研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2009年12月9日
本書の筆者であるナシーム・ニコラス・タレブ氏はマサチューセッツ大アマースト校での確率論の教授であるとともに、元ウォール街のトレーダーという異色の肩書きを持つ。最近は『ブラックスワン−不確実性とリスクの本質(ダイヤモンド社)』の筆者として注目されているが、本書はブラックスワンの前に書かれたものであり、そのエッセンスが凝縮されている。邦題名は「まぐれ - 投資家はなぜ、運を実力と勘違いするのか」とあるが、英語の原題は「Fooled by Randomness - The Hidden Role of Chance in Life and in the Markets」とあり、原題の通り本書は「偶然に騙されること(Fooled by Randomness)」について分かりやすく、かつ直観的に説明したエッセイである。
本書によれば、歴史的な出来事であれ、日常の業務であれ、偶然の度合いは状況によって異なるが、ほぼ全ての現象は何らかの形で偶然の産物であるとしている。例えば、事業でどのような成功を収めたとしても、それは何らかの形で偶然の結果であり、例えば競合相手の失敗や商品ブームの風に上手く乗れたためであることが多い。一方で、人間の脳は原因と結果を単純化して把握する傾向があるため、成功した場合は、例えそれが偶然の結果であったとしても、そのことを認識しない傾向が強い(失敗した場合は単に運が無かったとして認識する)。日常の様々な不確実性に対して人間が注意すべき点は、成功事例も何らかの形で偶然の産物であるにもかかわらず、それを自らの能力と過信することにより、その後のリスク対策を怠り、結果的に大損害につながることがあると筆者は警告している。特に筆者は様々なウォール街のトレーダーを取り上げ、過信による失敗事例を紹介している。
それでは偶然とは何か。筆者によれば偶然とは与えられた確率で発生した一つの結果に過ぎない。当然ながら人間はありとあらゆる可能性を認識できるわけではないので、確率分布を正確に把握することはできず、従って将来を正確に予想することもできないとしている。特に金融工学、計量経済学、あるいは統計学一般に対して筆者は次のような痛烈な批判をしている。
『専門家の一部は、数学を究めれば市場がわかると思っている(中略)。金融工学者たちは、将来を予測する道具として過去のデータを使い、リスクを計測する。分布が定常的でない*1可能性があるというだけで、彼らのやり方は完全に間違っていて、そのうち高い(たぶんとても高い)代償を払うことになるとだけ言っておこう。』
確率論者でありウォール街の元トレーダーである筆者が確率論を実務上で利用する限界について言及し、さらにトレーダーの成功は偶然に拠るところが大きいことを分かりやすく説明したことは米国の金融業界をはじめとする様々な分野に影響を与えた。本書は2001年10月に出版されたが、その直後にフォーチューン紙やタイム紙から賞賛され、6年以上もの間、米国でベストセラーを続けている(日本版は2008年2月に出版)。また、2002年にノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマンは米国の金融界に大きなインパクトを与えた良書として本書を賞賛している。
本書は数学のみならず哲学、計量経済学、心理学など様々な面でリスクに対する考察を行っていることに加え、ギリシャ神話や中世の寓話を説明にも巧妙に用いているところも読んでいて面白い。例えば筆者は「ソロンの戒め」*2を文中で頻繁に取り入れ、リスクによる成功のもろさを分かりやすく説明している。本書はリスクあるいは偶然に対して人間がどのように向き合うかを考える上で極めて有効な知恵を与えてくれる良書である。