクトロニクス産業の価値の源泉がコンテンツに移っていったとき、日本の産業が大きく成長することを期待したい。
「ムーアの法則」は、LSIの低コスト化による半導体産業の拡大、さらにはエレクトロニクス産業の構造にまで多大な影響を与えてきた。一方で、ゴードン・ムーアは、2007年インテル・デベロッパー・フォーラム特別公演で、微細化の物理的限界により、「ムーアの法則」は終焉に向かいつつあると述べた。現在、この考え方は、半導体産業界全体のコンセンサスとなっている。
このような中、新たな潮流として、新材料や新構造の適用、さらにはソフトウェアにより、LSIに新たな価値を付与する流れが起こり始めている。筆者は、「イノベーションは一種の芸術なので、平均値には意味がない」と、価値を生み出す技術には、独自性が必須であることを強調している。半導体産業において、今後も継続的に価値を生み出していくためには、「平均値」ではない、尖った技術が必要である。評者は、この新たな潮流の中に、今後の半導体産業をけん引するイノベーションが生まれることを期待している。