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株式会社日立総合計画研究所

書評

研究員お勧めの書籍を独自の視点で紹介

君主論 :評者:日立総合計画研究所 野澤奈津子

2006年8月8日

"愛より強い恐怖"の次へ

16世紀初頭のイタリアは、「諸々の変革の中心地であり震源地」であった。29歳の若さでフィレンツェ共和国の第二書記局長となり、勢力拡大を賭けて諸外国との交渉を担ったマキャヴェリが、当時の君主・貴族・民衆の力関係と国家という巨大な組織の統治方法を論じた著が『君主論』である。

同著によれば、君主は、貴族と民衆という敵対的な関係にある両者の間で、貴族の野心を抑制しながら、民衆に憎悪されないよう、国を統治していかなければならない。そのためにはまず、民衆を味方につけることの重要性が強調される。なぜなら「一般大衆は財産や名誉を奪われない限り満足して生活し、したがって君主は少数者の野心とだけ闘う必要があるにすぎ」ないからである。その上で野心を持つ者を統治しなければならないが、その優れた例として、フランス王国の統治機構に言及する。当時フランス王国では、野心家で傲慢な貴族を民衆が嫌悪しており、王は民衆を保護したいと考えたがそれに直接関与することは望まなかった。 そこで、「民衆を愛することによって貴族たちから受ける非難と貴族を愛することによって民衆から受ける非難を王から遠ざけるために、第三の法院を設け」王が非難されることなしに貴族の野心をくじく仕組みが整えられた。

マキャヴェリは秀逸な国家の統治機構をこのようにとらえ、そのトップに立つ君主に対し「慈悲深さより残酷さ」を、「愛されることより恐れられること」を求める。その理由として、残酷な支配者は、「あまりにも慈悲深いためかえって混乱状態を招き殺戮と略奪とを放置する支配者と比較して、極めて少ない処罰を行うだけである」こと、「人間は恐れている者よりも愛している者を害するのに躊躇しない」ことを指摘する。貴族と民衆という両勢力の間で絶妙なかじ取りを迫られる君主にとって、力の凋落は直ちに統治の不安定化へつながるからか、そこでは慈愛に満ちた世界観は排除され、恐怖に裏付けられた権威の確立とそれが脅かされた場合の敵対勢力への報復が至上命題となっている。ここに窺えるのは、マキャヴェリの徹底した力への信奉である。

領土拡大のため各国が競って戦闘を繰り返したマキャヴェリの時代には、国家の形成とその維持にとって最も必要なのは、力であったようだ。今日においても「右手で握手、左手には棍棒」という外交スタイルはしばしば見られ、マキャヴェリ『君主論』が現代社会にもたらす示唆は多い。

しかし難点を挙げれば、『君主論』では、君主・貴族・民衆という3者の関係は「力」という単一の尺度によって測られ、それを持つ君主と、持たない貴族・民衆に区分されて、常に前者の側から後者の統治方法が論じられている。すなわち、貴族や民衆が一貫して君主の側からとらえられ、被規定的な存在として扱われていることには不満が残る。そこからさらに踏み込んで、貴族や民衆内部における力関係やその変化、そこから生じる君主との力関係の変容を分析する視角が存在しない。力を持つ者と持たない者という2項対立の図式を保持すれば、その背後に観察される新たな力学メカニズムの発生に目が行き届かず、変化の胎動を見逃してしまうことになる。また、力を唯一の分析尺度とし、それを基準に国家という組織を分析することは、多様化した現代の組織を分析する枠組みとしては硬直的であり、「力」に代わるほかの尺度が求められているのかもしれない。

では、組織の形成・維持を可能にする「力」以外の要因は何か。
人々の行動は愛より恐怖によって支配され、ゆえに国家を形成・維持する原動力は「力」であることを徹底的に解明した結果、逆説的ではあるが、マキャヴェリ『君主論』は16世紀の彼方から問いを投げかけてくる。

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