研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介
2019年6月12日
需要予測とは、「消費者が必要とするタイミングで適切な量の商品を届けるために、何がいつどれくらい売れるのか」を予測することである。しかし予測が外れると「品切れ」と「過剰在庫」が発生する。見込み生産が必要なものづくりに携わったことのある人であれば、この二つの課題に幾度となく直面し、そして頭を悩ませてきたことであろう。過剰在庫を抱えるとキャッシュフローの悪化につながり、さらに長期的に販売する見通しが立たない場合には滅却しなくてはならないこともある。一方で、品切れによる機会損失は過剰在庫と異なり、具体的な損害を試算できないが、売上機会の損失、ひいては他社への顧客流出という事態も起こり得る。
本書は、需要予測と認知科学(推論・計算・意思決定など、人が頭を使って活動することを研究する学問)との密接な関係に着目し、化粧品メーカでの需要予測を通じて著者が経験してきたことを交えながら、どのような認知能力の限界が需要予測ミスにつながり、品切れや過剰在庫を引き起こすのか、また、品切れや過剰在庫を防ぐにはどのようなキーポイントを押さえる必要があるかについて分かりやすく読み解いたものである。時間と思考力は無限ではないので、人は効率的に認知活動を行い、需要予測を行うが、認知能力の限界によってミスが発生していると著者は感じ、認知科学の研究で得られた知見を活用できないかと考えたのだ。実際に直面した問題に対し、著者がどう考え、どういった需要予測モデルを構築したか、需要予測に必要な各種データをどのように取り扱い、品切れや過剰在庫を防いだかについても触れられており、まさにビジネス需要予測の“実践” 編である。例えば、著者は認知バイアスの一つである“利用可能性ヒューリスティクス”を取り上げ、予測ミスによる品切れとの関係について、事例を交えて解説している。ヒューリスティクスとは経験則に基づき、直感で素早く解に到達しようとする人の思考方法のことである。そして、利用可能性ヒューリスティクスとは、人は経験則から利用しやすい情報や、思いつきやすいことを参考にして判断し、行動する傾向があることを指す。著者が担当していたドラッグストア販売のメーク落としは、比較的安価で繰り返し購入され、購買までの意思決定時間が短く、安定的な需要がある商品であった。商品の特徴から、前年通りの販売方法であるはずだ、直近の需要トレンドに変化はないはずだという認知バイアスが著者の中にあり、すぐに入手可能で利用しやすいデータである標準サイズの前年実績を使用した需要予測を行っていた。しかし実態は、標準サイズにミニサイズボトルが付いたお買い得な限定品へと需要が流れており、その結果、標準サイズ単品の売上は落ち込み始めていた。別の予測担当者から指摘を受けて、標準サイズ単品の前年売上情報を基にした著者の予測結果にミスが発生していたことが発覚した。気づくのが遅ければ危うく品切れを起こしてしまうところであったが、予測担当チーム内のコミュニケーションによりなんとかその事態は回避できたと著者は述べている。
著者は品切れと過剰在庫の防止につながるキーポイントを本書でいくつか述べている。一つ目は需要予測のPDCAを挙げている。単に大量に需要実績データを蓄積し、数字がどう変動したか、どの指標とどの指標が相関関係にあるかといった統計学的な分析をすることだけが需要予測において重要なことではない。なぜ予測が当たったのか、どこまで当たったか、はずした理由は何か、を毎回振り返ることも重要である。需要予測を振り返り、刻々と変化するマーケットの状況と予測とのギャップを知り、その記録を知識として蓄積することが認知バイアスの抑制と需要予測の進化につながり、品切れと過剰在庫を防ぐ一助となる。また、数値変動背景の理解には人の購買行動の現場を体験し、人の購買行動を想像することが必要である。そうすることで数値変動の背景を推理した仮説構築と、その仮説を検証するための情報分析が可能となり、認知バイアス回避によるさらなる需要予測精度の向上につながるのではないだろうか。
二つ目はコミュニケーションの重要性である。需要予測では、認知バイアスを避け、需要変化の兆しをつかむこと、万一兆しをつかめなかった場合、その原因を探ることが重要である。その方法として特に、ビジネスの現場で経験を積み、三現主義の重要性を理解している著者は、現場の状況を知る営業やマーケティング部門との社内コミュニケーションの重要性について指摘している。2014年10月、日本において化粧品が免税対象となったころ、それまでの需要トレンドとは異なった動きをする商品が複数現れた。これに対して著者は外国人が免税店で化粧品を買う量が増加したことが影響しているのではと仮説を立て、営業部門を通じて需要の変化を店舗へ伝えた上で、店舗スタッフへのヒアリングを行った。その結果、例えばファンデーションについては、自分の肌の色に合わせた自然な色を選ぶ日本人に対して、中国人は明るくはっきりした色を選ぶように、日本人と中国人で化粧品の好みが異なることが分かった。ヒアリングによって仮説の正しさが証明され、さらなるインバウンド関連情報の収集に対する協力を、営業部門・美容部門・データ会社に仰ぎ、予測に反映させた。その結果、インバウンド需要の対象になったと考えられる約100品目のうち、7割以上の商品において予測精度の向上が見られ、機会損失と過剰在庫の防止につながったということである。需要予測を担当するスタッフにとって社内コミュニケーションは、現場で起きていることに関する情報を仕入れ、その情報を基に過去の数字の動きを理解することはもちろん、今後の需要変化の可能性を予測することにもつながり、ひいては需要予測の精度向上、品切れと過剰在庫の防止につながると評者は考える。
また、著者は認知バイアス回避による予測進化に加えて、万一予測が外れた場合の対策の重要性についても述べている。特に重要であるのは、予測が外れてしまったときのためのリカバリープランである。リカバリープランとは、品切れ発生が見込まれる事態になった場合に、工場の稼働体制や人の手配計画、サプライヤへの原材料の追加発注、輸送手段の航空機への変更など、損失を最小限に抑えるためのスピーディーな対応を指す。予測が外れた際、どの程度予測から外れているか状況を確認し、小規模な変更により環境変化を乗り切るのか、大規模なリカバリープランに移すか判断する必要がある。リカバリープランについてあらかじめある程度の対策案を生産側と共に検討しておくことが影響を最小限に抑えることにつながる。「予測を立てても当たらない」、「天災など予期せぬ事態が起きる」などと需要予測が当たらない理由を挙げるのではなく、需要予測とリカバリープランの両面から品切れと過剰在庫の対策をすることが重要である。
われわれを取り巻く環境は刻一刻と変化する。需要予測のPDCAサイクルを回しているか、社内の情報連携は十分取れているかなど、今一度、自らが行うべきことを真摯(しんし)に実行しているかを振り返る必要があるのではないだろうか。需要予測は最終目的ではなく、予測が当たった/外れたということそのものが重要なのではない。あくまで過剰在庫を防ぎ、品切れを起こさないようにして業績を最大化することが最終目的であり、予測結果と実績とのギャップから何を学んでどう行動するかということが重要であると評者は考える。数値の変化から、現場の情報を基にした仮説構築と検証、そしてそれに伴う経営判断の修正を行うプロセスは、需要予測にとどまらず企業経営にも当てはまる。需要や売上予測の実務を担当する方に限らず、企業経営幹部として社内オペレーション評価や投資判断といった中長期的な目線で物事を考える方たちにもぜひ一読を薦めたい一冊である。